6 // 神崎サヤ:”妖精”の再演

 真っ暗だ。どこを見ても、真っ暗。何も見えない。

 それがサヤの心情で、同時に現状でもある。

 目隠しをされている。“妖精”のレイヤード対策だろう。他人が視野に入らなければ、“妖精”のレイヤードは使えない。いや使えた所で、こうしてサヤの本体が捕えられている以上、何の意味もないのか……。

 身体が揺れている。何かに運ばれている。さっき兄さんが撃たれて、エリが人質にされたその時――サヤは何もできず、その場に蹲った。

 そして蹲ったサヤを、フレームだけの、骸骨のような人型のドローンが連行して行ったのだ。目隠しをされ、車に乗せられて――どこへ連れていかれるのか。

(“月観”本社。第1階層。“アマテラス”の近く……)

 ついこの間まで、サヤが行こうとしていた場所である。真相を知る為に。両親の仇を知る為に。けれど、知った上で連れて行かれる今……サヤは無力感しか覚えていない。

 無気力なまま、車に揺られ、真っ暗な中、一人ぼっちで……。

『……お姉ちゃん?平気?』

 いや。一人ぼっちではなかった。頭の中に同居人がいる。

 真っ暗い中。ぼんやりと、銀髪の幽霊――ユウの姿だけが、見えた。根本的にはパーソナルウインドウと同じで、脳内で視覚投影された、と誤認されているだけだ。現実の視覚は関係なく、銀髪の幽霊は心配そうに、サヤへと問いを投げる。

『大丈夫?』

(この子に、こんなに心配されるなんてね、)

 何所か自嘲するように、そんな思考が頭を撫でて……けれどサヤには、応える気力はなかった。

(兄さんが撃たれた。兄さんの、……私の、因果応報ね。リスクがわかっていて、甘く見てこのザマ……)

 あるいは、この銀髪の少年に会わなければ。レイヤードを手に入れなければ、こうはならなかっただろう。エリと一緒に、ただぼんやり、何でもない日常をただ過ごすだけ。

 それで、サヤは、満足だったのだろうか……?

 自分の事を他人のように、そうぼんやり考えるサヤの身体を、また揺れが襲った。

 車が、どこかに止まったらしい。だが、扉が開くような音はせず、代わりにサヤの身体を浮遊感が襲った。

(車ごとエレベータに?……第1階層に連れていかれるのかしら……)

 ぼんやり考えるサヤ――と、だ。次の瞬間、サヤの視界に光が入った。

 眩しさに眩んだ目を、サヤは凝らす――だんだんと、光に目が慣れてくる。

 そこは、トレーラの荷台だろうか。白い、どこか手術室を思わせるように無味乾燥な部屋、箱の中。その中心に備え付けられた椅子に、サヤはドレスを着たまま、両手足を椅子に固定されていて――。

 ――正面に、一人の男が座っていた。

「……道雁寺、輝久……」

 呟いたサヤを前に、その男――道雁寺輝久は、周囲に護衛もつけず一人、堂々と笑みを浮かべる。

「神崎サヤ。“妖精”。こうやって素顔で話すのは、初めてか?」

 何も答えず、サヤはただ道雁寺輝久を睨んだ。レイヤードの発動を試みる。だが、やはりそれは、発動しない。前と同じだ。この男にはレイヤードは効かないらしい。

「そう睨むな。私は話をしたいだけだ」

「……流石、人質なんて取る奴は立派ね。手足を拘束しないと女の子と話も出来ないなんて」

 もはや半分反射のような、皮肉と嘲笑を投げたサヤ。それを前に、道雁寺輝久は片眉を吊り上げ――直後、サヤの手足を固定していた錠が、外れた。

「確かに、お前の言う通りだ。レディに礼儀がなっていなかったな。私は本当に話をしたいだけだ」

(拘束を解いた?何もする気がないって意思表示?演出?……いえ。手足を封じてようが封じていまいが、どっちにしろ私には何も出来ない、か)

 道雁寺輝久が武器を隠し持っているかも知れない。持っていなくとも、そもそも少女と大男だ。サヤの身体が自由になった所で、現状は何も変わらない。

「何よ。話って。……謝罪でも始めようっての?」

 自分の劣勢はサヤも理解している。その上で、言動が挑発的になるのは、元来のプライドか、それとも“妖精”をして悪戯をして回った末に付いた癖、か。

 道雁寺輝久は言う。

「謝罪はしない。私は私の行いを間違いだとは思っていない」

「人の両親を殺しておいて?”アマテラス”のアップデートを止めた、その報復で」

「報復ではない。……私に反旗を翻し、障害となったから消しただけだ」

 あっさりと、道雁寺輝久は罪を認め、その上で、言う。

「協力者だった。良き理解者だった。トウヤは、メグルは、私と同じ完全な世界を目指していた。“アマテラス”によって、アップデートによってそれが齎されると信じていた。あの二人が居なければ、アップデートが可能と言う事実も発見されなかった」

「だから何よ。父さんと母さんが悪かったって言うの?」

 そう睨みつけたサヤを前に……道雁寺輝久は言う。

「認めよう。あの計画は不完全だった。テロリストを一掃した所で、また次が現れるのは自明だった。当時の私には他のアプローチは見つからなかった。私は早急に悲劇のない世界を作りたかっただけだ」

「……だから自分は間違ってないって言うの?」

「トウヤによって、メグルによって、“アマテラス”によるアップデートは封じられた。だが、あの二人に封じて貰った事で、私はより完全な、別のアプローチを探る機会を得た。だから今となっては、私はあの二人に感謝している」

「ふざけるな……」

 殺した上で、その計画はミスで、しかも感謝している?

 完全に苛立ちに歪み、サヤは立ち上がり、道雁寺輝久へと殴りかかり掛けた。

 だが……。

「あの二人の意識はまだ、残っている」

 ……その言葉に、サヤの動きが、止まった。

「あの二人が残したセイフティだろう。死亡と同時に、二人の人格のコピーが“アマテラス”の内部に移り、“アマテラス”のアップデートを封じている」

 ……人格が、残っている?ユウのように?父さんと母さんの意識が、“アマテラス”の中にある?

「そして私は、それが真の平和に辿り着く為の答えだと理解した。肉体の檻を捨ててしまえば良い。データとして、真に平穏で全ての願望が叶う世界で、全ての人間が生きて行けば良い。そこに悲劇はないだろう。悲劇を求める人間などいないのだから」

 “ハンド・メイド・エデン”だ。

 肉体はない。だが意識はある。そこが仮想世界だと知らないまま、その理想の世界の中で、全ての人間が生きて行く。

 ある種の理想郷だ。どうせ世界は主観でしかない。世界に騙されていると気付かなければ、その住人は幸福だろう。

「神崎サヤ。“妖精”のレイヤード。その力が必要なんだ。“アマテラス”の機能を十全に利用する為に、同機能を発動する権限が必要だ。……私の計画に、私の夢に、協力して欲しい」

「する訳ないじゃない」

「また両親に会えるとしてもか?そこに、両親と共に過ごせる理想郷があるとしても?悲劇のない世界があるとしても?」

 道雁寺輝久に協力して、“ハンド・メイド・エデン”へと、新東京の全住人を誘う。

 そこは、理想の世界だろう。欲しいと思ったものが全て手に入るそんな世界に、サヤが頷けば、なる。……この肉体を捨てて。

 ついさっき兄に言われたのと同じ内容だ。

 兄に言われた時は、応えられなかった。その世界は確かに、悪くないのかもしれないと、頭の片隅で思ってしまったからだ。けれど……。

 今は、答えられる。敵を前に、仇に――両親を殺しておいて、それを微塵も後悔する様子を見せない狂人を前に。

 ――こいつの理想は間違っている、と。

「何もかもうまく行く世界は、本当に素晴らしいのかしら?」

「意味の分からない疑問だな」

「私は両親を殺されたわ」

「殺されなかった世界に行けるんだぞ?」

「復讐しようと思った。でも、私は幼かった。復讐できずに、ずっと、ただ諦めて暮らしてた」

「それをお前が本当に願っているのなら、復讐を完遂できる世界が、お前の前に広がるだろう」

「私は復讐なんてしたくなかったわ。いえ、……今は、出来なくて良かったと思う。貴方もさっき言ったじゃない。失敗したから新しいアプローチを見つけた。うまく行かない事があるから次に進める。失敗から学んだ結果が、今に繋がる。辛い事があったから、本当に嬉しい事がわかる。落ち込んでたから……嬉しかったのよ。わかったから、楽しかったのよ」

 エリに今日、誘って貰って。遊園地で遊んで。エリはずっと楽しそうにしてくれた。兄が現れてから、ユウはずっと、身を退いてくれていた。

 気遣ってくれた。優しさをありがたいと思った。

 そのサヤの言葉が理解できない――否、理解する気がそもそもないのだろう。

 道雁寺輝久は言う。

「苦悩と刺激の多い人生を望めば、それに“アマテラス”は応えるぞ?」

「苦難が欲しい訳じゃないわ。平穏に暮らせるならそれが一番よ。ただ、それを自分で選ぼうって言うのが気に食わないだけ。全てが叶う世界に、願いなんてない。叶ってしまうなら願う必要がない。負けたから勝つために頑張るのよ。うまく行かないから、うまく行くように努力する……」

 道雁寺輝久を強く睨みながら、サヤは――プライドの高い少女はそう、言い切った。

「私は、私の望む結果を手に入れるわ。でも、それは貴方に与えられたモノでも、“アマテラス”に与えられたモノでもない。私が私の力で手に入れる。失敗したらまたやり直す。願った結果を、私は、私の力で手に入れる」

 言って、サヤは立ち上がった。道雁寺輝久を強く睨みながら、……白い舞台の最中、黒いドレスを纏って。

「……私が、貴方に協力するか?答えはノーよ。人の兄を撃っておいて、人の両親を殺しておいて良くそんな事が言えたわね。私は貴方に復讐する」

「ならば、私を殺すか?……殺せるかな?」

「貴方の命になんて興味はないわ。貴方は私から夢を奪った。ただ、父さんと母さんに褒めて貰いたかった。ただ家族と生きていたかった。そんな私の夢……失われたからそれは夢になった。夢だったと理解できるようになった。だから、……私は私がそうされたように、貴方の夢を奪う事にする」

 再び舞台に立ちあがり、その目に強烈な意思を宿しながら、“妖精”のように可憐な顔に、悪魔のような嘲笑を混ぜ、サヤは道雁寺輝久を見下ろした。

「“ハンド・メイド・エデン”を壊してあげる。そして、夢を失って崩れる貴方を嘲笑ってあげる。それは気分が良いと思わない?……ねえ、勘違い野郎ドン・キホーテ

 言い切ったサヤを、道雁寺輝久は暫し睨んで……やがて、呟いた。

「……やはり、お前の答えはそれか」

 直後――狂信者の笑みをその相貌に浮かべ、道雁寺輝久は懐から拳銃を取り出す。

 だが、サヤは、それすらも嘲笑い――。

「……今更遅いわ、」

 ――瞬間、銃声が響いた。

 だが、放たれたのは道雁寺輝久の銃ではない。

 トレーラの、運転席。その扉を抜いて、正確な射撃が、道雁寺輝久の、銃を持つ手を襲ったのだ。

「チッ、」

 舌打ち一つ、撃たれた手を抑えて蹲る道雁寺輝久――その背後で、片手から銃を手に、運転席から入ってきたのはドローンだ。

 サヤを捕まえたドローン。道雁寺輝久の護衛だろう、ドローン。けれど、それがたった今銃口を向けている相手は、道雁寺輝久だ。

「ドローンの制御を……大層な演説は時間稼ぎか?」

 呟く道雁寺輝久を前に、サヤは再び椅子に座り、足を組み、頬杖を付き、……地に伏せた道雁寺輝久を見下ろして、言う。

「この間、やってみたらドローンを奪えたから、ツールを作っておいたのよ。周辺のドローンの制御を奪うツール。本当は兄さんをびっくりさせる為の手品だったんだけど……今、使って私の方がびっくりしたわ」

 言って、サヤは道雁寺輝久――その、撃たれてはじけ飛んだ腕を見る。

 そこからまき散らされているのは、けれど血ではなく――ケーブルと、火花。

「レイヤードが効かない種、ずいぶん単純だったのね。人前に出るのは遠隔操作したドローン……臆病な男ね」

「……小娘がッ!」

 苛立ったように道雁寺輝久はサヤへと殴りかかり掛け――けれどその瞬間、銃撃が道雁寺輝久を横から叩いた。

 頬杖を付いて眺める黒いドレスの少女の前で――化けの皮と共に、機械部品がはじけ飛び、道雁寺輝久――そう名乗っていたドローンは、ボロボロになって、床に倒れ伏した。 

 それを、サヤは座ったまま見下ろし――嗤った。

「良かったじゃない。少なくとも今はもう、それ以上株は下がらないわよ?CEO」

 直後――機能を失ったのだろう。道雁寺輝久は、ボロボロの残骸は、動きを止めた。

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