なぜか買い物を頼まれる

 それにしてもこんなに不便なところにわざわざ引っ越してくるなんてよほどの変わり者なんだろう。きっと白いひげをもっさり生やした偏屈なおじいさんが一人で暮らしているに違いない。俺は勝手な想像をめぐらせながら斜面を登っていく。人の気配に気づいたのはまもなくのことだった。大きな麦わら帽子を顔に乗せたショートカットの女性が、藤棚を利用して作った布製サンシェードの下で横たわっているのだ。


 まだ肌寒いというのに白い半袖のラフなシャツに、薄い色のジーンズを身につけている。手足を投げ出している様子からしてかなり疲れきって熟睡しているようだが、女性が外で昼寝するなんていくらなんでも無防備過ぎる。過去に風紀委員をしていたわけでもないが、俺は微妙な怒りを覚えながら彼女に声をかけた。


「先名という者ですが、こちらにお住まいの錦木さんですか?」


 案の定というか、返答はない。だがしつこく何度か声をかけると、鼻息も荒く急に飛び起きた。いったい何事が起きたのかと目をぱちくりさせた彼女は、やや離れた場所で不機嫌に立ちつくしている俺を見つけ、ようやく客の来訪を知ったらしく、日陰にいても明らかなほど白い頬を赤く染めた。二十代前半くらいだと思うが、十代後半に見えなくもない。或いは三十代と言われればそんな気もする、不思議な雰囲気を持った女性だ。


 どちらかといえば好意的だったその第一印象だが、彼女自身によって打ち消された。


「君、買い物に行ってきてくれないか」


 なにを言われたのか理解するのに、十数秒かかった。出会ってすぐに聞かされる台詞として考えたこともなかったからだ。だが既に財布を出していた彼女は、一ミリも臆せずにまた同じことを言うのだ。


「確かここから二十分ほど歩いたところに、小さいがスーパーがあっただろう。これが買い物リストだ。頼んだぞ」


 なぜ俺の周りに現れる女性というのはことごとく強引でぞんざいなのだろう。前世など信じていないが、業というものを考えさせられるような事態にはもはやため息しかでてこない。


「のんびりしていたら日が暮れるぞ。私は忙しいのだ。まだ草むしりが残っているのだから」


 俺の処世術とは、ときに流されることである。しかしどんなに理不尽であろうと、やはりこれだけは確かめておくべきだ。


「つかぬことをお聞きしますが、あなたは錦木さんですか?」


 草むしりや買い物だけ頼まれた手伝いの人に回覧板を渡そうとしているかもしれないので一応そう訊いたのだが。彼女はさも不思議そうに首をかしげて答えた。


「いまさらなにを言っているんだ。当たり前だろう?」


「そうですよね、すみません」と、すべては先入観のせいだったのかもしれないと思いながらあいまいに笑う。ここの住人だからこそ買い物を頼むのであって、彼女はこれから草むしりをするのだ。回覧板を玄関前に立てかけてから財布を預かり、俺は買い物にでかける。

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