5 // 観覧車から箱庭を見下ろし:けれど……
「わぁぁぁぁぁいっ!」
と、エリが高速回転させるコーヒーカップの中。
「……エリちゃんってこんなに強引だったっけ?」
「昔からよ。ずっとほっといてたし、兄さんは忘れたかもしれないけど」
ゴスロリの少女に皮肉られた赤いコートの兄は、視線を逸らした。
「わぁぁぁぁぁいっ!」
*
「わぁぁぁぁぁいっ!」
と白馬に乗った金髪の少女がはしゃいでいる、その後ろ。
「……これ、周りからどう見えてるんだろ?」
「完全にアトラクションの一部でしょ。だから、……そうね。晒しモノよ」
馬車に乗った赤いコートの男とドレスの少女は、そう口々に呟いていた。
偶然通りかかった子供が、目を輝かせて指さしてきた瞬間、同時に笑顔を浮かべて手を振り返したりしながら。
「わぁぁぁぁぁいっ!」
*
「わぁぁぁぁぁいっ!」
と、今から高速で落下する、と言う直前で両手と歓声を上げる金髪の少女の後ろで。
「正気じゃないわ。なぜ自分からこんなリスクしかない乗り物に乗らなきゃならないの」
「同感だね。ボクは他人を信用しないんだ。こんな他人の調整に全部委ねてある乗り物は存在するべきじゃない。今日このタイミングで整備不良が起こったら、どうするんだ」
「そもそもこのリスクを一日に何回も強要される状況が間違ってるわ」
「その通りだ。この世界は間違っている。修正するべきだ!」
頭でっかちな兄妹は怯えてぶつぶつ言いながら縮こまり、――勢いよく落下した。
「わぁぁぁぁぁいっ!」
*
「わ、わぁぁぁぁぁぁい。……あの、やっぱりここはやめとこ?」
お化け屋敷を前に金髪の少女は及び腰に目を泳がせ、それを黒いドレスの少女は微笑みつつ睨んだ。
「何言ってんの、エリ。こんなに楽しそうな施設じゃない」
「いや、でも、ほら、あの……さっきも入ったし。そう、すいませんアサヒさん、私達さっきもこれ入っちゃって」
救いを求め縋った金髪の少女を、赤いコートの青年もまた、微笑みつつ睨んだ。
「気にしないで、エリちゃん。同じアトラクションだって、楽しいものは何回乗っても楽しいよ。……そう言って4、5回ジェットコースターに乗せたのは誰だい?」
この場に救いが存在しない事、そして自業自得、因果応報と言う言葉の意味を噛み締めつつ目を泳がせるエリは、それでも言う。
「え、えっと……でもほら、脅かされる位置知ってるから」
「じゃあなんの問題もないね?」
「……嫌だ。嫌です。私はお化け屋敷に入りたくありません」
「そう訴えただけで変わる世界はないわ」
「イヤだ~……、」
と首を横に振るエリを両側から連行しつつ、
「ねえ、兄さん。確かに一回見ちゃったのよ、私達。だから、このままだとちょっと、愉しめないかもしれない」
「そうか、それは……困るね」
「それで……もし、よ。もし、お化けが増えてたら、愉しそうよね。手品みたいに」
「なるほど。でも、所詮アトラクションだしね。そうそう変化はしないよ。もし、もしも、何かが増えてたら、それはほら。……本物って事になるね、」
兄妹はやたら板についた悪だくみの表情を浮かべていた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁんっ!」
*
そうやって、半ばエリに強引に引っ張り回されるように、3人で遊園地を回っている内に、気付くと時刻は夕方になっていた。
観覧車から見下ろす先には、夕暮れの映像に照らされる、第2階層――その整った街並みが見える。
それを何とはなしに眺めるサヤの耳に、ふと問いが投げられた。
「サヤ。近頃、落ち込んでるらしいじゃないか。どうしたんだい?」
問いかけているのは、すぐ正面にいる兄、だ。真っ赤なコートに、真っ赤なシルクハットの、敵。
サヤはまた窓の外に視線を向ける。見るのは遠くの情景ではなく、観覧車の傍のベンチ。そこには、金髪の少女が一人座って、観覧車を見上げていた。
エリが――今日ずっと気を回しっぱなしだったんだろう彼女が気を回してくれたのだ。二人で乗ってきたら、と。
兄妹水入らず、にしたかったんだろう。立場としてここが敵対している、と彼女は知らないのだから。
「エリに聞いたの?良く言えるわねそんな事」
「妹を心配しているのはボクの本心だ。それに叱りたくもなる。あんまり友達を心配させるもんじゃない。ずっとはしゃいでくれてたじゃないか」
「為になるお説教ね。流石、何年も妹ほったらかしな奴は言う事が違うわ」
「ボクはそういう人格だからね。自覚があるから人を遠ざけてる。ボクはボクだけが危ない橋を渡っていたかった。それが、」
「……面倒な状況になった。お互いに」
そう言って、反感に動かされるように、サヤはまた、アサヒを睨んだ。
「捕まえに来たのよね。“妖精”を」
「そうだね。……妹に会いに行くんだ。それなりには色々、手品を用意して来たよ」
「そう。楽しみね。いつ見せてもらえるのかしら」
「今すぐにでも。そう言ったらどうする、サヤ?」
「……抵抗するわ」
「本当かい?そこまで気力が戻ったのかな?」
そう見透かすように言ってきた兄を、サヤは睨んだ。
それを前に、アサヒは笑みを零す。
「気分転換できたんなら、エリちゃんに感謝しないとね」
「……兄さんは、何がしたいのよ」
「妹の無事を願い。家族の仇を討つ。それだけがボクの目的だ。先日言った通りに。こちらからももう一度聞こうか。“妖精”の目的は?」
「……真実を知りたかった」
「知った上でどうするんだい?」
兄の問いを前に――サヤは何も答えなかった。何も答えない事が、サヤの答えだ。
真実を知った先。それが、存在しない。
サヤはただ、両親の死の真相を知りたかっただけだ。なぜ、どうして、誰に、本当に、殺されたのか。あるいは、それを追いかけて行けばいずれ……こうして兄に会えるだろうとも、思っていたのかもしれない。まさか敵として、とは思っていなかったが。
もしくは、真実を知り、道雁寺輝久が確かに仇だとそう知ったら、復讐に動き始めるともサヤは自分で思っていた。けれど、それもない。
恨みがない訳ではない。ただ、恨みを中心に、その為に動くには、サヤは……大人になり過ぎていた。
両親を失った直後だったら。兄が居なくなった直後だったら。すぐに復讐に動いたかもしれない。けれど、サヤはそこで、一度諦めた人間だ。
諦めて、普通に暮らしてきた。日常の中、帰って来ない家族を待って、家事が上手くなり、友達とこうしてくだらない悪ふざけをして。……そうして、どうしようもないモノに関して、そういうモノだと、諦める事が出来るようになっている。
敵討ちをした所で、両親が帰ってくる訳ではないのだ。
窓の外が暗くなる。そこには、落ち着いた――諦め、受け入れる事に慣れた少女の横顔が写っていた。
「……私。捕まったら、どうなるの?」
「前に“妖精”が受けたのと同じ措置が取られるだろうね」
機械の中に、意識だけ閉じ込められる……。
窓に写るサヤ。その隣には、いつもずっとついている、サヤにしか見えない銀色の幽霊の姿があった。やはりどこか心配そうに、サヤを眺めている。
(……私が機械に閉じ込められたら、ユウもついてくるのかしら。それとも、この身体を本当にユウにあげる?それでユウは逃げられる……?)
自分が捕まる。その先を考え始めたサヤの耳に、兄の声が届いた。
「もしくは、利用されるかだ。“ハンド・メイド・エデン”に」
「……“アマテラス”の中に仮想現実を作るって話だったかしら?」
「そうだ。道雁寺輝久が願う完璧な世界を、データ上に構築する。いや、その世界に意識を移した全ての人間が、望む人生を生きられるようになると言った方が良いかな。肉体を捨てて、データだけの存在になって、それを自覚する事なく」
そんな事が可能なのか、と疑問に思うには、サヤは色々と知り過ぎている。
“アマテラス”によるアップデート。現実に存在する監視社会。そして今も、不安げな表情をサヤの横で浮かべている、銀髪の幽霊――データ化した、人格。
「……素晴らしい世界じゃない」
「一切の発展なくただ夢を見続けるだけの世界がかい?何もかも自分に都合が良いようにしかならない世界が?それが面白いかい?本当にサヤはそう思うのかい?」
サヤは、アサヒの問いに答えなかった。その代わり――兄の思惑を先読みでもするかのように、こう問いを投げる。
「父さん達が、“アマテラス”によるアップデートを阻止した。道雁寺輝久にとって都合の良い世界を、この新東京に作る事を止めた。……今度は私達が協力してそれを阻止しようって、そういう話?私に協力しろって言ってるの?」
そのサヤの問いに、アサヒは首を横に振る。
「ボクは他人に協力を求めないよ。命令もしない。まあ、部下なら別だけど、そうじゃない相手には何も強要しない。ただカードを配るだけだ。それをどう使うかは、その本人に委ねるよ」
「……今の、この話も。ただカードを配ってるだけ?」
「情報と言うカードをね。今、“ハンド・メイド・エデン”を成立させる為には、ピースが一つ欠けている。新世界の構築はほとんど終わってる。脳が稼働している状態で、その仮想現実の中に入る事は、出来るようになっている。ただ道雁寺輝久の手には今、人格を完全にパッケージしてトレースする技術がない」
「“妖精”の、レイヤード?」
「そう。ついこの間まで保存していた“妖精”を取り逃がしたからね。その“レイヤード”が必要なんだ。“アマテラス”に干渉できる特殊な権限、“アマテラス”に眠っている機能を再稼働させる権限が」
「それを道雁寺輝久が手に入れたらどうなるの?」
「新東京にいる全住人にそれが適応されるだろうね。全員の意識が“アマテラス”の中にパッケージされ、全員がその中で終わらない夢を見て――この新東京も、そこにある全ての住人の肉体も、放棄、もしくは破壊される。全てがデータで済むならこんな巨大な施設はリソースの無駄だからね」
「……要は、大虐殺が起きるって事?」
サヤの言葉に、アサヒは頷いた。
このままサヤが捕まったら、大虐殺が起きる。ただし意識だけは、プログラム上に残る。そこには永遠に幸福な世界がある……。
それを一概に悪、とは、今のサヤには言えなかった。
サヤにとって都合の良い世界なら、両親は生きて、サヤの演劇を見に来て、拍手をして、微笑んでくれていただろう。兄さんもいなくならなかった。それが、サヤの望んだ世界だ。
「……そうか、」
サヤは何も言わなかった。だが、アサヒはその胸中を見透かしたように、そう言って、立ち上がった。
「悪いけど、サヤ。今のお前を――“妖精”を、道雁寺輝久に渡す訳には行かない。隔離させてもらうよ。“月観”には渡さない」
言って、アサヒは観覧車から降りた。いつの間にか、直下に辿り着いていたらしい。
アサヒの姿勢に、今日最初に会った時の歯切れの悪さはなかった。
サヤと話して。その意思を確認して。それでアサヒは、……覚悟を決めたのだろう。自衛するだけの気力がない、そんな妹を守ると、そんな気になったのか。だが、それに引き換え、サヤは未だ無気力なまま。
サヤは俯き加減に、観覧車を降りた。その、瞬間だ。
パン、と、―――乾いた音が、遊園地に、浮世を忘れる夢の国のはずのその場所に、響き渡った。
遅れて視線を上げたサヤ――その目の前で、アサヒの身体が、ぐらりと崩れ落ちる。
地面に倒れたアサヒ。赤いコートが黒ずんで、その身体から、赤い液体が、流れ落ちて行く――。
悲鳴が上がった。遊園地にいた客が、この事態に気付き、逃げ回っている。
そして、その最中。倒れたアサヒの向こう――硝煙の上がる銃を手にした男が居た。
大柄な男だ。ただそこにいるだけで威圧的な男。たった今人を撃っておきながら、それでも一切良心の呵責を覚えていないかのように、冷静な顔で、――道雁寺輝久は、言う。
「……神崎アサヒはまだ死んでいないぞ、神崎サヤ。お前が下手な事をしなければ、殺される事はないかもな。兄も、あるいは友人も」
道雁寺輝久の後ろには、エリの姿もある。その両隣に、道雁寺輝久のガードなのだろうか。人型のドローンが二体、いる。
脅しだ。人質を取られた。サヤが“レイヤード”で逃げようとすれば、エリが、あるいは血の海に沈む兄が、殺される。それが、誰の目にも明らかで――
『アイツ……』
苛立ちに塗れたような声を、ユウは上げていた。
けれど、サヤはその全てがどこか遠いような、そんな気分で――倒れた兄を見ながら、気付くと、その膝が折れていた。
『……お姉ちゃん?』
心配そうな声を上げるユウ――それに応える事なく、目の前の全てが嫌になったかのように、サヤは顔を覆って、俯いた……。
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