9 // 舞台を去る”妖精”:情に狂ったピエロ

 ”アマテラス”の上で、サヤは瞼を開けた。視界に飛び込んできたのは、怒りの形相を浮かべたままに静止した、機械仕掛けの権力者の像。

「最悪の目覚めね、」

 そんな風に呟いて、サヤは立ち上がると、自身のドレスを払った。

 ゴシックロリータの、ドレス。結局最後まで着っぱなしだったそれは、所々破れて、汚れてはいるが、身体自体は無傷。

 ユウが、なんだかんだ気をつけて、一生懸命逃げてくれたのだろう。

 と、そんな事を思った所で。

「お、あ~……全然動かない。でも、ボクの身体……ボクの身体!」

 そんな明るい声が届いた。見ると、電気椅子に座らされて、頭にケーブルだらけのヘルメットをかぶせられた少年が騒いでいた。

 サヤは、その様子に笑みを零し、そんなユウの元へと歩み寄ると、ヘルメットを取ってやった。

 露わになったのは、銀髪の少年の顔だ。サヤにとって見慣れた――けれど、もう幽霊ではない、弟のような友達の顔。

 ユウはサヤを前に、言う。

「あ、お姉ちゃん!ねえ、“ハンド・メイド・エデン”壊した?」

「ええ」

「じゃあ、復讐終了だね。ボクの身体も手に入ったし~……。あ。でも、この身体動くようになるかな?」

「多分ね。コールドスリープの副作用だと思うから、ちゃんとリハビリしたら動くようになるわ」

 そう言いながら、サヤはユウの身体に腕を回した。担ぎ上げて、車いすに運ぼうと思ったのだ。

 だが、その途中で、サヤは動きを止め――そのまま、ユウを抱きしめた。

 身体がある。脈動がある。ユウが確かにそこで生きている。サヤにとっては、復讐の成否よりも、そちらの方が大事だったのかもしれない。

 と、そうやって抱きしめられているユウは、不思議そうに首を傾げ……それから、気付いた、とばかりに声を上げた。

「……あ!お姉ちゃん、もしかして泣いてる?」

「泣いてない。……泣いた事なんて一回もないわ」

「いや、お姉ちゃん。だから、それは無理あるって……」

 サヤは笑みを零し、ユウから身を離して、車いすを手繰り寄せながら、声を投げた。

「レイカさん、手伝ってもらえますか?ユウを、車いすに乗せるの」

「あ?ああ、」

 考え込んでいたのか、レイカはぼんやり頷き、サヤとユウの元へと歩んでくると、ユウの身体を軽々持ち上げ、車いすに座らせ……ユウとサヤ、二人の顔を眺めて、首を傾げた。

「……?何がどうなってこうなってるんだ?今、どっちがどっちなんだ?」

 しきりに首を傾げるレイカを前に、二人は顔を見合わせ、

「ボクがユウで、」

 子供っぽい笑顔でサヤが言って、

「私が、サヤ。……体はユウだけどね」

 冷淡な表情で、ユウが言う。それを前に、混乱して来たのか、レイカは眉を顰めた。

 そんなレイカを前に、子供っぽい表情を消して、サヤは言った。

「ただの子供の悪戯ですよ。ありがとうございます、レイカさん。ユウを守ってくれて」

「守ってくれたのはお姉ちゃんの身体だよ。ありがとう、レイカさん!」

 ユウもそう言って――

「……?」

 レイカは、尚混乱して来たのか、思い切り首を傾げていた。

 それを横に、悪戯好きの“妖精”達は笑って、車いすを押して、その場所を後にしていく。

「あ~、ボク、おなかすいた。ねえ、チャーハン食べたい、チャーハン!」

「チャーハン?で、良いの?手抜きって嫌がってたじゃない」

「別に良いじゃん、チャーハン作ってよ」

「……駄目よ」

「え?」

「貴方病み上がりでしょ?身体にリハビリが必要な状態で脂っこいものは良くないわ。まず、おかゆと白湯とかかしら……それで様子を見てから」

「え~……」

 そんな、平穏な話をしながら、子供達は去って行く。レイカはそれを眺め……。

「……社長。子供の悪戯に負けたのか?」

 そう呟くと、子供達の後を追いかけた。

「待て!外はまだ危ないかもしれない!……後、わかるように何がどうなってこうなったのか教えてくれないだろうか?」

 そんなレイカに、ユウが誇らしげに、事のあらましを話して聞かせ、サヤはそんなユウの車いすを押していきながら、帰路へと付いた……。


 *


 新東京第1階層。その各所で繰り広げられていた戦闘が、止まっていた。

 ドローンが静止したのだ。戦っていたレジスタンス達はそれに顔を見合わせ、状況を確認し合い、仲間の無事を確かめ合う……。

 そんな光景が広がっている場所の、中心。新東京第1階層、“月観”本社の――公には存在しない事になっている、最上階。何層もの厳重なロックの上、意思のない機械しか踏み込んでこない――踏み込ませる事のなかった聖域。

 その最中で、ディストピアの王は、毒付いた。

「クソ、……クソッ!」

 毒づく他に、……その男にはもう、何も出来なかった。

 苛立ちのまま周囲のモノを殴り倒す――そんな事すら出来はしない。

 やせ細った腕は自分の意思では全くと言って良いほど動かない。足も、身体も。首から上がかろうじて動くだけだ。

 薄暗い中にいるのは、それこそ棒のように細い、車いすに横たわった、老人だ。

 道雁寺輝久は若い頃にテロに巻き込まれ――あるいは標的にされ、脊髄を損傷した。全身マヒの状態でその人生を生きていた。寝たきりで、無力感を覚え――新東京の各所を夢に見ながら。

 最初にレイヤードを得たのが、道雁寺輝久だ。

 それをレイヤードと知らず、あるいは“アマテラス”による監視や機器の制御だと知らず長年活用してきた。表の道雁寺輝久――無力な自分が思い描く完全な権力者を、動かしてきた。

 そして、研究者――数人の友人にこれを明かし、そこにレイヤードと言う名前がついた頃に、妻を失った。

 妻は、道雁寺輝久の介護をしていた女性だ。道雁寺、“月観”の、新東京の権力を手中に収めようとする権力者の家系で道雁寺輝久は汚点だった。ただ生かされているだけ、直接会話を交わした数少ない人間が妻になった。

 妻が子供を願ったから、人工授精でユウが生まれた。

 ……道雁寺輝久は息子を愛していなかった。妻の事すら、愛していなかったのかもしれない。

 妻子を失ったから狂ったのか、あるいは元から狂っていたのか。道雁寺輝久自身ですらわかりはしない。

 自分の身体すら思い通りにならないからこそ、全てを思い通りにする事を望んだ。権力者になる事を望んだ。狂信的に、全てを手に入れようとした。手に入れた末、更に自分の理想に近い世界を作り上げようとした。

 誰よりも無力で、誰よりも不自由だからこそ、だ。だからこそ……。

「……それが完全を求める所以ですか」

 突如、薄暗い部屋の中に声が響き渡った。声に、苛立たしく――どす黒い、世の中全てへの憎しみが籠った視線を向ける。

 その先には一人の男が立っていた。真っ赤なシルクハットに、真っ赤なコートの男。

 ふざけた格好のピエロの手には拳銃があり、その目は鋭く、道雁寺輝久を睨んでいる。

「どこから入った」

「玄関から普通に、お邪魔しましたが?」

 妹と同じように――あるいは妹の方が兄に似たのか、嘲るように神崎アサヒは言う。

「貴方は今こう考えている。馬鹿な!?この場所の事は誰も知らないはずだ!馬鹿な!?場所を知っていても入り込めないはずだ!厳重なロックが掛かっていたはずだ!」

 ふざけたように呟いて、それから、アサヒは肩を竦める。

「……場所は最初から知ってましたよ。貴方が舐めた“カムロ”が優秀でした。タツマさんはこの場所の事を知っていた。扉のロックは解除させて頂きました」

 そう言ったアサヒの手に、鍵が現れる。やけに巨大でやけに古めかしい鍵。

 握るそれへとアサヒは息を吹きかけ、そのカギは砂と変わり掻き消え……。

「……そして貴方はこうも思う。ハッキングされたら自分は気づく、そのはずだと」

「クソガキが……」

 言い当てられているのだろう。苛立ちのまま睨みつける道雁寺輝久を、冷たく眺めながら、アサヒは言った。

「さて、閣下。質問があります。貴方は、革命を成し遂げる為に必要な条件は何だと思いますか?」

「絶対的な指導者の存在だ」

「その通り……貴方は、そう応えるでしょう。それが貴方の敗因です」

「……ッ、」

 道雁寺の形相を前に、アサヒは涼し気な顔で続ける。

「革命において指導者にフォーカスされるのは、それが、出来事を伝えやすいからです。複雑に数多の状況が折り重なった上で成った革命よりも、誰か個人が成し遂げた偉業の方が大衆は理解しやすい。だから、絶対的な指導者が革命を為したと、誤認する。……

「私を、嘲りに来たか。この、私を……」

 道雁寺輝久の怨嗟、それを無視して、アサヒは続けた。

「世界はもっと合理的でシンプルです。革命の定義とは?現行体制の崩壊だ。現行体制が崩壊する条件は?別の強固な体制に脅かされる事。けれど、それは革命ではなく、侵略と呼ばれる。では、革命とは?……市民の暴動の結果です」

 自身を睨む目を眺めながら、淡々とアサヒは続ける。

「個々人が別個の目的を持ち、その方向性が俯瞰した場合に現行体制の打破へと向かっていく状況。その暴動の規模が、現行体制によって抑止しきれなくなる。その結果発生する現行体制の打倒と刷新を、革命と呼ぶ」

「……お前が革命を起こした。そう言いたいのか?」

「そんな発想で個人にこだわるから貴方はこのザマなんですよ。他人を信用する度胸もなければ、利用し切る器量もない。貴方は全て自分一人で管理できると過信した。だから、この社会の抑止上の容量キャパシティは酷く少ない。容易く飽和オーバーフローする。ボクはカードを配っただけです。選択肢を配っただけ。こうしてくれと頼んだ訳でも、導いた訳でもない。彼らは自分の意思で、自分の目的で貴方に牙を剥いた。貴方は敵を作り過ぎた。貴方は自分を過信しすぎた。ボクはそんな全てを、……そう。雑に煽っただけです。今そうしているように」

 言って、アサヒは銃口を道雁寺輝久に向ける。

 銃口を前に、道雁寺輝久は目を見開き、脂汗を垂らしながら、言う。

「私を殺すのか……。無力な老人を?」

「貴方の境遇は、確かに同情に足るモノかもしれない。けれど、だからと言って事実は変わらない。……お前はボクの家族を殺した」

 冷たく言い放ったアサヒを前に、道雁寺輝久は顔を歪め――

「復讐か。それで正義のッ、」

 ――唸るように叫びかけたその声が、銃声によって、散った。

 完全に、もう動く事のなくなった道雁寺輝久へ、硝煙の上がる銃口を向けたまま、アサヒは、呟いた。

「自分を正義だと思った事は一度もありません。ボクはただの、……情に狂ったピエロだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る