3:因幡雄大-いなばゆうだい

 一年が経った。


「おじさん、これやっとくねー」

「おう頼んだ。ユーダイ、そっちどうだ?」

「これくらいおっちゃんやってくれよなー。めんどっちぃぜー」

「はーいはいはい、覚えたばっかの面倒くさいを前面に出さない出さない。むしろ楽しむ方向を前に出していこうな」

「そっちのが楽しい?」

「そりゃそうだろ、なにかやるってのは楽しいもんだって覚えろ。だって“やらないこと”って楽しくないだろ?」

「……だなっ! よーしやるぞユイー!」

「わたしもうやってるよぅ」


 一年が経った。


「おっちゃんってほんと体力だけはあるよなー」

「鍛えてるからな」

「仕事とか大丈夫ー?」

「任せとけ、結衣ちゃん」


 一年が経った。


「あっちぃいい……! おっちゃんこの暑さなんとかならねぇ……?」

「おっちゃんGODじゃねぇから天候までは変えられねぇんだよ……」

「叔父さん、ユーダイ、そんなところで寝てたら風邪引くよ?」

「この熱さで引かせられるもんなら引かせてみろってんだい……なー、おっちゃーん」

「屁理屈こねなさんな。確かに女の子が居るのにこの格好はないな、よし、風呂入ってくるか」

「えー? 余計汗かくだろそんなの」

「そーでもないぞ? 風呂でおもっくそ体あっためて体洗ってな? そんでもって出る前に軽く冷水で手足の指先を冷やすんだ。効果は長くは続かんけど、なんかちょっぴり涼しさ持続するぞ」

「ほんとかよー……んじゃちょっとやってくる」

「待て、おじさんが先だ」

「おっちゃん大人なんだからそんくらい我慢しろよ!」

「ばかお前馬鹿暑いだろ年齢とか関係なくばかお前馬鹿」

「馬鹿馬鹿言うよぉ!!」

「あははははは!」


 一年が経った。


「おっちゃん! どうすれば速く走れるようになる!?」

「よっしゃあ特訓だ! 今日から早速やるぞ!」

「おおよ特訓だ! ユイも混ざれ!」

「え、えぇ? また急に? わたしはいいよぅ」

「ばっかお前、お前だって足遅くてどんくさいとか言われてたろ! 早くなるんだよ今日から!」

「叔父さんはそれも個性だって言ってくれたもん!」

「結衣ちゃん、それでも速くなりたいなら、叔父さんその意思尊重するぞ?」

「うー……速くなれる?」

「なれるなれる」

「じゃあ……」


 一年が───


……。


 で……。


「あのなぁ姉貴……プロジェクトプロジェクトって、何年それに付き合ってんだよ」

『うっさいこっちが訊きたいわンなこと!! ね、ねぇちょっとアンタ? ねぇ? ちゃんと二人の記録取ってあるんでしょうね。これで無いとか言ったらブッ殺すわよ? ブッ殺よブッ殺』

「二人とももう親のこととか忘れてんじゃねぇかいっそ」

『やめれ』

「おうやめる」


 えらくドスの利いたやめれだった。


『ていうかなんなのよ! なんでアンタはこっちに写真のひとつも送らないの!? 二人とももう18でしょ!? どう育ってるのかもわからないって、親としてどうなのよー!!』

「それ以前にお前が親としてどうなんだ。十年近くだぞオイ」

『ひぐっ……!?』

「実の親だからそうならなかったのかどうかは知らんけど、反抗期もなく良い子に育ってるぞ二人とも。家の手伝いはしてくれるし、困ったことがあると全力で支え合ってくれるし」

『いいなー! いいなー! いーいーなーぁー!!』

「切るぞコラ」

『なんで!? う、羨ましがることすらもう許されないっての!? 実の子供の成長を近くで見守ることも、おべんと作ってあげることも娘に料理を教えることも出来ない親の気持ちがあんたにわかる!?』

「知らん。だって姉貴料理できねぇし」

『───』


 黙った。

 マジか、向こうでも料理勉強しなかったんか。

 これ、宗次さん(旦那さん)大丈夫なのか……?


「ところでさ」

『ぐすっ……なによ』

「結構前の話だけど、たまにそっちから子供の笑い声とか聞こえてたんだけど。あれなに?」

『ひゅぐっ?!』

「………」

『………』

「……おい。お前まさか」

『ぃゃっ……ゃ、いややややだっだだだだってほらっ、プロジェクトプロジェクト言ってもまだまだ若い男女だったしっ!? いろいろ鬱憤も溜まってたし、ご無沙汰だったこともあってそのっ……』

「…………」

『…………さっ……三人目……おります』

「さようなら、お子さん二人は俺が育てます」

『わぁああ待って待って違うのほんと違うのもともと三人は欲しいねって話でそれで最初っから双子だったしでもどうしてもあぁああ待って待って話聞いて待』


 悪は去った。

 溜め息ひとつ、通話が切れたスマホを耳から離して視線を落とすと、まじかー……と長い溜め息。

 や、実際プロジェクトはまだ続いているらしい。だがマジか、向こうで子供作って、その面倒見ながらやってるって。

 これ俺別に頑張らんでもよかったんじゃ? だって向こうで子育てしながらプロジェクト出来ちゃってる証拠があるわけじゃない?


「………」


 ああいや、そういうわけでもないか。

 姉貴だって宗次さんだって、向こうの環境に馴染むまでは大変だったんだろう。

 プロジェクトだって軌道に乗るまでは、なにも手に着かない状況だったに違いない。

 だから、ここで俺が怒るのも呆れるのも筋違いであって、なにより俺はいろいろ諦めたのだから。

 なんとかなるさ。


「叔父さん、誰かと電話?」

「お、ユーダイか。お前のお袋さんと」

「お袋? あー……」


 実際のところ、ユーダイも結衣も親のことは随分と薄れてしまっているらしい。

 苦労しながら育ててくれたのは俺だ、みたいな認識になっているらしく、踏み込んで訊いてみたところ、「たとえるならほら、男と一緒に駆け落ちして、全部を元旦那に押し付けた女……みたいな?」らしい。

 姉貴と俺が元夫婦だったって設定はともかく、似たような状況だから笑えない。


「けどさぁ、ほんと呆れるよな。叔父さん顔はあれだけど、ほんとすっげぇいい男なのに、なぁんで今まで女の影のひとつもなかったんだろうな」

「ダルルォオ? 今時俺レベルでいい男なんざそう居ねぇぜぇ?」

「はははっ、そうそう、俺の馬鹿なノリとかすぐノってきてくれるとか最高なのになー。シンも言ってたよ、叔父さんみたいなおもしれぇ人が身内に居りゃよかったのにーって」

「ちなみにお前の周りの俺の認識って?」

「顔はアレなのにすげぇ面白い人」

「やっぱなー、やっぱなーぁああ……顔だよなー、顔は絶対話題に出ると思ったよー……」

「ばっかだなぁ叔父さん、叔父さんがそんな顔じゃなきゃ、こんなおもしれー叔父さんな性格じゃなかったって絶対!」

「アホかお前アホお前俺はお前事故に遭って死に掛けたからお前アホお前」

「叔父さんって照れると大体そうなるよな」

「ほっときなさい」


 苦労がなかったわけじゃない。むしろありまくりだった。

 それでも今まで頑張ってこれたのは、こいつらが居たからだ。

 ほんとアホな話で、苦労ばっかの時は泣きたくなることばっかだったのに、諦めて自分の不幸を他人の幸福にするよう動き始めてからは、そう不幸でもなかった気がする。

 最近知ったんだが、周りが幸福になるってことは、自分の環境も幸福になるってこと。気づこうとしなかっただけで、そういった行動は自分にも少なからず幸福が滲んでくるようになるってことだった。

 ただしその速度があまりにも遅すぎて、10年近く経たなければ気づくこともないってアホさなわけで。


「…………ところでユーダイ。お前ほんっとーに賛成なのか?」

「はぁ、まーたそれかよ叔父さん。いーじゃん、ユイがそれでいいっつってんだから。俺だって叔父さんのこと、叔父さんってよりは親、っていうよりも兄貴って感じだと思ってんだから」


 今更だよ今更、なんて言ってくるが……ああ、もう。


「よく見ろこの顔。なんでこの顔に惚れるんだよ。俺この歳まで女に引かれることはあっても惹かれることはなかったんだぞ?」

「? …………ああ、引かれると惹かれるね。俺の姉がそういう特殊な方向だったってことだろ。顔より心。惚れたら負け。そういうことだろ」


 むしろ噂のかーさんが、そんな関係知ったらどう出るかが楽しみだよ俺! ……なぁんて言って、目の前の心が雄大なユーダイは笑っている。ちくしょうめ。

 まあ、わからんでもないんだけど。押し付けて十年ほったらかした娘が、よもや弟に惚れました、なんて。

 ここ数年で立派に成長し、あの外見だけは見目麗しい姉から産まれたと納得できる外見と、あの姉から産まれただなんて信じられない性格の娘、結衣は、なにをどう間違ったのか俺に結婚を前提に付き合ってくださいなどと言ってきた。

 ユーダイレベルのジョークか? よろしいそのギャグ受け取ろう、と馬鹿真面目な顔で「俺も……そう思っていたのさ」なんて返したら、花咲く笑顔と潤んだ瞳で迎えられた。

 ……ハッと気づいた時には全てが遅すぎたのだ。アホである。

 そう、あれは確か───

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