間章 来島エリ:そして少女は少しだけコーヒーを舐める
友達が最近なんだか変だ。ふと見たら別人みたいだし、そうでない時は、どこか遠くを眺めるように、物思いにふけっている。
そして遂に、この間から、学校にも顔を見せなくなった。
その理由が、来島エリにはわからなかった。この間のテロの後からそうなった。だから、テロで何かがあったのかもしれないとは思うし、あるいはそうではなくて……ショートフィルムに出て欲しいと、そう言ってしまったのが失敗だったのかもとも、少し思う。
他人にとってはなんて事ない話でも、本人からしたら大きな問題だったりする。サヤに関しては演劇が、演技をする事が、舞台に立つ事がそれだし、それをなぜサヤが嫌がっているのかもエリは知っている。
だから、日常のなんでもない一コマであっても、その罪滅ぼしなつもりで、今日一日気合を入れて遊園地を巡っていた。
サヤが元気になるようにしよう。そう考えていて、そこにサヤが誰より会いたかっただろうお兄さんを見つけて、半ば無理やり3人で周り、その結果さっき、少しサヤが元気になった……と、思っていた。
けれど。その日常の延長線上に、突如非日常が巻き起こった。
エリは人質にされ、アサヒは撃たれ、サヤは連れていかれた。道雁寺輝久に。“月観”に。
それを目の当たりにして、何もわからないまま……。
新東京第2階層中央区。“月観”第2支社。その支社長室のソファに腰かけて、エリはこれまで聞いた事のないような、父の冷たい声を聞いていた。
「……君は僕を敵に回した。そういう認識で良いんだな、輝久」
父――来島マサキは柔和な人格だ。エリは叱られた事すらほとんどない。だが今、パーソナルウインドウで誰かと話している父の表情は、厳しく冷徹だった。
「なるほど。確かに、危害を加えてはいない。ただ、利用しただけ。……だから許されるとでも思っているのか?僕の家族を一切巻き込まない。それが中立の条件だ。わかるだろう?アサヒくんはわかっていたよ?誰を敵に回すべきか、否か。……わかった。もう良い」
声音は静かなまま、けれど確かに憤りを滲ませて、マサキはそれで通話を止めたのだろう。
それまで座っていた支社長の椅子から立ち上がり、コーヒーメーカーへと歩み寄った。
「お父さん。一体、何が……?」
「正義を唄って神様になろうとしてる男を、僕は眺めるだけに止めて置くつもりだった。僕はその愚かな男の友人だしね。痛みも知っている。狂気も理解できる。より強固に彼を恨む者は多かったし、片棒を担いでいた以上、裁かれるなら共に落ちるのが筋かもしれないと思っていた。けれど、彼は越えるべきじゃない一線を越えた」
「えっと?」
よくわからない、と首を傾げたエリの前に、マサキはコーヒーカップを置いた。そして、それとは別に、空席になっている場所にカップを二つ、置く。
一つはブラックのまま、一つにはミルクと砂糖を入れて。
と、そんなマサキの仕草を眺めている所で……不意に支社長室のドアが開いた。
入ってきたのは、スーツを着込んだ、強面の男だ。マフィアの様だが、“月観”の人だろうか?強面に若干怯えたように、エリは目の前にあったカップを手にし、そんなエリを男は眺める。
「……この娘は?」
「僕の娘だ。見ての通り僕は神経が細くてね。見える所にいてくれないと不安なんだ。……コーヒーは入れたばかりだ。冷ましてから飲むと良い。猫舌だっただろう?」
言いながら、自身の分のコーヒーを手に、マサキはまた自身の椅子に腰かけ、強面の男は、そんなマサキの向かいに腰かける。そして、まだ熱いコーヒーカップを眺め、結局手を付けず、言う。
「……良くそんな事まで覚えているな」
「好みは多種多様だ。何が好きか、何が嫌いか。覚えておけば敵を作らずに済むからね」
強面の男は、マサキの言葉につまらなそうに鼻を鳴らし……それから言う。
「で?来島。私を呼び出した理由は?」
「到着がずいぶん早かったね。僕より前に君は僕に用事があった。先にそれから聞こうか?」
強面の男を前に、マサキはいつも通りの冷静さ、柔らかさでそう言っていた。
その妙に重苦しい空気に挟まれて、居心地悪く不安がって視線をさ迷わせるエリ。
と、だ。その視線の先。エリの向かいに置かれていた、ミルクと砂糖の入ったコーヒーカップ。それが、ふと浮き上がった。
と、思えば、そのカップの取っ手から、赤い花びらが散っていくように、カップを握る誰かが姿を現す。
真っ赤なコートに、真っ赤なシルクハット。そんな恰好の男が、いつの間にやらエリの向かいに座っていて、カップを傾けると、おどけるように言った。
「熱、いや~、ボクも猫舌なんですよね。エリちゃん、ふ~ふ~して?」
現れた瞬間からふざけ散らかした男を前に、エリは目を丸くした。
「アサヒさん!?……大丈夫、なんですか?さっき、撃たれて」
「見ての通りさ。ボクはスーパーマンだからね。撃たれた所でボクに向かってくる弾丸が哀れにもひしゃげるだけだよ」
そうどこまでもふざけた調子のアサヒを前に、エリは問いを重ねた。
「あの……サヤは?」
「無事だよ。連れていかれた所を、ボクの部下が助けた。というか、勝手に助かったみたいだけどね」
「勝手に助かった?」
「そうそう。たくましくなっちゃってまあ、お兄ちゃんは嬉しいやら寂しいやらね」
と、だ。そこでマサキが声を上げる。
「兄に捨てられればたくましくもなるんじゃないかな?」
その言葉に、アサヒは一瞬渋い顔を浮かべ、その横で強面の男もまた呟く。
「兄?……なるほど。演じるまでもなく道化だった訳か、神崎アサヒ」
その強面の男の言葉にも、アサヒは渋い顔をして、それからそんな諸々毎コーヒーを飲み下して、声を上げた。
「……さあ!じゃあ、話を進めましょう!革命の話を!」
「……革命?」
エリはそう首を傾げ、そんなエリの左右で、マサキと強面の男が言う。
「どちらかと言うと、もうクーデターだね」
「それに状況はもう始まっている。今更話も何もないだろう」
「いいえ~。帰るまでが遠足で、新体制を樹立するまでが革命ですよ。しおりはもう配り終わりました。その通りに行った後、お二人はどうされるおつもりで?」
そう問いを投げたアサヒを前に、マサキと強面の男は暫し睨み合い……やがて、口を開いたのは強面の男だ。
「第4と第5は維持しろ。私が貰う。私の要求はそれだけだ」
「それだけなら、わざわざ輝久に反旗を翻す必要はないだろう?」
「“ハンド・メイド・エデン”とか言ったか?気に食わない。破滅があるから人生は価値を持つ。幸福も富も、その総量は決まっているべきだ。誰しもに定量の幸福を与える世界など、どうせ長くはもたない」
「それは同意できないな。破滅があろうとなかろうと、どっちにしろ永遠に続くモノなんて世の中にはないよ。幸福も富も総量が決まっている。それは認めよう。けど、その不平等を可能な限り再分配するのが僕の仕事だ」
「なら、道雁寺に付くのか?」
「中立だ。僕は与えられたルールの中であがくのがそもそもの生業だからね。ルールを作る側になる気はなかった。……つい数時間前までは」
「ほう」
「僕には“ハンド・メイド・エデン”自体を否定する気はない。“アマテラス”も。ただ、一線を越えた友人を許す気はない。輝久には失墜してもらう」
「そして代わりにお前が箱庭の王にでもなるのか」
「器じゃないよ、僕は。体制に奉仕するだけだ。教科書通りに分立し、“月観”はただの裁判所になる。法を作らず、統治も行わず、ただ判決を言い渡すだけの機関に」
「“アマテラス”はそのまま残すと?」
「……それが、新たな社会での、最初の裁判の争点だろうね」
「統治は誰が行う?主導するのは?」
「行政の経験者の所在は君が掴んでいるだろう?第1階層の牢屋にもいる。実務的な人材は、この第2支社にずっと匿ってある」
「鼻から反旗を翻す気だったのか?」
「行政が瓦解した際に、就職先を斡旋しただけだよ」
二人はそんな話を進めていた。
完全に借りてきた猫のようなおとなしさで、エリは二人の話を眺めていた。良くわからないが、なんだか難しい話をしているらしい。
と、そんなエリにアサヒが言った。
「せっかくだから聞いといたら、エリちゃん?社会勉強だ。新東京で生きて行く以上、関わりがない話じゃないしね」
と、そんな事を言ったアサヒに、強面の男とマサキが言う。
「そもそも、絵を描いているのはお前だろう。お前が表舞台で生贄になれ」
「良い考えだね。アサヒくんは若く見目良く弁が立って手段を選ばない。詐欺師と政治家は天職だろうし、これを革命と言うなら主導的位置にいるのはアサヒくんだ」
「イヤです。興味がないので」
人に興味を持てと言っておきながら、アサヒはきっぱりそう言い捨てて、立ち上がる。
「それにボクは別に主導してませんよ。選択肢を持てるように、カードを配っているだけ。正直、ボクの目的は革命でも“アマテラス”の否定でもありませんし、ボクはボクの目的の為にボクのゴールへ歩いているだけです。さて、場も温まって来たようですし、ボクはここらで失礼しましょう。道雁寺本人はボクの管轄です。それ以外の制圧はお任せします。クヨウさんも、兵士はもう配置してるんでしょうし。後はドアを開けるだけ」
言って、アサヒはマサキを見た。それを前にマサキは言う。
「わかった。僕の権限で、第1階層への入場制限を緩和する。ただし、権限自体は輝久の方が強いからね。気づかれたらまた、第1階層は封鎖されるよ」
「こまごまとした話はお任せします。ボクとしては、我らがボスが大忙しで手が回らなくなればなんだって良いので」
言って、アサヒは部屋を後に仕掛ける。と、その背中に、マサキが問いを投げた。
「輝久の居場所は?聞かなくて良いのかい?」
今日、今朝……アサヒがここを訪れた時、マサキに尋ねたのはそれだ。
道雁寺輝久……その所在。表に出ているドローンではなく、本人。それがどこに潜んでいるか。
その言葉に、アサヒは振り向き、笑みを浮かべ……言った。
「ボクがそれを知らない。と、思って欲しかっただけですよ。我らがボスに。では、ごきげんよう。ああ、エリちゃん。サヤと仲良くしてくれてありがとね?これからもよろしく」
そして直後――霧にでも変わったように、アサヒの姿は消え去った。
何が何だかわからない……と、瞬きするエリの前で、マサキと強面の男は話を続ける。
と、だ。
その視界に、ふと、通知のアイコンが光った。メールだ。差出人は……。
「……サヤ、」
内容は短い。“びっくりさせてごめん。私は大丈夫。後で色々説明する”。
それに、エリは安心して、それから、マサキと強面の男の話を、分からないなりに聞いてみる事にした。
後で、サヤにここで聞いた内容を話してみよう。サヤに何があったのかも合わせて。
そんな事を思って、エリは温くなっていたコーヒーを少しだけ、舐めた。
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