青の塔の迷い人

綿野 明

前編



「はぁ……今日もここまで戻ってきちゃった」


 スーリアは深々とため息をついて、石を並べて作った自作のかまどの底の魔法陣をちょんちょんとつつき、火を起こした。今の彼女は「水持ち」なので本来なら火の魔術はうまく発現しないはずなのだが、さすが超古代文明の遺した石板から模様を転写しただけのことはある、何なくお湯を沸かせるくらいの炎が燃え上がった。


「今日は……キノコと人参、兎肉のシチューです」


 いつの間にかすっかり独り言が癖になった彼女は小さな声でそう呟きながら、あちこちにへこみのある拾い物の鉄の兜に泉から水を汲み、そこに具材を放り込んだ。黒地に紫色の斑点があるキノコ、禍々しくうねり絡み合った根を持つ赤色の根っこ。そして長い耳と鋭い牙を持つ謎の小型の動物はナイフ一本で手際良く捌き、引き締まった肉を一口大に切ってぼちゃんと入れる。


「うーん、塩が欲しい。切実に欲しい」


 この間、冗談みたいに腰の引けた学者の男が放り出していった荷物から拝借したやつは、とうに使い切った。塩以外にも、そろそろ何か新しい物資を調達したいところだが──


「いけない、何ここに永住するみたいな気分になってるのよ。外に出なきゃ、外に」


 スーリアはそう自分を励ますように声を上げ、壁の方へ行って肉を捌いたのとは別のナイフで短い傷を一本入れた。

「うわぁ……明日でとうとう五年か」

 そしてもう一度深くため息をつく。


「はぁ……髪洗って寝よ」

 胸に右の拳を当てて、左手でその拳を包むように握る。祈りの姿勢になった彼女は、「書庫」で見つけた古代語の呪文をスラスラと唱えた。

「アールト・ファ=ウナ=スラーセア」

 すると先程とはまた違った紋様が床に描かれ、清らかな水色の光が立ち昇ると、土埃がついていた彼女の手足や髪、服までもがすっかり綺麗になった。浄化の術だ。


 ここで暮らすようになってから「もう無理、お風呂入りたい! 入りたい! 入りたい!」とあんまりにも連日願い続けたからか、彼女は水の神から祝福を授かっていた。つまり「水の魔力持ち」になった今のスーリアには、魔術で体を清めるくらい朝飯前だ。ついでになぜか何もしていなくても全身が淡い青色に光るようになって、暗い回廊を探索している時でも明かりを灯す必要がなくなった。水面に映してみた己の姿はちょっぴり精霊みたいで綺麗かもと思っていたが……しかしそれを見せたい相手とは、もう五年も会えていない。


「……はぁ、五年かぁ」

 そしてカクンと項垂れ、よろよろ「書庫」の方へと向かう。

「ちょっと寝る前に読書でもしよ……現実逃避したい」


 おそらく一万年以上の時を経ても尚錆びつかない、不思議な金属の扉に手を当てて魔力を流す。すると一面に美しい光の幾何学紋様が走って、ギィと重苦しい音と共に扉が開いた。中は真っ暗だったが、最近のスーリアは常にちょっと発光している人なので、入るだけでほんのり部屋が明るくなる。もうすっかり暗闇に慣れてしまった彼女は、その程度の光源でも読書には十分だった。

「まさか『青の塔』の最深部がこんな書庫だったって知ったら、アドル達、喜ぶだろうな」

 もう何度目かわからない台詞を呟く。そうやって無理にでも先の希望を口にしていないと、気が塞いで仕方ないのだ。





 スーリアがこんな状況に陥ったのは、五年前の夏のことだった。当時の彼女は一級冒険家集団「竜の瞳」の一員として、三人の仲間達と世界中を旅していた。ある時は無人島に眠る秘宝を探し、またある時は海に潜って沈没船を探し──そうして彼らが辿り着いたのがこの「青の塔」だ。


 しかし塔といっても、ここは地上ではなく地下である。スーリア達の生きるこの世界は八千年前の「魔王の時代」に一度全ての文明が滅んだのだと伝えられているが、それより前には現代よりもずっと発展した魔術文化を持つ超古代文明が存在していて、この塔はその時代の遺跡なのだと、そういう伝説があった。


 そしてその超古代文明の超技術なのか何なのか、このおおよそ円錐型をした百四十階建ての超高層建築は、上下逆さまにすっぽり地面の下に埋まっているのだった。


 いや、そう言われると塔だと思っているのが勘違いで、本当は深い深い地下室なのではないかと思うだろう。しかしどうにも違うのだ。廊下にはずらりと透明度の高い分厚いガラスの嵌まった窓があるし、考古学者の研究によれば、外壁には美しく精緻な彫刻がびっしりと施されているらしい。それに何よりも、。壁に取り付けられた朽ちかけの魔導照明器具や、部屋の出入り口の形、全てが上下反対なのである。つまり雲に届こうかという巨大な塔を建てはしたものの、何らかの理由でこう、くるっとひっくり返ってしまったとしか思えない形をしているのだ。


 そんな場所があると聞けば、冒険家としてそれは行ってみたくなるだろう。いや、ならないはずがない。スーリア達「竜の瞳」も、わくわくしながら長い船旅を経て海を越え、この迷宮へ足を運んだ。


 そこまでは良かったのだ。問題は、スーリアがとんでもない方向音痴だと、仲間達どころか本人も全く気づいていなかったことだった。

 スーリアは特に苦労もなく地図が読めたから、そういうことが起こった。冒険家はいつだって新しい街に着くと真っ先に書店に行って地図を買うので、街なかでは困ることがなかった。地図にも描かれないような秘境を冒険する時は必ず側に仲間がいた。地図のない場所で一人になることは一度もなかった。


 その油断が命取りになったのだろうか。「迷宮」と言われつつもそれほど入り組んだ構造はしていなさそうだと判断したリーダーのアドルが「手分けしてこの階層を探索し、またここで落ち合おう」と言った時、彼女はためらいもせず頷いてしまったのだった。


 仲間の姿を見たのは、それが最後だ。ちょっとした角を曲がって、三、四段の階段をいくつか降りたと思ったら、もう自分がどこにいるのかすっかりわからなくなっていた。とにかく地上へ戻ろうと来た道を戻ったはずなのだが、見つかるのは下へ向かう階段ばかり。仕方がないとそちらへ進んでいるうちに最深部まで辿り着いてしまい──


「はぁ……」


 嫌なことを思い出したと、スーリアは手にした巻物を膝に置いて片手で顔を覆った。あれから五年──どこからか入り込んで棲みついているやたら凶暴な動物をなんとか短剣一本で倒し、その肉と、ところどころに生えている謎の植物を喰らって生きてきた。はじめの頃はかなり食あたりに苦しんだが、耐性がついたのか今は特にそういった不調もない。


 彷徨い歩いているうちにわかってきたことなのだが、この塔はどうやら作られた時から地下へ埋めることを想定していたらしい。或いはいずれ地下へと反転してしまうことを予期していたか。


 この塔は全てが土の中に埋まっているのではなく、窓の外が岩盤になっている箇所も多い。時には地下洞窟を貫通して空洞が見える場所もある。そういうところの窓はなぜかそこだけ留め金があって開けられるようになっているし、地下水が流れているところや泉のあるところは、そこから水が汲めるような構造になっていたりするのだ。


 かといって、窓から外に出て地上をめざすというのは無謀だった。下から数えて四階層目の空洞を探索してみたことがあったが、どこまで行っても地上へ繋がる穴があるようには見えなかった。いや、ある程度新鮮な空気が吸えるのだからどこかには風の通り道があるのだろうが、少なくとも何かしら岩を登る道具がないとどうしようもない。


「……寝よ」


 スーリアは広げた巻物を丁寧に巻き直し、元の場所に戻すと、草や木の葉をかき集めて作った寝床へ向かった。ごろんと寝転がって目を閉じる。この最深部、超古代文明の秘密が収められた「書庫」の文献も、これで全部読み尽くしてしまった。文字は全て謎の古代文字で書かれていたし、暗号解読は得意でも何でもなかったのだが、ひとりぼっちの夜はとにかく寂しくて退屈でしかたなく、なんとか娯楽を得ようと血眼になって文字を追っていたら、いつの間にかなんとなく読めるようになっていたのだ。期待していたような心ときめく恋愛小説は一冊もなかった。全部神話とか天文学とか、そういうのばっかりだ。真面目かよ。


 そう頭の中で愚痴を言っている間に少しずつ意識がぼんやりして、スーリアは眠りに落ちた。明日は何か刺激のある発見があるといいなと夢見心地に考えたが、望みは薄かった。





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