3 // ピエロと”妖精”/並列し挑発する幕開け
“月観”第3支社長、加室タツマ――小柄な40代後半の男は、第3支社中央ビル、そのワンフロア占有し切ったオフィスの椅子で、そもそもが神経質なその顔を更に苛立たし気に、歪めていた。
(……クソ。なんてタイミングだ)
苛立っている理由は、道雁寺輝久の視察のタイミングで、警報アラートが作動した事にある。
社長の眼前で失態を犯した――そんな種類の狼狽ではない。そもそも、加室タツマは道雁寺輝久を嫌っている。あの男が合併買収などしなければ、父があの男に社を売り渡さなければ、タツマは今、社長の位の上に不本意な冠を付ける羽目になどならなかった。
だから、タツマは道雁寺輝久に失脚して欲しいと、消えて欲しいとまで思っている。
だから……だから、このタイミングで揉め事は困るのだ。
(……企業スパイだと?道雁寺の奴が権限を握っている状態で、不正アクセスの洗い出しなどされては……)
日が1日ずれていれば問題はなかった。タツマが自分で捜査をすると、そう言うだけの根拠がある。だが、道雁寺の目と鼻の先で事が起こったとなれば、社長自らネットワークを精査しかねない……。
と、そこで、タツマは気づいた。警戒状態で停止しているはずのエレベータが、一つ、動いている事に。
警備状態でエレベータを動かせる権限の持ち主は限られる。そして、タツマに許可を取らずに、このオフィス、最上階にたどり着ける者は、知る限り一人だけ、だ。
いや、一人だけの、はずだった。
エレベータが開くと同時に、派手な音楽、マーチがオフィスの中に響き渡り……。
「グッモ~ニンッ、支社長閣下!」
馬鹿みたいに真っ赤な格好をした青年が、音楽と共にオフィスの中に踊り出た。
真っ赤なコートに、真っ赤なシルクハット。黙ってさえいれば好青年だろうに、ふざけた振る舞いが全てをぶち壊しにしている男。
タツマは、その男の事を知っていた。
「神崎アサヒ。道雁寺の犬か」
保安部門第1監査室室長。“月観”内部の傭兵にして、警察。いや、秘密警察に近い、道雁寺輝久直轄で、かつ特権的な権限を有している、どこかネジの外れた人材。
アサヒは、タツマの声に、わざわざ耳を寄せるような動作をしながら、言った。
「え?なんて言いました?ちょっと、音楽がうるさいな……ちょっと待っててくださいね~」
そんな事を言いながら、アサヒはエレベータの中に戻り、その中に置いてあった年代物のラジカセを拾い上げると、わざわざタツマに見えるようにそれを持ち上げた末、音楽を切った。
途端、さっきまで流れていたマーチもまた、消え去る。
「保安部門が、何の用だ」
苛立ちを隠す気もなく、タツマは鋭く言葉を投げ……だが人に嫌われる事に慣れきっているのか、アサヒはラジカセを小脇に、どこか踊るような足取りでオフィスの中を闊歩し始める。
「いえいえ、ちょっとお仕事でね。それより、困りましたね~、閣下。こんな日に賊が入りこむなんて。ねえ?どっかで怪しい男を見ませんでしたか?」
真っ赤なシルクハットにラジカセを抱えた男は、白々しくそう尋ねてくる。
返事をする気にもならなかったタツマに、アサヒは楽し気な足取りで歩み寄り、タツマの了承もとらずデスクにラジカセを置いて、自分もまたそこに腰を下ろした。
「まあまあ、協力してくださいよ閣下。今ボクが探してる怪しい男はですね~……。知らないはずの事を知っていて、かつどうやってかボクの名前でボクの部下を動かして、テロリストと取引して、“月観”の大切な財産を明け渡そうとした奴です」
そう言って、アサヒはタツマの目を覗き込みながら、言った。
「いや、顔は知らないんですけどね。ホント。誰がやったか全然わからないんですけど~。でも、ボクは思うんですよ?そいつはきっと、背が低くて気も小さい割にプライドばっかり高いホント父親が偉大だっただけの身の程知らずの愚図でノロマで短気で頭も悪くてその上足の臭い男だ。……どう思います、閣下?ボクの推理?あってます?」
今にも額に青筋を立てんばかりに、口を引くつかせるタツマを、アサヒは笑っていた。
「ねえ、閣下?どうです?今すぐ自分の足の匂いを確認してみては?きっとドブネズミが泣いて逃げ出すような、年代物の芳醇な香りをしていることでしょう。匂ってしょうがないんですよ……ね?」
明らかな挑発を投げ続けるアサヒを前に、タツマは苛立ちを増していき……やがて、ふと、その顔から表情が抜け落ちた。
「おや?観念されました?」
「ああ。……茶番は十分だ、道雁寺の犬が」
その言葉と共に、タツマは、デスクの裏に隠してあった銃を、アサヒの額に突き付けた。
――銃声が、鳴り響く。
*
地下3階。その最奥のフロアに、道雁寺輝久の姿があった。
このフロアにある他の部屋よりも何倍も広く、奥には巨大なサーバー――球形のそれが置かれている、薄暗い部屋だ。
道雁寺輝久の他には、何人かの研究員と先程の秘書の姿がある。
「……で?実現は?いつ頃になる?」
道雁寺輝久はそう問いかけた。それに応えるのは、研究員達の中で一番身なりに頓着がない、猫背の男だ。室谷アラタと言う名前の、技術者。
「明日にでも……とは言いたい所ですが、ここの設備ではどうにも。ただ、理論と簡易的な試験の結果は良好です。ダイブゲームの延長線上ですからね。自己診断と演算能力の限界にさえ気を配れば、十分に可能ですよ。“ハンドメイドエデン”」
「そうか。フフ……カムロにいたのが惜しいな」
「今は“月観”です、CEO。これで、私も第1に移していただけるので?」
「勿論だ」
「後は、タツマさんがどう言うか、ですかね……」
生粋の科学者なのだろう。上司の機嫌を取る、という概念が根本的に薄く、猫背の男はそんな事を言った。
その言葉、聞きようによってはプライドを損ねかねないそれを、道雁寺輝久は笑う。
「あいつは失脚する。はしゃぎ過ぎたからな。元々器ではなかった……」
と、そこで道雁寺輝久はふと、その部屋の入口に視線を向ける。
見ると、その部屋の入口に、一人の女性研究員が立っていた。俯き加減で、タブレットを胸に抱いて。
道雁寺輝久は、思い起こす。先程睨んできた女だと。
「何の用だ?」
入ってきた研究員は、その道雁寺の問いに答える気配もなく、視線を部屋中に走らせ……次の瞬間、糸が切れた人形のように、崩れ落ちた。
何が起きたか――と考える間もなく、異変は連鎖する。
倒れていく。道雁寺輝久の周囲で、研究員達が、次々と。
「おお!超常現象!再現の為データを……」
宗谷アラタも、嬉しそうな顔でそう言った直後に崩れ落ち、秘書然とした女は、警戒したように懐から拳銃を抜き出し、……けれど次の瞬間、ゆっくりと、銃を持つその手が下りた。
「猪戸、マリ。保安部門?へえ、秘書じゃなくて警備だったんだ。ヒール履いて?」
拳銃を片手に、さっきまであった硬い雰囲気の代わりにどこかあどけなさを漂わせながら、秘書然とした女――マリは、自分の足のヒールを眺めていた。
その現象は、当然、道雁寺輝久も知っていた。
「レイヤード。……“妖精”か?」
そう呟いた所で、マリは自分の身体を確認するのをやめて、視線と銃口を道雁寺輝久に向ける。
「そうよ。……悪戯好きの“妖精”」
本人であれば浮かべないであろう、どこか興奮と妖艶さが漂う笑みを見せながら、“マリ”は、言った。
「ねえ、おじさん?貴方の身体を頂戴?」
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