全員に毛布が支給されて、暖かくまたのびのびと引揚者全員が体育館でごろごろ雑魚寝して、翌日は朝食後すぐ全員が校庭に集められた。

 保健所の人たちが来て、列を作って順番に健康観察だった。持病はないか、船の上で発症した病気はないかなど聞かれたが、八重子は特に何もないと答えた。信吉も嶺子も同じように体を診察された。


 そのあとがDDT散布だった。DDTとはシラミなどの殺虫剤で、防疫のためその白い粉を直接体に噴射する。そのDDTの洗礼を引揚者全員が浴びた。マスクをして白い帽子をかぶった白衣の大勢の女性たちが、両手で持つ散布機で白い粉を引揚者の頭から全身、そして着物の衿元や袖口の中にまで次々に散布した。若い人も子供も瞬時に白衣をまとった白髪の老人になる。


 「嶺坊れいぼう、真っ白!」


 信吉が自分の妹の白い姿を見てお腹を抱えて笑う。嶺子は口をへの字にする。


 「兄坊にいぼうも!」


 そこにあとから散布されていた八重子が全身真っ白でぬっと現れた。


 「ママもだ!」


 またもや兄妹は大爆笑だった。

 そのまま、まずは長崎行きの列車に乗る人々が駅に向かうことになった。今度はトラックはなく、徒歩だ。八重子は嶺子の手を引き、その嶺子の反対の手を信吉が引いた。

 校門を出てすぐに川にかかった橋を渡り、一面に広がる畑の中の道を真っ白な粉を全身にかぶった集団が大きなリュックを背に歩く姿は不気味でもあり滑稽でもあった。

 畑の向こうはどの方角も小高い丘が連なって横たわっている。道は途中そんな丘の間を縫って進むときもあったが、おおむね平坦な畑の中の道だ。正面には桜島が見えており、その桜島に向かって進む形である、本当は桜島との間には海峡があるのだが、ここからは海峡は見えない。


 右手に廃墟の中にぼちぼちと建物が立ち始めているかつての市街地を望んで、集団は進んだ

 そして潮の香りを感じられるようになったころに線路があり、それを超えて左に線路沿いに行くと駅だった。時計がないので正確にはわからないが、体感で一時間くらいだった。


 駅ではまた長蛇の列で、窓口の臨時の切符の発券所も机を並べての対応だった。

 ここでは現金で切符を買う必要はなく、引揚証明書を見せるだけだ。その裏には引揚先の最寄り駅が書いてあるので、そこまでの切符が無料で発券される。

 ホームは人が溢れていた。最初に来るのが長崎行だ。続いて大分経由の門司行き、鳥栖とす経由の博多行きと続く。一日に一本、大阪経由の東京行きも出るという。


 しばらく待って、威勢よく煙を吐いた機関車に牽引されて、長崎行きが入ってきた。本当ならば長崎へは鳥栖で乗り換えるのだが、これは引揚者専用列車である。だから直通で長崎に行くのだ。

 乗り込むと、指定された席は二人ずつ向かい合いの四人がけ箱席がまるまる八重子たちの席だった。どうも一家族に箱席ひとつらしい。人数には関係ないようで、六人家族だろうが九人家族だろうが四人がけの箱席ひとつだ。

 当然、座りきれない人も出てくる。これから何時間乗るのかわからないのだから、立って乗るというわけにもいかない。そこで八重子たちのように箱席全部を必要としない家族の空いている席に入ってくる。

 それでも座りきれない人々は通路に座りだした。なにしろあの七日間のすし詰めの船で帰国してきた人たちである。床にひしめき合って座るのはもう慣れているといった感じだ。

 とにかく乗っている全員が七日間は風呂に入っていない人たちだ。まだこの季節だったからよかったが、それでも互いの体臭が客車には充満していた。

 もしこれが夏だったらと思うと、たまらない。もうみんなかなり落ちてはいたが、体にかかったDDTは無臭だった。


 乗ってからだいぶたって、やっと汽笛とともに汽車は動き出した。

 左手に海と桜島を見ながら、汽車は進む。右はビルのほかは廃墟の上に仮小屋が立っているそんな町の跡だ。

 すぐに最初の西鹿児島の駅に着いた。ここでもホームにはやはり大きな荷物の引揚者であふれていた。この駅の近くの学校に泊まった人々と思われる引揚者たちだ。汽車はかなり長く停まり、後ろの方の車両にこの駅から乗る人々が乗り込んでいるようだ。


 「どちらまでですか?」


 八重子の座る向かいの席に入ってきた親子三人連れが話しかけてきた。八重子の隣で信吉と嶺子が二人で一隻に座っているが、向かいの夫婦は子供が一人なので膝の上だ。嶺子と同じくらいの男の子だ。


 「長崎までです」


 「あら、終点ですね。それは大変だこと。私たちは八代までですけど」


 八代までなら近いが、かといってすぐに着くというわけでもない。そこまで八重子は夫婦の主に奥さんの方とあれこれ互いの身の上話をした。どうしても、悲惨な話が多かった。

 車窓からは、左はずっと海だった。ちょうど左側の席であり、信吉と嶺子に窓際に座らせていたので、二人は食い入るように車窓を流れていく海に見入っていた。

 途中かなりちょくちょく停まり、そのまま一時間も停車している駅もあった。昼食は援護局から支給されていた乾パンを食べた。そうして、八代に着いたのはもう三時過ぎだった。


 汽車がホームに入ると、ホームの上はまた大勢の人がいた。だが、その人たちは乗ってくる人たちではない。引揚専用列車なのだから、途中から乗ってくる人はいないはずだ。

 彼らは、いや大部分は彼女らだが、汽車が着くと一斉に歓声を上げた。汽車の到着に合わせて出迎えに来た婦人会か何かの女性たちのようだ。その頭上には「引揚の皆さん、ご苦労様でした」と大きく書かれた横断幕が掲げられていた。

 八重子と同席していた家族も、厚く八重子に礼を言って人をかき分けて降りて行った。


 窓から見ていると、この駅で下車する人たちが降り始めると、さらに大歓声が上がった。拍手と口々に言う「おかえりなさい」「ご苦労様」の大合唱で、そういった人々の間から躍り出て、汽車から降りた人と抱き合って大声で泣きながら再会を喜ぶ出迎えの家族か親族、友人などの姿に、八重子も思わず見ていて目を熱くした。そんな光景がホームの上のあちこちで繰り広げられている。

 やがてまただいぶ停まった後、再会の喜びをホームの上に残して汽笛とともに汽車は動き出した。 

 それからは、海は全く見えなくなった。


 次の熊本まではほんの一時間ちょっとだった。だが八代と違って、間もなく熊本だということになっても町は現れず、鹿児島と同じように廃墟の瓦礫の山の中に仮小屋が立ち始めているという景色が車窓には展開された。大きなビルだけは残っているので、かろうじてそこが都市だったことはわかる。

 熊本もだいぶ空襲にやられたようだ。

 それでも、鹿児島ほど町全部がというわけではないようだった。


 熊本の駅でも、八代と同じような、あるいはそれ以上の盛大な引揚者の歓迎がホームの上では繰り広げられていた。家族との涙の再会シーンも、同じようにあちこちで繰り広げられていた。

 それを縫うように、ホームの上から汽車の窓越しに、乗っている人たちに弁当が配られた。これが夕食だ。引揚援護局の手配と思われ、その証拠にすべて無料で配られたのだ。すでに八代、熊本で降りた人々の分は入っていないので、鹿児島出発時よりも人数は減っているはずだ。確かに車内もほんの少しいてきた気がする。


 八代で降りた家族の席にはすぐにそれまで床に座っていた別の家族が素早く座ったが、彼らは熊本で降りた。その後、空席だったので八重子は二人の子供を一人分ずつの席にゆったりと座らせた。

 やがて、発車したのはもう薄暗くなってからだった。


 八重子は熊本城を見たいと思った。だが、汽車の左右のどちらにあるのかも知らない。ただ、町が線路の右側に広がっているのでそっちだろうと思って探した。天守閣は西南戦争で焼けてから再建されていないが、いくつかの櫓が残っているはずだ。だが、もしかしてあれかなと思うそれらしい小高い丘はあったが、線路からは遠すぎて櫓などは見えなかった。


 大牟田に着く頃はもうすっかり暗くなっていて、窓の外は何も見えなくなった。海沿いを走っているらしいところはあり、その海の向こうに雲仙が見えるかもしれなかったけれど何も見えない。

 大牟田でもまた同じような出迎え歓迎光景が繰り広げられ、さらに久留米、鳥栖とすと繰り返された。


 鳥栖ではかなり長時間停車した。子供たちはもう寝ている。時刻ももう夜半ごろと思われ、八重子も背もたれに頭をついて眠っていた。もはや床に座っている人はいなくなった。

 途中、一回目を覚ましたのは汽車が停車中で、そこはもう鳥栖ではなく佐賀だった。まただいぶ停まっているし、外は暗いのでまた寝た。車内はがらがらという感じになっていた。


 ようやく明るくなったので目を覚ますと、八重子は不思議な感覚にとらわれた。

 汽車が逆方向に走っているのである。八重子は進行方向に向かっての通路側に座っていたが、窓の外を見ると同じ席なのに進行方向に背を向けていた。おそらく鳥栖で機関車を切り離して、機関区の転車台で向きを変えて客車の反対側につけたのだろう。

 子供たちはまだ寝ているので、八重子は進行方向向きの座席へと座り直した。

 そしてすぐに左側に海が展開した。そちらの箱席は今はもう誰も座っていなかったので、八重子はその海が見える方へと移動した。

 やがて、車掌が朝食のおにぎりを配ってくれた。ちゃんとした白米のお握りで、味もついていた。

 おそらく佐賀で積み込んであったのだろう。だが佐賀ではまだ寝ている人も多かったので、明るくなるまで保管してくれていたようだ。もう一車両に数えるくらいしか家族はいなかったので、配るのも困難ではなくなっている。

 八重子は三人分をもらって座席に置くと、窓に顔をつけて海を見た。


 佐賀を過ぎたのだから、海は有明海だ。最初は遠くまで潮が引いて干潟が広がっていた。

 そんな海を見ながら、本当にもうすぐ故郷に帰るのだということを、八重子は実感していた。胸が熱くなった。


 何も変わっていない。この風景は、この海は、干潟は何も変わっていないはずだ。人間が戦争をし、町を破壊し、多くの人が死んだ。でも、この風景はそのようなこととは全く関係がないようだった。

 自分はどうだろう。上海で数々の経験をした。いろいろな思い出を、それがいいい思い出も悪い思い出もひっくるめて自分は故郷に持ち帰ろうとしている。


 海は優しい。

 あのどんな大騒ぎの引揚者歓迎の出迎えよりも、今八重子の胸にジーンと熱いで向けを海はしてくれていた。

 とにかく疲れた。

 今はその疲れた体を引きずって、まずは故郷に帰るしかなかった。


 「ママ」


 いつのまにか、目を覚ました嶺子が自分であちらの席から八重子のそばまだるいてきていた。


 「抱っこ」


 嶺子が頼むので、八重子は嶺子を抱き上げて膝の上に乗せ、窓の外を見せた。


 「海?」


 あの引揚船の上からいやというほど毎日見ていた、いや囲まれていた海だが、今見ている海は全然違う。それを嶺子もわかっているのか、目を輝かせていた。

 信吉も起きだして、八重子のそばに来た。そして自分で向かい側の席にのぼって座った。


 「海、きれい」


 信吉も目を細めていた。

 汽車はずっとずっと有明海沿いに延々と走って、やがて大きく右に旋回して岬の先端と思われるところを回ったころには、もう干潟は全くなくなって普通の青い海になっていた。


 ここからはいよいよ長崎県だ。

 海の向こうには、うっすらと山が見えた。今度こそ、間違いなくあれが雲仙だと八重子は思った。

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