7 // そして交錯し収束する帰結
“月観”第3支社が遠くに見える、街角、路地裏。
薄暗いその場所で、壁に手を付いて、“麻比奈レイカ”は荒い息を整えた。
(追手は?ない?警備ドローンにはやっぱり捕捉されなかった。この人が何かやったの?これも、レイヤード?それともただのハッキング?)
“麻比奈レイカ”――サヤの頭を思考と疑念が渦巻いていた。
(情報が、余りに……。この人のデータを見れば、いえ、まずは道雁寺、身体が奪えない……そういうレイヤード?それとも別の何か?)
「ああ、もう……」
疑問の多さ、自分の思考を制御しきれず、早鐘のように打つ心臓の音をやけに大きく聞きながら、“麻比奈レイカ”は頭を抱え、壁を背に、崩れ落ちるように座り込んだ。
(……落ち着きなさい。大丈夫、もう、遮断されている範囲からは出た。だから、逃げられる。大丈夫……はあ。今日はもう、これ以上、……)
大きく息を吸い込み、吐き出し……次の瞬間、“麻比奈レイカ”は、がっくりと、崩れ落ちた。
*
サヤは、目を開けた。
学校。教室。ホームルーム。制服姿のクラスメイト達。見慣れた、いつも通りの、サヤの日常が、目の前に広がっている。
そして、隣で少し怒った様子の金髪の少女、エリが腰に手を当てて、座り込むサヤを見ながら、こう言った。
「……見るなら私の胸だけにして!」
「……はあ?」
余りの状況の落差のせいか、あるいは無事逃げ延びたと安心したせいか、思考が止まって、そう言う他になかったサヤを前に……エリは、どこか安心したかのように身を乗り出してきた。
「あ、サヤ!正気に戻ったの?」
「え?それ、こっちのセリフだと思うんだけど……」
「だって、さっきまでサヤ、おかしかったし。更衣室で……」
と、そんな事を言いながら、エリは自身の胸を隠すように抱いた。
よく見ると、周囲のクラスメイト――それも女子ばかりが、似たような仕草をしながら、いぶかし気にサヤを見ていた。
……今日の授業には、体育、水泳がある。着替え、もあったのだろう。
そして、そのタイミングでサヤの身体の中に入っていた奴は、一人。
銀髪の幽霊、ユウは、しれっと言う。
『ボクは何もしてないよ。ただ……お姉ちゃんの身体に囚われるの、最高だと思う』
ユウが、サヤの身体で、着替え中のクラスメイト達を血走った目で見でもしたのか。
普段なら、サヤは適当に周りと会話している風にしながら、ユウを睨んで、後で叱る位はしただろう。
だが、今は、なぜか……。
「ふ、はは……馬鹿じゃないの、」
サヤは、笑っていた。余りにも下らな過ぎて。
自覚はなかったが、さっきまでの……囚われる寸前まで行った状況は、確かに怖かったのだろう。
ハッキング技能はある。レイヤードは使える。だが、サヤは、別にずっと危ない人生を送ってきた訳でもない。
そして、今やっと安心した。安心してしまった。そのせいで、笑いながら、サヤの視界が滲み、すぐさまサヤは自分の顔を覆い隠す。
「え?……サヤ?どうしたの?」
「なんでもない、」
エリの声にも、サヤはそう覇気なく答えるばかりだ。
そんなサヤに、ユウは首を傾げ……やがて、からかうような、嘲るような言葉を投げた。
『……?自分で始めたのに、今更怖くなったりしたの、お姉ちゃん?まったく、火遊びなんてするから……』
「……うるさい、」
サヤはそう呟いた。そう、呟くだけだ。
器用に周りと会話している、みたいにごまかす事も、ユウを睨む事もしない。
そんなサヤを前に、ユウは眉根を寄せ、困ったように頭を掻いた末に、言った。
『良い景色見たし、働いてあげるよ。お姉ちゃん。……サヤ。代わって?今すぐ』
珍しく、らしくない程素直に、サヤは体の主導権をユウに明け渡した。
その途端、ユウ……“サヤ”は、大きく欠伸をする。
「ふぁあ~あ。欠伸出ちゃった。無駄にプライドばっかり高いボ……私が、人前で泣く訳ないでしょ?人目のない所で大泣きするタイプだから」
「……え?うん……?サヤ、本当に大丈夫?」
何が起きているのか全く分からないのだろう。エリはそう首を傾げ、そんなエリを脇に、“サヤ”は頬杖をついて、そっぽを向いた。
「最近情緒不安定なだけだから、気にしないで。……ボクは、別に気にしないし」
教室の隅に、誰にも、――“サヤ”にしか見えていない少女が座り込んでいて、その少女は、か細く嗚咽交じりに揺れた声で、力のない悪態をついた。
『エロガキのくせに、』
*
『しかしさ~、お姉ちゃんも泣くんだね?ねえ、お姉ちゃん?なになに、そんなに怖かったの?』
学校を終えた後。サヤの自宅。一人ではただ寂しいだけの、夕日が差し込む部屋の中、銀髪の幽霊の声が響いていた。
「…………」
答えなかったサヤに、ユウはまた言う。
『もしかしてさ~、どっかのおっさんの身体に入ってる時にも、ぴぃぴぃ泣いたりしてた?泣いた上で逃げ帰ってきて泣いたりしたの?ねえねえ、』
「……私が舞台の上で泣く訳ないでしょ。その必要があるなら別だけど」
『舞台って……そういう認識なんだ』
何かの役になっている時は、緊張しようが何をしようが感情をコントロールし切れる、その自信がサヤにはある。だが、その緊張の糸が切れた後、一気に反動が来たりするのだ。だからサヤは、教室で泣きかけた。それをある意味、幽霊に庇われた。
『あ、そういえばさ。あの、エリって巨乳が言ってたけど、お姉ちゃんって演劇部なの?部活に行ってるとこ見た事ないけど』
「違うわ。映画部。って言っても、大して活動してない。人数足りないってエリが言ってたから、名前貸してるだけ」
『でも、昔は演劇やってたんでしょ?なんで辞めたの?』
「……飽きたのよ」
『お父さんとお母さんがいなくなったから?見せる相手がいなくなって?』
確信があるかのように、ユウは問いかけてくる。サヤの身体は、サヤ自身がいない時、ユウに任せている。その時、エリ辺りから何か聞いた可能性もあるか……。
そもそも、隠さずとも良いかもしれない。サヤはそんな事を思った。
「父さんと、母さんは……ほとんど見に来なかったわ。小さい頃は違ったけど、途中から、仕事が忙しくなってね。研究室に缶詰めよ。兄さんが隠し撮りした映像は見てたらしいけど。で、……見に来て欲しいって、言わなきゃ良かったのよ」
両親が亡くなった日。事故が起きたのは……サヤがねだった、その道中。
ただシンプルな、一生後悔する願いだった。
“見に来て欲しい”。ただ、それだけ。
サヤ以上に神妙な顔で、黙り込んだユウを横目に、サヤは息を漏らし、笑みを浮かべ、それから言った。
「ユウ、食べたいものある?」
『……?言ったら作ってくれるの?』
「別に、出前とかでも良いわ。……ただし、条件がある」
『話し相手になって、とか?慰めて……傍にいて、みたいな?』
「……私は今日、泣いてない。良いわね?」
言い切ったサヤを前に、ユウは呆れたような表情を浮かべた。
『……お姉ちゃんってさ。可愛くないよね。顔以外』
「悪役の方が似合いそうだからね」
『もしかして、根に持ってるの?』
そんな事を言う幽霊を横に、サヤはエプロンをつけまた尋ねる。
「で?リクエストは?」
『あ~。お姉ちゃんが決めてよ』
「そう。じゃあ、チャー……」
『雑に済ませるのはやめて』
「じゃあ、どうしろって言うのよ……」
そう呟き、困ったような表情をして、エプロン姿のサヤは、冷蔵庫の中を眺めた。
その様子を前に……銀髪の少年。身体のない幽霊。ユウは、困ったように呟いた。
『なんかもう。ボクには、悪役にも見えなくなってきたよ……』
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