6 // 倍プッシュ!:「勝手だよ、もう……」

 混乱するカジノフロアの最中。サヤの目の前で。スロットが回っている――。

『あ、お姉ちゃん!良かった、逃げられたんだ。ねえ、アイツだよ、アイツ。言ったでしょ、見ればわかるふざけた男って、』

 銀髪の幽霊……ユウが横で、嬉しそうに声を上げている。それを聞きながら、サヤは小さく息を吐いた。

 どうにか、逃げられた。一人だったらほぼ詰んでいた。幾ら身体が歴戦感漂うマフィアっぽいおっさんだからと言って、サヤに直接的な戦闘の技術はない。まして、幻覚のレイヤードなんて、そんなふざけたチート能力を持っている相手に、だ。

『良かったよ、ホント。ねえ、お姉ちゃん。今日はもう火遊び良いでしょう?早く帰ろうよ。ね?ある程度は情報取ったんだろうし、それでさ、』

 神崎アサヒ。サヤの兄。が、“月観”の手先。保安部門。月観を信じるなと、そう言っていたが、だ。

 面と向かえば甘えるように強がれるが、いざその事実だけが残ると、サヤの胸中に複雑な感情が募っていく。不安と苛立ちのような、そんな感情が。

「そうね、」

 ユウの声に、サヤは7、7までで最後が空転し続けているスロット台から立ち上がろうとして――そこで、視線を感じた。

 見ると、隣に女がいる。真っ赤なドレスの女性。知らない女だ……いや、見覚えがある。

(この人、……第3支社で、道雁寺輝久にいた、護衛の……)

 なぜ、それがサヤの横にいるのか。ユウがサヤの身体で目立つ行動をとって、マークされていた?あるいは別?ただの偶然?思考を巡らせるサヤの脳裏に……先日のこの女性と道雁寺輝久のやり取りが過った。

 妙な慕われ方のガキ、の部下。妹にはその妙な慕われ方の馬鹿が分かった。そして、この女性は保安部門の人間。なぜサヤの隣に座っているのかはわからない。が、なぜこのカジノにいるのかに、当たりはついた。

(兄さんの部下。そうでなくても、“月観”の人間……)

「……どうしました?」

 何所か心配そうに、お堅い女性はそうサヤへと尋ねてくる。そんな女性――猪戸マリを前に、サヤは首を横に振って。

「なんでもありません。ちょっと……」

 そう言った直後、“サヤ”の身体がふらつき、倒れかけ、その寸前で意識を取り戻したかのように、踏み留まる。

 それを横にお堅い女性――“猪戸マリ”は、本人では浮かべないだろう底意地の悪そうな笑みを浮かべ、呟いた。

「……また、身体を借りますね?猪戸マリさん」

 と、そんな“マリ”に“サヤ”が問いかける。

「ちょっと、お姉ちゃん?何してんの?」

「このヒト、“月観”の人間よ」

「え?そうなの?……だからって、え?逃げないの?」

「って、思うでしょう?」

「はあ?」

「……今、私は敵の目の前で逃げたわ。“妖精”が本体に退避できる事は知られてるはず。普通にリスクを考えれば、本体が現場に来る訳がない。どこか遠く、安全な場所にいると考える。そして、今日これ以上“妖精”はこの場所で悪戯しないとも思う。何とか逃げ出したんだから。つまり相手が油断してる。今なら深追いしても危険はそうないわ。この身体はラッキーだけど」

 そんな風に、どこか見せびらかすように両手を広げた“マリ”を前に、“サヤ”は呆れた。

「……連続で潜入する為だけに、ボク連れて来たって事?心細いとかじゃなくて?」

「別に、そういう訳じゃないわ。パターンの一つよ。完全に優位を取れる状況が生まれるかもしれないっては、ちょっと思ってたけど……ラッキーね、ホント」

 そう涼し気に呟く“マリ”を前に、“サヤ”は――“サヤ”の方も本人は浮かべなさそうな、どこか子供っぽい拗ねたような表情を浮かべた。

 そんな“サヤ”に“マリ”は言う。

「もう帰って良いわよ、ユウ。……私の身体で寄り道しないでね?十分悪い遊びしたでしょ?」

「…………」

 言い放った“マリ”を、“サヤ”は不満げに睨んでいた。

「何よ」

「……別に。あ、そう!もう好きにしたら良いよ!」

 憤慨したように、“サヤ”はそう言い捨てて、つかつかと歩み去って行った。

「……何怒ってんの?」

 そんな疑問を頭の片隅に、“マリ”は“サヤ”を見送り……だが、思考はすぐに、敵と現状。兄をどう嵌めてどう騙してやるかに傾いた。

(さて……兄さんの前で、この人になり切らないと……。メールとか、チャットとか……ふうん。割とあしらってるのね、この人。嫌ってるのか……適当に相槌打っとけば勝手に喋ってくれるかしら。兄さんだし。でも、あれで一応鋭いから)

 情報があるなら、幾らでも他人の振りが出来る。が、その事前情報――癖や口調などの情報がない以上、完璧に騙し切るのは難しいだろう。

 そこで“マリ”は気づいた。依然騒がしさが残るフロア――その中で、グラスの載ったトレーを持ったスタッフが、所在投げに佇んでいる事に。

 “マリ”は視線を向け、片手を上げ……すぐに歩み寄ってきたそのスタッフから、カクテルを一杯受け取った。

 そして、それを呑む――前に、着ているドレスの色とカクテルの色を確認して、目立たず染みにならない事を確認した上で、指でドレスに少し、カクテルを塗る。

 僅かに、酒の匂いが“マリ”から漂い出した。

 酒が混じれば、兄の覚えた“猪戸マリ”への違和感に理由がつく。

(……酔った部下の美女よ。どうせ好きでしょ、兄さん)

 そう、“マリ”は、邪気アリアリの――あるいは心のどこかで、悪戯するような気分もあるのかもしれない、そんな笑みを浮かべ……カクテルグラスを傾けた。

「ごほっ。……お酒ってこんな甘いの?」


 *


 “サヤ”は、苛立った足取りで、カジノの出口へと向かっていった。

(可愛くないな、ホント。心配してあげてるのに……絶対ボクの方がお姉ちゃんの心配してるよ!もう帰って良いわってなんだよ……)

 苛立ち冷めやらぬ様子で、唇を尖らせ“サヤ”は歩んでいく。

 と、そこで、入り口辺りに佇んでいたスタッフが“サヤ”へと声を投げてきた。

「あれ?……お客様、お一人ですか?連れの方は?」

 “サヤ”達がこのカジノに入った時も見ていたのだろう。その辺にいた独り身の紳士の身体をサヤが奪い、それと連れだって、という体でカジノの中に入ったのだ。

 カジノに入るだけなら、生体認証もIDも必要ない。昔からそういう場所で、今もそう。

 あえて残してある管理社会の隙なのだろう。

 とにかく、ボーイは不審がったのか、そんな声を投げてきて――そんなボーイを“サヤ”は睨み上げた。そして、拗ねたような表情で言う。

「一人で帰れって言われたの!向こうの都合で連れ出しといて、……ホント、勝手だよ、もう……」

 子供っぽく、拗ねたように不貞腐れたように、そんな風に喚いた末、若干意気消沈した様子で、“サヤ”はカジノを出て行った。

 それを見送ったボーイは、一体、そんな少女の身に何が起こったと想像したのか。

 呆気にとられたように立ち尽くした末、呟く。

「……可愛い、」

 その視線に気づく様子もなく、“サヤ”はつかつかと、帰路についた。

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