特技の競歩で藍をまくと、

 書いてあるわけがない。俺は藍が血相を変えて失速するのを横目に、ゆうゆうと登校していく。


 しかし放課後、藍はかばんを抱え、わざわざ三部屋離れた俺のクラスまで文句をつけにきた。


「騙したんだね、私のこと」


「なんのことだ」


「自転車で並走したら一万円払えなんて書いてないらしいよ」


「らしいということは、自分の目で確かめていないのか?」


「た、確かめてないけど? まさかフォント3サイズくらいで隅っこに印刷されてるとか?」


 鼻で笑い飛ばしてやるつもりだったが藍が不憫に思えてしまい、俺は降参した。


「嘘か本当かという話なら、生徒手帳に書いてあるというのは嘘だ。だが並走は実際に道路交通法で原則禁止とされているし、おまわりさんに見つかれば厳重注意され、罰金刑もありうるぞ」


「ちょっと待って、頭が混乱してきた」


「いや、どこに混乱する要素があるんだよ」


「だって罰金刑とか言うから」


 藍がめそめそするので、クラスメイトの注目を集め始めていた。これはまずい。新年度早々、おかしな噂を立てられたら困る。


「わかった。話は聞こう。帰るぞ、藍」


「一緒に帰っていいの?」


「一緒にというのは語弊がある」


「わけがわからない」


 俺は手早く荷物をまとめ、先を歩きだした。自慢ではないが、俺は独学の競歩で移動することが可能だ。小学生のころに学校ではやり、誰よりも血のにじむような努力を重ね、いまの技を編み出したのである。そして思惑通り、藍を巻くことができた。俺はとぼけて校門をでていく。見知った顔を見かけたのは、まもなくのことだった。


 まだつぼみの固いハナミズキの下、つば広の麦わら帽子をかぶった錦木さんが、こちらに向かって手を振っていた。ここで知らないふりをするのもどうかと思い、俺はそちらに近づいていく。きょうの錦木さんは黄色いロングスカート姿だった。相変わらず夏を先取りしたファッションがとてもまぶしい。彼女は紫外線を気にしながら爽やかに切り出した。


「先名君、きのうはすまなかったね。先ほどあいさつ回りに行ったのだが、君の母上にも詫びてきたところなのだ」


「そうですか、ご丁寧にありがとうございます。こちらにはお買い物ですか?」


 田舎暮らしが長いせいか、つい世間話へとつなげてしまう。ご機嫌伺いというものが身についてしまっているのだ。


 錦木さんは、いいや、と否定し、言葉をつづけた。「君に用事があってね、こうしてのこのこと馳せ参じたわけなのだよ」


「それはまた、いったいどんな用件でしょう」


 つられて俺まで奇妙な口調になってしまう。ハーブ使いの魔女子の毒に当てられたみたいだ。


「実はバイトを探しているのだ」


「自営業のお手伝いですか?」


「私はこう見えて普段は大学生をしているのだ。君はいったい私をいくつだと思っているのだ」


 おばあさんが好みそうな帽子をかぶるくせに、そこは一応こだわるらしい。


「社会人でも大学に通っている方はたくさんいますよ。学生で起業する人もいます」


「うむ、確かに」


 錦木さんがあまりにも深刻にうなづくので、俺は気を遣って質問した。


「大学ではなにを研究しているんですか?」


「聞きたいのか?」


「いえ、むりやり教えてほしいわけではないです」


「そうか、なら本題に戻るとしよう」




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