第三十五話 修学旅行の、前夜の話を知りましたの。そして、夢を見ましたの。

 その日の、夕食後のことです。

 わたくしは、デュオン兄さまに、呼び出されましたの。


 デュオン兄さまのお部屋の中には、わたくしとデュオン兄さまと、デュオン兄さまの専属執事のスオウがいますのよ。

 ソファーに座って、わたくしはドキドキしながら、向かい側のソファーに座る、デュオン兄さまを見つめましたの。


「ララーシュカ」


 真面目な顔つきで、わたくしの名前を呼ぶデュオン兄さま。


「はい、なんでしょうか?」


「君に、話しておきたいことがあるんだ」


「はい」


「ずっと、忘れていたことなんだけど……」


「忘れていたこと?」


「うん、日本にいたころのことなんだ。ものすごく大事なことなのに、ずっと、忘れていたんだ」


「そういうことって、ありますよね。前世のことなのですから、忘れても、仕方がないと思うのですが……」


「うん、でも、悔しくて……」


「そうですのね」


「うん。メリッサとね、キスをしたら、思い出したんだ」


「キス……。いつ?」


「それはヒミツ」


 デュオン兄さまは、あでやかに笑うと、人差し指を立てて、自分の口元に持っていきました。

 ドキドキしますから、そういうことは、やめていただきたいですわね。


「えっと……それで、日本でのお話でしたわよね?」


「うん、そうなんだ。先に伝えておくけど、この話は、殿下とメリッサにもしてあるから」


「……わかりましたわ」


「修学旅行の前夜、君の兄が、家にきたんだ」


「兄……が、なぜ?」


「たぶん、君のことが、心配だったんだと思う」


「――えっ? そのようなことは……」


「ない、かな? 君のことを見ないようにしてた君の母親とは違って、彼は君のことをね、よく見てたんだ。離れた場所から、つらそうな顔でね。僕も久孝ひさたかも、ずっと気になってたんだけど、理由は、聞けなかった」


「…………」


「あの人、人間嫌いだし。まあ、相手の過去とか、未来とか、前世や来世まで知ることができるって、つらいだろうし、仕事でもなければ、できるだけ、人を避けようとするのは、当たり前だよね」


「……わたくし、兄は、わたくしのことだけが嫌いだと、そう思ってました。幼いころから、話しかけても無視されていましたし、すぐに、どこかに行ってしまわれるし……」


「違うよ。君のことが好きだったんだ。だからこそ、つらかったんだと思う」


「……あの、兄はなにを?」


「僕と、君と、紅千代べにちよと、久孝がね、異世界人の末裔だって、そう教えてくれたんだ。しかも、異世界から日本にきた人の魂を持っているって言われた時は、この人、異世界転移とか、異世界転生の本に影響された中二病じゃないかって、つい、疑ってしまったよ」


「そのようなことは……」


「ないよねぇ。君の兄のことは、よく耳にしてたけど、中二病というウワサはなかったし」


「他にはなにを?」


「僕たちの魂が、元の世界にもどりたがってるって、そう言われたんだ。あと、来世は、僕の姉が持ってる、乙女ゲームの世界に行くとも、言われた」


「それは……この、世界のことですよね?」


「うん、見えたんだって。いろいろと。だけど、僕、キャパオーバーだったから、細かいことを質問することができなかったんだ。でも、乙女ゲームのシナリオを書いた人も、僕たちと同じ異世界人の末裔だとか、話してたのは覚えてるんだ。本人は、無意識だろうけど、なにか、力を持っていて、その力を使ってるような気がするって言ってた。会ったことがないから、そう感じただけらしいけど」


「……そう、ですのね。兄は、わたくしたちの魂が、異世界に転生しようとしていることに、気づいていたのですね。でも、わたくしには、なにも言わなかった……」


「君に言っても、宿命は変えられないって、そう思ったのかもしれないね。僕にも変えられなかったけど。僕ね、あの夜はショックで、信じたくなくて、泣きながら寝たんだ。寝れなかったけど。翌日、同じ班だったし、久孝に言おうか悩んでたら、君と紅千代の班の子たちがいてさ、不安そうな顔だったから、話を聞いたんだ。それで、いなくなった君と紅千代を捜して、見つけたあと、あのできごとが起きたんだ」


「……そう、ですの、ね」


「大丈夫?」


「びっくりすることを聞いたせいか、なんだか、身体が熱いんですの」


 わたくしがそう伝えると、デュオン兄さまが立ち上がって、スタスタ歩きました。

 どこに行くのかと眺めていたら、わたくしの前にきましたの。

 デュオン兄さまが手を伸ばし、わたくしのおでこに触れました。


「――なっ!」


 叫ぶ、わたくし。


「すごい熱だね」


 そう、つぶやきながらも、離れない、デュオン兄さまの、手。

 ドキドキする、わたくしの胸。


 動くことも、しゃべることも、できなくなったわたくしの顔を見て、天使のようにほほ笑む、デュオン兄さま。


 絵になりそうですが、絵を描く元気はございませんの。早く、手を離していただきたいのですが……。


 スオウ、いるのはわかっているのよ。気配があるもの。助けて。あなたはわたくしの専属ではないですが、助けてほしいの。


 ああ、めまいが……。

 華奢で、か弱い、わたくしは、ふらりと倒れてしまいましたの。



 黒髪黒目の、幼いわたくしがいます。

 そのわたくしを見た母が、泣き出し、そして、逃げて行きました。


 幼いわたくしが泣いているのが見えます。


 ――ああ、これは、過去の記憶だと、そう思いましたの。

 見ているだけで、胸が苦しくなりました。


 幼いわたくしの心の声が聞こえます。


『ごめんなさい。うまれてきてごめんなさい。こんなわたくしでごめんなさい。ゆめみのちからがなくてごめんなさい。ダメな子でごめんなさい』


 ああ、苦しいですわね。悲しいですわね。

 一緒に泣いてしまいますわね。


 でも。


 デュオン兄さま、いえ、直登なおとさまから、兄のことを聞いた今ではわかります。

 母は、兄から聞いて、わたくしの未来を知ってしまったのでしょう。いつも、悲しそうな顔をしていましたし。わたくしの前では。


 父や兄の前で楽しそうに笑っていても、わたくしに気づくと、悲しそうな顔をしていましたの。


 楽しいはず、ないですわよね。

 わたくしの未来を知ったなら、悲しいでしょうね。


 父は寡黙な方でした。なにをお考えになっているのか、全くわかりませんでしたが、今思うと、父も知っていたような気がしますの。


 ずっと忘れていましたが、昔、父が、このようなお話をしてくださったことがあります。


 小蝶という名は、わたくしを妊娠中に、母が、藍色の蝶の夢を見たからつけたそうです。

 藍色の蝶が、大きくて美しい満月に向かって飛ぶ姿が、美しかったそうですの。


 苗字が藍夢あいゆめですから、小蝶という名にしたそうです。

 父と、母が。


『お前なら、どこまででも力強く飛べるだろう』


 そう、わたくしに告げたあと、父が、縁側から、満月を眺めていましたの。

 あの時は、意味がよくわかりませんでしたが――。


 あらっ? だれかが呼んでるわ。男の子の声。

 ランカ?

 いえ、わたくしは――。


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