4 // 回顧:反目と信頼
サヤから見た兄――神崎アサヒはふざけた、同時に生真面目な男だった。
年は離れている。サヤが生まれたのは兄が8歳の頃だ。
幼いサヤは、ずっとアサヒの後を追って過ごしていた。
父から、プログラミングを教わる。わからなければ兄に聞く。いとも簡単に兄は答え、それをサヤは父に見せ褒められ……後からサヤは兄に、凄いと純真に驚き、感謝し、どうやったのかと尋ねると、兄は笑って答える。
「手品だよ」
忙しそうな母親、その誕生日に、何か贈り物をしようと、そう考えても思いつかなかった幼いサヤの手を引いて、近場の劇団へと連れて行き――劇をプレゼントする、と、そんな風に導いたのも、兄だ。
サヤは知らなかった。母が昔女優だったという事を。父の元に嫁ぐと同時にその経歴をすっぱり捨てて研究者に転身したという事も。
母は喜んだ。父も笑っていた。兄は得意げに言った。
「これはボクからのプレゼントでもあるかな?」
両親の仕事が忙しくなる。だんだん構って貰えなくなる。プログラミングを覚える。演劇に精を出す。両親の仕事は忙しい。ツールの成否を見せるのは、兄。欠かさず劇を見に来るのは、兄。いつの間にか、兄でありながら両親の代わりを務めながら、兄はいつも気付くとそこにいて、拍手し、笑い、おどけ……。
「父さんと母さんも、サヤの事を誇りに思ってるよ」
サヤは、ずっと兄を頼って生きていた。兄に導かれ、兄の後を追いかけて成長してきた。
今も、それは変わっていないのかもしれない。
「父さんと、母さんはね。……殺されたんだよ。“月観”に。“アマテラス”に」
葬儀の日に、そう兄が言った。だから今、サヤはその言葉の後を追っている。
報せを受けたのは、舞台に立ったその日。
サヤが、両親にわがままを言って、見に来て欲しいとそう、泣いて見せたその日。
向かっている途中の交通事故。それが、“アマテラス”の提示した真実。
来島の家に引き取られ。塞ぎ込み、両親に教わったプログラミングが手元にあり――盲目的に兄の言葉を信じて、挫折して。
振り返って、サヤは思った。兄の言葉は、きっと、幼いサヤに罪の意識を与えない為の、優しく、冷たい嘘だったのだろう。そう思って、そう納得してつい先日まで生きてきた。演劇はやめて、火遊びをする目的もなく、ただぼんやりと、日常を。
「父さんと、母さんはね。……殺されたんだよ。“月観”に。“アマテラス”に」
その日、その言葉が、兄と交わした最後だ。その後、兄は姿を消してしまった。
サヤが誰よりも頼りたい相手。
サヤが頼りたい時に、傍にいてくれなかった相手。
「父さんと、母さんはね。……殺されたんだよ。“月観”に。“アマテラス”に」
そんな風に言っていた相手が、兄が、今目の前で――。
*
「どうも!初めまして~。“月観”保安部門第1監査室室長、神崎アサヒでございま~す!あ、逃げないでくださいよ、“妖精”?」
――そんな風に、おどけている。
(月観、保安部門……ふざけた男……兄さんが、敵?)
動揺と混乱の中で、一切行動する事が出来なくなったサヤを前に、アサヒはどこか芝居がかった所作で、独り舞台を続ける。
「ボクは、貴方と話したかったんですよ~。ねえねえ、貴方は何がしたいんですか?貴方の目的は?どうも、一貫性がなくてね」
無駄に芝居がかって、無駄に動き回る……確かに、兄だ。
優秀さを後ろに隠して、とにかく舐められようとする。若干所じゃなくウザい。ウザい割に美味しい所は持っていく、強かで努力を背中に隠したがる人格。
「テロリスト退治がしたいんですか?それとも、“月観”を暴きたい?どちらが貴方の本音でしょう?行動が矛盾してる。テロリストを退治したにもかかわらず“月観”を暴きにかかる。“月観”の味方なのか、“月観”の敵なのか。どっちかに転んでくれないとボクとしては困っちゃう訳です、ええ。どう扱って良いものか困り果てて、ねえ?場合によっては友達になれるかもしれないでしょう?」
ふざけまわるアサヒを前に……サヤは、苛立ってきた。
昔から、兄はこうだ。すぐふざける。ふざけている割に回答は与えてくれる。
ある意味、郷愁でもあるのかもしれない。懐かしく、少しだけ嬉しくなって……同時にイラついてくる。
“月観”で働いていたらしい。“月観”を恨めとか言いながら。今は敵、らしい。裏で何を考えて動いているのか全く分からないが、郷愁も、現状も、混乱の後にサヤの感情が向かう先は一つだ。
「……私の望みは一つよ」
「おおう?良かった。話す気になったんですね?」
「ええ。黙りなさい」
そんな言葉と共に、サヤはレイヤードを使った。
兄の身体を奪いに掛かったのだ。そうすれば、兄は黙る。情報も得られる。冷静に考える時間も作れる。兄の本心も、わかるかもしれない。逃げ際に顔に落書きでもして、兄の望み通り他人に笑って貰う手伝いだってしてあげよう。
どこか子供っぽい反感を混ぜながら、サヤは兄を睨みつける。
だが、……レイヤードが発動しない。
(……奪えない?こいつにも、効かないの?道雁寺と言い、“妖精”は対策済みって事?いえ、なら第4支社長の身体も奪えなくなるはず……ユウの話だと、幻覚。本体はどこかに隠れてる?)
ふざけた男。ユウを捕まえた男。――相手の身体を奪う能力と、知られているのは当然の話だ。
(なら、次……他の方法を……何か、)
「逃げる方法を考えてます?また逃げるんですか?」
考えを巡らすサヤを嘲るように、アサヒはそう言った。
「……ッ、逃げたのは、」
お前の方だろう。そうサヤは言いかけて、その途中でどうにか思い留まった。
パーソナリティを特定される可能性のある発言はするべきじゃない。
そう、兄は知らないはずだ。今対面しているのが、サヤ――実の妹である事を。
ばらしてしまうか。それで情に訴える事が出来るのか。この数年、兄が一切サヤのことを気にかけてこなかった事は事実だ。プライドもある。頼りたい相手であるからこそ、頼りたくはない。
(別の方法……私は、今、第4支社長の生体IDを握ってる。ネットワークの封鎖を解くことだってできるはず……。今、私の目の前にある端末で、)
気取られずに端末に触れる――そう、試みる時間すらもなかった。
銃声が響く。
サヤ、“クヨウ”の目の前で、唯一この場所から逃れる方法であったはずの端末、コンソールがはじけ飛んだ。画面が暗転し、生体認証用のパネルもまたひび割れ、機能が停止する。
(銃……銃を持ってる?この部屋の中には、いるみたいだけど……)
弾が飛来した方向――吹き飛んでいくコンソールの破片と真逆の位置に、サヤは視線を向ける。
だが、そこにはやはり、人の姿がない。一縷の望みをかけて、勘で位置を確かめてレイヤードを使おうとしてはみたが、結局、発動はしなかった。
「あ~あ、まったく。惜しかったですねぇ、“妖精”」
部屋の中央にいるアサヒ、幻覚だろうそれがおどけた調子で笑い、その手の銃――それもまた幻覚だろうそれを、くるくると回した。どこまでも相手を挑発し続けていたいのだろう。
サヤはもう、苛立っていなかった。いや、苛立つ余裕のある状況ではないと、理解していた。
(ネットワークは封鎖されて、レイヤードは解除できない。封鎖を解く手段も、わざわざ目の前でふさがれた。部屋の中にいるのは、私と兄さんと、……ここに入ってくると時に借りた、女の人。でも、その人は気絶してて、身体を奪えない。腕力で逃げようにも、兄さんは銃を持ってる……撃たない可能性は?ないとは、言えないけど……)
兄に撃たれるのは嫌だ。兄が、人を撃つ所を見るのもまた。
そう言っていられる状況ではないのかもしれないが、……感情論抜きにしても、リスクの割に確実に逃げられるという保証がなさすぎる。
(残ってる手は……)
思考の果てに、サヤは結論付けた。
サヤに、自力でどうにかできる状況ではない、と。
だが、そんな心情で、サヤ――“クヨウ”は、椅子に深く座り直した。
演技、だ。諦めていない、という演技。ため込んだ感情に耐えられなくなるのは、舞台を降りた後で良い。
「おや?観念されました?命乞いとか始めます?」
尚も嘲ってくるアサヒ――兄に向けて、“クヨウ”は見下すような視線と共に、わざわざ足を組み、言った。
「思い出したわ。……神崎、アサヒ。神崎トウヤと神崎メグルの、息子。妹は、神崎サヤ。“アマテラス”のアップデートに関与して、不運にも交通事故で亡くなった夫妻の、息子」
あえて言及する。サヤの名前も出しておく。わざわざその名前を出した相手が、サヤ本人だとは、少なくともこの瞬間は考えないだろう。
そして、相手の弱みを引き出し、同時にあわよくば兄の目的をも問いかける。
「経歴からして復讐でも考えているのかと思えば、道雁寺の犬だったのね」
一瞬、アサヒの視線が険しくなった。そうと気付いたのは、気付けるのは実の妹であるサヤぐらいだろう、ほんの一瞬のことだ。
すぐさま、アサヒは笑みを浮かべる。
「いやいや~。調べてたんですか?ボクの事?それとも、“アマテラス”の事を?」
「“アマテラス”の事よ。良いわ、わかった。腹を割って話しましょう?友達になれるかもしれないから」
あくまで強気に、挑発的に……“クヨウ”はそんな演技を続けていた。
一つの動作、一つの言葉に幾つもの意味を込める。
一番大事な意味は、ただ、どこか無様でもあるような、時間稼ぎ、だ。
「神崎アサヒ。私に問う前に、貴方から話してみたら?貴方の目的は?」
強がってもサヤに自力でこの状況をどうにかする事は出来ない。
……サヤ一人の力では。
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