8 // ”妖精”の悪戯

、だと……?」

 道雁寺輝久、そのドローンは―――あるいは暗い部屋の中で、ドローンの視野で世界を見ている道雁寺輝久本人は、そう、呟いた。

 薄暗い部屋の中、睨みつけるパーソナルウインドウ、その画面の中で、ゴシックロリータの少女は、飽きたように子供っぽく呟いた。

「まあ、正直、ボクはね。こんなにうまく行くとは思ってなかったんだけど、全然気づかなかったんだ。ねえ、?」

 “サヤ”はそう、道雁寺輝久を嘲笑っている――その少女、その身体に宿っている意識が誰か、道雁寺輝久は理解した。

「……ユウ?まさか、」

 そう、道雁寺輝久が呟いたその瞬間、だ。

 彼の視野、彼のパーソナルウインドウ、そこにノイズが奔った。

 そして、声が聞こえる。肉声ではない。通信越しのように、あるいは頭の中に直接響いているかのような、“妖精”の声が。

『そのまさかよ、権力者様』

「神崎、サヤ……、」

 苛立ちのまま、薄暗い部屋の中で、道雁寺輝久は唸り……と、だ。その視界、そこにあるパーソナルウインドウが、一つずつ消えて行く。

 第1階層の戦闘を。あるいはそれ以外の、新東京の全てを監視し、管理していたその目が全て、黒く塗りつぶされて行く。

「“アマテラス”が、私の権限が……」

 唸り、道雁寺輝久はすぐさま奪われた権限を取り戻そうとする。道雁寺輝久自身のレイヤードによって、“アマテラス”を制御し、再び全てを手中に収めようとする。

 そのコード、命令――最上位権限は機能したのだろう。

 暗転していたパーソナルウインドウに光が戻り――けれど、そこに映っているのは全て、一つの映像だけ。

 輝く舞台、“アマテラス”の真上で、ゴシックロリータの少女が、“妖精”達が、道雁寺輝久を嘲笑っている……。

『無駄よ。だって、』

「お姉ちゃんがハッキングしたから。そもそも、お姉ちゃんを“アマテラス”まで運んだのは、お父さんでしょ?」

「……馬鹿な、」

 そう呟く他にない道雁寺輝久へと、“妖精”達の、悪戯を成功させた子供のような声が、響いてくる。

「おじさんはさ、こうなるのが嫌で、怖かったんでしょう?」

『私を“アマテラス”に接続すると、そこから権限を奪われる可能性がある。そう、警戒していた。事実今その通りになった。私の両親は“アマテラス”の研究者。その研究を、私も少しは眺めてたし』

「ボクはハッキングが出来ないから、自分に都合の良い道具として、“アマテラス”に繋ぐのなら、お父さんはボクを選ぶ。道雁寺夕を」

『“妖精”のレイヤードが必要なのに私を殺そうとした。貴方がその選択肢を選んだ時点で、ユウの身体があるって言う可能性が浮上した。同時に、リスクヘッジとして、“アマテラス”に接続する身体は、ユウのモノだろうって推測は成り立った』

「ボクもお姉ちゃんもさ。一応賭けだったんだよね。“妖精”のレイヤードを“アマテラス”に接続するって、どういう状況か良くわかんなかったし、こうなる前に殺される可能性もあった。でも、少なくとも“アマテラス”の近くには運んで貰えるだろうって、お姉ちゃんはそう考えた。だから、嵌める事にした。連れてって貰う事に」

『遊びもたまには良いわよね。遊園地。アレは収穫ね。あの子、それなりに私の真似上手かったし』

「ねえ、お父さん?お姉ちゃんは、ボクの真似って上手かった?って、聞いてもわからないか。だってただの道具としか思ってない位だし」

『貴方は昔の“妖精”がユウである事を知っていた。記憶喪失も知っているはず。と言う事は、思い出の共有って言う他人になり替わる上での最大のネックが機能しない。その上で、貴方は息子と知って“妖精”の意識を機械の中に閉じ込めていた。真っ当な情がユウに向いていない事もそこから伺える。大して興味ないんでしょう?だから、息子の中身が別人だとしても、気付けない可能性が高い。表面的な演技なら、私も結構あの子の事見てるしね』

「他人のはずのお姉ちゃんの方がボクに詳しかったんだね、お父さん?そんなだから子供に裏切られるし騙されるんじゃない?」

『そして利用されるのよ。そうと知らない内に。薬と信じて毒を飲んだのよ。流石、聡明ね、裸の王様は』

 “妖精”の、サヤの声が二つ、交互に嘲ってくる。悪戯をした子供のような、そこに確かな知性が混じった嘲笑が。

「……いつから、」

 知らず呟いていた道雁寺輝久に、二人の“妖精”は同時に答えた。

「『最初から』」

 最初から……サヤがユウの身体を見つけ、ユウの身体が意識を持ったその瞬間から、中身が入れ替わっていた。入れ替わった上で、それを周囲に悟らせない為に、演技をしていた。

 ユウは、サヤの演技を。

 サヤは、ユウの演技を。

 そして、道雁寺輝久は、そうと気づかないまま――“妖精”を、“アマテラス”まで運んでいた……?

「……ハッキングを、」

『あれはただのツールよ』

「お姉ちゃんがあらかじめ作ってただけ。ボクはボタンを押してただけだよ。……そんな事もわからないの?大企業の社長なのに?」

「クソ……」

 毒づく権力者を前に、“妖精”達はふざけたように、

「ていうかさ、幾らボクでも、あの状況でいきなり胸触ったりはしないよ」

『私はあんなに冷たくないわ。もっと優しく接してる。はず、』

 ……そんな風に呟いて、それからくすくすと笑みを零す。

「クソガキ共がッ、」

 苛立ちに、怨嗟に駆られたように――道雁寺輝久は唸り、直後、唯一管理下に残ったドローン、道雁寺輝久の姿をしたそれが、直情的に、“サヤ”へと殴り掛かっていく。

 が、その、最後に残っている道雁寺輝久の権限すら、即座に奪われ、半端に腕を振り上げた姿勢で止まり、それを前に“サヤ”は、

「ああ、そうだ。お姉ちゃんならこう言うかな。コホン、」

 わざとらしく咳払いして、とても“サヤ”らしい、妖艶で破滅的な笑みを浮かべて、嘲るように、言った。

「道案内ありがとう、勘違い野郎ドン・キホーテ

『じゃあね、権力者様。……貴方の身体、貰ったわ』

 直後――道雁寺輝久の周囲で、全てのパーソナルウインドウが、消え去った。


 *


 片腕からケーブルを垂らし、片腕を振り上げ、怒りの形相を浮かべ――。

 そんな、道雁寺輝久――ユウの父親が、スイッチを切ったように、その姿勢のまま固まっている。

 それを、“サヤ”――ユウは暫く眺め、それから呟いた。

「……ただの道具、か」

 それから、“サヤ”は疲れたように息を一つ吐くと、その場所にしゃがみ込んだ。

「やっぱり。お姉ちゃんに味方して正解だったね」

 そんな風に呟いて、それから、“サヤ”は視線を向ける。

 道願寺輝久の向こう――電気椅子に座らされた少年の身体。それを通じて、“アマテラス”の内部へと向かっていったサヤへと。

「早く戻ってこないかな~」

 家族の帰りを待つ幼子のように、ユウはそう、呟いた。


 *


 目の前のパーソナルウインドウ。そこを走って行く数列、コードを眺め、弄り改変していき……。

「……権限剥奪完了。ふぅ、清々した」

 サヤはそう呟いて、うんと伸びをした。

 そこは“アマテラス”の内部、だ。ユウの身体に入り、道雁寺輝久に連れられ、“アマテラス”と繋がれ――あの一瞬の苦痛と恐怖は本物だった。

 ハッキングに成功するか、失敗してサヤの意識が消えるか。その2者択一の一瞬だったのだ。そこを切り抜けられたのは、――幼い頃両親の研究を眺めていて、“アマテラス”の解析に一定の理解があらかじめあったからだろう。

 あるいは、もしかしたら、……助けられた結果なのかもしれない。

 パーソナルウインドウから、どこか伺うように、サヤは視線をずらす。

 ……多分、ここは“ハンド・メイド・エデン”なのだろう。“アマテラス”の中に作られた仮想現実。

 見慣れた我が家のリビングに、サヤは座っていた。そして、その伺う視線の先――サヤの向かいには、サヤが会いたかった人が居た。

 優しい表情を浮かべる、両親。神崎トウヤ。神崎メグル。その二人が、サヤの目の前にいる。

 ただのイメージなのか、それとも道雁寺輝久が言っているように、二人の意識がまだここにあるのか。どちらかはわからないし、お父さんも、お母さんも、何も言っては来ない。

 ただ柔らかく、サヤを眺めているだけ。そんな二人を前に、最後の、もう一つの作業を進めながら。

「ユウって子がね。イマジナリーフレンドみたいな、幽霊が、私の中に居ついてて。エロガキで、食べ方汚いし、人の身体で好き勝手するし。……でも、悪い子じゃない」

 なんだか遠い夢の中にいる、そんな心地でサヤは言う。

「エリと、遊園地行ったの。兄さんもいて、二人してエリに引っ張られて。遊園地って子供騙しでしょ?だから……フフ。楽しかったかも。子供なのかな?」

 独り言のように呟くサヤの言葉に、二人はただ耳を傾けていた。

「色々、危ない目にも合っちゃった。完全に自業自得なんだけど。うまく行かなかったりとか、あって。でも、それだけじゃなかった。多分、レイヤードを使って、“月観”に潜入しようってしなかったら、兄さんとまた会う事はなかっただろうし」

 どこか上の空のように、脈絡なく、ただ思い付いた伝えたい事を言葉にして……。

 そうしている内に、サヤの目の前でコードの羅列が止まった。

 作業が終了したのだ。“ハンド・メイド・エデン”の消去。“アマテラス”の中に確かに作成されている、仮想現実。今、サヤがいる夢の世界。それを完全に消去するための選択肢、サヤが他人の力を借りて、同時に自力で辿り着いた、夢を壊すボタン。

 “Delete―――y/n”

 そんな味気ない文字列が目の前にあって、その向こうに――会いたかった両親の姿が、サヤの望んでいる世界の一端が、あった。

「……なんで、何にも言わないの?私が望んだから、そこに映ってるって、それだけなの?」

 そのサヤの問いに、両親は顔を見合わせて、微笑み、首を横に振った。

「……ちゃんと、そこに。ここにいるの?」

 少し震えた声で、そう問いかけたサヤを前に、二人はゆっくりと頷いた。

 両親は、いる。ここに、“アマテラス”の中に。それは、本当は両親ではなくて、その人格の一部を切り取っただけのデータに過ぎないのかもしれない。あるいはこの見えている光景、この両親のリアクションは、“ハンド・メイド・エデン”がサヤに見せているただの夢に過ぎないのかもしれない。

 これを壊さなければ、一生、いや永遠にこの夢の中に居られるのかもしれない。

 それは、サヤの望みの一つではあるのだろう。両親に、傍にいて欲しい。

 けれど、そう願うようになったのは、失われたから。

 今、何も言葉を掛けてはくれなくても、眺めてくれているだけで嬉しいのは、喪失があったからだ。

 神崎サヤは年の割には、達観しているのだろう。そうなったのも、悲しい事があったから。辛い事があったから、今のサヤがある。

 それら全部を忘れて、なかった事にしてまで、ただ幸福なだけの世界を享受しようとは、サヤは思わなかった。

 だから、ポツリと口にする。

「私、ね。結構、色々。失敗したりするけど。でも、元気にやってる。うん。ちゃんと、生きてる。料理、結構、うまくなったし。それに……ねえ。そうだ。エリにね、ショートフィルムに出ないかって誘われてるの」

 他人からすればなんでもない事だろう。けれどそれは、サヤにとっては大事な問題だ。

 嫌なのだ。ショートフィルムに出るのが、嫌。そうやって、なんであれ舞台に立てば、両親の事を思い出して、悲しくなってしまうから。

 だから、そうやって提案される事自体が、聞いた当初のサヤには不都合で、多分何もかもが望み通りになってしまう“ハンド・メイド・エデン”ではそんな提案をされる事自体がないのだろう。

 だから、その世界には、心変わりがないし。

 ……嫌だった提案が、気付くと嫌じゃなくなっていて。それが、振り返ると、前向きになるきっかけだった。そんな事も、ない。かけがえのない望みに変わる事も、ない。

「私、出てみようと思う。それで、」

 微笑む両親を前に、サヤは、少し涙交じりに目元を拭って、呟いた。

「“アマテラス”の中に、いるんだよね?だから、あの……見てくれる?」

 滲む視界の中で、両親は頷いて……それを、目の前に。

 サヤは、安堵と喜びと寂しさ、全てが詰まった微笑みを浮かべて、――その、些細な夢を、終わらせた。


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