2 // 大定九曜:ニアミスの目撃者
新東京は、全部で5つの階層から成り立っている。そこにある序列はちぐはぐにシンプルだ。
下の階層ほど上流階級。上の階層ほど、生活水準が低い。そもそもがシェルターだった頃の名残で、“アマテラス”、及び“月観”本社が最下層である第1階層にある結果、だ。
カジノ。“月観”第4支社は、その数字の通り第4階層にある。ほとんどスラムに近いような状態になっている第5階層と、まだまともな生活水準である第3階層の狭間の位置、だ。スラムとの緩衝材にして、ロンダリングの温床。
カジノはこの階層に最初からあった。それを“月観”が買収した。この新東京の光も影も、道雁寺輝久は支配したかったのだろう。
絶対的な権力者が、あえて残した夕暮れの遊技場。
そのカジノの一番奥で、黒スーツにオールバックの男、第4支社長――大定九曜は対面に座る真っ赤なコートを睨みつけた。
「で?何をしに来た。……道雁寺の犬」
そう問われた途端、真っ赤なコートの男、アサヒはふざけだした。
「ワン!ボクがやってきた理由は、だいたい3つくらいあるワン!その
「ふざけたいだけなら売り子にでも声を掛けて来い。愛想笑いのプロだぞ」
「愛想笑いされたいんじゃなくて、舐められたくてやってるんですよ~。馬鹿にされといた方が色々得じゃないですか?とにかく、頼みがあるワン」
「聞く気はない。出ていけ」
鋭い視線と共に言い切ったクヨウを、アサヒは完全に無視して話を進めた。
「一つ目の要求は、“妖精”の件です」
そんなアサヒを前に、クヨウはくたびれたような表情を浮かべ、それから耳元に手を当てた。
「コーヒーを、いつものように。ストレスの元凶に居座られてな。カフェインがいる」
それからクヨウは先を促すように、アサヒに視線を向ける。
「おそらくですが、近々“妖精”がここに来る。第4支社に」
「根拠は?」
「勘です。消去法という名の。……“妖精”が逃げ出した件は、当然お耳に入っているでしょう。つい先日、第3支社にやってきて、我らがボスと対面したらしい事も」
「完全だなんだ言いながらアイツも取り逃がしたって話だろ」
「ボスは~、興味ないって言ってましたね。興味ないからお前が捕まえろとか、しがないピエロは言われちゃいまして。まあ、とにかく。その際の行動から、“妖精”が前にボクが捕まえた人格と別である事が分かった。行動指針が違ってる。社員の身体を乗っ取って“月観”の情報を得ようとしていた痕跡もあった。どういった動機であれ、今の“妖精”は“月観”に興味を持っている。“月観”の奥深くの情報を欲しがっている」
黙って話に耳を傾け続けるクヨウ……アサヒは続けた。
「前回、取り逃がした事で、“妖精”は情報を持ち帰りはした。だが、大した情報は握れていない。“妖精”の能力から考えて、次に狙うのは“月観”の権力者。オープンになっている中で、狙い目に当たるのは3人。我らがボス、第2支社長来島さん。そして、貴方だ。うち、我らがボスに関しては前回“妖精”はしくじった、だから当然除外される。残る候補は、二人」
「“妖精”が俺の身体を奪いに来る、か。それで?第2支社より俺の方に来る理由は?」
「カジノだ。人が多い。潜入しやすい……以上に、あの“妖精”はおそらく第2支社を避けている」
「来島を避ける?」
「“妖精”の行動が変わったのは、第2階層、あのテロの時からです。テロリスト退治なんてしていた。前までの“妖精”なら、無視して自分だけ逃げだしていたはずだ。つまり、今の“妖精”は、日常的に第2階層で暮らしている可能性が高い。拠点があるのかも。けれど、前回狙ったのは第2支社ではなく、第3階層、第3支社。……自分の身近を避けた」
「来島の関係者の可能性がある?」
「それもあって、ボクは第2を詰めるのを後回しにしておきたい訳です。泳がせる意味でもね?まあ、どちらに転んでも2択ですし、消去法という名の勘に従って、こうしてクヨウさんにお願いしに来た訳です」
「俺に、“妖精”狩りの手伝いをしろって話か?」
「いえ。むしろ負けてください」
「……なに?」
「“妖精”は逃げるのに大変便利な能力を持っている。仮にレイヤードの持ち主が変わって、その人物が本体を持っているなら、その本体を押さえた方が早い。だから今の“妖精”が何を求めているのか知りたい。そこから誰が“妖精”なのかを絞り込める。だから、ボクは飴を与えたい。……毒が混じった奴を、ね?」
「つまり、俺に恥を掛けと?お前の道楽の為に?」
「その通りです。そこまでが、一つ目のボクが来た理由。そして、頷かせる根拠が2つ目」
アサヒはそう言い、ふざけた調子で指を弾く。直後、クヨウの耳に、クヨウ自身にしか聞こえないアラートが鳴り響いた。
クヨウはパーソナルウインドウを開く。メールが届いていた。差出人は、“ファニーボーイ・レッドカラー”。
呆れた視線を向けたクヨウの前で、真っ赤なコートのふざけた男は言った。
「その中に、情報があります。道雁寺輝久が今、特別ご執心なあるプロジェクトの資料。そして、もう一つ。現在第5階層に居座っている、いわゆるテロリストの位置情報と連絡先」
クヨウは、そのメール、ファイルを開いてみた。確かにその二つの情報がある。
“ハンド・メイド・エデン”。道雁寺輝久の側近しか知りえないだろう計画の話。
そして、“月観被害者の会”とか言う団体の、連絡先と構成人員のデータ。
どちらも、内部に踏み込まなければ知りえない情報だ。
つまり、アサヒはこの瞬間、最高権力者とテロリストを同時に裏切ってその情報をクヨウに渡した事になる。
与えられたクヨウからすれば、どうとでも舵が切れるようになる情報だ。テロリストを道雁寺輝久に売っても良い。同時に、テロリストに武器を流して道雁寺輝久に嫌がらせをすることもできる。
……このデータが真実だと、そう信用するのであれば、だ。
「何を考えているんだ、お前は」
「ボクは、楽しい良い人で居たいんですよ~」
ふざけた調子で、だが目に狂気じみた光を宿らせながら、アサヒは言った。
「全員の味方で居たいんです。ただ、それは不可能な話でしょう?でも、全員の敵にならなれる。全員の敵になれば、……何もかも全てこの手で転がせる。その先の展開にわくわくしながらね?飽きの来ない人生がここにある!」
芝居がかった風に両手を広げ、アサヒは言う。
「ただ、ボクは権力者になりたい訳でもない。権力者は嫌いだ。いや、嫌いな奴が権力者なのかな?とにかく、だからボクは命令しない。相手の意思を尊重する。手札を配るだけ、決断するのはそれぞれの勝手だ」
「……信用できない事だけは、信用できる奴だ」
「お褒めに預かり光栄です。まあとにかく、2つ目がこれ。1つ目のお願いは、まあ無視して頂いても別に構いません。今の“妖精”は読めなすぎる。優秀な裏の支配者であるクヨウさんが“妖精”を狩って盤上から除いてくれるなら、ボクは一向にそれでも構いませんし」
どこまでもふざけ通しのアサヒをクヨウは眺め、パーソナルウインドウのデータを眺め、やがて呆れたように呟いた。
「要件は3つ、だったな。3つ目は?」
そう言ったクヨウを前に、アサヒは肩を竦めた。
「3つ目は、ボクの個人的な理由です。わざわざ先に第4に来た理由にも繋がる。ほら、こう言っとけば、“妖精”が来るまでボクはここにいて良い。仕事で、カジノに、入りびたり……」
そんな風に笑うアサヒの身体が、足元から徐々に、赤い煙に変わっていく……。
幻覚、だろう。レイヤードだ。ふざけた男の、ふざけた能力。
半分姿が消えた派手な男は、クヨウにウインクしながら、こう言った。
「そういう訳でボク、お仕事して来ます!カジノに怪しい奴がいたらご一報を!」
それだけふざけ散らかして、神崎アサヒの姿が消えた。
呆れた視線で、一人自室に取り残されたクヨウの前でドアが開き、閉まった。アサヒが出て行ったのだろう。あるいは、それさえも幻覚の可能性もあるが。
それから、クヨウはため息を吐き、手元のデータ――アサヒから渡されたそれを眺めながら、呟いた。
「……臆病な男だな」
と、そこで、だ。たった今閉じたばかりのドアが、不意にノックされる。「入れ、」と僅かため息混じりに答えたクヨウの前で、また扉が開いた。
入ってきたのは、売り子の内の一人、だ。きっちりとカジノの制服を着込んだ女性がコーヒーの乗った盆を手に、行儀よく頭を下げて部屋の中へと入りこんできて……同時に、きょろきょろと部屋の中を見回した。
「ご来客、だったのでは?」
「たった今出て行った。おそらく、な」
「そうですか……」
売り子はそんな風に言いながら、盆を手に、クヨウの目の前にコーヒーカップを置く。それから、売り子は尋ねた。
「一体、どなたですか?」
「無駄に口数の多い奴だ。……お前みたいにな」
詮索するな……そう言外に込め、睨み上げたクヨウを前に、売り子は、奇妙にも笑みを浮かべた。
「そうですか。ですが、ご安心を。私はすぐ済ませますので。ご協力を、第4支社長?」
「なに?……まさか、お前、」
そう、クヨウが呟いた所で……不意に、目の前に立っていた売り子が崩れ落ちた。
予期していたかのようにそれを受け止め、手近なソファに売り子を寝かした“クヨウ”は、それからまた自分のデスクに戻ると、コーヒーを一口、口に含んだ。
「……温い。この人、猫舌なのかな。元マフィアなのに……」
そんな事を呟いて……そこで、“クヨウ”は気づく。
パーソナルウインドウに、面白そうな情報がある事に……。
「“ハンド・メイド・エデン”?」
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