5 // 神崎サヤ:目的と目標と

 暗闇に包まれた空間の戸が開き、明かりが差し込み、その内部を照らし出す――。

 深淵を覗き込んだサヤは、やがてその中から、ハムと卵を手に取った。

 新東京第2階層西区内、居住区画。その一部屋、自宅のダイニングで、冷蔵庫の戸を閉めながらサヤは言った。

「レイヤード?」

『そう。総称、だね。少なくとも、ボクを捕らえたふざけた男はそう呼んでた。ナノマシンネットワークに介入する最上位権限だとか』

 ダイニングのテーブルに座り込み、退屈そうに足をふらつかせながら、銀髪の少年は答えた。

「捕らえた?ふざけた男?」

『他に言いようがないよ。ふざけた男だ。多分、見たらわかる』

「見たらわかる、ふざけた男?……で、貴方は何をやらかしたの?」

『何もしてないよ。レイヤード自体がヤバイんじゃないの?ボクはただ、妙なプログラムを手に入れた結果、翻弄される羽目になった哀れな子羊だよ……』

 妙に芝居がかった調子で答える銀髪の少年を横目に、サヤはまた問いを投げる。

「このレイヤードを、貴方が手に入れた過程は?」

『覚えてない』

「私に能力が移った理由は?」

『知らな~い』

「……捕らえられたって、具体的には?妖精を捕まえる為の魔法の網でもあるの?」

『無辜の他人に憑りついた状態のまま捕まって、一切の接触を断たれた。その上で、機材にデータを抜かれ、サーバーの中に放置されてた。1年位だね』

「……あのトラックの機材、完全にスタンドアローンな機械の檻、か。能力を解除すれば戻れるんじゃない?」

『らしいね。まあそもそも、ボクの場合は最初からその選択肢がなかった訳だけど』

「……?とにかく、万能ではない訳ね。この能力のリスクは?」

『質問が多いね。リスクはそれこそ、ボクみたいに迷子になる可能性がある、くらいじゃないかな?』

「迷子?」

『体がもう存在しない。ボクは、意識だけの存在として、数年暮らしてきた。身体を入れ替え続けて。記憶も混濁するし、意識も混乱する。今のこの容姿だって、多分ボクの顔だろうけど、確信がある訳でもない』

 銀髪の少年は、そう言って肩を竦めた。サヤはその顔を眺めた。

 見た目で言えば、中学生かその少し下くらいの年齢に見える。身体を亡くした年齢がその位なのか……そんな事を考えた末、サヤは尋ねた。

「貴方、名前は?“妖精”が本名じゃないでしょう?」

『……ユウだよ。夕方。黄昏時。誰が誰かわからなくなる名前』

「“妖精”よりはマシな名前ね。可愛いじゃない」

 そんな風に答えながら、サヤは料理を始めた。その背中を眺めながら、銀髪の少年――ユウは言う。

『料理?暢気だね。わかってるの?お姉ちゃんはもうボクと同じだ。レイヤードを持ってるってだけで、“月観”に拘束される可能性がある。ボクとしても、仮宿が拘束されると困る。せっかく古臭いサーバーの中より良い匂いがしそうなのに』

「私が、レイヤードを持っていると特定されていたら、どちらにしろ打つ手はない。監視社会だから」

『なら、このまま何もせず平和に暮らすの?“アマテラス”に怯えて?』

「……“アマテラス”は完璧じゃない」

『ん?』

「ナノマシンを介して、この都市内の全情報が集められている事は確か。だけど、集める情報量が多すぎる。効率的にソートする手法が確立できなかった。事件が起こった後にフォーカスすれば完全な情報は得られるけど、未然に事態を防ぐ機能はない。そんな機能があったらテロなんて起こらないでしょ」

 最も、これは司法システムとして“アマテラス”に穴があるという話ではない。

 テロリストが今日行っていた不完全性は、司法システムの方だろう。

 現在の司法システムは、単純だ。

 罪を犯し、拘束され、裁判の代わりに“アマテラス”に刑期を問う。すると、絶対に正しい判決と刑期が返ってくる。

 完全に独立して都市内の全情報――ナノマシンインプラントを含めて――を握っている“アマテラス”であれば、事件の前後関係まで全て正確に把握できて、その上でプログラムが判決を下すからこそ、そこに陪審員の心象、みたいな不完全で不正確な要素が加わる事はない。

 人間と違って絶対に間違えない法の番人。それが、“アマテラス”の完全性。

 だが、その判決の過程に手を加える事が出来れば?好きなだけ気に食わない奴を牢屋にぶち込める。

 アマテラス内部に集積された情報、この都市内全ての真実を改ざんできる可能性がある……それが、テロリストの主張だ。“月観”の上層部がそれを故意に行っている、と。

 ユウは、訝し気に言った。

『さっきも思ったけど、お姉ちゃん、やけに詳しいね。ハッキングと言い、さ』

「父さんの受け売りよ。“月観”の研究員で、“アマテラス”のアップデートに関わってた」

『お父さんからハッキングを教わったの?なら、そのお父さんに尋ねてみたら良いんじゃない?レイヤードがお姉ちゃんに移った件、何か知っているかもしれない』

「不可能よ」

『……?ああ。上司に娘を売る可能性がある?』

「もう死んでるの」

 料理を続けながら、サヤは言葉を継いだ。

「母さんもね。兄さんは……どっかでちゃらんぽらんに生きてるんじゃない?数年顔も見てない。少なくとも葬式の招待状は受け取ってないわ」

『……やけに料理が手慣れている訳だね。事故か何か?』

「と、言う事になっている」

『含みのある言い方だね……』

「……殺されたって、兄さんは言ってた。“アマテラス”は事故だと断定してたっていうのに。4年前よ。“アマテラス”のアップデートに関与していた科学者は、ほとんど全員、事故で亡くなってる。そこまでは調べられた。でも、あの頃は結局、“アマテラス”の裏側までは見られなかった。けど……」

 レイヤード。“アマテラス”へのアクセス権。偽造の可能性……。

「……今なら、暴けるかもしれない」

『なるほど。火遊びを続ける気は満々な訳』

 サヤは火を止めた。それから、ユウへと振り返る。

「貴方の言っていたリスク。軽減できるわ」

『ボクに手を貸せって話?』

「ええ。私が行動している時、私の身体を任せたい。それはそれで別のリスクが発生しそうだけど……気絶して動けない身体が残ってるよりはマシ」

 そんな事を言いながら、サヤは今適当に作ったチャーハンを器に盛った。

 凝った料理をする気分ではなかったのだ。

 チャーハンを手に、サヤはダイニングのテーブルへ付く。

 と、そこでサヤは気づいた。ユウの視線がまっすぐと、チャーハンに向けられている事に。

『ねえ。うん、手を貸してあげても良いよ。けど勿論、ただとは言わないよね?』

「墓の場所を教えてくれたら幾らでも備えてあげるわ、幽霊」

『それよりもっと冴えたやり方があると思う。……わかるでしょ、お姉ちゃん?』


 *


「まずい!……次からもっと凝ったモノ作ってよね!」

 “サヤ”がそう言いながらチャーハンにがっついている。

 その様子を、サヤは傍らで見ていた。自分が文句を言いながらチャーハンにがっつく様子を。

 霊体、亡霊、生霊。どうとでも言えるが、ユウと体を共有している関係上、どちらかが体に入っている内は、もう一人はこうして俯瞰するような状態になるらしい。

 入れ替わりの主導権はサヤが握っている。今でも、戻ろうと思えば戻れるが……。

(……サーバーの中に一年。いえ、それ以前も体を入れ替えて他人として生きてきた。たまに口調が大人びるけど、情緒面は子供のまま、なのかしら……)

 ……幽霊の些細な楽しみを奪う気にはならなかった。

 と、そこで“サヤ”――の身体に憑りついたユウが、チャーハンを食べ終えたのか、声を上げた。

「そうだ、食後のデザートは?ボク、ケーキが食べたい!」

 チャーハンで散らかり切ったテーブルを前に、ユウはそんな事を言う。

 霊体のサヤは、軽く頭を押さえ、ため息を吐いた。

(……食事のマナーを教える必要があるわね。まったく)

『デザートなんてないわ。甘いもの苦手なの』

「ええ?女の子なのに?そうやって好き嫌いするから発育不良なんじゃない?こんな風に……」

 とか言いながら、“サヤ”は自分の胸へと手を伸ばし、鷲掴みにでもしようとし、けれど、触れる寸前でその手が止まった。

 そして、“サヤ”はハンカチで口元を拭きつつ、真横――名残惜しそうに空中で手をワキワキ動かしている銀髪の少年を、睨みつける。

「……そういう品のない真似しないでくれる?」

『ふうん。恥ずかしいは恥ずかしいんだ。でもさ、それも込みで提案してきたのはお姉ちゃんの方でしょ?織り込み済みのリスクじゃないの?』

 行動は子供っぽい。口調も、子供っぽい。だがその裏側でどうも、なかなかずる賢い知能はあるらしい。

「……はあ、」

 癖になりそうなため息を、サヤは吐いた。

 気絶したままの身体が残っているよりはマシ……なのだろうか。

 悩みを深めながら、とりあえずサヤは、ユウの散らかしたテーブルを片付け始めた。


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