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接岸したからとて、すぐに降りられるわけではなさそうだ。なにしろ定員二百名くらいの船に二千人近くが詰め込まれている。
だが、甲板にいた八重子たちは比較的早く降りることができた。
もう足腰もほとんど立たない。リュックが重くまっすぐにも歩けない。とても子供を抱く力もなく、両手で信吉と嶺子と手をつないでという感じで歩いた。
この港は桟橋は立派だけど周りにほとんど家も建物もないので、市街地からはかなり離れたところにある港なのかなと八重子は思っていた。
タラップから降り立ったのは浮桟橋で、多くの人が歩くとそれだけでかなり揺れる。最初は自分の足の感覚が鈍っていて体が揺れているように感じているのかと八重子は思っていたが、実は足元が実際に揺れていたのだ。
その桟橋が終わるところから、本当の意味での上陸だ。
「
八重子は左右の手にひかれている子供たちに言い含めた。
そして、ついに故国への第一歩を刻んだ。
港は人でごった返していた。みんな自分の体よりも倍以上は大きいリュックを背負い、たどたどしい足取りでゆっくり歩いている。なにしろ七日間、手洗い以外はずっと二十四時間横になったままだったのだ。まともに歩けるような状態ではない。八重子とて例外ではなかった。
だが、若い八重子はまだいい。お年寄りなどは両脇を支えられ、やっとの思いで歩を進めているありさまだ。
さらには今生きて歩いているというのは無上の喜びだ。なぜなら、船上で人が亡くなった場面をどれだけ見てきたか。あともう少し、もう少しで故国に帰れるというその直前に、無念にも命を落とした人々も少なくなかった。劣悪な環境と栄養失調で、乗船前は健康だった人までもが命を落とした。
だから生きて故国の地を踏んでいるというのは奇跡であり、当たり前のことではなかった。
これが日本の土tだと、八重子は二人の子供とともによろめきながらも歩いた。
すぐに、次々とトラックに乗せられた。上海でも集結地までトラックで運ばれたが、国民党軍のトラックだった。ここでは米軍のトラックで、誘導から運転まで米兵が行っていた。
かつては米鬼と呼んで恐怖と憎しみの対象でしかなかった敵兵が、今は進駐軍という形で目の前にいる。しかも彼らの行動は国民党軍よりもてきぱきとして統率が取れており、また言葉が通じないまでも人当たりは優しく親切だった。
だから大勢の人を次々にトラックに乗せて発車するまで驚くほど短時間だった。しかも、終始にこりともしなかった国民党軍と違って、米兵たちは皆笑顔なのだ。
なんでこんな人たちを相手に戦争をしていたのだろうと、八重子はふと思ったりした。
トラックの荷台は、詰め込まれるというほどではなく、余裕がある状態で発車した。なにしろトラックは果てしないほどの数ある。
上陸の時に感じたように、ここは市街地よりは少し離れたところのようだ。周りに建物はなく、畑が広がっている。その畑や道にもうっすら黒く、火山灰が積もっていた。
すぐに鉄道の線路があり、大きな駅もあった。あれが鹿児島駅らしい。ずいぶん市街地から外れた郊外にあるのだなと、八重子は感じた。
やがてトラックは列をなして、市街地の方へ入っていった。
だが、見えるのはコンクリートのビルばかりで、それ以外の木造のちゃんとした建物は見えない。ビルも密集しているわけではなく、何とか臨時で建てたと思われるようなバラック小屋が広がる中に点在しているだけだ。瓦礫が積まれた空き地も多い。いかにも「焼け跡」といった感じだ。
これが空襲の跡か……八重子は初めて見るその惨状に目を見張った。八重子だけではない。トラックに乗っている人たちもみな同じ思いでその光景を眺めていた。
鹿児島が空襲を受けたという記事は、「大陸新報」ではあまり見かけた記憶がない。それでこんななのだ。たとえ「被害は僅少」と言われていても記事があった場所はどんなものなのか……そして長崎は……そう思うと八重子は背筋が寒くなった。
トラックはほんの十分ほど走っただけで、ある国民学校の校庭へと入っていった。だいぶ港から離れて内陸に来ており、国民学校はそんな内陸の川沿いにあった。ここも市街地から離れた郊外で、川の向こうには畑が広がっていた。
八重子たち引揚者は、すぐに体育館へと案内された。
全員が入ったころ合いを見て、国民服の男がメガホンで大声で話しかけてきた。
「皆さん、引き揚げおやっとさあじゃ。あては
鹿児島の訛りがきつくて何を言っているのか時々よくわからないが、ここで自由に休めるようだ。また、上海の時のように整列させられるのかと思っていた八重子は、やはりここは上海とは違うのだということを実感した。
とにかく適当な場所で、リュックを枕に、八重子は足を投げ出して横になった。
「おいで」
二人のこと共もその両脇に寝かせた。全身を伸ばして横になれるなど、本当に七日ぶりだ。この解放感といい安堵感といい、もう天国かと思った。
全身の力が抜けていく。
生きていてよかった。生かしてくださってありがとうございますと、八重子は寝ながらであったが目を閉じて神に感謝した。
しばらくしてから、昼食の配給が始まった。薄い
元いた場所のリュックのところに戻って、そのお粥を熱いうちに口に流し込んだ。暖かいものが喉から食道を通って胃に落ちるのが実感できた。八重子は、思わず涙が出た。麦飯のおにぎりと冷たい水以外のものを口にしたのも七日ぶりだ。世界でいちばんおいしいお粥だった。
それから匙でお粥を息を吹きかけて冷まして、信吉や嶺子にも食べさせた。そのうち全体が少し冷めると、信吉は自分で匙で椀からお粥を食べていた。
「おいしいね」
信吉はにこにこ顔だった。
食事の後、先ほどの国民服の男が、またメガホンで体育館に入っている二千人余りの引揚者に大声で話し始めた。
「そんままで聞きたもんせ。これから事務手続きをしてもらう。書類をお渡しすで、出身県別に並びたもんせ。こんたわっぜ大切な書類じゃっで、決してなっしたりはしやんな。それと」
話が長い。
「申し訳あいもはんがお持ちん外貨はすべて預からせていただっ」
少しばかりざわめきが起こった。
「替わりに一人千円が支給さるっ」
ざわめきは少しばかりどころか、大騒ぎとなった。八重子も一瞬耳を疑った。千円なんて、八重子が見たこともさわったないような大金だ。
「みなさん、お静かに。外地でんお暮しが長かった方はたまがっちょらるっようじゃっどん、今はこん金額が勤め人ん二ヶ月分ん給与くれぇじゃ」
「え?」
八重子が上海に行く前は、勤め人の二ヶ月分の給与といえば百五十円くらいだった。上海までの船賃が三十円だったことを考えれば、それでも決して安い金額ではない。今は千円がその百五十円に相当するらしい。
「今年になって新円に切り替わりまして、お金ん価値が皆さんが外地に行かるっ前とはわっぜ変わっちょっ」
それを全員に無条件で支給してくれるなど、八重子は思わず手を合わせていた。
「本当にありがとうございます」
至れり尽くせりのご加護を、マリア様からいただいたようだ。
八重子は子供ちと共に並んだ。長崎県の列は、驚くほど少なかった。上海居留民の日本人は長崎県人がいちばん多かったのに、不思議だった。もっともここにいる人たちは上海からがいちばん多いけれど、ほかの中国の都市からの引揚者も多い。
八重子の順番が回ってきた。
「あ、もうそんたとおったもんせ」
最初、係員の訛りがひどくて何と言っているのかわからなかったが、八重子がまだ上海で四六時中つけていた「日僑」の腕章をまだつけたままだったので、それをとれとのことらしい。
八重子が腕章を外すと、係員は八重子の名前を確認し、机の向こうで書類の山を探して一枚の紙を八重子に渡した。上海で乗船時にすでに名簿を作成していたようで、その名簿からすでに書類は造られていたようだ。
「引揚者証明書です。こいを失くすっと今後いろいろな支援が受けられんくなっで、大切に保管したもんせ」
その紙には八重子の氏名、生年月日、本籍地、住所などが書かれ、「右ハ昭和二十一年三月二十日鹿児島港ニ上陸セルコトヲ証明ス」とあり、「厚生省鹿児島引揚援護局長」とあって印が押されていた。
裏には信吉や嶺子の名前、そして支給金額が書かれていた。
それから、その証明書に書かれた支給金を受け取った。封筒に入ったちょっとした厚みの札束だった。中には百円という額面のお札が二十枚入っていた。八重子が千円、そして信吉と嶺子が五百円ずつ、合計二千円だ。
八重子にとって初めて見る額面のお札だ。かつて上海に行く前に使っていた一円札と同じような縦横比だが、ひとまわり大きい。人物は一円札の
八重子はありがたく押し頂いて、着物の懐にしまった。さらには長崎までの汽車の切符も手渡された。ここでの宿泊も食事も、そして故郷までの汽車の切符もすべて無料で支給されるばかりでなく、帰り着くまでの食料として外食券と乾パンもついていた。
そして現金まで、それも決して安くはない金額が支給されたのだ。何から何まで至れり尽くせりである。
そのあと、夕食まで何もすることがなかったので、また子供たちとともに八重子は横になっていた。今日はここに一泊して、汽車に乗るのは明日だという。
夕食では、なんと白米が出た。これには八重子ばかりでなくあちこちからすすり泣きが聞こえた。おかずは野菜がふんだんに入った汁もので、世の中にこれほどまでにおいしい食事があるのかと誰もが幸せをかみしめていた。信吉も嶺子もよく食べた。
食事の後、食器をかたづけに行き、そこで世話をしてくれていた援護局の女性と少し話をした。
「鹿児島も、だいぶ空襲にやられたのですか?」
昼間見た廃墟と化した町の様子が、八重子の頭から離れなかった。
「へえ。去年ん三月から八月まで、八回ほどありもしたね」
柔和な顔つきで微笑んで話してくれてはいるが、その笑顔の中に悲痛な表情も隠されていた。
「特に六月んな悲惨やった。そいで町はほとんど焼け野原じゃ。
たしかに泣きっ面に蜂である。戦争は人災だけれど、台風は天災だ。なすすべがない。
「じゃっで
この人たちの戦争は終わっていない。そうしたら……
「今月は桜島ん噴火じゃ」
天災も終わっていなかった。
「桜島が? あ、そういえば」
八重子は気になっていたことがあったので聞いた。
「桜島って、いつもあぎゃん煙ばあげて、灰ば降らしよっとですか?」
女性の鹿児島訛りにつられて、つい八重子の口調もお国訛りとなった。
「んんにゃ。今言うたごつ、こん三月に入ってから、大正以来ん大きな噴火をして今も続いちょっとじゃ。
その溶岩は、八重子も船の上から見た。もう日本全国が踏んだり蹴ったりだったようだ。
「大変だったとですね」
「みなさんもね、おやっとさぁじゃ。じゃっどん、みなさんな上海からやったよね」
「はい」
「満州からん
「満州……」
もうこの女性の言葉はほとんど何を言っているかわからなかったが、それでも「満州」という語句だけは耳に刺さった。
それも八重子がずっと気になっていたことだ。
満州に行っていた姉夫婦は果たしてどうなったのか……無事に日本に帰れたのか……。知るすべは全くない。
「どうもありがとう」
八重子は元の場所に戻ることにした。
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