第十五話 舞踏会(弐)
僕は人間として生まれてきた。妖は生涯でたった一人を愛すると言われている。人間はそうではないが、可能性としては多いにある。だから、舞踏会に行けば運命の相手というものに、出会えると思っていたが、それはやはり勘違いだった。
寄り付く女性達をあしらって、帰ろうと思っていたのに…変な事に巻き込まれたものだ。
目の前にいる女性は、妖であるはずなのに、この国の事を知らないのか、食事を口にしようとしていた。
声をかけようか…やめようか。悩んだ末に出した結果がこれだった。彼女の珍しい髪色に惹かれたからかもしれない。
声をかけて、正解だった。彼女は自分の危険のことをすっかり忘れ、目の前の食べ物に夢中になっていたのだから。
それに…僕を見ても怖気付かない彼女の態度。僕はすっかり彼女の事が気に入って、ダンスに誘った。
踊れないと言った彼女もまた愛おしい。
舞踏会に来ている男のほとんどが彼女を見て、声をかけようか迷っていた。それがたまらなく嫌いだったのかもしれない。
僕はますます彼女が欲しくなって、多少強引に引っ張ってしまった。
案の定、彼女は体制を崩し、僕の胸へ飛び込んできた。もちろん事故だが、僕にとっては喜ばしい事だった。
そんな場面を見た男達は、ますます僕を見る目が変わっていった。これは怒りとも言って良いのかもしれない。
彼女とダンスをするついでに、男達を
「踊れないんでしたよね?端の方で少しお話ししません?」
「え…」
彼女はなぜ?とでも言うかの様に僕を見たが、やがて何かを決めたかの様に私に向き直った。
「ダンスを教えていただけないかしら」
彼女の目からは、強い意志が感じられ、僕はその目にますます虜になってしまう。
「大丈夫なんですか?ヒール、履き慣れていない様ですが…」
「あっこれは…その…」
彼女はまたばつが悪そうに、下を向いた
「じ、実は他国から来たので、ドレスを着るのも初めてで…」
「あーなるほど。女装大会優勝者の方々…あ、彼の横で楽器を弾いていた方ですか」
「えぇ、そうです」
僕が見つけた彼女の連れは、僕らのことをチラチラと確認していた。よほど彼女が大事なんだな…でもならどうして一緒にいないのだろうか
「ふふっ」
「ど、どうしたんですか?」
「いえ、あの黒い布の中身が、こんな綺麗な女性だったなんて」
「なっ!ほ、褒めても何も出ないわよ!」
僕は少しからかっただけなのに、彼女は顔を少し赤らめながら、それでもなお強気な発言をしている。
「では、ダンスを教えましょうか」
「よろしくお願いするわ」
僕は彼女の手を引き、中央を避け、端の方に行こうとした。おっと、あれを忘れてはいけない。
「悪いね。後から割り込んだのに」
「い、いえ…」
先程から彼女を見ていた男達を、あしらってやった。すると彼らは自分の立場が分かっているのか、貴族の、しかも上位の僕に対して、強くは出ない。
その一方で、遠くから見ているだけの者達は
「お似合いだ」
「あの方の隣に立てる女性はそう多くない」
僕らの事を見てそう言っていた。もちろん彼女には聞こえていなかっただろうが、僕は耳が良い。それくらい聞こえてくるのさ。
端の方で彼女にダンスを教えた。手を置く位置から、ステップまで。もちろん彼女にダンスの知識なんて微塵も無かった。だが、一つ教えた事はすぐに覚え、実行するだけの器用さはある方だった。
それがどこか僕よく知る人に似ていた。
「あぁ、なるほど…あなたは僕の婚約者に似ているんですね」
「え?…婚約者が居るのに、私に踊ろうと言ってきたの?」
「え?今僕、何て言いました?」
「え?婚約者って…」
なんだ…?何でそんな言葉が出たんだ?僕には婚約者なんていないのに…むしろ昔、愛する人を失ったくらいなのに…
「あの…大丈夫?」
彼女が僕を心配そうに見てくる。どうやら、頭を抱え込んで悩んでいたらしい。いつの間にか右手が頭の上にあった。左手はダンスを踊るために繋いだ彼女の手を握ったままだ。
「大丈夫です。考え事をしていただけで…」
「そう?なら良いのだけど」
僕は彼女にも、自分自身にも嘘をついた。本当は、頭が混乱して仕方がないのに…
その後僕は考える事をやめた。何を考えても疑問しか出てこなかったからだ。僕は今何をしている?何のためにここに来た?何度問いかけても、答えは出ない。そのうち、何も考えなくなった。
「あの…」
暫く黙っていた彼女が口を開いた。
「どうしました?」
「杏様と…踊る約束とか、してました?」
「…へ?どうして?」
彼女は僕を下から見上げる様に問いかけた。僕はなぜその言葉が出てきたのか分からず、問い返してしまった。
「杏様から、殺気を感じたから」
「…いえ、約束はしていません」
「そう?それなら良いのだけど…」
僕は杏様を見上げた。確かに霊力が殺気だっている…
ガッシャーンッ!
突然、グラスが割れた様な音が響き渡る。どうやら侍女の誰かが、奥の方で、落としてしまった様だ。
だが幸い、場所は大広間の奥、侍女達が片付けに入っていくところ。見られたのは災難だっただろうが、招待客に怪我やドレスを汚させなくて良かった。
「渼月っ⁉︎」
彼女の視線の先には、少し躓いた、栗色の髪の侍女が一人。
(侍女…いや、確かにあれは…ぼくだ)
そう自白した瞬間。僕の中の何かが崩れ落ち、今まで忘れていたものが込み上げてきた。
あれは数日前の事だった。
「渼月!」
「どうされました?杏様」
杏様は慌てた様に、侍女である僕を呼んだ。
「塁の気配が消えたの…」
「…っ!どこまでは確認できてますか?」
杏様が慌てていた理由は、塁様が消えたという事だった。消えた、と言うのは少し違う。連れ去られた、と言った方が正しいだろう。
塁様は少々、自由に外に出てしまう癖がある方だ。だから今日もいつも通りに天空宮の外に遊びに行っていた。
その時に連れ去られたのだろう。霊気が消えた場所は、天空宮から少し離れた、東の森だと杏様が言う。
天空島は、風雅の都同様、森に囲まれた島だ。東の森、と言われただけでは探せまい。と思っていた。
が、僕の予想を遥かに超え、塁様はすぐに見つかった。婚約者と共に居ると、天空宮の騎士団長が知らせてくれた。
僕は、勝手に乗り込むなと指示を出し、発見された場所へ向かった。
「本当に、ここに居るのですか?」
「あぁ、こちらから覗いて見てみろ」
言われた場所は、ほんの少しの空間しか空いていない、小さな格子の隙間だった。
「……」
僕は目を凝らして、暗い部屋の中を覗く。
「あっ!」
本当にいた。塁様の婚約者、凉香様もいらっしゃる。
「うーん。」
「どうする?」
騎士団長が僕に話しかけ、指示を待っている。正直に言うと、僕一人の力で助け出す事は出来る。しかし、僕には一つの考えが浮かんだ。
それは、この二人を餌にし、妖を殺して邪気を奪っている連中を誘き寄せる事だった。塁様が連れ去られたのは、その邪気を彼女に付着させ、何かに使おうと考えていたからだろう。
しかし…それを騎士団長には、とてもじゃないが伝えられない。
ならばこうしてやれば良い
「今は待って下さい。少数ですが、裏組織討伐の為、動いている者達が居ます。二人を救い出すのは、その時の方が良いでしょう。」
幸いこの事態を知っているのは、騎士団長ただ一人だ。それならどうとでも誤魔化せる。
「団長さん。この事はどうか内密に…」
「なぜだ?」
「誰が裏に繋がっていないのか、まだ完全な確認は取れていません。ですから、塁様が消えた事は秘密にしておいてください。」
「それは良いが、塁様が居なくなって仕舞えば気づかれるのも時間の問題だ。それに凉香様の家だって黙ってはいないだろう」
「ええ、そうです。ですが、私にはそれなりの対処はできます。どうか、任せてはくれないでしょうか?」
僕は騎士団長に、念押しする様に、出来ると伝えた。
彼女は暫く悩んでいたが
「分かった。裏組織の者も退治できるのだな?ならば任せよう」
そう言ってくれた。
「ありがとうございます」
「全く、君の様な子がたくさんいれば、全てが解決しそうだな」
「あはは、お褒めに預かり光栄です」
ほんとうに、僕も君みたいな騎士がたくさんいれば、この国はもっと平和になったと思うよ。
その夜、杏様を寝かせ、僕は作戦の第一段階を実行させた。
塁様が捕まっている東の森へ行き、格子を結界で開け、二人に話しかけた。
「塁様、凉香様。夜分遅くに申し訳ありません」
「何者ですか?」
暗い部屋の中、ジャラッと鎖の様な音が聞こえ、同時に凉香様の声がした。
「私は杏様に仕えております。渼月です」
暗い部屋でも慣れてしまえば多少は姿が見える。僕は忠誠を誓うため、二人を前に、跪いた。
「渼月?お姉様の侍女だわ」
「…どうしてここへ?」
凉香様は、本当にこの声が僕なのか、信用ならない様子。だがそれくらい慎重な方が返って良いと言えよう。
「杏様が、塁様の気配が消えたと言っていたので、昼間ここへ探しに来ました。」
「流石はお姉様だわ!」
塁様は、すぐに僕の事を信じてくれた。しかし、凉香様はさらに質問を続けた
「なぜ貴方しかいないのでしょうか?しかもこんな夜中に」
「それは大変申し訳ありません。今日来たのは助け出す為ではなく、お力添え願いたいのです」
「何をです?」
信用は無くても聞く気はあるんですね…まぁ良いでしょう。教えて差し上げよう
「私は、この部屋が裏組織と繋がっていると踏んでいます」
「それはなぜ?」
「最近、私が目星をつけている方々が頻繁に動いています。それと何か関係あるのではないかと…」
「……」
凉香様は、僕の話を聞いて悩んでいた。僕を信用するか否かを。凉香様は、幼い頃から塁様の婚約者で、本来なら結婚するまで会わないものを、脱走好きな塁様が、逢いに行って今の関係が出来ている。彼はこの国の未来を担う事になるだろう。
「分かった。貴方をを信じてみましょう。だだし、その言葉、二言は無いですね?」
「はい。誓って」
凉香様は、言葉こそ柔らかいが、重圧のある声音で、僕に問いただした。
「それで、僕らは何かする事はありますか?」
捕まっている状況で、何ができると言うのだろう。しかし、作戦に乗ってくれるのであれば、利用しない手はない。
「凉香様、塁様、今は助け出す事が出来ません。ただ、凉香様が私にその身体と記憶を少し分けて下さるのであれば、裏組織を壊し、必ずお救いします」
作戦の一部を伝えた。僕が凉香様になり代わり、塁様は信頼のおける妖にでも頼めば良い。
「そうですね…まぁどの道、僕が居なくなれば、皆が黙ってはいないでしょうし」
「はい。ですが…」
「わかっています。何の力も持たない者では、妖を前にして赤子同然。良いでしょう。貴方に記憶を分けます」
「ありがとうございます」
こうして僕は、凉香様の記憶を手に入れ、少しの間、彼に成り代わる事にした。
「でもどうして渼月は、私に変わるのではないの?」
「彼は男ですよ?塁様」
「えっ?」
「はい。黙っていて申し訳ありません。」
「いえ、それは良いのだけど…本当に?」
「確認しますか?」
「えっ、いや、それは良いわ」
凉香様とは以前会った事がある。僕は最初から、彼は信頼における人間だと確信していたから、男の姿で会う事は多々あった。妖の姿を見せた事は無いけれど…
「なら私の代わりはどうするの?」
「代理を立てます。大丈夫です。絶対にバレませんから」
「ふーん。あなたが男だから、お姉様に婚約者が居なかったのね?」
「それは…関係ないと思いますけど」
「婚約はしないのですか?」
塁様にも、凉香様にもそう聞かれ、僕は心の中で溜息をつき、こう答えた
「僕は杏様と婚約をするつもりはありません。ですが…あれは元々我々の物です」
きっと僕の言った事は、彼らには意味がわからなかっただろう。しかし、事実は曲げられないのだ。
「ま、まぁ良いわ。よく分からないけど」
「そうですね。どの道関係ないですし」
「そうよ!王になるのはお姉様だもの」
と、そんな話をしていたのを思い出した。
そうだ…僕は渼月。今は凉香様の身代わり。何をしていたんだ僕は…失敗するなんて…
まさか、自分の記憶を消してしまうとは…これも全て、霊力が消費されたせいか…
目の前の彼女は、グラスを割った侍女に駆け寄ろうとする。僕はその手を掴み
「待って、瀬兎ちゃん」
そう言った。
彼女は心底驚いた様に僕を見て
「どうして私の名を知ってるの?」
僕に問いかけた。
知ってる。知ってるよ、嫌って言うほどね。だって僕が渼月なのだから
「あれは違う。僕が渼月だ」
「ならあれは何?」
「僕の式神だよ」
そう。ただの式神。塁様は生きた身代わりでないと良く無いけれど、侍女の一人や二人式神でも、誰も気に留める者は居ないだろう。
「ならば、あなたが渼月だと言う証拠を私に示して」
「どうやって?」
「あなたの霊力。私に感じさせて」
「…分かったよ」
少しであれば、渡せるだろうか…僕は彼女の手を取って、そこに霊力を集中させた。
「…そう。確かに渼月だわ」
「わかってくれた?」
「えぇ。何か事情があるのは分かったわ。でも一つ腑に落ちない事があるの」
彼女は僕の手を離し、少し不満そうにしていた。
「何?」
「どうして杏様は私を睨んで、殺気立てているのよぉ」
今にも泣きそうな顔をしている彼女はとても面白かった
「ちょっと、笑わないでよ!」
「ごめんごめん。まさかまだ気にしているとは思わなくて」
彼女に向けられる視線は、たくさんあるのに、杏様のだけに気がつくなんて…勘がいいのか、抜けているのか、分からないや
「絶対、あんたのせいだと思うのよね?」
「どうして?」
僕は笑うのをやめて、彼女に向き直った
「だって渼月は、杏様のこんやく…しゃ」
僕は彼女が最後まで言う前に、彼女の口を塞いだ。けど、どうやら間に合わなかったようだ…
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