8 // 兄と妹:真相

「……神崎アサヒ。貴方の目的は何?」

 サヤ――”マリ”の問いに、アサヒは小さく肩を竦める。

「アバウトな質問だ。ノーコメント」

「……なぜ、貴方は“月観”にいるの?神崎夫妻の息子が」

「その質問は行間が跳んでるよ。神崎夫妻の息子が“月観”にいる事に、矛盾は存在しない。神崎夫妻はそもそも“月観”の人間だ」

「……神崎夫妻は、事故で死んだ。突発的な交通事故で。でもそれは、陰謀の可能性がある。神崎夫妻の死亡した時期に、同じように“アマテラス”のアップデートに関わっていた技術者がほとんど、不運にも事故で亡くなっている。そこに裏があると、そう予測しない程貴方は愚かではない」

 そう――そう。どこか教育でも受けているような、そんな気分になりながら言った“マリ”の横で、アサヒはまた小さく笑った。

「……続けてみなよ、」

「神崎アサヒは、その可能性に気付いて、その裏を探る為に“月観”に潜入している。違う?」

「違うよ」

「なら……もっと決定的な何かを知っていて、明確に道雁寺輝久を恨んでいる。その復讐の機会を探る為に、今も“月観”にいる」

「それは……正解かもしれないな、」

 何所か他人事のように、アサヒは呟いていた。その横顔を“マリ”は眺める。

(本気?復讐を目的に、機会を探っている?いや、そうじゃなく……)

「何を知ってるの?神崎夫妻の死について」

 アサヒは、暫し沈黙した。考えを巡らすように。

 不意にサヤは、『兄さん!』と、そう更に訴えかけたいような、そんな気分に駆られた。けれど、それをどうにか押し止め、……やがて沈黙を、アサヒの声が割る。

「“アマテラス”のアップデートって、なんだと思う?いやそもそも、“アマテラス”ってなんだろうね?」

「監視システムでしょう?新東京の全ての情報を集積する、監視カメラの巨大なサーバーみたいなもの。記録の保管庫」

「そう。その程度にしか機能を発揮できていない量子コンピュータだ。戦時下の置き土産だよ。本来は統合監視、および情報処理装置。現実的かつ合理的な判断をし続ける機械式の参謀本部、って所かもね」

 その情報は、まるで知らない話だった。

「司法システムじゃなくて、兵器って事?」

「革新的な技術の根底は大抵軍事由来だ。命がかかって絶対的なエネルギーによって生み出されたモノが、平時民間に降りて初めて最先端と呼ばれる。世界大戦が終わったのは何年前だと思う?」

「30年前」

「そう。ボクらはそう認識している。30年前。世界大戦が終わった後、“アマテラス”のシェルターの上に新東京が建設された。そうして、かつてと同じ法治機能を持った国家が再建された。箱庭の中に。けれど内紛が発生した。その際に最も優位性と正義感を発揮したのが、“月観”。鎮圧し、意にそわないものは追い出し、そうして、新東京の中で市民権を得るのは体内にナノマシンを持つ者だけになった」

 理解を追い付かせようと、思考を巡らせるサヤに、アサヒは言う。

「ただ、排斥の結果作ったディストピアには更なる内紛がつきものだ。ナノマシンを受け入れた選民達は、けれど敵対する相手がいなくなれば今度は監視されている事に不満を持つ。そしてテロと言う文化が生まれた。“月観”は鎮圧を続け、その結果当時の法治機能が、“月観”の敵となった。“月観”はそれらも武力的に鎮圧し、“アマテラス”の監視を一般に公開する事で状況の制圧を図った。そして、刑事裁判が消滅し全てが“アマテラス”に委ねられる世界が出来た。それが、10年前。けれど、それでも犯罪は止まらない。だから、2度目の“アマテラス”によるアップデートが行われた。いや、行われかけた、かな」

 “アマテラス”のアップデート?いや、違う。“アマテラス”アップデート?2度目?

「……何を、言ってるの?」

 思わず、だ。突然訪れた情報の多さに、頭を抱えるようにそう呟いたサヤへと、アサヒはチラリと視線を向けて、言う。

「疑問に思わないかい?この新東京の規模。30年でこれだけ巨大な構造物を作れるのか?不可能ではないかもしれない。けれど中に住む人は?なぜ箱庭の中で生きる事を疑わない?なぜ、“アマテラス”をまるで疑わない?それに、30年前ならまだ戦争経験者は存命のはずだ。その話を直接聞いた事はあるかい?」

「テロリストが、軍人で」

「旧自衛軍。彼らは言ってしまえば失職に対して過激に反応していただけだ。まあ、失職と同時に犯罪者扱いされたから、“月観”と監視社会に疑問を持ったって所だろうね。とにかく大戦を経験した人間はいない。恐らくだけど、今は2094年じゃない。もっと後の年代だ。恐らくだけど、今は2145年。戦争から80年経ってる」

「80年……?」

「1度目の“アマテラス”のアップデートが行われたのが、30年前だ。内紛や戦争、苦痛の記憶自体を無くし、この箱庭が確かに理想郷であるように、当時の人が願ったのかな。そのアップデートが行われた瞬間から、世界大戦が30年前に終わった事になり、そしてこの箱庭の中の歴史が始まった」

「記憶を改ざんしたって事?新東京にいる、全員の?」

「記憶も記録も、何もかもを、だよ」

「そんなの……」

「レイヤード。重ねる、って意味だ、シンプルに言うとね。あくまでソフト上、人間の認知上の事象に限定されるけど、ナノマシンを介して認知を改変している。ボクは幻覚を使い、君は他人の身体の支配権を奪っている。自分の認識を他人に重ねて強制的に改変してる」

「………」

「さっきも言ったように、“アマテラス”は軍事技術だ。あらゆる意味でリミッターの外れたオーバーテクノロジー。そして、ロストテクノロジーでもある。ハードとしては残っている。ただし、その機能を十全に利用するには、作られたその時期から期間が立ち過ぎた。多分ね。あるいは、1度目のアップデートと同時に使えないようになったか、だ」

「優秀なハードは現存しているけど、そのソフトウェアのコードを理解する事が出来なくなったって事?」

「そうだ。そして、失われたそれを一人の天才が発見した。その天才の名前は、神崎トウヤ」

 サヤの。そしてアサヒの父。それが、ロストテクノロジーを呼び起こした?

「神崎トウヤに倫理観が欠けていたって訳じゃない。ただ、ボクや君と同じで、疑問があって手段があれば追わずにはいられない性質ってだけだ。“アマテラス”が監視機能を取り戻したのは父さんの功績だ。情報を引き出す術を発見した。それを法治機関としてオープンにしようって言い出したのは、来島マサキ。エリちゃんのお父さんだ。そして、それに許可を出したのが、道雁寺照久。その時点では、誰にも悪意はなかった。いや、今も、ないのかもしれないね」

 父さんが、“アマテラス”を、法治システムにした……。

「そして、法治機能“アマテラス”が稼働し、けれど、それもまたすぐには一般には受け入れられない。そもそも、犯罪を抑止はするけど事前に静止する訳ではないしね。テロは起こる。道雁寺照久がその被害を受け、家族を失った」

 道雁寺輝久の、家族。あの男が、家族を失った?

「同じ時期に、父さん達は“レイヤード”を発見した。偶発的にだけど、他者を認知的に錯誤させられる可能性を発見、実証した。ってボクは聞いてる。そしてそれを道雁寺照久は知り、……自身の理想の為に、利用する事にした。完全な世界。犯罪のない、喪失を実感する事のない世界を作る為に。“アマテラス”の機能。レイヤードを使って、新東京全員の記憶を改変アップデートする。“アマテラス”の保持していた膨大な記憶域を用いて、偽りの記憶を刷り込む、かな?」

「そんな事、出来るの?道雁寺輝久が、記憶改変するレイヤードを持ってるって事?」

「いいや。道雁寺輝久の能力じゃない。ただ、“アマテラス”の中に元からあった機能であることは確かだ。PTSDに対する治療機能、と言ったらわかるかな?」

「……戦争の記憶を消して、兵士が日常に戻る時に、フラッシュバックを抑止する」

「あるいはもう一度戦場に向かう抵抗感をなくす、かな。とにかく道雁寺輝久はその機能を利用しようとした。新東京全体に対して。それに父さん達は反発した。反発した結果、」

「……消された?」

「そう。道雁寺輝久は、もう自分が“アマテラス”のアップデートを利用できると考えたんだろうね。だが、父さん達はそれが使えないように細工もしていた。だから2度目の“アマテラス”によるアップデートは行われず、前に行われたアップデートのままに、歴史が続いている。30年前に戦争が終わった。この箱庭の中は完全に安全だ。そう全員が認識する世界に。……そして、そういう諸々の裏側を知っている少年がいた。その少年の手元には、レイヤード――幻覚を相手に見せる能力もあった」

 アサヒは、兄はどこか遠くを眺めるように、呟く。

「神崎アサヒは復讐を願った。道雁寺輝久を殺してやろうと、その喉元まで辿り着いた。だが、失敗した。失敗した上で……道雁寺輝久は、その自身の喉元まで辿り着いた少年の能力を評価し、飼う事にした」

 いつの間にか、車は止まっていた。第4階層――シェルターの中、箱庭の中のハイウェイ脇で、兄は遠くを見て、言う。

「……遠回りして、やっと君の質問に答えられるね。ボクの目的は何か。たった一つだよ。ただ一人残った家族にだけは、平穏に暮らしていて欲しい」

「……人質に、取られてるって事?」

「ボクが道化で、あの男の犬である間、道雁寺輝久にボクの妹に危害を加えるメリットはない。こう見えてボクは有能だからね。有能な部下が完全に命を捨てて殺しに来る可能性はデメリット。そう思わせられる位には、ボクはあの男に近づいた。またいずれ、そうだね。この牙があの男に届くかもしれない。そう画策はしてるのかもしれないけど」

 道雁寺輝久に心酔している訳じゃない。その行動に共感している訳でもない。ただ、敵同士として相互にメリットが生まれる共存関係にいるだけ。

「これがボクの知っている、ボクに教えられる全てだよ。そして、君がリスクを冒してまで知りたかった事じゃないのかな?」

「私の、目的は……」

「この世界は間違っているのかもしれない。ディストピアだからね。そして、ここがディストピアである事をキミは知ってしまった。その根幹は、多分ボクのせいだと思う。ボクが昔余計な事を言ったからだ。でもね。こう、……こうさ。なってから思う。ディストピアだとしても、平穏な世界はあるんだよ。ファニーディストピア。盲目で居れば確かに幸福なんだ。こうやってガラス越しに見ればわかる。ボクは、勝手だけど、妹にそこにいて欲しいと思う。そこで健やかに、幸せに。それで良いと思ってた。その為に、と。ボクは道化で居た。だけど……」

 そこでアサヒは、兄は、サヤに視線を向けた。それから、芝居がかった風に、疲れた風に、囁く。

「嗚呼、ロミオ。……どうして貴方がロミオなの?」

(……バレてるのね。兄さんには。私だって……)

 サヤは視線を下ろした。その体は、他人のモノだ。レイヤード。戦争の異物を使い、両親の死の真相を求めた結果、どうしようもない暗闇を覗き込んで……。

「……私を捕まえるの?」

「今のボクは、見逃す気だ。けれど、次に君の目の前に現れた時は、違うだろうね」

「そう……」

 それだけだ。それだけしか口に出来なかった。

 目的は、もう達成した。残ったのは、兄に追われるかもしれない、囚われるかもしれないという、事実だけ。

 頭が、回らない。今聞いた話を受け止めるには、時間が必要だ。

 これ以上……もう。

 “マリ”は――サヤは、瞼を閉じた。



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