episode1.小さ過ぎるオーブン

入学式

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 校門の前には大きな桜の古木があり、いまを盛りとめいっぱいに花をひらかせていた。入学式や卒業式といった節目にいつも目にしてきた光景だが、果たしてここまで無感動だったときがあったかというと、俺の記憶では皆無だ。自分でも絶望的になるほどの状態だというのに、物事は俺の目の前で勝手に進んでいく。長ったらしい校長の話に、堅苦しくてつまらない来賓の方々の祝辞。そしてお決まりの、新入生代表によるありきたりできらきらした決意表明。し烈な受験戦争をくぐり抜けてきたからといって休んでいる間などない。もう次の戦いは始まっているのだと言い聞かせられているかのような儀式を終え、分け与えられた教室に移動する。


 室内では早くも真新しいスマホを取り出した生徒たちが、連絡先の交換をし合っていた。空いていた席に適当に座り、周囲の観察を始めたが、どうやら数人のグループで気の合いそうな人間をかぎわけて近づき、最終的にうまが合うかどうかで友達認定しているらしい。なかには俺のようにはなから一匹狼気取りをしている男たちもちらほらいる。外見や態度だけで判定することはできないが、もし俺と同じように学年トップを狙うなら、判定した時点から敵になるだろう。だから当然、いまから仲良くするつもりはない。ふと目を上げれば、同じ中学出身の顔なじみの姿もあったが、なれあう必要もないだろうから、いちいち自分から声をかけたりしない。


 とにかく、一刻も早く家に帰りたかった。担任教師がどんなに爽やかなイケメンでも興味がないし、そんなことを考えている暇があるなら、いますぐに配布されたシラバスを分析して、成績アップの対策を練りたい。将来は国家公務員を目指すのだ。立ち止まっている一分一秒が惜しい。


 次から次へと迫り来るしつこい部活の勧誘から逃れ、俺は一目散で家に向かう。小高い丘の住宅街をさっそうと通り過ぎ、今度はひたすら田んぼしかない農道を自転車で駆け抜けていく。やがてぽつりぽつりと昔ながらの農家が建てた大きな家が見えてくるが、俺の家はさらに奥地で、バスの停留所さえ近くにない開発区域にある。バブル時代にはプチ田舎暮らしなどという安易なキャッチコピーで十二棟ある新築建売住宅がすべて埋まったそうだが、俺が物心ついた頃には十棟が空き家になっていた。近いうちに取り壊されるらしいことはなんとなく親の会話から聞き取っているが、俺にとってはあまり関係のないことなので、正直どちらでも構わないと思っている。ただひとつだけ気に入らないのは、隣に住んでいる同級生、雪下藍も同じ高校へ入学したことだ。中学三年の夏までの成績なら絶対に到達できないラインで、彼女の母親も、「神様がくしゃみして誤って合格に丸をつけないと無理」とたとえていたくらいだというのに。もはや試験のときだけ奇跡が訪れたとしか思えない事態が俺を苛立たせるのだが、おそらく隣の家族にとってはどうでもいいことだろう。実際、「藍のことを守ってね」と頼んでくる始末なのだから。

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