第2話 罰走

(や、やりきった……!)

 我ながらこれ以上ない出来栄えである。


 朱璃は汗をぬぐいながらゆっくりと部屋を見渡した。

 必要最小限のものだけがすっきりと配置され、入り口付近に高い家具を配置したことで奥の窓に向かってぬけのある空間ができ部屋に広がりが感じられる。寝台のリネンはネイビーでそろえ(支給品であるが)落ち着いた雰囲気に。足元の黒檀の箱子には衣装や小物を収納でき、黒が部屋を引き締めている。おそらく最高級であろう柄物の敷物が部屋の印象を明るくし一気にこなれた雰囲気に。

 後は大きめのグリーンか、モダンな絵画があれば完璧だ。後で山からなんか引っこ抜いてこよう。


「……って、やり遂げた感出してる場合か」


 誰も突っ込んでくれないので仕方なく自分で突っ込んでみる。

 そう、誰もいないのだ。同室の二人は昼食を食べに行ったと思われる。


 朱璃は小さくため息をついた。まぁ、初日だし、しょうがないか。

 入学式の教室を思い出してしまった。最初は席の前後の子と話をして、少しずつ仲良くなっていったっけ。高1の時に偶然名簿順で仲良くなった綾香とはクラスが離れても一緒に居れる親友になった。卒業旅行……行きたかったな。

 

 一人で食堂へ向かう道中が、すでにホームシックモードの朱璃にとってはとても長く感じた。


「えっ もうおしまいですか?」

「はい。ここは昼九ツまでですよ。全員来られたと伺いましたがお嬢さんは関係者か何か」

「はい。……一応は」

「? 九ツ半から鍛錬だって皆あわててましたけど、大丈夫ですか」

「……!? い、今何時ですか?」

「九ツ半ですね」

「有り難うございます!」


 くるくると表情を変えた後、猛スピードで部屋を飛び出していく娘にあっけにとられつつ、調理員は首をかしげた。

「隊員さんの娘、かな? でも関係者以外は入れないはずだけど」


 鍛錬は未ノ刻からと聞いた。秀美琳しゅうめいりんがそう言った。言った気がしたが、聞き間違いだったかもしれない。

 異世界ぎこくに来てから3年半経つがまだまだ言葉になれない自分を情けなく思いながら、急いで着替えをして鍛錬所へ向かった。


 鍛錬所へ近づくにつれ竹刀の音とともに熱気が感じられる。

(この中の入るのって、もう最悪やんか……)


 引き返せるものなら引き返したい。無理なら時間を戻そうっ。そして悠長に模様替えをしていた自分を叱咤し、急いで食堂へ向かわせお腹一杯、はまずいか腹八分目にご飯を食べよう。よし、おなかの虫が鳴き終わったら開けよう。うん、そうしよう。

 勇気が出ず、扉に手をかけた状態で現実逃避する朱璃であった。


「何をやってる」

「ぅわっ」

頭の上から低音ボイスが聞こえ、あっけなく扉が開けられた。心の準備が出来ていないのに皆の視線を浴びてしまった。


 開いた口を閉じなくてはならなかったため一瞬間が開いてしまったが、精一杯謝罪するしかないと腹を括る。

「遅れて申し訳ありませんでした!」


 一瞬だけ時間が止まった。

 教官の指示以外で鍛錬中に手を止めるのはご法度だ。視線だけは入り口に向けてはいたが何事も無いかのように鍛錬は継続された。


 若干静かになった何とも言えない空間に朱璃はいたたまれなくなり目を泳がす。

 遠くで何故かスクワットをしている泉李が目に入り、早速心配かけてることを反省した。

(ごめんなさいー)


 やがてツカツカと近寄り難いオーラを持つ上官がやって来たため朱璃は少しホッとした。


 

朴久遠ぱくくおんご苦労だった」

 高身長の低音ボイスのイケメンから大きな箱を受け取った上官は朱璃をちらっと見たが知らぬ顔をして戻って行ってしまった。


(ま、待って~スル~せんといて~)

 朱璃は慌てて追いかける。


「柑長官! 遅れてしまい申し訳ありません! 以後このようなことが無いよう気を付けます。どうかお許しください」


 やはり無視される。


「長官! 反省していますっ。お願いします。罰は受けます! 参加させてください」

 

 何度目かにやっと足を止めた柑は冷たい視線を朱璃に向けて言い放った。

「そなたに用はない。さっさと帰れ」


「長官。お許しください」


 無視されても柑蘇准を追いかけて謝り続ける朱璃に流石に鍛錬の手が止まってしまう訓練生であった。



「見かけによらず、なかなかな神経の持ち主だね」


 千紫明せんしめいが戻ってきた朴久遠にこそっとつぶやく。好奇心を抑えられないような顔をみて、久遠は嫌な顔をした。


「関わる必要はない。むしろ関わらないでくれ」


 初っ端からしてこの騒ぎだ。ただでさえ異性が居ることで一悶着ありそうな今期に嫌気がさしている久遠はぴしゃりと言い切った。

 

 紫明が首をすくめる。

「わかってるよ」


 籐朱璃が時間になっても来ないことは予測がついていた。昼食時に同室の秀美琳が嘘をついていると分かったからだ。

 名門貴族とどこの誰だかわからない娘。いくら武修院は身分関係なくと言っても、公平さがあるとは思えない。


「でも彼女、前途多難だね。よりによって秀家と蒼家なんて。大きな後ろ盾を得ないことには彼女がここを無事に出ていくことはできないよ。あ、許してもらえそうだ。あははっ 龍樹まで罰走だって」


「申の刻までに帰ってくるのは難しそうだな」


「君なら余裕だろうけど私も自信ないよ。かわいそうに」


 同情的な眼を向ける者、蔑みような眼を向けるもの、こっそり賭け事を始める者。色々いたが誰一人として手を貸そうとはしなかった。そして籐朱璃が出ていくのを横目に訓練生たちは再び鍛錬に精を出すのであった。

 



「良かった~。ほんとにクビになるところだった。ぐぇっ」

 走り出してすぐ首根っこをつかまえられた。


「何が良かった~だ。あほ」


「泉李さんっ。あ……宗先生。えっと……すみません」

 初っ端から、やらかしてしまったのが、何とも申し訳なく非常に気まずい。


 目を泳がせる朱璃に思わず頬が緩みそうになる。


「ったく。丸腰で行くやつがあるか。これを持って行け」


 短剣を渡され、朱璃は身一つであることに今更気づいた。


「すみません」

「説教は後でな。時間がない。必ず帰ってこいよ」

「はいっ」


 罰走なのに笑顔で駆けていく朱璃に呆れつつも思わず笑顔で見送る泉李であった。

(ついて来てよかった。初日からこれかよ)



 短剣を懐にしまい朱璃は走りながら頭の中で必死に計算する。

(今、14時半くらいだから16時まで1時間半。昨日龍樹からここまで歩いたときは1時間半くらいかかったけどゆっくりだったから距離にして約6.5kmでその往復だから大体13km。確か国体で10000m32分くらいの記録が出ていたけど……。これは相当頑張らないと)


 中学は陸上部だった朱璃は1500mを主にしており、もし高校で入ったなら5000か10000mをするつもりだった。なので走ることは数少ない得意分野だ。親の反対もあり学業の為諦めるしかなかった事は今でも少し後悔している。

 

 しかし、走り始めて10分も立たぬうちに ぼこぼこの山道にギブアップモード。

「ランニングシューズがほしいー!! 足痛ーい。喉乾いた~。蜜柑食べたーい。あ、こんにちわ~」

 言っても無駄だと分かっていたが叫ばずにはいられなかった。


 ストレスも発散しながら爆走する自分に、時折すれ違う村人が幽霊を見たかのような顔をしていたのには全く気が付いていない。

 叫びながら走れる時点で化け物レベルの身体能力なので、あながち間違ってはいないのだが。


 ちなみに、週に数回「美しい幽霊が爆走し龍樹の下で舞をする」と噂が広まり、『見たものは幸福になれる』とドクターイエローのような都市伝説が生まれることになる。落ちてくる葉を取ろうとしたり木登りをしくじっているのが舞に見えるらしい。


 

 少し迷いつつもようやく龍樹にたどり着くがその名のごとくかなりの大樹である。朱璃は荘厳な姿に思わずぽかんと口を開け仰ぎ見る。


「ご神木やんこれ。登ったらバチが当たるやつやん。って言うかの木登り得意じゃないし……登ってる時間もないし」


 ここまで来た証拠に葉っぱを持ち帰ってこいと言われたのだ。


「う~。蜜柑みかんのくせに可愛くない事を言うな~」

頭を抱えること数秒。

「……良し、これでいっか」


 相変わらずの切り替えの早さで、朱璃は再び走り出した。

 西に傾く太陽に焦ったおかげで足の痛さを忘れ全力疾走。さすが帰りは叫ぶ体力はなく大人しく岐路につくことができた。


 



「確かに龍樹の葉であるが、落ち葉だと証拠にならん」


「長官は登って取ってこいとはおっしゃいませんでした。また、ご神木に登るのもどうかと思いましたので、代わりに紙垂しでを少々戴いてきました」


(紙垂破ってくるのはいいのか?)

(そっちの方がバチが当たりそうじゃね?)

(龍樹ってそんなに近くにあったか?1時間半で往復できる距離?)

(いや、行ってるわけねぇよ。あり得ない)

 訓練生の間で一瞬ざわめきが走るがすぐ収まり長官に視線が集まる。


 柑蘇准はしばらく厳しい目を向けていたが表情を変えず鍛錬に参加することを許した。

 

 そして、朱璃が合流して竹刀を5回振った頃、申の刻を知らせる鐘が7つ鳴り、初日の鍛錬は終了したのだった。





「えらいもん連れてきて下さいましたね」

「可愛いだろ」

「どこがですか。起爆剤どころか爆弾そのものでしょ。あれは」

「お前。うまいこと言うな」

「……」


 柑蘇准は尊敬に止まない先輩こと宗泉李に半ばあきれながら、解散後に駆け寄ってきた籐朱璃を思い出していた。


「本日は初日から遅れてしまい申し訳ありませんでした。鍛錬に参加させて下さる機会を設けて下さり感謝しております。ありがとうございました」

 

 彼女はそう言ってきたのだ。

 罰を受けた後そこまで出来る子は少ない。物事に臨機応変に対応し失敗をプラスに変える力を持っている。教育の賜物なのなのか、天性のものなのか。どちらにしても幼いころからその力を身につけているなんてさすが景雪様の弟子。

 最初から遅刻も理由あっての事だと解っていたし、対処する態度にも好感が持てた。


「まぁ、あの年頃であそこまで対応できる子はいません。それは認めます」

「お前が褒めるなんて珍しいな。でも、言っとくが惚れるなよ。命に関わるからな」

「何バカなことを。いくら何でもそれはありません」

「お前さ、朱璃がいくつか知ってる?」

「今期は1番下が14歳ですよね。藤朱璃じゃ無いのですか」

「ほら、やっぱりな」

「何がですか」

「朱璃は20歳」

「うそでしょ」

「真面目に本当。わかったら扱いに気をつけろよ。んで、可愛いけど可愛がるな」

「……肝に銘じます。私だってまだ死にたくありませんから」


 


 

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