1 // 神崎サヤ/麻比奈レイカ:潜入開始

 “月観”本社。人よりもドローンの方が多い第1階層の中心にあるその建物は、企業の本社、と言うよりは巨大な研究施設、もしくは病院のような様相を呈していた。

 医療技術から、情報工学、その他、その場所の王が興味を持った様々な分野に関する研究設備、施設が巨大な一つの建物の中に乱立していて、そこで暮らす人間は、人格まで含めて道雁寺輝久が許可を与えた各分野の天才のみ。

 閉鎖的で、倫理や名誉欲よりも自身の興味――専門分野での研究に関してのみ極度の集中を示す一種のサヴァンのみが集められた禁忌の箱庭。

 その一角――医療技術棟の白い廊下を、一人の男が足早に歩んでいた。

 細身で眼鏡を掛けた男。名前は、

(空木幸助。医師免許と、……工学の博士号持ち?凄いわね、)

 パーソナルウインドウで自分のプロフィールを確認しながら、“幸助”はそのフロアを歩いていた。

 廊下の所々に、気絶した研究員達が倒れていて、警備とその他の作業兼用なんだろう、道雁寺輝久に従っていたのと同じタイプのドローンが、倒れた研究員達を気に留めた様子もなく、フロアを歩んでいる。

(警備は甘い。警戒態勢を敷かれた形跡もない。私の事は泳がせる気なのかしら)

 そんな事を考えながら、“幸助”は自身の手元にある端末――実物として存在するタブレット端末だ――に、視線を落とした。

 研究内容やカルテの共有に、パーソナルウインドウより便利だからなのか、あるいは空木幸助の趣味かはわからないが、奪い取ったその時から、“幸助”はこのタブレット端末を持っていた。そしてそこに、サヤの欲しかった情報が載っていたのだ。

(……重度の身体的欠損を追った状態で冷凍保存措置を受けた被験者に対する蘇生措置)

 サヤは単身、“月観”本社に潜入していた。“ハンド・メイド・エデン”を破壊する為、は勿論だが、それと同時に、ある可能性に思い至って、それを探っているのだ。

 歩きながら、“幸助”はタブレットの情報――この空木幸助が行ったらしい実験、あるいは治療に関する情報を読み進めて行く。

(被験者は当時12歳の少年。“アマテラス”に反対する過激派テロリストによる道雁寺輝久暗殺未遂の際、至近距離で爆発に巻き込まれ身体の各部に重度の裂傷を負う。当時の医療技術で延命を試みたが生存の可能性が極度に低く、緊急避難的に試験段階だった冷凍保存の措置が取られた。その後、彼の蘇生及び冷凍保存状態での肉体の再建の研究の為空木幸助が呼ばれ、5年がかりで理論化、実証、治療は……遂数週間前に成功済み。ちょっと前ネットニュースになってたわね。被験者の位置は……医療技術棟地下3階。被験者名は……)

 そこで、“幸助”は足を止めた。目的地――医療技術棟1階の外れ、裏口の非常ドアへと辿り着いたのだ。

 施設内の扉には生体認証による施錠はされていなかったが、流石に外部との扉にはそれがあったらしい。が、空木幸助の権限なら……。

(……開けられるわね)

 胸中呟いた“幸助”の前で、その裏口の扉が音もなく開く。

 と、途端、

「……お姉ちゃん?遅いよ~、」

 拗ねたような言葉が開いた戸の向こうから投げかけられた。

 夜空を頭上に、田舎の風景を背に唇を尖らせてその場所に立っていたのは黒いゴシックロリータの少女だ。

 そんな少女を前に、“幸助”は手に持っていたタブレット端末を差し出した。

「え?……なにそれ?ちっちゃい液晶?」

「タブレットよ。昔良く使われてた機材デバイス

 言って、端末を渡した直後―――“幸助”の身体が、急に意識を失ったように倒れ込む。

 そして、タブレットを手にしたゴシックロリータの少女は、さっきまでの幼い表情を冷静なモノに変えて、特に感想もなく空木幸助の身体をまたいで、医療技術棟へと踏み込んだ。

 と、そんな少女――サヤの耳に、サヤにとって全ての元凶で、同時に今となっては数少ない本気で信用している相手な、幽霊の声が届いた。

『あれ?お姉ちゃん、この人の身体捨てちゃって良いの?』

「施設内の警備は甘いわ。生体認証は多分必要ない。ドローンは権限を奪えば良いし、必要になったらまた誰かの身体を借りれば良いわ」

『ふ~ん。でさ、このタブレットって、何?なんでそんなモノ持ってきたの?“ハンド・メイド・エデン”を壊すのに必要なの?』

「いいえ。でも、大事な事が書いてあったわ」

 答えたサヤに、ユウ――銀髪の、意識だけの少年は首を傾げる。

 それを横目に、施設の奥へと歩んでいきながら、サヤはタブレットの画面に視線を落とした。

 そこに書かれている資料。その、冷凍保存からの蘇生措置を受けた被験者の名前。

 ユウもそれを見たのだろう。驚き、戸惑うように――ユウは呟く。

『道雁寺……夕?』


 *


 白い毛に赤い目のネズミ。いわゆるマウス、実験動物――が何かの折に逃げ出して野生化したのだろうか。妙にたくましい白いネズミが、“この人何してんだろう?”と言わんばかりな目でレイカを見ていた。

「……く。やめろアルジャーノン。そんな目で私を見ないでくれ」

『レイカ。遊んでないで進んでもらえますか?』

「はい……」

 通信越しに投げられた冷淡な言葉に俯き加減に応えて、レイカは埃塗れになりながら匍匐前進を続けた。

 排気ダクトの中である。場所は“月観”本社の一角、情報技術棟の最中。

 そこに、潜入道具の詰まったバックと銃器を担いだレイカは、思いっきりテンプレートに潜入していた。埃とか虫の死骸とかネズミのフンに塗れながら。

(私も、もっとスマートにやりたかったなぁ……)

 空を見上げようにも見えるのはダクトのすぐ近い天井ばかり。遠い目をする事すら出来ず、レイカは這っていく。

 サヤと情報共有を済ませた後。あっちはどうやっているのかは知らないが、レイカはアナログに潜入していた。

 ナビゲーション役、としてマリは同行せず、今頃施設の外にいるのだろう。

『そこ右ですね、』

 とか、レイカに進行方向を伝えている。

 この潜入に先んじて、マリがやったのか室長がやったのかは定かではないが、とにかく、この“月観”本社のマップデータを仕入れていたらしいのだ。そして、その結果選択されたプランが、廃棄用の通路を経由しての、排気ダクトからの潜入。

 とにかく、そうやって暫くず~っと、やっと日の目に出られるかと思ったらほっそいネズミの通り道を這って行って―――そこで、マリは言った。

『ストップ。そこですね。食料品の保管庫が下にあるはずです。降りてください』

「降りるって言われても……ああ。はい、」

 視界の先に明かり――この通路の終わりが見えて、レイカはそこへと這って行くと、ダクトを開けた。そして、そこから身を乗り出し、仰向けに膝をひっかけ上体を出した後、縁に捕まり下半身を出して、音もなくその場所へと着地する。

 食料保管庫――と言うだけの事はある。確かに様々な食糧がそこには置かれていた。と言っても、生鮮食品の類はなく、8割方ペットボトルとエナジーバー。ここで暮らしている人々の生活が垣間見える空間だ。

 周囲を確認し、ドローンも人影もない事も確認して、レイカは言う。

「それで。どこですか?宗谷アラタの居場所は」

 宗谷アラタの確保。それがマリとレイカが潜入している目的だ。

 彼は、ついこの間まで第3支社にいた技術者らしい。“ハンド・メイド・エデン”の開発の全権を委られている天才技術者だそうだ。

 レイカはその身柄を確保し、彼が持っている権限によって、“ハンド・メイド・エデン”のデータ自体を全消去させる。勿論、そう簡単に重要な計画を消去する訳もなく、どうやって消去させるか聞いた所、『胸元開けるか銃を突きつけるかお好きなようにどうぞ』だそうだ。レイカはそれが冗談である事を願いたかった。まあ、『最悪神崎サヤに付き出せばどうにでもなります』との事だ。

 どうあれ、まず発見して確保してからの話だ。宗谷アラタの居場所――と目されているのは、この情報技術棟の地下階。まずそこまで辿り着かなければ話にならない。

『少々お待ちください。なるほど。警戒態勢を敷かれている、と言う訳ではないようですが、それでも相当数のドローンがそのフロアに居ますね。……正面突破ロックンロールはお預けです。4時方向』

 言われた方向に、レイカは視線を向ける。さっき出てきた排気ダクト、その正反対だ。が、そこには壁しかない。いや、壁の他に一応別のモノがある。

 ……もう一つの排気ダクトが。

「……またですか?」

『貴方の能力スペックを最大限生かす潜入プランだと自負していますが?』

 悪びれる様子もなく、通信越しにマリは言っていた。それに、レイカはため息を吐いて……軽い助走の後排気ダクトへと跳ね、縁を掴み、明け、腕力だけで体をその中へと滑り込ませた。

 そしてまた、レイカは這って進み出した……。

『そのダクトを伝って、25メートル先にエレベータシャフトがあります』

「エレベータで降りるんですか?」

『ええ。エレベータで降りましょう』

「………」

 嫌な予感しかしないままに。


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