間章 真っ赤な帽子のふざけた男

「こっちで捜査、かと思えばこっちでテロ。忙しい、忙しい。あ~、忙しい。正義の味方は大変だ~」

 新東京第5階層。人気のない夜の街道を走る黒塗りの車両、その後部座席に寝そべった青年が、ふざけた調子でそう喚いていた。

 白いスーツに、白い手袋。ジャケット代わりなのだろう真っ赤なコートは、その座席の背に投げかけられている。

 20代半ば程か……寝そべるその顔の上には、コートと同じく真っ赤なシルクハットをかぶせて、その帽子の影から、青年はバックミラー越しに運転席の女性に声を掛けた。

「そんな大変で忙しい状況だからこそ息抜きは必要だし、どうだいマリくん、今夜ディナーでも」

 運転席に収まった堅物な雰囲気を放つ女性、マリは、バックミラーでウインクしてくる青年を一瞥し、何も言わずに栄養バーを後ろ手に投げた。

 腹の上に落ちたそれを拾い上げながら、青年はつまらなそうに言う。

「あ、そう。つれないね、まったく。レイカくんに浮気しちゃお~」

 栄養バーを齧り、後部座席にゴロゴロしながら、青年はパーソナルディスプレイを操作する。直後、青年の目の前に、麻比奈レイカの顔が映し出された。

「はぁい、レイカく~ん。今晩どう?」

『げ、室長……コホン。報告、ですか?なら、今すぐにでも』

「あ~うん。みんな真面目ね~」

 白けた顔でそう青年が呟いた所で、運転席のマリが小さく呟く。

「ウザがられてるだけでしょう」

「真面目な皆がボクは大好きさ!」

 部下の吐く毒を勢いで無視して、派手な格好の青年はレイカに言った。

「ていうか、軽くは聞いたよ、レイカくんの大活躍。テロの間中気絶して、人質になってまた気絶して、でしょう?ナルコレプシーならそう履歴書に書いといてね?ボクが困るし。部下にお姫様はいらないかな~、レイカお嬢様?」

『……く、』

 苛立った。だが、事実だけに反論もできない……そう、レイカは歯噛みしていた。面白がって青年がその表情を眺めていると、気を取り直したのか、レイカは問いを投げてきた。

『室長。“妖精”とは、何ですか?私が今日、見たのは……私は、何を運ばされていたんですか?』

「ん~?……ひ・み・つ」

 レイカは今にも舌打ちせんばかりの表情を浮かべていた。そんなレイカを笑いながら、青年は続けた。

「レイカくんは、疲れてるんだよ~。最近忙しくて。だから仕事中に居眠りしちゃうし、変な夢も見ちゃう」

『夢……ですか、』

「そうそう。ボクとしては~、夢って事にしといた方が生きやすいと思うよ?という訳でレイカくん。君に休暇を上げよう。そうだね~、一か月くらい?」

 明らかに不服そうに、レイカは歯噛みしていた。青年――保安部門第1監査室室長がふざけた調子で言い渡したのは、事実上の停職だ。

 レイカは文句を言いかけ、だが何も言わず飲み込み……やがて、頷いた。

『……了解しました』

 そして、通話が切れ、青年の目の前のフロートディスプレイが消える。

「う~ん……後で飴でも上げようかな~」

 どこか楽しそうに、青年は呟く。その姿をバックミラー越しに一瞥し、マリが言った。

「休暇ですか……。麻比奈レイカがあのまま納得すると?」

「ええ?ああ、どっちでも良いかな~」

 どこか乱雑に答えた青年を、マリはバックミラー越しに睨んだ。その視線すら楽しむように、青年は笑い、言う。

「おとなしく実家で静養してくれたら、職場の女性の機嫌が良くなってボクは得。勝手に色々調べてくれたら、あれこれ指示出さずに情報が手元に転がってきてやっぱりボクの勝ち~。休暇中に勝手に起こした問題はボクの責任外だしね~。何が起きても自己責任だ」

 何でもない事のように言い捨てて、そして青年は続ける。

「“妖精”を特定するのは手間だし。レイカくんはそれなりに使えて真面目だからさ~。わざわざ首輪付ける事もないし。それに、ボクはほら、なぜか嫌われるから、敵が多いし。“妖精”と一緒に別の相手をするのもめんどくさいし」

 青年……第1監査室の室長は、レイカに“妖精”の護送なんて任務を出した覚えはない。青年の頭を飛び越えて、青年が不在な時に出された命令で、その途中にテロが発生した。

「……マリくん。ついたら調べといてね~。わざわざボクの不在中にボクの名前で“妖精”のガードが緩くなる命令を出したのは誰か、さ。そっちを晒しモノにして、後顧の憂いを絶った上で、楽しい楽しい“妖精”狩りだ」

「残業代は出ますか?」

「勿論!もれなく寂しい夜を明るくする話し相手までついてくるよ?」

「…………」

 マリは完全に無視を決め込んで、バックミラー越しの視線すら寄越そうとしない。

 そんなマリを一瞥し、青年は鬱陶しそうに身を起こす。

 青年の顔を覆っていたシルクハットが落ち……手品か幻、もしくは立体映像だったかのように忽然と、消え去る。

 露わになった横顔で、青年は頬杖をついて、窓の外を流れる景色を眺めた。

 “月観”保安部門第1監査室室長。

 元女優の母親から譲り受けた、舞台映えする整った顔立ちに、どこまでも開発者だった父親から譲り受けた、知性の見える瞳。その上に派手でふざけた衣装を着込んだ、青年。

 神崎アサヒは、アンニョイな表情で、ため息を吐いた。

「……ねえマリくん。なんでボク、こんな部下に嫌われてるのかな?」

「自業自得でしょう」

「辛らつだな~、あ~あ、」

 つまらなそうな台詞を楽し気に笑い……ふざけた男は、また、後部座席にごろんと寝ころんだ。

 手品のようにどこからか、その顔に真っ赤なシルクハットをかぶせて。

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