第1話 観察
七月二十一日
私、渡蓮眠(わたらいはすみ)は東京から五〇㎞ほどのN県の田舎に来ていた。交通も不便な田舎で、ワンマンが一時間に一本通っているだけの場所だ。
東京駅を出てからすでに三時間がたっているが、まだ目的の場所にはついていない。
車ならば二時間ほどでつくのだがあいにく車は持っていなかった。
少し集中力が切れてきたのを自覚して、読んでいる本から電車の窓枠に目を移す。
しかし、見える景色は一時間前に電車を乗り継いだ時と、一切変わっていなかった。窓枠いっぱいに稲穂が広がり、その稲穂が時折風で凪いでいるのがみえるだけ。
正直、女子大生の私にとっては何の魅力もない場所だった。暑いだけでタピオカもなければお洒落なカフェもない。それでも私は自らの意思でここにきている。
何故か?
その疑問に答えるならば簡単だ。一言こういえばいい。
「私が大のミステリー好きでシャーロキアンだから」
と。
シャーロキアンとは何かをまずは説明しよう。
と言っても説明するほどのことでもない。
シャーロック・ホームズのミステリーをこよなく愛する人。その人たちのことをこう呼ぶのだ。ちょうど、村上春樹先生のファンをハルキニストと呼ぶようなものと思ってくれればよい。
ホームズの兄のマイクロフトの推理力に感嘆し、女嫌いの彼がアイリーンに抱いた感情に思いを馳せ、ホームズの大空白時代に、彼が何をしていたのかを考えることを至上の喜びとする人のことだ。
ホームズ様はホントに素敵なお方なんだ。推理力だって抜群だ。
後に助手となるワトソン博士と、初めて会った時のエピソードなんかが有名だろうか?彼は、初対面の時に握手だけで、ワトソン博士がアフガニスタンでの戦争帰りの医師だと見抜いてしまったのだ。
握手だけでだ。
凄くないか?
普通の人が握手で分かることなんて、せいぜい手の大きさと、その人がどのくらい汗をかいているかくらいだろう?
ね、ホントに凄いでしょ。
んん?
ホームズは空想の物語だし、ホームズの空白の時代は、シャーロックホームズが嫌いだった作者のコナンドイルが、ホームズを殺そうとしたから生まれただけだって?
ファンから抗議を受けても生き返らせるつもりはなかったけれど、敬愛する母親にまでホームズを殺したことを叱られちゃって、編集から金も積まれて、泣く泣くホームズの続きの物語を書き始めただけだって?
だまらっしゃい!
シャーロキアンの前でそんなことを言ってみなさい。ホームズばりの推理力を駆使して完全犯罪で殺してやるぞ。
・・・
ごっほん。
何はともあれ、そんな人がシャーロキアンなのである。
・・・
ちょっと誇張しすぎたかな?ただの私の趣味を言っちゃっただけな気もする。
まあ、それは置いておこう。
それに、私はホームズ先生だけでなくて他の探偵たちも大好きだ。朴訥な神父が一刀両断に事件を解決するブラウン神父シリーズや、耳の聞こえない舞台俳優が神算鬼謀に犯人をあぶりだすエラリークイーンシリーズといったものから、東野圭吾先生、内田康夫先生とかの本も読む。ガリレオのドラマもみた。
ガリレオについては、ミステリーファンの間ではドラマに対して賛否両論あるみたいだが本もドラマも本当にどちらも面白いと思う。良ければ見て欲しい。
っと、いけない。話を脱線しすぎたようだ。
ミステリー好きのオタクは自分の趣味を語りだすと止まらないのだ。許して欲しい。
それで、なぜこんな片田舎にきているのかというと、東日本ミステリー組合というところが主催するらしいミステリーツアーに当たったのだ。ミステリーツアーと言っても巷でやっているような、行き先が秘密になっているだけのただの旅ではない。正真正銘、謎解き旅行である。
今回のツアーでは廃病院を舞台にした事件が次々と起こるそうだ。(もちろん本当の事件ではなく主催者が開催するものだ。)私たちはその事件を解決するための栄えある探偵役として選ばれたのだ。スマホの電波も入らないところでやるらしく結構、本格的だ。家族などには事前に、三日間連絡がつかなくなると言っておくように、とパンフレットに書いてあった。
とにかく、私も、シャーロックホームズ大先生のような探偵になりきることができるかもしれないのだと思うと、今からワクワクする。暗号ものなら換字式、アナグラム、色々知っているし、トリック系でもリケジョで大学生な私ならある程度できると思っている。
「霞ヶ時、霞ヶ時。次は、終点の霞ヶ時になりまーす。」
少し語尾の伸ばし方に癖があるアナウンスが聞こえた。所謂方言というやつだろう。
それを聞いて田舎に来たことを実感した。
私はその音声を聞いたことで、妄想をやめて、開いていた最近巷で話題のミステリー本を閉じ、愛用の茶色の革製のブックカバーに付属の紐状の栞を挟み、席を立つ。
すると、少し寂れたワンマン列車のドアの一つに、先んじて突っ立ている人を見つけた。
次が終点なので降りるために立っているのは間違いない。しかし、私以外にこんな辺鄙な場所で降りる人がいるとは思っていなかったので正直驚いた。
立っていたのは、金髪に黒のタキシード、背は一四〇cmほどの小柄な人だった。この田舎には似合わない恰好だった。あまりにも奇妙な恰好だったのでどんな人か興味がわいた。なので、野次馬根性で顔をチラッとみる。すると、これまた田舎に似合わない、性別も分からない中性的な綺麗な顔立ちがみえた。
その人は、能面の顔でただ、ボーっと、窓の外の景色をとらえていた。こちらをみていないことをいいことに、探偵の予行演習だと思って、不躾にも顏を観察していった。
二重の少しつり目のまぶたに、しみ一つない陶器のように白い肌。
しかし、目の下にはパンダのように濃い隈があることがわかった。
隈のことを除けば、とにかく人形のように綺麗な顔だった。だからこそ、くたびれ切った人間を象徴するような隈が、余計に酷く気になった。
人間と人形の同居。
何ともいえない薄気味悪さを感じた。
「何かね。人の顔をジロジロとみて。」
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