7 // ピエロと妖精:真意
カジノの駐車場――いつの間にか日が暮れ、暗い月明り――天蓋の液晶からの光源に照らされたその最中。赤いコートの男と、赤いドレスの女。二人を乗せた黒塗りの車両が進み始める。
運転席に座っているのはアサヒだ。ハンドルを握るそれを横目に、“マリ”は窓の外に視線を向ける。
ハイウェイから眺める街並みは、淀んでいる。清掃が行き届いていないのだ。“新東京”は上の階層に行くほど、生活水準が下がる。そんな知識を頭の片隅に、“マリ”はついさっきアサヒから渡されたペットボトルのお茶を飲み……。
(……オンライン状態。いつでも、逃げられる。から、……)
多少覚めた酔いの中で、それだけ確認した。
アサヒの事は、どうやら騙せたらしいのだ。多少の違和感はもたれただろうが、それにも、酒の匂い――あるいは、慣れない酒を舐めた結果本当に少しぼんやりしてしまった”マリ”の様子に、アサヒが酔っている、と納得したらしい。
車内は静かだ。アサヒは口を開かない。運転を続けている。運転をしているのが、妙だと、“マリ”は大分遅れて気づいた。車は全て自動運転だ。マニュアルで運転する事も出来るが、何もかもが統括管理されている自動運転の方が安全性が高い。
マニュアルで運転するのは、それだけシステムに、あるいは“月観”に対して信用がないから?
と、そうやってぼんやりと、“マリ”はアサヒを眺め……その視線に気付いたのだろうか。アサヒは運転を続けながら、言った。
「ボクは今、ここで車を操作している。この手で。つまり、これは、ここにボクがいると言う証明だ。誠意だと思って欲しい。さっきの続きだろう?何が聞きたいんだい……“妖精”」
(……バレてる?)
言われた瞬間、“マリ”の頭にあったほろ酔いは吹き飛び、その驚愕と動揺は、露骨にその表情に出てしまった。
そしてバックミラー越しに、アサヒはその表情を確認し、呆れたように言った。
「……リアクションとっちゃ駄目だよ」
かまを掛けられたらしい。そう、若干の苛立ちを浮かべる“マリ”を横に、アサヒは言う。
「マリくんはね。ボクを信用してないんだ。彼女はボクの前で酔わないし、ボクにハンドルを握らせる事すらしない。って言う風に推理してたらカッコ良いかもしれないけど、応えはもっとシンプルだ。“妖精”。なぜ君が第4支社長の身体を奪った時、それがすぐにボクにバレたか、よく考えなかったのかい?」
……“妖精“を検知するツール。それと同じモノが、マリにも仕掛けられていた?
「……貴方も部下を信用してないって事じゃない」
言いながら、“マリ”は再度現状を精査する。
車の中――車はかなりの速度で走っている。一瞬でもハンドル操作を誤れば事故るだろう。その操作をしているのは、アサヒ。隣に確実にアサヒがいる。同時に、そのアサヒの身体を奪おうとすれば、その瞬間に事故に遭って死ぬ。
優位性を捨てた分だけ、こっちのレイヤードも封じている。自分と部下の命、それを簡単に天秤に乗せて。
「そうだね。他人を信用するって言うのは、難しい事だしリスクのある事だとボクは思う。だから、ボクは誰からも信用されなくて良いし、誰も信用しない」
半分、運転に意識が向いているからなのか。アサヒの態度にはふざけた様子がほとんどなく、けれど、ただ静かに淡々と口にする言葉は、どこか煙に巻くようなモノ。
その雰囲気、その口調は……否応にも“マリ”の――サヤの郷愁をくすぐった。
ふざけた調子の裏で、いつも全てから一歩引いて物事を見ている。それが、サヤの記憶にある兄だ。妹だったからかサヤはその、兄の引いた、冷めた部分を目にする事が多かった。
「全ての敵で居れば、裏切られる事はない。ただ相手の基本思想と目的、表層的な言動と現在置かれている状況。それらを眺めて精査しパターン化して確率的に高い行動を推察、あるいは誘導するだけ。それが人間関係だ。違うかい?」
「……衝動的に行動する事もあるわ」
「その衝動も、基本思想と置かれた状況が生み出す必然だ。それを目にした瞬間には正解がわからなくても、逆算すればパーソナリティに辿り着く。君は“マリ”君の身体を奪った。それが計画的な行動か否か。否だ。あらかじめマリくんがそこにいるとわかる訳がない。それがわかっていたのであれば、ボクがカジノにいる事もその計画の前提に加わる。けれど、ボクは今日突発的に誰にアポイントを取るでもなくクヨウさんの所に押し掛けた。それを予測する事は不可能だ」
流暢に、アサヒは喋り続ける。
「酔ったフリは、マリくんのパーソナリティとボクに対するペルソナを調べる時間がなかったから画一的なイレギュラーに見せかけようとした結果だ。要は、君は突発的な行動をとった。その裏にある思惑は?逃げたという認識をこちらが持っている間隙を縫おうとした、と言う狡さ、賢さは確かにある。だが同時に、だからと言ってなり替わる対象の情報が少ない以上、その成功の可能性が低いと言う理性は無視されている。それが導き出すパーソナリティは?よほど自分の能力に自信があり、多少の勝算の低さはカバーできると判断する過信家。ボクに煮え湯を飲まされて、逃げる羽目になったというのが許せない傲慢さ。どちらであれパーソナリティの分類としては、若く幼い」
「もう一つ可能性があるんじゃない?……貴方に興味がある」
「その発言で君のプライドの高さは確定したね。言い当てられたと理解して、躍起になって言い返そうとした」
「…………」
“マリ”は閉口した。兄との口喧嘩に勝った事がない……と言うより、そもそも、振り返ると、口喧嘩自体をしなかったかもしれない。
年の離れた兄だ。サヤからすれば兄と言うよりも親に近い存在で、本格的な反抗期になる頃に、悲劇と共に兄はサヤの目の前から消えた。
「ただしボクに興味があると言う君の言葉は本心だろう。ボクの持っているデータや権限だけが目的なら、この車に乗る前までにボクの身体を奪っていたはずだ。それをしないのは、データではなくボクに興味があるから」
「傲慢な過信家はどっちかしら、」
呟いた“マリ”に、そこでアサヒは笑みを零した。それから、言う。
「そして、だ。“妖精”。ボクには今、その君の興味に応える気がある。だからこうして二人きりになれる状況を作った。相手が“妖精”であると知った上で。ボクは君の質問に誠心誠意応えるつもりだよ。さあ、振り出しに戻ろう。……何が聞きたいんだい、“妖精”?」
バックミラ―越しに、アサヒは“マリ”を見ていた。それを“マリ”は睨み返す。
(……私の質問に答える?本気?それとも時間稼ぎ?このままどこか、オフラインの所に連れていかれる?その可能性もあるけど……何一つ情報を得られないんじゃ、このリスクを取った意味もない)
それにこれで何も尋ねなければ……二度と兄の真意は知れないかもしれない。そんな気がした。今横で話している男の雰囲気は、当然と言えば当然だが、サヤに最後に忠告をしたその時と酷く似ている気がする。
意を決し、“マリ”は問いを投げた。
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