第10章 片鴛鴦

 平成十六年、八重子は八十三歳になっていた。


 「おばあちゃんに最後の親孝行がしたい」


 娘の嶺子れいこのたっての願いで、今、八重子は機上の人となっている。


 「こんな鉄の塊が空を飛ぶわけないでしょ」


 成田空港まで見送りに来てくれた信吉のぶよしもその妻の美恵子も、八重子のそんな言葉に笑った。


 「おばあちゃん、あんな大きな鉄の船でさえ水に浮かぶんだから」


 笑って言う小柄な信吉のぶよしはコンサルタント会社を定年で退職のはずだが、まだ役員として時々であるが勤務は続いている。

 頭は可愛そうなくらい禿げあがっていた。それが年のせいではなく、けっこう若いころから頭は涼しかった。


 だが、その小柄な信吉に輪をかけて、今は八重子が縮んでしまっている。


 「じゃあ、嶺坊れいぼう、頼んだぞ。なにしろちょっと目を離すとおばあちゃんはちょろちょろとどこか行ってしまうから」


 「まかしとけ。ずっと襟首つかんで歩くから」


 嶺子も大笑いをしていた。八重子は、年の割には足腰だけは丈夫なのだ。

 見送りの信吉たちと別れて出国手続きも終えた八重子母娘は空港第2ビルのサテライトへのシャトルシステムの、電車のような乗り物に乗って、それから搭乗口を探した。

 やがて搭乗口も見つかり、まだ時間があるのでそのそばの空港がよく見えるガラス張りのホールの椅子に腰かけた。


 「飛行機がいっぱいあるね」


  八重子は感心したようにきょろきょろとしている。


 「ねえ。このうちのいくつかは地球の裏側のヨーロッパまで飛んでいくんだから」


 「へえ。中国より西へ行くんだね。インドとか中東とか通って?」


 「いや、シベリア経由じゃないかな? 北極の方を飛ぶんだよ」


 「そんな、北極の上なんか飛んだら凍えて死んでしまう」


 八重子の言葉に嶺子が大笑いをしているうちに、搭乗のアナウンスがあった。


 昨年の暮れに還暦を迎えた嶺子は、大手の着物学院の千葉校の学院長をしている。

 今までは着物学院の仕事に忙殺されていたけれど、この春になってやっと少し余裕ができたので、かねてからの親孝行計画を実行に移したのだ。


 飛行機は機体にトリトンブルーのラインの入った日本の航空会社だ。

 八重子は腹を据えたのか恐がることもなく、安全ベルトを締め、空の上の人となった。


 そうして一時間半ほどたって機内食も食べ終えたころ、隣の嶺子が窓際に座る八重子に窓の外を示した。


 「おばあちゃん、長崎上空だって」


 客席前方のスクリーンで、今飛行機がどこを飛んでいるのか地図で示される。

 八重子は窓の方へ顔を近づけ、下の方を覗いた。そこには海に突き出た緑の岬がいくつか見えただけで、どこが長崎市かなどということはわからなかった。だが、都市らしきものは時々見える。


 思えば八重子が最後に長崎に帰ったのは、九年前だった。兄竜之助が八十六歳で帰天したからだ。それは八重子が長崎から一家で上京してから三十七年の月日がたっていた。


 信吉の東京の大学進学に合わせて一家で上京を決め、苦労の果てにやっと大森で「レイボー」という名の小さな洋裁店を開いた。

 だが嶺子も結婚し、信吉も嫁を迎えたがその洋裁店は閉店ということになってしまった。嶺子の夫は八重子の東京に住む従姉いとこの康子の長男で、二人は又従兄妹またいとこということになる。


 そのあとは信吉の会社のある横浜に移転し、八重子は信吉夫妻と三人で今は横浜に住んでいる。信吉夫妻の間にできた八重子の孫娘はもう結婚し、東京に住んでいた。


 そんな三十七年の間も、ごくたまには八重子も長崎の土を踏んでいる。そのたびに、浦上の町の目覚ましい復興をの当たりにしてきた。

 竜之助は妻も子も原爆で亡くした後、数年後には再婚して新たに四人の子供に恵まれていた。今では皆それぞれに所帯を持って、長男以外が九州のほかの町に散らばり、娘は夫の転勤で東京にいた。


 その竜之助の葬儀は完全に再建されたカトリック浦上教会、すなわち浦上天主堂で行われた。最初に再建されたときは外観だけ旧天主堂を模して、壁は茶色いコンクリートむき出しだったが、この時は元の通り赤煉瓦造りとなっていた。


 原爆投下直後は七十五年間は草木も生えないといわれていた浦上だったが、あれから五十年たったこの町は豊かな緑に覆われていた。


 長崎といえば、竜之助の家の隣家に住んでいた長崎医大の永田教授は上海から引き揚げてきた八重子と原子野で再開した後、秋には再び原子病で倒れてその後は寝たきりとなった。

 二年後には浦上教会の信者たちの手で永田の念願であったかつての家の跡地、すなわち竜之助の家の隣に療養生活のための小さな庵が完成し、「如己堂」と名付けられた。

 永田はそこで寝たきりの生活でありながらも執筆活動を続け、数々の著書を世に出した。

 来日していたヘレン・ケラー女史の訪問を受けたり、天皇陛下に謁見が許され、またローマ教皇特使の枢機卿や大司教の見舞いも受けたりしたが、長崎市名誉市民の称号を受けた翌年の昭和二十六年、白血病による心不全で祈りの言葉とともに帰天した。長崎大学医学部付属病院となって浦上の地に戻っていたかつての長崎医大病院で、であった。それは永田のかつての職場でもあった。


 市の公葬は当時はまだ再建されていなかった天主堂廃墟前の広場で行われ、二万人近くの人々が参列した。

 仮の鐘堂の天主堂の鐘が鳴り響くと、宗教の垣根を超えて市内の寺院も一斉に鐘を撞き、船舶も汽笛を鳴らし、工場もサイレンを響かせて、長崎市民全員で一分間の黙祷を捧げた。

 吉田茂総理はじめ各界の人々からの弔電は、その紹介に一時間もかかった。


 その時、八重子は実感したものだ。こんなすごい人と自分は親しくお付き合いをさせていただいていたのだと。

 その「如己堂」は「己の如く隣人を愛せよ」というイエズス様の聖句によるものだが、自分たちはほんの数年ではあったが永田の隣人というにはおこがましいまでも、少なくとも「隣家」としてお付き合いいただいたのだ。


 兄の葬儀から遡って永田の葬儀まで八重子が思いを馳せているうちに、飛行機はとっくに長崎を通過してすでに東シナ海の上空を飛んでいた。

 

 それからしばらくして飛行機が高度を下げ始め、シートベルト着用にサインがともった。


 「おばあちゃん、もうすぐ上海に着くよ」


 「え?」


 驚いたような顔で、八重子は嶺子を見た。


 「さっき乗ったばかりじゃないか」


 「何言ってるの、もう三時間半はたったでしょ」


 「三時間半って……」


 八重子の理解の範疇外だった。通常の日華連絡船でも、長崎から上海まで一昼夜かかった。

 東京からという船便はなかったが、東京から長崎まで汽車で二泊、合計三泊は要した。引揚の時などは途中停泊も含めて上海から鹿児島まで七日もかかった。

 それが成田・上海間は今では三時間半で着いてしまうのだ。


 あの引揚の時に八重子たちが乗ってきた引揚船は、実は名前が日本丸というのだとあとから知った。そして二十年ほど前、まだ昭和のころにその日本丸が現役引退し、八重子の住む横浜の港に係留されて常時一般公開されるというニュースを信吉が持ってきた。

 信吉はすぐに八重子と千葉の嶺子をも誘って、桜木町まで出かけた。その頃はまだみなとみらい地区もランドマークタワーもなく、三菱重工造船所の跡地がだだっ広く空き地になっていたその一角のドッグに、日本丸は係留されていた。


 「違う」


 日本丸を一目見た時の、八重子の言葉がそれだった。


 「こんな小さな船じゃなかった。しかも、こんな白い船じゃなか。ねずみ色の船だった」


 八重子が立ち止まってしまうので、多くの人がぶつかりそうになってよけて歩いていた。ものすごい人出だ。それもそのはず、いつもはマストだけなのに今日は総帆展帆の特別な日で白い帆がすべてのマストに張られて、まさしくそれは帆船だった。だからものすごい人出なのだ。ちゃんとマストの横棒ヤードもあった。


 「引揚の時は臨時にねずみ色に塗られていたんじゃないかな、いろいろ調べたけど、この船で間違いないよ」


 信吉がそう言って八重子を促して歩きだした。だが、乗船間際になって、またもや八重子の足は止まった。


 「やだやだ、乗りたくなか。あんたたち二人で乗ってき。ここで待っとる」


 何とかなだめて連れて行こうとする信吉に、嶺子は目配せして首を軽く横に振った。

 やはりあの地獄の七日間がトラウマとなって、八重子の中に一気によみがえってきたのかもしれない。仕方なくあの時の記憶はもう全くない兄妹だけで見学してきた。


 そんなこともあった。

 そして今、わずか三時間半で上海に着くという。八重子はまだ信じられなかったが、たしかに海の水の色がいつの間にか茶色くなっている。青い海と一直線の境界線となっている部分を通過したはずだが、気が付かなかった。


 やがて陸地が見え始めた。その大地のいちばん端が空港のようで、飛行機はそこへと降りていった。


 飛行機が着陸したのは、成田に負けないくらいの大きな、そして新しい空港だった。着物学院の仕事でもう何度も上海に来ている嶺子だったが、浦東空港は初めてだ。前に来たときは虹橋ホンチャオだった。


 「ここ、どこ?」


 八重子は入国手続きのゲートまで歩きながら、何度も嶺子に聞いていた。


 「だから上海だって」


 「何言ってるの? 成田空港と変わらんさね」


 そう言いながらも、八重子はきょろきょろとしていた。


 「これからどこ行くん?」


 「おばあちゃんが昔住んでた上海の町よ。そのためにわざわざ連れてきたんだから」


 「そうか、上海に行くんか……」


 八重子は「上海へ行く」という言葉に目を細めて、上海の空港の中を歩いていた。


 「どうやって行くん?」


 「リニアモーターカー、乗ろうか」


 入国ゲートも超えて中国国内に入り、人民元への両替も済ませた母娘は まずはその上海マグレブトレインの乗り場を探した。

 八重子はただわけもわからず、嶺子についていくだけだった。嶺子は事前に下調べはしていたようで、容易にその切符売り場を探し出した。漢字では「上海磁浮線」と書かれてあった。


 「これで上海に行くんか?」


 八重子はそんな看板を見上げて、またそんなことを聞いていた。


 「ここがもう上海なの」


 「上海のどこね?」


 「浦東プートン国際空港」


 「浦東プートン!?」


 八重子にとってその地名は、黄浦江の向こうのわずかな工場とあとは農村が点在するいわゆる何もない・・・・場所というイメージだった。


 ホームに入った。確かにどう見ても成田空港の地下のJRや京成線の駅のホームと何ら変わらなかった。


 「新幹線?」


 すでに停車していた車両を見て、八重子が言った。


 「だから、リニアモーターカー。新幹線よりも速いんだから。時速四百三十キロ。今年になってできたばかりだって。臨時じゃなく通常運行としては、世界で初めての営業運転だってよ」


 そう言われても、八重子にはピンとこないようだった。

 車内は確かにほとんど新幹線の車内と変わらなかった。


 走り始めた。確かに速い。前方の壁に現在時速も表示され、たしかにピークは四百三十キロだった。だが、ついさっきまでもっと速い飛行機に乗っていたので今一つ実感がわかない。


 「これで新幹線より速いんか?」


 そもそも数えるほどしか新幹線に乗ったことがない八重子は、はっきりとした比較対象がなかった。

 しかもほんの七分程度で、終着駅に着いた。


 「もう着いたんかい」


 「まだ市街地は遠いけど、リニア―モーターカーはここまで。さあ、ここからどうする? 地下鉄もあるけど、タクシーで行く?」


 「上海に地下鉄があるんかい?」


 「あるのよ、それが、今は」


 「上海だったら黄包車ワンポーツ


 「何それ?」


 「人力車」


 「そんなものあるわけないでしょ」


 嶺子は笑った。そして結局はタクシーで行くことにした。予約してあるホテルを探すのが、地下鉄だと駅を降りてからが大変そうだが、タクシーだと真ん前まで行ってくれるはずだ。それにせっかく来たのに地下鉄では上海の景色もわからない。


 駅を出てすぐにタクシー乗り場があって、そこで一台のタクシーを拾うと、嶺子がホテルの名前を書いた紙を運転手に見せた。運転手は笑顔で何か中国語で言ってそのまま走り出した。

 しばらくは無言で周りの景色を見ていた八重子だったが、やがてぽつんとつぶやいた。


 「成田から飛行機に乗って、なんで横浜に帰ってきてしまったん?」


 「え?」


 たしかに町の様子といい、ビルが並ぶ姿といい、嶺子の目からもここが横浜だと言われても信じてしまうだろう。違う点といえば、タクシーは左側に運転席があり、道の右側車線を走っていることである。それ以外は建物の様子、漢字の看板など何から何まで横浜そのものだ。


 「なんで車が右側を走ってるん?」


 八重子は車内からきょろきょろと外の道路を見て言った。


 「上海だからよ。おばあちゃんがいたころは違ったの?」


 「長崎と同じで車は左だった。あんた、覚えとらんとね?」


 「私は小さかったからよく覚えてないけど」


 そんなことを話していたが、それでも八重子はまだ上海にいるという実感がないようだった。八重子の目に見覚えのある風景のあたりまで行かねば、八重子はここが上海だと信じないだろう。


 二つ目の信号のあとは道全体が高速道路のようになり、四分ほど走った後でものすごい高さの橋が見えてきた。道全体が坂道となってその橋にのぼる。

 白い、吊り橋状の巨大な橋だ。橋の上はかなりの高さで、周りの様子が展望できた。向こうの方には高層ビルがびっしりと林立している。

 そしてこの橋が跨ぐかなりの幅の大きな川が見えた。


 「おばあちゃん、これが黄浦江」


 高層ビル群の中から、黄浦江は蛇行してくる。タクシーはすぐにその橋を渡り終えた。だが、黄浦江と聞いても八重子があまり反応しなかったのは、嶺子が日本語発音で「こうほこう」と言ったからかもしれない。


 川を渡りきると、道はさらに続く高架の道から離れて円を描いてゆったりと回って高度を下げ、地上に降りた。


 タクシーはしばらく町中を走って、やがて真新しいホテルの前に停まった。


 「タオラ」


 運転手が言う。値段を聞こうと思うが、嶺子が英語で話しかけてもどうも英語が通じない。


 「おばあちゃん、お願い。中国語で聞いて」


 「なんで中国語で?」


 そう言いながらも八重子は後部座席から身を乗り出した、


 「チデワ」


 最初、運転手は少し驚いた顔をしていたが、すぐにメーターを示した。


 「セザッンッケー」


 八重子は嶺子を見た。


 「三十五元だって。それっていくらね」


 嶺子は財布から人民元の十元札を四枚出して、運転手に渡した。


 「えーとね、だいたい四百五十円くらいかな? 一元が十三円って言ってた。正確には電卓ないと計算できないけど」


 「ずいぶん走ったのにね」


 「そうね。二十分くらい走ったよね。日本だったらゼロが一つ多い四千円以上はとられるよ」


 「え? 日本じゃないんかね、ここ?」


 八重子はまだそんなことを言っている。

 そんな会話をしているうちに、運転手は釣銭をくれた。


 ホテルはいかにも戦前からあったというような感じの建物で、思ったより小さい。入口がなかなかわからなかったが、やっと看板を見つけてエレベーターに乗った。七階がフロントだという。その下の階はテナントが入る商業施設のようだ。


 外観は古いが中は現代的にコーディングされていた。部屋の窓からの景色はとても眺めがよく、いくつか古めかしい建物も見えるが、遠くに目をやると近代的ビル群が林立している。

 いくつか見えるアンティックな建物は横浜でも港の付近には多いので、余計に八重子にまだ横浜にいる感覚を捨てさせないのだろう。


 まだ昼過ぎで時間があるので、とりあえず嶺子は八重子を「上海・・」に連れて行こうと思った。

 少しホテルの部屋で休んでから、二人はホテルの外の適当なレストランで遅い昼食をとった。機内食を食べたのが九時半過ぎだったから、それまであまりお腹が減っていなかった。


 ホテルを出てちょっと行くと、広い道だがいわゆる歩行者天国となっている通りがあった。ただ日本の歩行者天国のように普通は車が走る通りを一時的に車をストップさせているというようなものではなく、完全に大通り全部が歩道という造りになっていた。だから毎日二十四時間歩行者天国なのだ。


 そこをほとんど埋め尽くすくらいの人が歩いていた。最新のファッション身を包んだ若者もいれば、明らかに地方からの旅行者と思われる感じの人もまた多かった。西洋人の観光客の姿も少なくない。


 「ひえー、人が多いね」


 八重子はただそれだけを言ってきょろきょろと見まわし、嶺子に着いてひょこひょこ歩いた。嶺子はその歩行者天国の道を、ホテルから見て左の方へと折れた。


 「どこ連れて行くんね」


 何度も八重子は嶺子に聞いたが、嶺子ももう開き直っていた。


 「今から上海に連れて行ってあげるから」


 「なんで上海に歩いていけるんね」


 八重子は笑っていた。嶺子も笑った。


 「ここ、元町かね。今日は歩行者天国?」


 「元町はこんな広くはないでしょう?」


 そんなことを言っているうちに、すぐに歩行者天国が終わった。右側は古いデパートで、歩行者天国終点の向こうに横たわる車道の向こうは広い公園になっている。

 その終点付近に、小さなまるで遊園地にあるような路面電車に似たトラム型の電動カートが停まっていた。


 「これに乗るよ」


 「これに乗って上海に行くんね?」


 「そうよ」


 もう嶺子の方で八重子に合わせている。

 電動カートの車両は十人も乗ればいっぱいの小さなもので、それが何両か連なっていた。

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