6 // 神崎サヤ:決死の脱出劇
白衣の少し太った研究員。名前は、“柏木啓介”……その程度しか確認もせずに、たった今奪ったその体で、サヤは真っ白い廊下を駆けていた。
逃げ道を、探して。
(エレベータは、この警戒状態じゃ使えなくない。ここから逃げる道は……)
走りながら、サヤは“柏木啓介”のパーソナルウインドウを操作し、マップデータを探した。
(余計なファイルばっかり……職場でアニメ見てんじゃないわよ!違う、これじゃない……あった。地下3階、フロアマップ……非常階段がある、)
そう、サヤは気づいて、現在位置を確認しようと、パーソナルウインドウを脇にどかし、周囲を見渡した。
途端、サヤは気づく。
白い廊下。立ち並んでいる部屋の戸が悉く閉まっていて、しかも、辺りに人気が一切ない。
そして、同時に、立ち並ぶ戸の閉め切られた廊下の向こうから、音が響いてくる。
モーターが回転する、僅かな音。警備用のドローンが、こちらへと近寄ってきている。
(人払いと同時に、ドローンに追撃……道雁寺輝久の命令?)
明らかに、サヤのレイヤードを知っている対処だ。
サヤは、ドローンを奪う事は出来ない。奪う身体がなければ、レイヤードは無力だ。逃げる事すら……。
サヤは、音に背を向けて駆け出した。非常口へ向かう直線のルートではない。だが、迂回するルートはマップで分かっている。
(捕まったら、自力じゃまず出られなくなる。捕まる訳には……)
焦りのまま足音を鳴らし、サヤは迂回路を通って大回りに、非常口へと駆け、曲がり角を曲がり――
――瞬間、カメラのレンズと目があった。
警備用のドローンだ。最新式ではないのかもしれない、ずんぐりとしたドラム缶が車輪の上に載っているような、そんなドローン。
慌てて……尻餅をつくように曲がり角の影に戻ったサヤの目の前を、鍵爪のようなものが走った。
ワイヤー、射出式のスタンガンだ。奇跡的に躱しはしたが……
(撃ってきた。実弾じゃないけど、だからって、食らったらそれで終わり……)
歯噛みするサヤの進行方向から、あるいは背後から、玩具のようなモーター音が迫ってくる……。
(都合よく通気口とか?……ある訳ないし、あっても登れない。部屋に逃げてもどっちにしろ袋小路……残された手は、)
奪うしかない。ドローンの制御を。だが、レイヤードは使えない。
だから……。
(火遊びを舐めるな……)
歯を食いしばりつつ、サヤは、目の前にパーソナルウインドウを開くと同時に、現在周囲で稼働している全てのシステムを眼前に表示させた。
(オンラインは遮断されてるけど、ローカルなら……あった。ドローンの制御系……弄った事ある!オートとマニュアルの変更コードに穴があった。近い奴は……すぐ手前の?一体なら、)
玩具のようなモーター音、ふざけたような終わりの音色が近づいてくる最中、サヤはその全てを頭から締め出し、ただ目の前に表示される文字列に集中した。
4年前。
子供ながらに決意して、侵入した事はあった。ネット上で、ではなく、今のように直接だ。ここではない、もっとセキュリティの甘い場所に、女の子の無垢な笑顔と、その裏に隠した綿密な下調べを持って。
その時は結局、どうあがいても生体認証が暴けず逃げる羽目になったし、踏み込んだのも、迷子になったと女の子が涙目を見せれば帰してくれるような甘い場所で、下調べしておいた警備へのクラッキングが活かされる事もなかったが……。
“月観”は、独裁企業だ。4年前も今も、比肩する企業がいない。
競合相手がないのだから、そもそも侵入され辛い場所の警備システムを更新する必要性が薄かった。
それが、この状況でサヤの手元に転がり込んできた唯一の幸運だった。
(オートメーションの解除……違う、オートメーション自体はどうでも良い。駆動系と、切り離せれば)
玩具のようなモーター音が、一つ止まる。
ドローンが、廊下の角から、座り込む青年――サヤを見下ろし、そのワイヤーガンが持ち上がる。
そちらに視線を向ける事すらせず、サヤはパーソナルウインドウの操作を続け……やがて、ため息を吐いた。
ワイヤーガンは持ち上がっている。……だが、幾ら待っても射出されない。
「よし、」
気取ったセリフを口にする時間はなかった。
支配下に置いた――自立制御と機器自体の制御を分断して、マニュアルで無理やり操作できるようにしたそのドローンを、サヤはすぐさま反転させ、走らせた。
向かわせる場所は、非常口だ。
(どうせ非常口もロックされてるんでしょうけど……品とか言ってらんないのよ!)
サヤもまた、走り始める。その眼前を、ドローンは明らかに平常ではない、バイクにでも追走できそうな速度で、非常階段のドアへと突き進んでいく――。
*
明かりのない、ただ簡素で錆びた鉄の板の連なりがあるだけの、非常階段内部。
その、地下3階の戸が、突然の激突音と共に、思い切り歪んだ。
ドアの、壁の破片が非常階段に散り、地下3階の明かりが隙間から入り込んでくる――。
直後、
「……ッ!」
声にならない叫びのようなものを上げながら、その暗い空間に、明かりと、一人の研究員が突っ込んできた。
壁をタックルで突き破ったのだ。ドローンの激突で耐久性に限界が来ていたのだろう、その扉を、力づくで。
突き破った勢いのまま研究員は転び、その肩が外れたのか、だらりと垂れ下がり……だがそれに気を留める事なく、歯を食いしばったまま、研究員は階段を駆け上がる。
(……すぐに後ろのドローンが来る。非常口を開ける為のドローンはない。統合システムから分離して無理やり開けるしかない……。時間は、60秒ある?車輪式だから壊れたドローンで多少は止まるはず。階段に止まり続けるのはまずい。できないとか言ってられる場合じゃない。一つ上の階でも、まずは逃げ場と、ドアを――)
駆けながら、またパーソナルウインドウを開き、非常口の制御系を探しながら、研究員――サヤは、一つ上の階、地下2階のドアへと駆け寄った。
そして、クラッキングを始めようとした瞬間、だ。
サヤが何の操作をする必要すらなく、サヤの目の前で、勝手に扉が開いた。
サヤを舐めて、ロックをしていなかった――なんて話は、当然、ありえない。むしろ、道雁寺輝久はもっと性格が悪かった。
ドラム缶の群れが、サヤの目の間にあった。何体いるのか……10体位いるかもしれない。警備用ドローンの群れがサヤを待ち構えていた。
(頑張らせて、希望を持たせた上で挫くのね……)
「……最低、」
思わず毒づいたサヤを、ワイヤーガンが襲った。
*
地下2階。
地下3階とは違い、どことなく埃臭い気がするようなそんな通路の奥に、ドローンがたむろしている。
そのワイヤーガンが放たれ、逃げ場のない電流が太った研究員を襲い、その研究員は倒れ伏した。
その様子を、廊下の影から、麻比奈レイカは眺めていた。
それから、“麻比奈レイカ”は大きく息を吐き、呟いた。
(この人、なんでこんなに縁があるの……。何してたの?ドローンの、監視?よくわからないけど、助かった……)
“麻比奈レイカ”――と、ワイヤーガンを食らう直前に目が合い、その体を奪い取ったサヤは、そうとにかく一息を吐いた。
一息ついてる場合じゃない。すぐに次の手を考えなくてはいけない事はわかっているのだが……どうしても、危機を脱した安心に体も心も鈍くなってしまう。
と、そんなサヤの背が、突然叩かれた。
すぐさま振り向いた先にいたのは――警備ドローンだ。
「……!?」
硬直したサヤを前に、ドローンは僅かにバックし……また、サヤへと直進してきて、またぶつかり、またバックする。まるで……。
(この人、ドローンに認識されてないの?なんで?変なプログラムが走ってる……これのせい?)
そんな疑問を持ちながら、サヤはドローンに道を開ける。
するとドローンは、何事もなかったかのように、倒れた研究員を取り囲む仲間の群れに合流していった。
(あの研究員で、“妖精”を捕らえたって判断した?それとも……)
考え込みかけ、だがその前に、サヤは、どこか自分に言い聞かせるように、呟いた。
「……逃げないと、」
*
最上階から見下ろす、“月観”第3支社エントランス、正面通路。
そこを、スーツ姿の女性が、脇目も振らずに駆けていく。
その姿を冷たく見下ろし、赤い――真っ赤な服を着た青年は、その手の拳銃を逃げていく女性に向け、引き金に指をかけ、引き絞り――。
――けれど、引き切る前に、神崎アサヒはその手を下ろした。「バーン、」というふざけた言葉と共に。そして、アサヒは笑う。
「逃げる選択をしたんだね、レイカく~ん。流石、我が監査室の物理要員。思い切りが良いね~。プレゼントにも喜んでくれたみたいだし~良かった良かった」
と、そこでアサヒは自身の耳に手を当てた。
「あ、ボス。いや~、閉じ込められて不運でしたね~」
軽い調子で話しながら、アサヒは笑みを浮かべた。
「え?ボスを隔離?ボクが?まさか~、ボクがボスを裏切る訳ないじゃないですか~。今だってほら。ボスの為にちゃ~んと、口止めしたんですよ?……知りすぎてるみたいだったから」
ふざけた調子で笑って……そこでアサヒは演技ではなく、驚いたような声を上げた。
「はあ?“妖精”がいた?それは……」
一瞬、アサヒはレイカが走って行った先に視線を向け……それから、大仰に肩を竦めた。
「……愉快な偶然ですね、まったく」
そこで通話が切れたのだろう。アサヒは耳から手を下ろし、エレベータへと歩んだ。
そして、アサヒはエレベータの中で振り返り、オフィスへと目を向けると、……ふざけた調子のない、冷たく暗い声で呟いた。
「……誰がやった事になるのやら。タツマさん、貴方の探した“アマテラス”の不完全性はここにあります。目立つ格好はしておくので、どうか、地獄で会ったらご容赦なきよう」
そう、赤いコートの青年はシルクハットを胸に恭しく頭を下げ、そんなアサヒを閉じ込めるように、エレベータの戸が閉まる。
第3支社、最上階。ただっ広いオフィスには、赤い水溜まりと、物言わぬ屍だけが残っていた。
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