第4話
それからは正直なところ仕事なんて出来る状態じゃなかった。心が壊れた後、その隙間に何か得体のしれないものが巣食ってしまったような感覚に陥った。身体は常に違和感を持ち、吐き気が襲った。
トイレに行き、便器に顔を突っ込むが、気だけが出てきて、物体は出てこない。よくよく考えると、数日間何も食べていない事も珍しくなかった。
もっとリアルな話しをすれば、液体だけが出てくる事がある。その味と言って良いのかは分からないけど、アリナミンA錠の味がする。それが胃液だ。食べなくても飲み物くらいは飲むので、胃液は分泌される。吐く物がない時、それが出てくるのだ。
やがて睡眠も不足するようになり、朝起きた時、激しい目まいがした。とてもじゃないが、トラックの運転なんか出来る訳がない。
ここがこの企業のブラックなところなんだろうなぁ。電話一本で体調不良を訴えて休めば良いだけなのに、僕にはそれが出来なかった。受話器の向こうから聞こえてくるようだった。お前ふざけんなよ、ってあの男の声が……
だから僕は仕方なくフラフラした状態で自転車に乗り、いつものように出社した。
すみません。朝から目まいが酷くて……
はぁ?何?自分さぁ、派遣でしょ?何の為に高い金払ってあんたを雇ってると思ってんの。……仕方ないなぁ。とりあえず五件だけで良いや。それやって帰ってきたら上がって良いから。
内容も小物だけとあって、一人でトラックを出発させた。
一軒目。トースターを配達し終えて、エンジンを掛けた時、車体の揺れで、もっと激しい目まいが襲ってきた。でもとにかく早く終わらせたかった。早く帰りたかった。
僕は虚ろな状態でトラックを発進させてしまい、前を横切る自転車に気付かなかった。
スピードは多分、五キロメートル毎時から十キロメートル毎時くらいだと思う。発進したばかりだったからそんなには出ていない自負はある。しかし自転車の彼がイヤホンを耳にしていた事。倒れ方が悪かった事から、駆け寄った時には白目を剥いて、全身を痙攣させていた。今その光景を思い出しても吐き気を催す。それほどに凄惨だった。
事故自体は派遣先の会社が保険やらを使って、全部処理してくれる事になった。僕は一度だけ人道的責任という事で、お見舞いに訪れた。
病院には被害者の父親がいて、僕が事故を起こした張本人だと知ると胸ぐらを掴み、息子を……息子を元に戻してくれ、と涙ながらに叫ばれた。
同行してくれた派遣先の社長と派遣元の営業と別れた僕は、帰路の道すがら気を失って倒れてしまった。救急車で運ばれた僕は、そのまま入院し、色々と検査を受けたが、異常は見られなかった。
問診の結果、心療内科を受診するよう奨められ、僕はうつ病との診断を受けた。
医師からは入院して集中治療を受けるよう奨められたが、またしてもあの男の声が聞こえた気がした。僕は拒んで投薬治療を受けながら、仕事をする事を選んでしまった。
もし、この時に僕自身がうつ病に対する偏見を捨て、うつ病という病と真摯に向き合っていたら、おそらくはそこまで酷くなる事はなかったかもしれない。僕はまたしても配送中に、今度は電信柱に追突する事故を起こした。もはや仕事は疎か、生きる気力もなくなっていた。
こうして僕は再び、無収入の無職となってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます