4 // ”妖精”の悪戯:テロの終息

「クソ!」

 主犯格の男は、思い切り手元のコンソールを殴りつけた。

 彼のパーソナルコンソールには、戦術支援システムで配下のテロリストの位置情報――及びその被害状況が表示されている。

 誰一人として、生命信号が途絶した者はいない。だが、同時に、この中央管理室以外のテロリスト全員が、気絶した状態になっている。

 いや、一人だけまだ活動中の味方がいた。その一人が、この中央制御室へと向かってフロアを移動している――。

「……“妖精”め。ふざけるなッ!」

 そう、怒声を上げると同時に、主犯格の男は拳銃を中央制御室の入り口に向けた。

 視界に重なって表示された近隣フロアのマップデータ、戦術支援システムによって、あと数秒でその扉の向こうから、外にいた最後のテロリストが入ってくる事はわかっている。

 “妖精”の憑りついた、味方が。

 中央制御室の扉が開く――その瞬間、主犯格の男は躊躇いなく引き金を引いた。

 弾丸が、今まさにこの部屋に踏み込もうとしていたテロリストの心臓を貫いた。

 確かに、そのテロリストは、主犯格の男の部下ではある。だが、スラムで適当に拾っただけの、幾らでも替えの効く駒に過ぎない。

 “妖精”はプログラムツールと聞いている。心臓を貫いて殺そうが、脳、およびそこのナノマシンさえ回収できれば、“妖精”は手に入るはずだ。

「……部下にも容赦なし。ホント、大層な正義」

 嘲るような声が背後から聞こえて、主犯格の男は振り向いた。

 今の言葉を話したのは、この商業区画の管理者だ。生体認証をクリアし、この区画の機能を復旧させるだけの権限を持った壮年の男。

 不意に、眼前が明るくなった。商業区画のシステムが復旧されたのだ。モニターに映し出されたのは、事故などの混乱の跡は残りながらも、また前までの騒がしさを取り戻したフロートウインドウの群れと、開いたシャッターの向こうへと逃げていく市民達。

 そして、ネットワークが回復した事で稼働し出した、治安維持用のドローン。

「……悪魔め!」

 悲鳴にも似た声を上げながら、主犯格の男は管理者へと銃口を向ける。

 だが、その引き金を引く前に、管理者は糸の切れた人形のように、倒れ伏した。

 そして、次に話し出したのは、その管理者に銃を向けていた部下。

「貴方達の情報は閲覧させてもらったわ。旧自衛軍。“月観”が権力を握ると同時に解体された組織の人間、ね」

「……“妖精”の力は本物か。生体認証を、パーソナルデータを……。なら、わかるだろう?月観がそれを作った。同じ権限を月観の上層部も持ってる。アマテラスへのアクセス権限も、改ざんも!」

 その言葉と共に、主犯格は銃を部下へと向けるが、やはり、引き金を引く前に倒れ――話し始めたのは別の部下だ。

「……“アマテラス”への、アクセス権?」

「そうだ。統合監視システムを欺ける。今お前がそうやって生体認証を欺いているようにな」

 もはや銃を上げる事すらせず、ただ振り向いた主犯格の男の前で、また部下が倒れた。

 そして、話し始めたのは――今度こそ最後の一人、自衛軍時代からの直属の部下だ。

「“アマテラス”は完全に独立した監視システムのはずよ」

「表向きはそうだ。だが、実態は違う。一部の権力者が自分の都合の良いように犯罪者を作るシステムだ。……我々は、管理社会を、独裁者を打倒しようとしている。同情したんだろう、我々に。なら、手を組もう。その力があれば、実証すれば……」

「同情はしたわ。けど、だからってテロを起こして良い訳じゃない。虐殺なんて、品のない真似をしようとする奴と手を組む気もない。そう、言ったでしょ?」

 そう言って、部下はすぐ傍で倒れている人質の死体に、顔を顰めて見せる。

「……それに、私の方には手を組むメリットすらない。貴方達はもう終わってる。じきに治安維持のドローンが来る。大嫌いな“アマテラス”に裁かれなさい、軍人崩れ」

 部下の、“妖精”の言葉に主犯格の男は歯を食いしばり……吠えた。

「まだ、……お前の力を奪えば!」

 言葉と共に、銃口が上がる。だが、やはりその引き金が引かれる事はなく、部下はその場で崩れ落ちた。

 そして、その場で唯一立ち続けている主犯格の男は、銃を捨て、笑った。

「……奪うのは、私の方よ」


 *


 レイカは、その一幕を呆気にとられたように、ただ眺めていた。

 何が起こっているのか、理解ができない。現象だけなら、そう、幽霊が憑りついて気絶させて回った、そんな具合だろう。だが、そこに説明を付ける事が出来なかった。

 超常現象を目の当たりにした、以外に説明のしようがなく、……やがてレイカは、かろうじて声を投げる。

「……お前、が、“妖精”なのか?」

 その問いに、先程までと雰囲気が違う――それこそ人が変わったような様子でパーソナルウインドウを操作していた主犯格の男は、ちらりと視線をレイカに向け、顔を顰めた。

「貴方は……。そうね。“妖精”よ。悪戯好きの」

 そんな呟きを漏らすと共に、主犯格の男はレイカへと歩み寄り、手錠を眺めた。

「……安いセキュリティね、」

 主犯格の男が呟いた直後、レイカの手首から枷が外れた。

 自由になった両手を眺めた末に、レイカは問いを投げる。

「味方、なのか?」

「さあ。今は利害が一致したってだけ。……ねえ、さっきの話、本当?」

「さっきの話?」

「“アマテラス”へのアクセス権。一部の権力者が独占してるって言うのは?」

「私は……知らない。噂程度なら、そんな話も聞き覚えはあるが……根も葉もない噂だ。“アマテラス”は絶対だ。でなければ、私は……」

 僅かに戸惑うように呟いたレイカを前に、主犯格の男は、他の人質達も解放していき……やがて、視線をレイカへと向けた。

「そう。物のついでね。貴方の握っている情報も見せてもらう」

「情報も何も……」

 呟きかけたレイカ――その視界が、ノイズに包まれるように、暗闇へと落ちて行った。


 *


 西洋の血の混じった少女。来島エリは、商業区画の外――避難していく市民と、逆に踏み込んでいく“月観”の保安要員やドローンとの間の騒ぎを目の前にしながら、ただ立ち尽くしていた。

 パーソナルコンソールには発信の履歴と、既読のつかないチャット画面がある。

 何でもない日常の延長線上で、休日にただのショッピング……のはずが、いつの間にやらテロに巻き込まれ、サヤともはぐれ……どうやらテロが終息したらしい今も、サヤとは連絡がつかない。

 エリは出ていく人々の顔を眺め続け……そんな折、着信があった。サヤからか、と期待したエリだったが、そこに表示された名前を前に、すぐに肩を落とした。

「はい、……部長。え?ええ……なんか、テロみたいな。はい。銃とか、向けられたけど……なんか、私は、大丈夫でした。勝手に倒れて。でも、……サヤがまだ………あ。すいません部長。また後で」

 そう、話している最中に……エリはその顔を見つけて、すぐに駆け出した。

「サヤ!……どこ行ってたの?大丈夫?怪我とかは?」

 商業区画から避難していく人々の群れの中、神崎サヤは立ち止まり、エリを見ると……僅かに顔を顰めた。

「……キミは、誰?」

「誰って……こんな時に、冗談?」

「このお姉ちゃんの知り合いかな。まあ、これよりは得か。顔が割れている可能性もあるし……」

「得?顔が、割れてる?」

 エリは眉を顰め……そんなエリを見据えたままに、サヤは言い放った。

「……キミの身体を寄越せ」

 直後、エリは思い切り首を傾げた。

「え?身体?……身体って……?ええ?」

 首を傾げながら、エリはサヤの胸を見て、それからすぐに自分の胸を見る。

 そんなエリを脇に、サヤはぶつぶつと呟いていた。

「……奪えない?やっぱり、ボクの権限は、完全に……」

 ……と、直後、不意に、サヤは頭痛でも起こしたかのように、顔を顰めた。

 訳が分からないと、半ば呆然と眺めるエリの前で、サヤは何食わぬ顔でまた、思案顔に戻り、さっきとは別に、ぶつぶつと呟き出す。

「保安部門第1監査室……管理者権限どころか、碌な情報は握ってなかったけど、確かに、“月観”に裏はあるのね。……ん?」

 そこで改めて、目の前にエリがいると気づいたかのように、サヤは安堵したような吐息と共に言った。

「エリ!無事だったの?良かった……」

「…………」

「どうしたの、エリ?」

「……どうしたは、こっちのセリフって言うか……演技?えっと、サヤ。あの……大丈夫。サヤも、まだ大きくなるよ!」

 無暗に励ますように、エリは言っていた。サヤの胸を見ながら。

「……何が?」

 首を傾げたサヤ――その耳に、笑い声が届く。

 銀髪の少年――サヤが自分の身体に戻った事ではじき出されたらしい“妖精”がサヤを笑っていた。

『馬鹿にされてるよ、お姉ちゃん?貧乳ってさ。プ……』

 それを横に、エリは心配そうな眼差しで、問いかけてくる。

「サヤ……そんなに悩んでたの?貧乳。確かに、テロよりは身近な悩みだけど……危機感はあった方が良いと思うよ!」

「危機感って。こっちのセリフなんだけど……」

 そう、サヤは溜め息を吐いた。

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