第6話 ~Ⅵ~

 風凪山のあの日から一週間経ち、俺は何となく夕方の空が見たくなって、放課後、屋上に向かった。

 初夏を迎えている6月の空は、こんな憂鬱な気分など関係なく澄み切っていて、心地よいそよ風が、蒸し暑ささえも和らげ、どことなく居心地が良かった。


 一時間ぐらい、ここでボーっとしてすぐ帰ろう、屋上の飛び降り防止策に両腕をかけて、そんな事を考えていた時だった。後ろから、誰かが近づいてくるのを感じた。


「こんな所で、何をしているんだ?」


 それは、白川先生だった。普段と変わらない物腰柔らかい雰囲気で、俺にそう話しかけてきた。


「いや、別に・・・何となく、夕暮れが見たいな~って。 大丈夫ですよ、ここから飛び降りたりなんてしないですから」


 いかにも暗そうな学生が、屋上で一人で佇んでいるなんて、教師から見たら、心配に見えるだろうな、と自嘲気味に、俺は答えた。


「そうか・・・少し隣いいかい?」


 そう言って、白川先生はスッと俺の横に立ち、同じように策に左手をかけ、視線を空の方に向けた。


「先週の金曜日、風凪山にいたそうじゃないか?」


 視線を反らさぬまま、白川先生は、突然そんな質問を投げかけてきた。


「・・・な、何でそんな事知ってるんですか!?」


 あまり馴染みのない先生に、そんな事を言われたものだから、俺はただただ驚き、あからさまに落ち着きのない返事をしてしまった。


「秋山が話していたよ。アイツらの部活の顧問は私だからね」


「たくッ、あのお調子者が・・・誰にも話すなって言っておいたのに」


 秋山の口の軽さにはウンザリしたが、それよりも、今、白川先生に、あの時の事を知られていたという恥ずかしさの方が、俺の中では勝っていた。


「・・・君は、 浅井ユキの告別式にいた子だろう?」


 白川先生から、浅井の名前が出てきた事に、また驚かされた。


「浅井の事をご存じなんですか?」動揺しながらも、俺はそう聞き返した。


「ああ、彼女の一年生の時の担任は私だからね」


 先程から変わらない落ち着いた声で、先生はそう答えてくれた。今の今まで忘れていたが、確かに、一年生の時の浅井のクラスの担任は白川先生だった。


「皆が帰る中、同じクラスでもないのに、最後まで、彼女の遺影を眺めていた君の横顔が印象的でね、よく覚えているよ」


 浅井の告別式に、違うクラスからかけつけたのは、俺とあと数人程度だった。先生に以前の記憶まで掘り返され、俺はますますばつが悪くなった。


「君は・・・もしかして、まだ彼女の事を引きずっているんじゃないのか?」


 先生に心中を見透かされているようで、俺は少し苛立ち始めていた。


「先生には関係ありませんよ。 そんな事まで、教師は生徒の事を把握しておかなきゃいけないんですか?」


 いい加減居づらくなり、俺がもう帰ろうと、先生に背を向けた時だった。背中越しに、先生が一言呟いた。


「苦しみたくなければ、恋をしてはいけない」

 

「・・・何ですか、その言葉? 何かの名言?・・・でも、まあ、今の俺にピッタリの言葉だと思いますよ」


 先生の言葉に過剰に反応してしまったのか、俺はそのまま言わなくてもいい事まで話してしまった。


「俺と浅井は付き合っていました。でも、後悔しています。恋人なんかじゃなかったら・・・気持ちなんて伝えなければ・・・今よりもっと、フラットな気持ちで、この状況に向き合えたかも、だなんて・・・」


 冷静になって考えてみれば、そこまで深い関係でもない先生に、何話しているんだろう、という感じだが、理性よりも先に口が勝手に動いてしまっていた。


「・・・さっきのは、ある映画監督の言葉だが、これには続きがあってね。”恋をすることは苦しむことだ。苦しみたくなければ、恋をしてはいけない。しかしそうすると、恋をしていないことでまた苦しむことになる”・・・教師として、年長者として、今、君に言ってあげられる言葉が一つだけある」


 帰る事を止め、改めて先生の方を向き直した俺の目をじっと見据えながら、先生は、そこからこう続けた。


「君は、その人生の中で、間違いなく正しい選択をしたんだ」


 先生から言われたその言葉を聞いた時、自分の中の何かが、プツンと切れるのを感じた。ずっと張りつめていた感情を制御している”何か”だ。

 次の瞬間、俺は、みっともない事に大きな涙を流していた。声を出し、感情をさらけ出しながら泣くなんて、何年ぶりだろうか。ただ、今の俺には、それを止める術はなかった。

  

 先生は、俺に何かそれ以上声をかけるわけでもなく、かといって、一人きりにさせる事もなく、くしゃくしゃの煙草の箱から、煙草を一本取り出し、静かにそれに火を付け、夕暮れの雲の行方を静かに見つめていた。


 

 屋上でのこの出来事は、高校を卒業し、社会人になった今でも、たまに思い出してしまう。

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