1 // 麻比奈レイカ/神崎サヤ:調査開始

 あのテロから、数日後。

 麻比奈レイカの姿は、新東京第3階層中央区、“月観”第3支社の内部にあった。

(休暇。失態の上、おめおめ休暇なんて……)

 内心の苛立ちを足取りに示しながら、麻比奈レイカはこの数日で見慣れたそのやけに荘厳なエントランスを――普段より妙に慌ただしい気がするそこを――歩んでいく。

 “妖精”の情報を得ようと考えたのだ。ふざけた上司はレイカに情報すらも与える気もないらしい。知りたければ自分で調べろ、と。

 第1監査室は公的には存在しない事になっており、レイカ自身は“月観”内では窓際の平社員と大差ない権限しか有していないが、けれど所属は保安部門。ある程度なら情報の閲覧が許可されてもいる。

 ドローンがレイカへと近づき、身分照会だろうを掛け……やがて止める事なく退いて行った。

 それすらも苛立たし気に、レイカは睨みながら、エレベータへと歩んでいく。

 エレベータを前に、腕を組み僅かに足を鳴らし、その到着をレイカは待っていた。

 と、その内に、レイカの背後に人影が現れた。

 白衣を着て、タブレット端末を胸に抱いた、内気な内面が姿勢に現れている女性だ。

 “月観”の第3支社は、その内部で分かりやすく二つに分かれている。

 経理や経営上の、真っ当な企業としての役目を帯び、場合によっては見学も催される表向きの階層が、上層に。

 地下階には研究設備が設けられている。見学など持っての他の、“月観”の深部だ。この女性もそちらに行くのだろう……そんな事を考えながら、レイカはその女性に視線を向けた。

「……な、なにか?」

 ぶしつけに眺め過ぎていたからか、女性はおどおどした様子で、そう問いを投げてきた。

「いや。なんでもない」

 そうレイカが答えた直後、エレベータが開いた。同時にレイカの目の前に、パーソナルウインドウが現れる。そこに移っているのは、エレベータの階選びのスイッチだ。

 エレベータの基盤に備え付けられているスイッチに、地下の表示はない。生体認証をクリアした人間が乗った場合のみ、各々の権限に応じていける階層が決まる。簡易的なセキュリティだ。

 何も言わず、レイカは地下階を選択し、エレベータは音もなく沈んでいく。

 やがて、レイカは目的の階層にたどり着いた。白衣の女性は降りようとしない……もっと下の階層に用があるらしい。レイカが行ける限界の階層は、ここ。女性はその下、もっと重要度の高い階層へと行ける、という事だ。

(研究部門の方が権限が大きいなんて……何が保安だ)

 苛立って毒づきたい気分のまま、レイカはまた女性を睨み、けれど何も言わずにその階の奥へと消えて行く。

 その姿を見送り、エレベータの扉が閉まった後。

 白衣の女性は、閉じた扉を睨みながら、笑った。

「あの人、やたら縁があるわね」

 

 *


 2日前。

『“月観”の内部に潜入するわ』

「ふうん?」

 サヤの言葉に、“サヤ”は目の前のショートケーキのイチゴをフォークで弄りながら、相槌を打った。

 新東京第2階層西区、“天渡学園”の学食の隅だ。

 傍から見れば、サヤが一人でケーキを食べているように見えるだろう。

 だが、今そのサヤの身体の中に入っているのはユウで、サヤの精神体、とも言うべきものは、その傍らで腕を組み、“サヤ”――ユウへと話していた。

「正直、学校に通い出した時は暢気だなって思ったけど……このまま平穏に暮らす気はない訳だ」

『状況を確認せずに行動する気にならなかっただけよ』

 ユウの問いに、サヤはそう答える。

 この数日で、サヤは今後のプランと、この能力……“レイヤード”についての調査を進めていた。

 当然だがなり替われるのは同時に一人。解除するか別の身体に移ると対象は気絶する。制限時間、連続で入れ替われる上限数については調べた限り存在しないが、気絶した相手の身体を奪えない以上、睡眠か気絶したら強制的に解ける。対象が視界に入っていれば背中を向けていても問題ない。最大射程距離は直線距離で50メートルほど。これはナノマシンのローカル通信が確立する距離と同じだ。

『一種の変則的なツールね。レイヤードは。生体認証をクリアできるって意味では、やっぱり“アマテラス”を欺ける。けど、外部からハッキングできるようになる訳でもない』

「ふうん……」

 興味がなさそうに、ユウはケーキを口に運んだ。

「……つまり火遊びで覚えた程度の技術じゃ無理って話?」

『システム的に不可能なの。“アマテラス”は3重構造になってて、外部からのアクセスで参照できるのは表面だけ、その奥にアクセスするルートは“アマテラス”が独自の変数で常時……』

「ふぁあ、」

『……私の身体で、露骨に欠伸をしないで。口元を汚しながら物を食べない。貴方、どう育ったらそうなるの?』

「説教する奴にいちいちなり替わって黙らせて育ちました」

『そうなる前にしつけを受けなかったの?』

「覚えてな~い」

 どうでも良さそうに言い捨てて、またケーキを頬張り出したユウを前に、サヤは軽く額を押さえる。

「そもそもね、お姉ちゃん。ボクは“アマテラス”自体が良くわからない」

『それで良く逃げてられたものね』

「身体に執着せず逃げ回っていればほぼ無敵だからね。もしくは、誰かのように火遊びしたがらなければ」

『……“アマテラス”は監視システムよ。この新東京の内部で起こる全ての情報が集積される量子コンピュータ。ナノマシンを介して全住民の五感情報から、ドローンの監視映像まで全てが“アマテラス”の中に保管される。生体認証もプライバシーも無視してね』

「なら、なんでお姉ちゃんは捕まってないの?」

『その話も前したでしょ。あくまで司法制度だから。制度として成立する為のセイフティで、罪を罰する段階になるまで保管した情報は開示されないし、その開示も“アマテラス”からの求刑という形で明示されるだけ。内部は完全にブラックボックスになってる』

「で、その内部情報を閲覧、どころか弄れるって話が、この間のテロリストが言ってた事?」

『そう。事故って事になってる私の両親の死も、改ざんされた結果かもしれないって事』

「その真相を暴きたい、ね。……暴いてどうするの?復讐?」

 フォークでケーキを切るように押し潰しながら、ユウはそう問いかける。

『……まずは、真相を確かめてからよ』

「ふうん。で?わざわざ捕まえて貰いに行く理由は?」

『4年前の続き。“月観”は独自にローカルなネットワークを持ってる。職員の生体認証をクリアしなければ入れないネットワーク。今なら、適当な体を奪えば入り込める』

 サヤがそう言うと、ユウの目の前にパーソナルウインドウが現れた。

 表示されたのは、“月観”の社内構造、だ。第1階層に本社が一つ。そして、5まであるそれぞれの階層、その第5を覗いた全てに支社が一つずつ。

『その、第3階層が目当てよ。第1階層はほぼ“月観”の関係者しかいないし、本社はリスクが大きすぎる。まず支社から試した方が安全。買収された元別企業、だしね』

「第3……。ここも含めて、お姉ちゃんが住んでるのは第2でしょう?第2からにしないの?」

『近場は、避けておきたい。注意を引く可能性を減らしておきたいから』

 どこか決まり悪そうに言ったサヤに、ユウは首を傾げ……また、社内構造のマップに視線を向ける。

 第2支社……その表示の横に、元企業だろう文字が示されていた。“来島”、と。

「……?覚えがあるような……」

 と、そうユウ――“サヤ”が呟いた所で、そこに歩み寄ってくる人影があった。

 西洋の血の混じった少女、だ。灰色の瞳をいぶかし気に、エリはケーキを食べる“サヤ”の元へと歩み寄っていき……声を掛けた。

「サヤ?ケーキ食べてるの?甘いの苦手じゃなかったっけ?」

 そこで、“サヤ”は口元にクリームをつけたまま、どこかぼんやりとエリの顔を眺め……やがて、頷いた。

「こないだの巨乳。……ああ、来島エリ」

「え?そうだけど……何それ?なんかの役?演技?」

「なるほどね……あ、待ってよ……食べないでよ、ボクのだから」

 エリの目の前で、“サヤ”はぶつぶつと何かを呟いた末に……口元をハンカチで拭って、言った。

「ええ。……演技を少し、ね」

「そっか。あ、じゃあ、ショートフィルム、出る気になったの?」

「それとは、別だけど……」

 決まり悪そうに呟くサヤを、エリはやはり訝し気に睨み……その横で、“妖精”が呆れたように言った。

『真実を暴くとかなんとか言って、友達絡みでは手段を選ぶの、お姉ちゃん?』

 その自分にしか聞こえていない声に、サヤは苛立たしさを飲み込みながら、言った。

「ケーキは、……ほら。良く食堂使ってるからって、サービスしてくれたの。貰ったら食べない訳にも行かないでしょ?」

 エリにそう言いながら、サヤは目線を逸らす……ふりをして、“妖精”を睨みつけた。

「恩を仇で返す訳にはいかないから」

 その言葉にエリが、そしてユウも、首を傾げていた。

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