2 // イレギュラーなピンチ:イレギュラーなチャンス
サヤ――“冴島ユズキ”は、白衣姿でタブレット端末を抱えながら、俯き気味にソフトウェア開発部門の白い廊下を歩いていた。
オープンオフィスの真逆――完全に閉鎖的に部屋が立ち並ぶばかりのそこを、同僚が通り過ぎていくが、“冴島ユズキ”に挨拶は愚か、目を合わせようとすらしない。
(……話の通り、隣人付き合いはなしなのね)
内心、“冴島ユズキ”――サヤは呟く。
どんなものにも界隈はある。ハッカー、ソフトウェア界隈のSNSで、“月観”各支社の開発部門の内情、みたいなものは噂になっていた。
第3支社は蹴落としあうばかりで最悪だ、とか。それを元に、予行演習もかねて上層階にも何度か潜り込んだ末、サヤは今、この地下4階を他人の身体で歩いている。
やがて、“冴島ユズキ”の個人オフィスに辿り着いた。そこら中に散らかったメモ書きやチョコレートの包み紙、コーヒーメーカーと洗った事があるのかさえ疑わしくなるようなコップ。そして、中央にコンソールとモニター。
(汚い部屋ね。でも……)
そこが、“月観”内部のローカルネットワークへの入り口だ。
その電源を入れ、奪った体で生体認証をクリアし、サヤは画面を睨みだす。
(この人の権限じゃ、大したものは覗けないだろうけど。入り口として使えば、ある程度は。まずは、レイヤードについての情報を……)
“冴島ユズキ”は、モニターを眺めつつ、生体認証用の端末を介して、ツールをローカルネットワークに紛れ込ませていく……。
*
「どうあっても下っ端か、私は……」
麻比奈レイカはモニターを前にうなだれていた。地下2階、最低限の権限さえあればオープンな資料閲覧室の内部だ。使う者が少ない為、レイカの他にはドラム缶に腕が何本も生えたような、旧世代の掃除用ドローンくらいしかいないその一角で、レイカは歯噛みした。
モニターには、それこそ外で検索しても普通に出てきそうな情報しか表示されていない。
レイカは、どちらかというとハードよりの人材だ。かつ、古典的で直接的な方向を好む……要するに、完全な武闘派だ。ハッキングの技能など習得していない。自力で裏側を除く事は出来ないのだ。
「いっそ、あのピエロ気どりを殴った方が早いか……?」
この所の苛立ちもあって本気で考慮し始めたレイカ。と、その肩が不意に叩かれた。
見ると、掃除用のドローンが一体、レイカの元へと近づいてきて、何かを差し出している。
「……飴?」
としか、言いようがなかった。派手な色彩の紙に包まれたキャンディだ。レイカがそれを手に取ると、掃除用のドローンは何も言わずにまた元の業務へと戻って行った。
レイカは、包みを開く。中身は飴、と、包みの方に何か文字が書いてあった。
飴を雑に口に入れて、レイカはその包みを広げてみる。
『甘い真実に、罪を添えて ――親切な誰かより』
そして、その下にはURLらしきものと、パスワードが記載されている。
「……こういう所が、ホント、気持ち悪いアイツ……」
言い捨て、飴を噛み砕き……自身のパーソナルウインドウで、そのURLの先へと飛んだ。パスワード入力画面。やたら派手なサイトに、アプリケーションのダウンロードと、ヘルプ。
「怪しげなプログラム……」
そう上司を疑いながら……レイカは、その怪しげなプログラムをダウンロードした。
*
“レイヤード”。
“アマテラス”のアップデートに際した事前研究過程においてその存在が確認された、特殊なプログラムコード。“アマテラス”ソフトウェアの自己増殖機能の結果発生し、“アマテラス”の機能の一部を対象へと移譲する。コンパイルに専用の言語が必要であり、また移譲する機能については対象者に選択肢はなく、また成功の可能性も極めて低い。言語解析を担ったのは神崎統也、および神崎恵流。
(……父さんと母さんが、これを作った?いえ、解析した、か。“アマテラス”の機能の一部?意識を移植することが?)
ハッキングツールを用い、情報を吸い上げながら……サヤは、データの一部を閲覧していた。
(“アマテラス”自体にも、私が知らない機能があるの?精査は、持ち帰ってからで良いわね。今日はこの人の権限で奪えるだけ奪えば良い……)
ツールが走り出してしまえば、リアルタイムでサヤがすべき作業はない。データのコピーも、痕跡の改ざんも、全てこなせるツールを用意してある。
ツールの進行状況を眺めながら、サヤは散らかり切った部屋の中を見回した。
ツールが走り終えるまで、あと数分ある。その数分間……軽く掃除でもしようと思ったのだ。
「……“妖精”の悪戯よ、ユズキさん。身体と、大事な端末を借りたお礼は返すわ」
誰にともなくそう呟いて、サヤは散らかっているあらゆるものを片付けだした。明らかにゴミなものはゴミ箱に、書類やメモ書きは脇に寄せ………。
と、そうしている途中で、サヤは気づいた。
壁に、カレンダーがかかっている。紙のカレンダーだ。そこらのメモ書きと言い、“冴島ユズキ”は、ある程度アナログなものに固執するタイプの人格だったのかもしれない。
何気なく眺めたカレンダー。その今日の日付に、赤いペンで丸印と文字が記されていた。
(なにか、大事な用事でもあったの?……CEO?まさか、)
そう、サヤが勘付いた瞬間だ。
ブザー音が鳴り響いた。アラート、警告音のようなものが、この部屋や通路……おそらくこの第3支社全体に響き渡っている。
ツールが走っていたモニター……そこには、エラーメッセージが表示されていた。
すぐさま、サヤはコンソールへと駆け寄った。
(アクセスを遮断された?気付かれたって事?いや、……同じタイミングで、私じゃない奴が?)
データのコピーは、8割程終了している。完全に、ではないが……。
(どの道、一度で終わるとは思ってないわ。退くべきね)
そう考えて、サヤは自身のパーソナルコンソール――こちらについても、サヤ自身のモノを開けばそちらにデータが移る事は確認してある――に、たった今得た不完全な情報をコピーし、ツール自体も消去して、能力を解除しようとした。
だが……。
(……解除できない?ネットワークが遮断されてる?……アクセス拒否、私か、別の誰かが不正にシステムに侵入している事が気付かれた?企業スパイ対策、かしら)
ネットワークの遮断は、どの程度の規模かはわからないが、おそらく物理的に支社の外に出る必要はある。ここは、地下階。セキュリティ認証が必要なエレベータは、稼働しないようになっている可能性が高い。
(……焦って動くより、状況が解消するまで様子を見た方が得ね。私がばれたなら、即座にここに警護用のドローンが来るはず。最悪、荒事になっても、体を乗り継げばドローンも躱せる。人間も、全員気絶させて最後の一人として外に出れば……)
考えを巡らせながら、サヤは部屋のドアへと近づいた。
脱出はしなくても、外の様子は確認しておこうと思ったのだ。
“冴島ユズキ”……内気で社交性が薄い、という事前情報に沿ってうつむき加減に、タブレット端末を胸に、サヤは廊下へと出る。
同じように様子を見に来たのだろう。廊下には数人、職員が顔を覗かせていた。
そして、丁度その時に、廊下の向こう――エレベータから、一人の男と、秘書然とした硬い雰囲気の女性が、こちらへと歩み寄ってきていた。
「これは、一体なんの騒ぎだ?」
「……不正なアクセスを検知したのでしょう。情報漏洩への対策措置かと」
「ふん。私はてっきり、またあのピエロが悪さを始めたのかと思ったぞ。お前の上司が」
「私は何も知らされていません。気に食わないなら後でアレを好きなだけ締め上げていただければ、私としても幸いです」
「……相変らず、妙な慕われ方のガキだ」
秘書らしき女性の方は、見覚えがない。
だが、壮年の男――権威と自信が服を着て歩いているようなその男には覚えがあった。
(……道雁寺、輝久……“月観”の最高権力者、CEO……査察の日だったって事?どんな偶然よ)
道雁寺輝久――“月観”の、いや、この新東京で最高の権力者その人だ。
この男の権限、生体認証をもってすれば、覗けない情報はないだろう。
いや、それだけではない。サヤの両親が殺されて、かつそれが事故として偽造されていたとするなら、それを実行した可能性が最も高い奴は……今、歩み寄ってきている男だ。
(警備は?見当たらない。秘書が一人……今なら、道雁寺輝久の身体を奪える。けど、警戒態勢が上がってる現状で動くのは、リスクが……)
リスクとリターン。
予想外に目の前に好機が訪れたせいで、サヤの思考は迷いに止まっていた。
そんなサヤの横を、通り抜け様――道雁寺輝久がサヤを睨んでくる。
「……何だ」
威圧的な声だ――知らず、先に睨んでいたのはサヤの方だったかもしれない。
咄嗟に――ギリギリで、サヤは“冴島ユズキ”である事を思い出し、俯いてくぐもった返事をした。
「あ、いえ……すいません」
「ふん、」
そんなサヤ、“冴島ユズキ”を、道雁寺輝久は鼻で笑い、秘書を伴ってそのまま歩み去っていく。
当然の話だが、サヤに気が付いた様子はない。
(リスクは、けど、……CEOになり替われば、ある程度は無理が効くはず……)
一旦、サヤは部屋の中に戻った。
そうと決めれば、焦る必要はない。一旦時間をとって、様子を身に出ていた職員達が部屋に戻ってから……。
(真実を、手に入れて見せる)
*
同時刻。
第3支社地下2階、資料閲覧室。
何体ものドローン……ワイヤー射出式のスタンガンを装備した機械仕掛けの警備員に取り囲まれたレイカは、エラーメッセージで真っ赤に染まっているモニターを眺め、呟いた。
「ある程度読めたし……なるほど。コピーして後で読めば良いのか。賢いな。その点は、ああ、感謝してやっても良いが……」
そこで、レイカは軋む程に思い切り、机を殴りつけ叫んだ。
「あのクソ上司……マルウェア扱いの代物を……。次会ったら絶対殴ってやる!」
レイカはそう叫び、だが次の瞬間うなだれ、観念した、とばかりに両手を上げた。
包囲するドローン達は、レイカへとワイヤーガンを向け、だが撃つ事なく、まるで探索でも始めるように、方々へと散り始めた。
「……なんだ?これも、あのクソピエロ野郎の……?」
レイカはそんな風に呟き、そこらのドローンを眺めた。
「訳がわからない。私を捕らえに来たんじゃないのか?何を探してるんだ?」
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