間章 居酒屋で夢を語る元エリート「うぃ~~~!」

 新東京第5階層。新東京の中で最も生活水準の低いその場所は、酷く荒れていた。町を見れば汚れ、ごみ、浮浪者が溢れ、天蓋の液晶――描かれているはずの夜空は、パネルが割れて所々穴が開いている。

 そして、そんな第5階層の一角。古めかしい、汚れた建物に提灯とのれんがかけられている、居酒屋。

 そのカウンター席で、ヤンキーみたいな金髪の男――林道リンドウリュウジは、説明していた。

「……だから、今は、実際は、2145年らしいんだわ。2064年に戦争が終わって、そっから80年近くたってる訳。でも、今は終戦30年って事になってるじゃん?その50年の間にあったのが、内乱って言うか、完全な軍国主義って言うか?軍部が全権限を握ってた暗黒自体があったらしいんだわ。で、それを止めさせる為に、30年前に“アマテラス”によって当時生きてた人間全ての認知の改変が行われた。暴走した軍部の人間は多分粛清されていなかった事になり、その上で、内乱で荒れ回っていた新東京を“戦後の復興、発展”として皆で盛り上げましょう、みたいな?そういう事になった訳。皆で仲良く嫌な思い出を忘れましょう、って感じな。わかる?」

 そうリュウジは隣に座る女性に問いかけた。

 スーツを着込んだ、ショートカットの“月観”のエリート。麻比奈レイカは、

「ん~……?わかんな~い」

 万力の如き力でビールジョッキを握り、カウンターに赤ら顔で突っ伏しながらそう言った。

 レイカの横には、幾つも空になったジョッキがある。

 “月観”の元エリート(自称)。麻比奈レイカは、呑まずにはいられない気分だったのだ。

 そんな絵に描いたような凋落ぶりを見せるレイカに、呆れた視線を向けながら、リュウジは言う。

「わかんな~い、じゃねえんだよ。何回言わせるんだ?だから、今は2094年じゃないの。30年前が、2064年って事になったってだけ。で、当時生きてた人達は、周囲との関係性やエピソードに疑問を持たない範囲で、この箱庭の中で遠くから戦争を見てた――って言う記憶に塗り替えられて、そのままこの箱庭が最初からあったって言う世界で生きていく事になったんだよ」

 リュウジの手にもビールのジョッキがある。どう考えても酔ったレイカには理解できないだろうに、何回も同じ説明を繰り返しているリュウジもまた、酔っていた。

 そんなリュウジの横でレイカは言う。

「30年前なんか知らない!私その時期生きてない!生まれてない!」

「俺もそうだよ。だから、そう言うのが前あって、それを踏まえた上で今度、」

「過去とか未来とかよりも私は今の私が私だから……あ~。指名手配……指名手配?指名手配!?」

 突然喚いて、突然身を起こし、手にあるビールジョッキをぐいと空にして、それからレイかはまたカウンターに突っ伏した。それを横に、リュウジは言い掛け――

「……だから、その指名手配されてる現状を、」

 ――酔っ払いに脈絡はない。

「あ!私気づいた!私首になってない!……指名手配って厳密には首じゃない!私は、無職じゃないんだ!おかわり!」

「へい、」

 と、老年に差し掛かろうと言う居酒屋の店主は応え、ジョッキにビールを注ぎに行った。

「あ~、もう。めんどくせぇ……」

「アハハハ……ママ、レイカも犯罪者になりました……合わせる顔がない……。こんなはずじゃなかったのに!うう……」

 脈絡なく今度は泣き始めた酔っ払いレイカを、酔っ払いリュウジはあやした。

「まあまあ、元気出せよ。人生色々あるって。考えようによってはもう自由って事だろ?これを機に昔の夢追いかけてみたり、革命したりテロしたり、な?何やっても良いんだぜ?どうせもう犯罪者だ」

「犯罪者~っ!私の夢犯罪者違う……」

「誰だってそうだろうよ。いや言葉の綾だから。な?違くて、もっと夢見て人生歩んでこうぜ?」

「夢見て……じゃあ私、今から弁護士になれますか?」

 完全に出来上がっているレイカはぐちゃぐちゃな中そんな事を言い出した。それに、リュウジは眉を顰める。

「弁護士?なんか、渋いのが来たな。夢だったのか?」

「パパが~、刑事を専門に……ちっちゃい頃見て~、カッコ良くて~」

「ほうほう、それで」

「“アマテラス”に反対して。裁判でしてたって不正を暴きたてられて。パパ、不正はしてないと思うんだけど……ママも、私も、納得する他なくて……」

 “アマテラス”によるアップデート。それが、30年前。そこから、“アマテラス”が稼働するまでの20年の間には、刑事裁判があった。政府もあったし警察もあったし自衛軍もあった。が、“アマテラス”が稼働し、“月観”が全てを牛耳る様になると同時に、それら全ては事実上機能しなくなった。

 でっち上げられた罪を“アマテラス”が認めたのだ。当然、その動きに反発する者も現れ、けれどそうやって反発した者もまた犯罪者扱いされる。

 結局、だ。住人の認知を全て塗り替えて、軍国主義をなかった事にしても、人間の、権力を握ったモノの本質は変わらない、と言う事だろう。

 レイカは、どこか遠くを見ながら、続ける。

「だから、“アマテラス”は正しくなくちゃいけないんだ。“アマテラス”が完全じゃないなら、私は、何に納得を……」

 麻比奈レイカが“アマテラス”を信奉し、“月観”に入った理由はそれだ。

 正しく無ければならない。でなければ、……でなければ到底納得できる話ではないし、納得しなければこの社会に居場所はない。

 と、そこでだ。ビールジョッキを手に戻って来た老年の店主が、レイカの前にことりとジョッキを置いて、呟いた。

「麻比奈洋司君か。良い弁護士だった」

「……お爺ちゃん、知ってるの?」

 酔って幼児退行に近い状況でありながら秒速でジョッキを握ったレイカ。それを前に、老年の店主は深く頷く。

「うむ。昔取った杵柄でね」

 そう言った店主を前に、リュウジも言う。

「最高裁判所の裁判官だったからな~、爺さん」

「へ~……」

 とか言いながら、レイカはジョッキを傾け、黄金色の液体を喉に流し込み、流し込みながら今聞いた言葉も飲み下し……。

 ドン、とジョッキを置きながら、レイカは大声を上げた。

「……はあ!?裁判官!?最高裁判所!?」

「ちなみに、その横で皿洗ってるのは法務次官だ」

 リュウジの言葉に、お皿を洗っている――そちらは壮年の、線の細そうな男は、「どうも、」とか言っている。

「はあ!?法務次……官僚!?次官!?」

「後、その辺にいるのもだいたいそんなんだぜ。元公安とか元警察庁長官とか…軍警だったって奴もいるな。なァ、爺さん達!」

「「「うぃ~……」」」

 居酒屋のそこら中で、浮浪者っぽいおじいさん、おばあさん、もしくはそれに差し掛かろうと言う年齢の客達がジョッキを掲げ上げていた。

 経歴の優秀さと見た目の粗悪さとテンションの軽さがトリプルパンチで酔った頭がくらくらしてきた。夢なのだろうか……今さらっと警察庁長官まで出たが。それに至ってはもう組織のトップだ。

 くらくらしながらもレイカは立ち上がり、居酒屋の一堂を眺める。

 全員、“月観”に追い出された存在、なのだろう。確かに、見た目の割に目に知性が宿っている。

 それを眺めて、不意にレイカの目に涙が浮かんだ。

「うぅ……凋落した、エリート……私だけじゃなかった……」

「どこに感動してんだよ」

 と、リュウジが呟いた所で、客たちは「「「うぃ~……」」」と声を上げる。

 その様子に、リュウジはため息を吐いて、それから言う。

「ちなみに俺は元弁護士だ。民事だけ生きてたからな、数年前までは、弁護士してた。でもまあ、“月観”に不利になる方の弁護して勝ったりとか、そういうのしてたら犯罪者って事にされて、こうだ」

「……良い年した場末のヤンキーなのに?弁護士なの?ヤンキーなのに?」

「姉ちゃん俺に喧嘩売ってる?まあとにかく、皆“月観”の被害者だ。で、全員にダブルスパイって公言してるふざけた野郎が、情報流してきた。姉ちゃんもその一つだろ」

 私も情報の一つ。もしくは、この集団にレイカを引き合わせる事が、あのふざけたピエロ上司の、狙い。

 あのふざけたクソピエロ上司も、レイカの経歴は知っているはずだ。父の事も。あるいは、それを知っていたから、レイカを自分の部下に引っ張って来たのか……。

 考え始めたレイカの横で、リュウジは言う。

「姉ちゃんよ。別に、泣き寝入りすんならそれでも良いけどよ。納得したいなら、」

 そこで、リュウジはビールジョッキを持ち上げた。

「納得できる結末、奪い取りに行こうぜ?派手に、さ」

「「「うぃ~~~!」」」

 方々で、やたらノリが良いおじいちゃん、おばあちゃんの声とビールジョッキが上がる。それを見回して、レイカもまたとりあえずジョッキを手に取って、

「うぃ~~~っ!」

 とりあえず呑んだ。

 ……もう一度同じ説明を受けて今度こそ本気で驚愕してレイカが少しビビり始めるのは、この二日酔いの去った翌々日の事だった。

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