2 // 神崎サヤ:レイヤード

『我々はこの独裁に反旗を翻す者である。虚構に目が眩んだ諸君らに啓蒙を施す者である。この国は歪んでいる。“アマテラス”などと太陽を唄う独裁機構において、真の正義などこの国には存在しない。我々こそが真の正義に他ならない』

 薄暗い中、その一種類の演説だけが響くフロートディスプレイには、人物も何も映ってはいなかった。録音なのだろう。特定できないように変更された音声で、顔を隠したままに……。

「……大層なテロリズムね」

 サヤはそう呟いて、フロートディスプレイを、そして目の前で閉ざされたシャッターを睨んだ。

『端的に言おう。諸君らには人質になってもらう。“アマテラス”の破棄がなされるその時まで』

 商業区画は、物理的にも遮断されていたのだ。ネットワーク、電力、そしてシャッターによる物理封鎖。商業区画全域を、テロリストは完全に封鎖したらしい。

『ねえ、どうするの?狙いはキミだよ。いや、ボクかな』

 嘲るような声に、サヤは苛立った視線を傍らに向けた。

 そこには、少年が立っていた。白い少年だ。中学生か小学生、その位の容姿でありながら、どこか大人びた表情を作る、白い服を着た銀髪の少年。いや、少年ではなく、亡霊か、妖精か、悪魔か。

 サヤは、返事をせずに、ただ舌打ちした。

 先程の親切心だ。それがミスで、サヤの置かれている状況が変わってしまった……。


 *


 30分前。

「………ッ、」

 頭痛に、サヤは頭を振る。目の前にはトラック、倒れた女性。

 サヤは混乱していた。身体を寄越せ、とそう言われた記憶はある。だが、自身にも周囲にも変化は見られない。いや……変化はあったし、混乱はサヤ一人のモノではなかったらしい。

『……そんな……なんで、奪えないんだ。これは……ボクが、逆に………』

 すぐ傍から声がする。サヤの傍らにいたのは、銀髪の少年だ。

 今の今まで、そこにはなんの人影もなかったはずだ。だというのに、今この瞬間、突然、見知らぬ少年が横で、サヤを睨みつけていた。

『何をしたの?なんで奪えないの?』

「奪うも何も、私には何も……。何を言ってるの」

 サヤの問いかけに、銀髪の少年は舌打ちだけを返した。

(奪う。突然現れたこの子……因果関係が?幽霊?憑りつくとか……オカルトね。ナノマシン……何かの、ツール?AI?)

 と、悠長に考える余裕はなかった。

 通りの向こうで悲鳴が上がっている。見ると、ライフルを持った男達が通りの一角に現れていた。何かを探すような動作をしている……テロリスト、だろうか。どちらにせよ銃を持っておいてまともな集団を名乗れるとは思えない。

『ねえ、話は後にしようよ。ここを離れた方が良い』

 銀髪の少年は、そう言った。

「なんで?」

『奴らの狙いは、ボクだ。キミも巻き込まれた。親切心が仇になったね、お姉ちゃん?』

 銀髪の少年は、はそう笑っていた。

 どの程度信用するべきかわからないが……テロリストらしき人影は、こちらへとじわじわ近づいてきて……その内の一人と目があった。

 サヤに、選択肢はなかった。

「……ッ、」


 *


 その場を離れ、出口を探して歩くが全てのシャッターは閉ざされている。裏口まで全て、だ。フロートディスプレイにはテロリストの演説。街角には武装したテロリストが何人か。

『絶体絶命って奴だね』

 銀髪の少年は、尚もそう笑っていた。

(この子のせいなのに……。どうしたら良いの?)

 逃げる他にない事は事実だ。だが逃げる方法がない。ネットワークも、物理的にも、ここは封鎖されている。暫く待てば外で動きがあるだろうが、区画の全員が人質になっている以上……。

『ねえ。このシャッターをこじ開けて逃げ出すって言うのはどう?』

「……生身でこんなもの開けられるはずないでしょ。ハッキングしようにも、区画の防災設備は管理者の生体ID準拠だし、統合管理されてる。権限を持っている奴じゃなきゃ動かせない」

『やけに詳しいね。火遊びでもしてたの?』

 少年の声に何も答えず、サヤは思考を続けた。

 だが、その思考時間もまた、無限にある訳ではない。

「そこで何してる!」

 薄暗い通りに、鋭い声が響いた。男の声だ。

 見ると、この路地裏へと、銃を手にした男が踏み込んできていた。

『……見つかったみたいだね?』

「チッ……」

「お前。そこのガキ!さっき、月観のトラックにいた奴だな」

 男はそう、……下品な笑顔を浮かべた。その表情には嗜虐心が浮かんでいる。男の視線は、サヤにしか向けられていない。銀髪の少年は、サヤにしか見えないのだろうか。

 と、そんな事を考えた次の瞬間、男はなんの警告もなしにいきなりトリガーを引いた。銃声、足元に弾痕が現れ、サヤは、一歩後ずさる。

 それを前に、男はまた笑った。

「へへ……良い気分だ。お前、“月観”の関係者だな?そうだろ?なら、お前も同罪だ。裁いて良いってことになってるからな……」

「……正義とか言っといて、やってることは小悪党じゃない」

 思わず、サヤは毒づいた。

 大層な正義を唄おうと、テロに正義はなく、テロリストの末端はそこらのチンピラ以下のモラル。

「大層な口聞くなァ、ガキ。安心しな、殺しゃしねえよ。あとでしねえとだからな……」

 そう言いながら、男はサヤへと銃口と、いやらしい視線を向けた。

「命乞いなら聞いてやるよ!助けてください、とか?いや、それともストリップとか始めてもらおうか?」

 完全に自分が優位にあると、好き放題言い始める男を、サヤはただ睨んでいた。

(……下らない。正義が聞いて呆れる、張りぼてですらないじゃない。性欲ぶちまけたいだけ?……とか言っても、結局、抵抗する手段はない……)

 どこか諦観めいた考えを持ちながら、サヤは大人しく手を上げた。

 幾ら馬鹿であろうと、テロリストの手には銃がある。どの道、碌な目には合わないだろう。

(親切心が仇になった、か。……私も、殺される?こんな、馬鹿に?弄ばれて……)

 内心が視線に出たのだろう。自身で知らず睨んでいたサヤを、男は尚楽し気に眺めていた。

「なんだ、女?……良い目だな、おい……」

「チッ、」

 もはや隠す気にもならず、サヤは思い切り舌打ちをする。

 と、そこで、銀髪の少年の呟きが、サヤの耳に届いた。

『……やっぱり、無理だな。うん。ボクには無理だ。完全に権限がキミに移っているらしいね』

 状況の割にどこか暢気に――あるいは亡霊だから当然なのか――銀髪の少年はそう呟いている。

「どういう意味?」

『……ボクの力をキミが使える可能性があるって事だ』

「……力?」

 力……と聞かされた所で、思い浮かぶのは……先程の、頭痛の直前の……。

『思わない?あの馬鹿の身体でも、奪い取れれば幾らでも使いようがあるって。社会がなんだ言う気はないけど、少なくともあのおもちゃの正しい使い方は出来そうだ』

「……奪う、ね……」

「おい、ガキ!誰と話してる!ぶつぶつ祈ってもよ……助けに来てくれるヒーローなんざいねえよ!」

 銃を手に、男はそう挑発を投げてきた。

 そんなテロリストを、サヤは睨んだ。

(選択肢は、ないか。力なんて、本当にあるなら……)

「……そうね。ヒーローなんて来ない」

「あ?なんだ?……素直にストリップ始めるのか?」

 下品な視線で、下品な言葉を吐き続けるテロリストを前に、サヤは――どこか妖艶に、笑った。

「ヒーローに夢を見たはな事はないわ。助けて貰いたいと、思った事もない。誰も私を助けてくれないの。実の兄も、私を見捨てるし」

「はあ?」

 何かの役に入り込んだかのように、身振りを交えながら、サヤは話し続ける。

「……だから、自分で助かる事にしたわ。今、この瞬間も。弄ばれるのも、奪われるのも嫌だもの。まして、貴方みたいな馬鹿に」

 そうサヤが言った瞬間、男は頭に血が上った様子で、銃口を、足ではなくサヤの顔へと向け――。

 ――その銃口を、男を、眼前の死を冷静に睨んだままに、サヤは言った。

「……貴方の身体を頂戴?」

 直後、銃声の代わりに、サヤの脳裏をノイズが走り、視界が、波状な違和感に埋め尽くされた。


 *


 違和感。僅かに、視点が高い。体臭が鼻に付く。手には銃がある。

 そんな変化を確認した末に、サヤは視線を上げた。

 目の前に、“サヤ”自身が立っていた。

 黒髪にショートカット。元女優の母親から譲り受けた美貌。成長期が早く終わり、平均より低いままの背丈。

 そんな“サヤ”が、サヤを見て笑う。

「……問題なく奪い取れたみたいだね。やっぱり、キミに権限が移っている」

 その声は確かに“サヤ”のモノだ。だが、口調は……。

「さっきの、幽霊?」

 そうサヤは、呟いた。けれど発している声は、男のソレ。

 体を奪い取った、らしい。いや、憑りついた、か。

 サヤの意識が男に移り、余ったサヤの身体にさっきの銀髪の少年が憑りついた。

(オカルト、だけど……おかげで助かった?)

 と、そこで“サヤ”――銀髪の少年は笑う。

「幽霊。幽霊か……確かに。これでも、“妖精”とか呼ばれてたんだけどな」

「……説明して。これは、何?」

「相手の身体を奪えるんだよ。ナノマシンインプラントを介して、ね。ただそれだけ」

「それだけ……それで済む話?」

「うん。後で説明しても良いけど、それよりも状況に対処してみたらどう?お姉ちゃんの身体はボクが責任をもって預かっておいてあげるから」

 そんな事を言いながら、“サヤ”――銀髪の少年は、こちらに背を向ける。

(体を奪う。確かに、奪えてる。ナノマシン……意識だけ対象に移動するの?戻る方法は?)

 そう、サヤが思考した直後――視界を、ノイズが走った。

 ――ノイズが収まった後、すぐ脇から毒づくような呟きが聞こえてきた。

『あ……やっぱり、権限が完全に。……ボクの身体……』

 銀髪の少年、幽霊がサヤの脇にいて、忌々しそうに睨んできている。

 背後から、どさりと言う音が聞こえた。振り返ると、さっきの男が倒れている。気を失っているらしい。

(……戻る時は、任意のタイミングで戻れる。憑りついた直後の対象は、気を失う。……体を奪えるという事は、生体IDごと奪えるって事ね。この封鎖を解く方法があるかもしれない。いや、他にも……)

 どうあれ、うまく使えば確かに銀髪の少年が言うように、この状況に対処できるだけの力ではあるのだろう。

 区画封鎖も、解除できるかもしれない。人質として囚われている中にはエリもいる。サヤ自身も、末端には知られていなくとも、変な子供が憑りついた以上、テロのターゲットになった可能性がある。

「……使えるわね、」

 そう呟いて、サヤは笑った。

 フロートウインドウでは、未だに、テロリストの演説が続いている……。

『気に入った?お姉ちゃんは、他人にでもなりたかったの?』

「まさか。どう背伸びしても、私は私。他人の振りは出来るけど、他人にはなれない。どう演技してもね。ヒーローになろうとか、正義の味方になろうとか、正直全然興味ない」

 そう嘯きながら、サヤは気を失っているテロリストへと歩み寄り……躊躇なく、その男の顔を踏みつけた。

 男は、身じろぎ一つしない。気絶しているらしい。

 そう、足で確かめた末、サヤは笑みと共に言った。

「……でも、こういうのは気分良いじゃない?ねえ?」

 テロリストを踏みながら笑うサヤに、銀髪の少年もまた、面白い余興を見つけたとばかりに、声を上げて笑い出した。

『ハハハハ!確かに。悪役の方が似合いそうだよ、お姉ちゃん?』

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