1 // 神崎サヤ/麻比奈レイカ:ターニングポイント

『――人間とは、不完全な存在だ』

 新東京第三階層西区内、商業区画ショッピングモール。買い物客で賑わう通りのあちこちに、視覚投影されて表示されたフロートウインドウが飛び回っている。

 商品の宣伝から、投稿サイトのヒットチャート、企業の広告……。

 半数以上のウインドウに表示されているのは“月観”の公式放送だ。

『探求し自我を持ち我欲を持ち故に道を間違える。戦争も、法も、全ては人の愚かしさが生む失策だ。人が人を裁くなど思い上がりも甚だしい。だから、神が必要だ。人ではない絶対的な法の番人が。……その理念が、今、この国に愚かしさのない平等な法の権化を生んだ』

 “月観”の公式放送に映っているのは、壮年の男だ。眼光鋭く、権力を保持する者特有の威圧感を持ち合わせる男。“月観”の現CEO、道雁寺輝久。

 “月観”という一つの企業のトップであると同時に、実質的にこの国で最高の権力を持つ男。

 2094年。7月。

 日本は世界大戦を経た末に、形式の違う国となっていた。

 耐震構造付のシェルター、階層構造の超巨大な建造物の内部に、都市がある。

 そして、ナノマシンインプラント。かつての携帯端末と同様、いやそれ以上の機能を持つそれを全市民が――注射一本で済むという利便性もあって――その身に宿し、そして、この日本に、今現在、“刑事裁判”という概念はない。

 犯罪を起こし、摘発されれば、その罪の重さをあるプログラムが判断し、刑期を言い渡す。

『――“アマテラス”の稼働から今日で丁度10年。この管理システムが作り上げた平和こそ、人の手によるものでない正しい法の形態に他ならない』

 明るい監視社会ファニー・ディストピア

 この国はそう、呼ばれている。

 統合監視システムが人を裁く。ナノマシンインプラントの結果、誰一人その監視の目を逃れる事は出来ない。だというのに、表面的には誰一人、いや、大部分の人々が、その状況を普通に受け入れた上で、平和に暮らしている。

 明るい監視社会ファニーディストピア。称賛ではなく、皮肉だ。

 そのディストピアの王は、飛び交うウインドウの最中で演説を続けていた。

『私は声高に宣言できる。この国は史上最も平和で、気高い、まさに理想郷だと』

「でさ~。こないだ部長が言い出したんだけど、人数的に真っ当に劇するのは無理だし、ショートフィルム撮って……。ねえ、サヤ?聞いてる?」

 隣を歩く少女にそう呼び掛けられて、神崎小夜――母親譲りの美貌の片鱗を覗かせる、高校2年生になった彼女は、フロートディスプレイの演説から視線を切り、少女に視線を向けた。

「ん?ごめん、なに?」

 灰色の目が、不満げにサヤを睨んでいた。金色の長髪に透き通った目鼻立ちの、西洋の血の混じった少女。そんな来島エリは僅かに唇を尖らせて、

「あのおじさんの話、そんなに面白い?」

「……まあね。ディストピアの王様が平等を唄ってるんだから。いっそ喜劇じゃない?」

「あ、そう」

 つまらなそうに呟いて、エリはサヤに背を向け、歩き出した。

 その後を追いかけながら、サヤは声を投げる。

「待ってよ。ショートフィルム撮るって話だった?」

「……聞いてはいるんだ。そう。でさ、多分気ノリしないだろうとは言っといたけど、ほらサヤ、前演劇してたし、主役やらないかって部長が言ってて……」

「演劇はもう、……ほら、思ったほど背伸びなかったし。エリの方が舞台映えするよ。プロポーション的にも。ちょっと分けて欲しいくらい」

「やめてよ、もう」

 豊満なバストを隠したエリの後を、からかうように笑いながら、サヤは歩んでいく。

 その真横を、“月観”のエンブレムである三日月と目の模様の入ったトラックが通り過ぎて行った――。


 *


 “月観”のエンブレムの入ったトラック、その荷台の内部。

 本来なら貨物なり商材なりが詰め込まれているはずのその場所に今、詰め込まれているのは、電子機器の山、だ。

 モニターこそ点いていないが、機材自体は全てが稼働状態に入っている。コンソール、サーバー、冷却ファン―――ナノマシンが発達し、全てがオンライン上で管理される今この時では都市制御以外では見るのも珍しいような、完全にオフラインスタンドアローンにできる機材。

 その荷台の片隅で、スーツを着込んだショートカットの女性が、腕を組んで機材を眺めていた。

「……なんなんだ、一体……」

 麻比奈レイカ。彼女の役職は、“月観”保安部門第1監査室職員。

 保安部門。荒事用の私設兵隊。“月観”が権力を握っているその証明のような部門であり、第1監査室は一応、公的には存在しない事になっている部署だ。

 そこに所属するレイカに、今日与えられた任務は、護送。

 運ぶ荷物は、稼働状態にある機械群。それらを、スタンドアローンを維持したまま護送しろ。しかも、護送先は刑務所。

 説明がないのはいつもの事とはいえ、余りに不可解な任務である。

 荷台の中には、保安用の多脚ドローンもある。要人の護送なら頷ける話だが……ただの機械を運ぶには幾分以上に物々しく、その装備もあって、レイカは若干苛ついていた。

 舌打ちでもしそうな勢いで、レイカは顔を顰める……その瞬間だ。

 急に制御を失ったかのようにトラックが大きく揺れる。機材が、休止中だったドローンが、あるいはレイカ自身も派手に揺さぶられる。

「ぐ……なんだ!」

 たまらず、運転席へと罵声を投げたレイカは、そこで気付いた。

 今の衝撃で、だろうか。機材群の一つ。さっきまで点灯していなかったモニターが点灯している。

 薄暗い中唯一の明かりとなったモニタ――レイカが目を向けたそのシステム画面に、文字が浮かび上がっていた。

『//layered_reality』

『//layered_your_mind...』


 *


 神崎サヤは、それを外から眺めていた。

 買い出しを分担、と、エリと別れた後の事だ。

 唐突に、商業区画全体の明かりが落ちたのだ。非常灯は点灯しているが、それでも突然全てが暗闇に落ち、空を表示していた天蓋すらも暗闇に落ちる。

 そこらのフロートウインドウも、一斉にその姿を消している。

(なに?区画丸ごと、停電?……とにかく、エリに)

 連絡を取ろうと、サヤはパーソナルウインドウ……ナノマシンを介して表示される、個々人専用のフロートウインドウを開き、エリへと通話しようとした。

 だが、

(オフライン?どうして……)

 ただの停電なら、ネットワークが分断されることはないはずだ。区画ごとの電力とネットワークは別の制御系になっている。停電と同時にネットワークが遮断された、その両方を誰かが意図してやった、としか思えない。

(……まさか、テロ?)

 そんな事をサヤが思った所で、事態は拡散していく。

 先程まで淀みなく走っていた車が、悉く制御を失ったかのように、明後日の方向へと走って行き、通りの店に激突し、あるいは追突し……。

 車の制御もネットワークに依存している。遮断すればそれだけで都市機能はマヒする。

 通りの向こう。もはや車の通りもない車道の向こうで、制御を失ったらしいトラックが一つ、店に突っ込んだまま停車していて……半開きのその荷台から、よろよろと、誰かが身を乗り出している。

「…………、」

 それは、些細な親切心だ。

 サヤは、その誰か……暗がりで分かり辛いが、スーツを着ているらしい彼女へと、歩み寄っていった。

「……大丈夫ですか?テロ、かどうかはわかりませんが、すぐに多分、救護が……」

 そんな声を掛けながら、サヤは女性へと近づいて……トラックの荷台の内部を目にした。

 警護用のドローン。そして、機材の数々。

(月観のエンブレム……ドローン?警護用の、……機材?それとも、この人?)

 無意識に思考を始めたサヤの前で、スーツの女性が、何やらうめいていた。

「……クソ。一年ぶりじゃうまく……」

 スーツの女性は、苛立たし気に呟いた末に、サヤに気づいたらしい。

 その目が、打算めいて細められる。

「女の子……この際、贅沢は言ってられないかな……」

 警戒したのか、怯えたのか。一歩女性から後ずさったサヤを見ながら、女性は、笑い、そして、悪魔のような表情で言った。

「……キミの身体を寄越せ」

 直後、サヤの脳に、視界に、頭痛のようなノイズが走った。

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