第十六話 舞踏会(参)
ヒソヒソ
かすかに聞こえる客人の話し声。あまり良い気はしないな…
「困りますよ瀬兎ちゃん。あまり大きな声で話されては…」
「あ、ごめんなさい」
彼女は小さくなって、僕に謝ったけど、もう戻れないな…どうしよう。仮にもこの体は
「渼月って誰?」
「杏様に婚約者っていたの?」
客人達の話し声がだんだんと大きくなってきた。幸い、侍女の名前を覚えている人なんているわけがなかった。
だから僕は平然を装い。知らないふりをした。
「すみません。何を話しているのでしょうか?僕は凉香ですよ?彼女とは、知り合いの話をしていただけです」
柔らかい口調で、でも堂々と。凉香様本人になるべく似るように。
「だ、だよな…」
「そもそも杏様に婚約者なんて…」
客人達は、僕の嘘をすんなりと信じたようだ。凉香様の人柄が良いからかな?多少の事なら、嘘だと思わせられる。
「婚約者の話は本当ですが…」
僕は一言、重りを上から乗せるかのように呟いた。
「え…?」
客人達は驚いて、僕の顔を眺める。そんな彼らを横目に、僕は中央へ行き、大声でこう言った。
「塁様!私と踊っていただけますか?」
僕はあくまで凉香様。この場から退場するまで、彼の真似事をしなくてはいけない。今までお二人が婚約者である事を隠してきたからか、後ろの方で、嘘だなんだと言われている。
「塁様!婚約者の話は違いますよね?こんな奴ほっといて、私と踊りましょう!」
僕はこの発言に心底驚いたさ。それはもう目が飛び出るんじゃないかと思うほどにね。
僕の隣に出てきた男は、身分としては凉香様とほぼ同じ位の貴族。でも、女の扱いが酷いと、あまり良い噂は耳にしない。
そんな男が、舞踏会というこの場で、求婚をした。仮にも婚約者がいる前で。
「婚約者の話は本当です。」
塁様より先に、杏様が口を開いた。
僕に向けられたその目からは
「あなた何をしているの?自分のやるべき事を忘れたの?」
と、まるで言葉のように伝わってきた。
杏様の発言を経て、より一層ざわざわし始める会場に、こういう場が苦手な瀬兎ちゃんは震え始め、僕を一瞬見て、芹くんのところへ行ってしまった。もちろん、行って良いよと、言ったのだけど…
「お言葉ですが、誰かの求婚を受ける気はありません。私にはもう婚約者の方がおりますので」
塁様は、二階から階段を降りながら、そう証言した。
「何度だって言いましょう。私はその度に凉香様を選ぶと」
塁様は僕の手を取り、自分の方へ引き寄せた。
「さぁこちらへ」
僕は引っ張られるように、奥のカーテンの向こう側へと入っていく。
でも少し気がかりな事があって、芹くんに紙を、その場にいた僕の式神に、指文字で指示を出した。
○
まさか…渼月。いや、凉香様が塁様の婚約者だったとは…いやそもそもどうして渼月は凉香様に化けてるの?塁様に言ってやりたい、そいつ偽物ですよ。と
「おいおい嘘だろ?」
「どうしたの?芹」
「あ、いや…」
私は気になって、芹が見ていた紙を覗き込んだ。さっき渼月が芹に投げたやつだ。でも、妖にしか読めない文字になっていて、私には何が書いてあるのか分からなかった。
「くそっ!何が作戦通りにだ。予定と狂いまくってるじゃないか。それに、なんで瀬兎に手を出した。面倒な事になってやがる…」
あの短文で何を理解したのか分からないが、とにかく何かがまずいらしい。
「塁様!どうか私の方を見てください!そんなつまらなそうな男より、私といる方が楽しいですよ?」
塁様と、渼月が入っていったカーテン越しに、さっきの男が叫んでいた。
「お下がりください。ここは
警備をしていた騎士らしき女の人に止められていた。
それにしても、凉香様をつまらなそうですって?まぁ、綺麗なお顔立ちの方って、静かな印象はあるけど、凉香様はいろいろな表情を初対面の私に見せてくれる方だったわ。結果的に中身は渼月だったけど…
つまらない…そう。自分の方が塁様を楽しませられると思っているのね。本当の凉香様がどんな人なのか分からないけど、無理なんじゃない?
だってカーテンの奥へと消えていく塁様は心なしか顔を赤らめて、嬉しそうだったもの
「芹…私あの中入ってみたい」
「え…?」
「だめ?」
「いやっ、だめでは…無いけど…」
私が突然こんな事を言ったからだろうか。芹は慌てふためいていた。
「番の間だから?」
「…はい。俺はあなたの従者なので」
「…あなたが私の従者ならば、私の希望を叶えるべきではなくって?」
「そうです。でも…これだけは従えません」
芹は私を目の前に、はっきりと断った。私にとっては、ちょっとした求婚だったのかもしれない。ずっと一緒に過ごした彼を好きなのかは分からない。けど、他に私の隣にいる人を思い浮かべる事は出来なかった。
「そう…残念ね。」
「すみません」
私は謝って欲しいわけじゃ無いのよ芹。あの部屋に入りたかったのも、ただの興味だし。別にどうでも良いわ。
「あなた、この方に近づきすぎではありません?」
「え?あの…」
突然、横にいた女性が私に向かって声を上げた。芹はもともと大広間の中央に居たし、たくさんの女性に囲まれていたから、そのうちの一人なのかもしれない。
「私は、芹に話を…」
「あなたみたいな方が、この方のお知り合いですって?」
私は、この手の押しには心底弱い。怖いのだ。ただ大声を出して威嚇する女性が。自信なさげに、壁に寄りかかっている女性の方がまだ良い。私は目の前の女性を前に、怖くて身体が硬直してしまった。
「あ、あの…芹は私の従者です」
「は?あなたが侍女の間違いではなくって?」
「おい、やめろ!」
芹は私の様子を見て、女性を引き離そうとした。でも声をかけただけで、私を引き寄せるとか、そういう事はしない。分かっている。芹は必要以上の事をしないことくらい。
「芹様、私はあなたに付く虫を払っているだけですわ」
女性は、芹に怒鳴られても尚、私を邪魔者扱いした。
「虫?俺にとっちゃ、お前らの方が余計な虫だ」
「何ですって⁉︎」
周りにいた女性全員を罵倒する勢いで、芹は睨みつけた。彼女も一瞬は引いたが、またすぐに元通り。さらには芹の睨みにときめいた者までいた。私は一人、縮こまってしまう。
「おいおい。ちょっと女に振り向かれるからって、良い気になってんじゃねぇよ」
さっき、塁様に求婚をしていた男までもが、私達の間に割り込んで来た。
「…あなたは女性の扱いを学び直したらどうですか?」
芹は苛ついているのか、喧嘩腰。こんなにすぐ相手を怒らす芹は、今まで見た事がない。
「は?ふざけんな。俺は女性には優しいんだ」
「嘘をつかないでくださいまし!」
だんだんとこの場にいる三人が、喧嘩を売り買いし、ヒートアップしてきている。原因の一つである私はこういう時、入らないに限る。
でも、私が芹を止めに入らなかったら、他に誰がこの三人を止めるというのだろう。舞踏会と言う素敵な場所のはずなのに、なんだか喧嘩の場所になってしまった。
私が止めなければ…
そう思っていた矢先、信じられない人の声が大広間に響き渡った。
「お静かになさってください。」
杏様だ。流石はこの国の王女。私よりしっかりしている。
杏様は、少し怒り気味に、自身の目の前にある、二階の手すりを握り込み、こう続けた。
「舞踏会と言う神聖な場で、喧嘩をなさるとは何事ですか!まだ続けるようであれば、今後この天空宮への出入りを禁じますよ?」
杏様は静かに、全てを
「あぁ、それと。ちょうど良いので皆様にお伝え致しましょう。」
杏様は少し不敵な笑みを浮かべ、舞踏会に参加した者達を見下ろした。もちろん私達もそのうちの一人だ。
「
それは本当に突然の事だった。つまり、この国の王は、たった今から塁様になったのだ。
二人は今この場には居ないが、大丈夫だろうか…でも、凉香様や塁様ならこの国を守れるだろうし、どの道私には関係ないか。
「…っ!」
「どうした?瀬兎」
すっかり我に帰った芹が私に尋ねた。
「いえ、何でもないわ」
会場中が騒いでいる中、誰かが動く気配を感じた。動く気配と言うには少し違うかもしれない。だが、どこか怪しげな雰囲気だった。
「芹、渼月の作戦って何?何かあるんでしょう?」
私は芹にこっそりと話しかけた。
「なぜ今それが気になるのです?」
「なんだか、会場の様子がおかしいの」
「やっぱり感じてますか…」
「あなたも?」
「はい。先程から」
どうやらそれは、芹にも分かっていたらしく、私は少し警戒した。流石に都の兵では無いと思うけれど、やはり他国が危ないと言う事に変わりはない。
怪しい気配は、出たり消えたり、まるで人の間を縫っているかのように、あっちへいったりこっちへ行ったり、とにかく歩き回っていた。
ガッシャーンッ!
またもや何かが落ちる音が響き渡る。
全員喧嘩腰で、緊張が走っていたせいか、すぐにその音に気が付いて、音がした方を向く。
人の合間から見えたのは、食器が崩れ、倒れる人の姿。何が起きているのか分からなかった。けど、今重要なのはそこではない。
「待って!触らないで!」
気づいた時には声に出ていた。倒れる人に触れようとする男性を止めるために
「瀬兎?」
芹は何がだめなのか分からない様子。そりゃそうだろう。あれが見えているのは私しかいない。
私が行こうとした時
「待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」
さっきの女性が私の肩を掴んで離さない。
「離して、倒れている人が見えないの?」
「関係ないわ。」
そろそろ我慢ならない。私はとうとう堪忍袋が切れかけて、怒鳴ってしまった。
「あの黒い影が見えていないのなら、私に構わないでちょうだい!私は邪魔なのでしょう?」
私が怒鳴るとは微塵も思っていなかったのか、女性は固まってしまった。私はそれには構わず
「芹、あの人に変幻の術をかけて、妖になりかけてるわ。あと着いてこなくていいから」
「…わかった」
芹にそう言って、倒れている人に駆け寄った。
「ごめんなさい。ちょっとどいてくれる?」
私は人々の間を縫って、倒れてる人に近づいた。女性だ。多分狼ね。
私は彼女の隣にしゃがみ込み、手を添えた
「あの…何かお手伝いできる事は…」
さっき、女性を助けようとした男性が私に聞いてきた。この人、なかなかいい人なんじゃないの?
「この女性と何か関係は?」
「え?いえ、ここで会いました」
「そう…何をして倒れたの?」
私の中では十中八九この食事を口にしたからだと分かっているのだけれど、念の為ね
「彼女とお話をしていたんです。食事をしながら」
ほらやっぱりね。
「でも、食べていた時は何ともなかったんです。その後なんか目の前が暗いと言い出して…」
はぁ…当たり前でしょ。そんなにすぐ効き目が出る毒なんて、そうそうあるわけ無いじゃない。
「処置は私に任せてください。それと…申し訳ありませんが、この方が目覚めた時、あなたが助けたという事にしてくれませんか?」
「なんて言えば…」
「ただ体調が悪くて倒れただけだとお伝え下さい。でなければ説明が付きませんから」
「それは、どういう…」
「私は今から禁忌に触れます。決して口外してはいけません。良いですね?」
「は、はい」
どうやら受け入れてもらえたようだ。若干押し付ける形で約束を交わし、私は左腕の手袋を外す。そう、私は今から禁忌に触れる。決してやってはならない事。でもこれでしか、女性を助ける方法は無い。
ピキピキピキ
私が左手で女性に触れると、不思議な音と共に、黒い線が私の腕に浮かび上がり、女性の身体から、黒い
「ふぅ…」
黒い靄を完全に抜き取り、私はまた手袋をはめた。
「今見た事は秘密ですよ」
「分かっています。えっと…あなたはお医者様ですか?」
どうやら、私が彼女を治療したと思っているらしい。でも実際には、靄を取り払っただけで、治療はしていない。三日は起きないだろう
「いえ、職を持たないただの術師です」
私は男性に笑みを浮かべ、女性を軽く持ち上げ、運ぼうとした。
「あ、俺が持ちます」
「大丈夫です。どこか寝かせられる場所はありませんか?」
「…俺の部屋なら」
「…行きましょう」
「ちょっと待ちなさいよ!あなた今何をしたの?その女性、黒いも…」
「おい!やめろ!」
靄と言いかけた、芹を取り巻いていた女性に対し、近くにいた別の男性に止められていた
「へぇ、何か、知っているようね」
私は、出来るだけ不敵な笑みを浮かべる様に質問した。まさか自分の中にこんな悪女の様なものがあるなんてと、正直驚いたが、なかなかハマってるんじゃない?
「芹、少し席を外すわ。あとはよろしく」
「はい。お気をつけて」
これで少しは、私が芹の主人だって事が分かってくれただろうか
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