4:因幡結衣-いなばゆい

=_=/回想


 それは九月だった。怪しい季節だった。お江戸が空飛びそうな季節だった。

 嘘です、十月の、夏の暑さもお彼岸が過ぎたあたりから忘れられていった、涼しい頃合だった。

 仕事も順調、休日ってことで今日はどうしようかな、なんて思っていた日。

 顔を洗って歯も磨いて、冗談めかして鏡に“今日も決まってるブサイクだゼ”と頷いてみせると洗面所を出る。

 それからどうしようかー……なんて考えていると、リビングで結衣ちゃんが待っていた。

 休みの日は一緒に食事を作るのが恒例となっている。そのために居たんだろう。最近は台所に一緒に並んで立っていると、どこか気恥ずかしそうにしたり顔を赤らめたりと表情豊かになったなー、なんて思っていた俺なのだが。


「あ、あのっ」

「ん? ああ、おはよう結衣ちゃん」

「おはっ、おはようございますっ! ~……」

「?」


 結衣はおはようを大事にする。

 おはようからおやすみまで、なんでかきっちり俺に言ってくる。良い子に育った。掛け値なしにそう言える。

 たまに“馬鹿な……本当にヤツの娘か……!?”なんて疑いたくもなるが、まあ宗次さんの血のお陰なのだと思っておこう。

 でも、なんでか挨拶した時とか、声をかけた時とか、赤くした顔を俯かせて、目をぎゅ~って瞑って震えてるんだよな。こう、スカートぎう~って握り締めて。

 昔っから長い大人し目な服を好んで着ていたのに、中学の何年かから急に、ちょっぴり大人な感じの服を着るようになった。

 な、割りに、俺に見られると顔真っ赤にしてあわあわして、そのたんびにユーダイに“はぁ~……”と溜め息を吐かれていたりした。

 あの時はついに反抗期が……!? なんて思ったりしたもんだよなぁ。

 や、反抗期は来たには来たぞ? 自分らをず~っとほったらかしにした親に向けて。なもんだからその分俺が思いっきり愛情と親愛を注いだら、いつの間にかかなりべったりになった気がしなくもない。


「ああそれと。……誕生日おめでとう。結衣ちゃんも18歳か」

「ふあぁっ……!? あ、あの、あのあのっ……はっ!? そ、そうですっ、18歳ですっ! もう大人ですっ、大人なんです!」

「え? あ、あぁうん、そうだな」


 ……結婚出来る年齢ってだけで、大人かどうかで言ったら20が青年って感じだけどな。ほら、未成年者の喫煙と飲酒は法律で禁止されております、なんてよく聞くし。

 けど今はそれ言ったら泣かれそうな気がするのでやめておく。


「だからそのっ、いつまでもちゃん付けとかそのあのよくないんじゃないかなぁって」

「そうか? 可愛くていいと思うんだが」

「かわっ───……~……だだだだめですだめですっ! きょきょきょ今日こそは、今日からはっ! 絶対によびっ……呼び捨てにしてもらいますから!」

「…………もしかしてちゃん付け、嫌いだった? あちゃー、そりゃ叔父さん悪いことしちゃってたな」

「叔父さんは悪くなんかありませんなにを言い出すんですか!!」

「え、えー……どうすりゃいいの」


 顔を真っ赤にして身振り手振りも加えて怒られた。涙目の女性の怒鳴り声って、怖いよね。


「とにかく叔父さんっ! ちゃんはだめです! 呼び捨ててくださいっ!」

「だめ?」

「だめです!」

「絶対に?」

「絶対にです! たとえそれがお誕生日プレゼントになっても構わない覚悟で挑みます!!」


 因幡結衣。髪型はさらっさらの黒髪ロングボブ。

 性格は控え目かと思いきや、中学の頃に結構大胆になった。ただし感情の起伏で涙が滲みやすいというかテンパりやすいというか。

 スタイルは……男が見たら10人中10人は振り返るんじゃないでしょうか。もちろん顔の良さも手伝って。

 胸、大きい。腰、スラッと。お尻、安産型。

 こんな娘がいつか、彼氏とか連れてきて挨拶するんだぜ……? マジか、泣きそう。いやいや俺が泣いてどうする、俺いろいろ諦めたでしょーが。

 だから俺がすればいいのはひたすら受身で、なんでもかんでも叶えてやることだと思っている。

 さ、ならば俺がすることは一つだな?


「じゃあ……結衣」

「ひゃうっ」


 ひゃうって言われた。

 さっきまでのきゃーきゃーな勢いが一気に削がれ、ぽふんっと顔を赤というより桜色に染めると、もじもじと縮こまっていき……両頬を両手で包んで、目をぎう~っと閉じてしまった。なんか「~~~……っ」と声にならない声で震えてる。

 無理矢理声にするとするなら、“きぅぃうぃゅうぅぅぅぅ~……!!”みたいな声だな。何語だ。


「さて、んじゃあ今年のプレゼントはなににしようか。欲しいものとかあるか? 毎年言ってるけどおじさん、そういうプレゼントとかを選ぶセンスとかなくてなぁ」

「………」

「結衣ちゃ……こほん。結衣?」

「………」


 訊ねてみると、すぅ、と目を開き、ぽや~っとした、というか……とろんとした? 目で俺をぽ~っと見つめてくる結衣。

 桜色の頬と、涙が滲みながらもとろんとした目と、何故か頬を包んだままの両手。

 おじさん女性の表情でそんなの見るの初めてなんですが。え? なにを表現したいんだ? 俺とくれば、目が合えば“キモい・怖い・生きた芸術の森 (ゲテモノ)”だった筈なんだが。

 あーそうそう、俺が高校の頃なんて、女子高生なんて口を開けば“キモい・ウザい・死ねば?”の三種しか喋らない珍獣みたいなものだった。心の中でのあだ名が“キモウザ・シネーヴァさん”だったくらいだからな、ほんとそれしか口にしないほど、あの頃の女子高生ってのはキモウザ・シネーヴァさんだった。

 それに比べて……宅の結衣は本当に良い子に育ってくれた。

 そんな彼女に贈る誕生日プレゼント。多少の無茶はしようとも贈りたいと思うのだ。


「ぁの」

「おう」

「なんでも……いいですか?」

「俺に出来ること、買えるものならな」

「ほんとですか……?」

「ほんとほんと」

「命、懸けますか?」

「物騒だなオイ。まあ、本当に出来ること、無茶じゃないことならいいよ」

「じゃあ───」


 ふるるっ……と足を、腰を、肩を震わせ、彼女は桜色大満開の表情で涙を散らしながら、言った。


「わたしとっ……結婚を前提に付き合ってください───!!」

「いや無理だから」


 そしてこの即答である。


「ななななななんでですか!? 叔父さん嘘ついたんですか!?」

「いやいやつきません叔父さん嘘なぞ大事な時につきません。……あのね、叔父と姪はね、法律上で結婚できないの」

「!?」

「いや、!? じゃなくて。え? 今どう発音したの?」


 あ、それ言ったら俺もか。え? 俺今どうやって?

 とかなんとか考えてたら、目を渦巻状にして俺をヴィスィーと指差してきた結衣が、


「じゃあいいですわたし結婚なんてしません一生独身でいてやるんですからねぜんぶぜんぶおじさんの所為ですから!」

「え? いや、結婚するかは本人の自由だろ。誰の責任でもないし、俺は止めないぞ?」

「だったら未婚の夫婦になってください!!」


 な ぜ そ う な る

 ぴしりと我が身が固まった。

 あいや待たれいと手を伸ばしかけると、その手がハッシと掴まれて、引っ張られて───もにゅり、と。彼女の豊かな胸に押し付けられた。


「ォアッ───!?」

「わわわわわわたしっ、本気っ、本気ですからっ! なんですか結婚なんて! 紙に名前書いて提出するだけじゃないですか! 大事なのは愛ですもん! ウェディングドレスなんて! 白無垢なんてー!!」

「おわわわわちょ待て離せ離せこんなん誰かに見られたらっ───」


 なんとか強引に離そうとするも、そのたびに腕がぎうっと圧迫され、手が勝手に開閉というか、グーパーを繰り返しまして。その。めっちゃやわこい! アワワワワ女の子の胸ってこんなんなんだ! じゃねぇよ! やめて!? いろいろ諦めたとしてもこんな方向への諦めなんて抱きたくない!


「おじさーん、借りてた辞書、返しに───あ」

「あ゛っ……」

「あぅんっ……!」


 と、そこへやってくるユーダイ。OH、YOU DIE。いやこの場合死ぬの俺だよ。

 てか結衣も! なんでこのタイミングで甘い声出してんの! 咄嗟に手をずらそうとして力んで鷲掴みしちゃったからですねごめんなさい!


「え、あ、いやー……叔父さん、マジ? OK出したの?」


 終わったー、なんて思っていた俺に、ちょっと半笑いのような顔で問いかけてくるユーダイ。

 エ? 笑ってる? あれ? “悲運! 叔父に襲われる双子の姉!”みたいな状況は?

 ………………え? もしかしてこれ、超体を張ったジョーク?

 …………あーあーあー! そういや結衣めっちゃテンパってたし、多分ジョークの順序忘れちゃって、なんとかしなくちゃって暴走したんだな!?

 なーんだそうかそうか! そうだよなぁ! じゃなきゃこんなヴサイクおっさんと結婚を前提にとかウハハハハハちっくしょう騙されたあぁあああああっ!!


「ユイも本気で踏み切ったんだな……でも胸掴ませるのはやりすぎじゃね?」

「え? あ……はわぁぁあっ!?」


 そしてさらに赤くなる結衣。うんうんやっぱりテンパりすぎての行動か。

 予定になけりゃあそりゃあユーダイだって驚くわ。

 大丈夫だ、叔父さんもう受け止めるよ。結衣ちゃんはたぶん、何を言ってもおじさんが“いーよ”って受け入れてみせるから、どこまで行けるか試してみたくなっちゃったんだろう。

 だったらその期待に応えてやらなくちゃ。

 そして、“もー、おじさんはー、あははははー♪”って感じで舞台が幕を閉じるのだ。

 ………………。

 ところで、この手はいつになったら離してくれるのでしょう。

 いや、結衣? 腕の筋を圧迫して無理矢理揉ませないで? 顔真っ赤にして目ぇ渦巻状にしてなにやってんですか。


「ほじっ……おじひゃんっ……」

「お、おう……?」

「すー、はー……! おじさんっ!」

「お、おうっ」

「わっ……わたしとっ! 未婚の夫婦になってくださいっ!!」

「───……」


 どごーんと、言葉が衝撃波になったかのように俺を襲った。

 そんな中、俺はクールになれクールになれと自分に言い聞かせる。

 不細工な俺が誰かに好かれるなど。冗談でもなければ有り得ない。それに相手は将来有望であろうめちゃんこ可愛い姪っ子だ。俺なんぞ、からかい相手の経験値にしかならんだろう。

 ならばそのからかいを真正面から受け止めて、笑いの種にしてやりゃいい。

 そうだ、諦めたおっさんは手強いってことを思い知らせてやろう。

 だから俺は掴まれている手とは反対の手で結衣の肩をぐっと掴んで、精一杯のキメ顔を作って返すのだ。


「俺も───そう思っていたのさ」

「───……っ! おじっ…………じゃ、じゃあっ!」

「ああ。結衣のお願いを受け入れるよ。おじさんと未婚の夫婦になろう」


 傍から見ればもうギャグ空間にしか見えんのだろうなー、なんて思いながら、鉄のフォルゴレを意識したサワヤカスマイルを披露する。

 するとどうだろう、ようやく俺の手は解放されて、結衣は両手で口元を塞いで震えだした。

 え……両手で押さえなきゃやばいくらい面白かった? 吹き出しそう? などと思っていた俺に、涙をこぼした結衣ががばしーと抱きついてきたのは、直後のことでした。

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