5

 かなりゆっくり進んで、船は黄浦江から揚子江へ出た。その頃はもうかなり日も暮れていた。そのうち、揚子江岸の小さな港の沖合で、船は泊まった。錨が下されたらしい。エンジン音も止まった。


 「朝までここで停泊だな」


 隣の男性が言った。


 「夜は機雷が目視できないから、危ないので朝まで動かないんだ。戦争中は船も灯火管制で真っ暗にして走ってたから、船同士の衝突もかなりあったようだけどね」


 これまで何回か連絡船が沈んでいるのも、このあたりかもしれない。戦争が終わったからといって、一度設置した機雷は自動的に消えてなくなるわけではない。


 そのころ、船員と思われる人が縄で張った通路を通って食事の配給に来た。食事といっても、一人二個の麦飯のおにぎりだ。飲み物は冷たい水だけである。その麦ごはんも本当にボロボロで、味もなく食べられた代物ではなかった。だが、何も食べないで飢え死にするよりはと、仕方なく誰もがそれをかじっていた。

 信吉も嶺子も一口食べただけであとはいやいやをして食べなかったが、他に何もない。とにかく食べさせないとと、無理になだめすかせて食べさせた。

 こんな食料でも無料ただで配給されるのだから、ありがたいといえばありがたい。そもそも船賃自体が無料ただで乗っているのである。


 船は止まっていても、風は冷たい。


 「ママ。寒い」


 嶺子はそう言いながらも歯を鳴らしていた。やはりあのおにぎりだけではお腹いっぱいにならず、空腹と寒さで眠れるはずもない。だが、とにかく今日は疲れすぎた。

 八重子と子供たちは三人で身を寄せ合って互いに暖を取って何とか眠りについた。


 翌朝、汽笛の音で目が覚めた。

 しばらくして、また食料の配給が来た。そしてまた同じ麦飯のおにぎりだった。はっきりいってうんざりだったが、食べなければ餓死する。やはりありがたいと思うしかなかった。


 船は動き出した。

 また、仕方なく麦飯を食べた。それよりも幼い子供たちにそれを食べさせる方が難儀だった。

 本当だったら今日中には九州のどこかに着くと思っていたが、昨夜一晩停泊していたせいでまだ振り出しにいるのだ。

 船の速度はまたしてもゆっくりだった。上海に来る時の長崎丸が、あれで実はかなり快適だったのだということを八重子は知った。


 昨日の雨も上がり、この日はよく晴れていた。

 とにかく座っているしかない。甲板にも人がぎっしり詰まっていて歩き回ることなどできない。ずっと座りっぱなしなのだ。ただ、立つ必要があるとすればそれはお手洗いだけである。

 昨日、船に乗ったばかりの時に八重子はお手洗いを探して下の船室の方に降りようとしたら、ちょうど上ってきた船員がいたので聞いた。


 「船室の方のお手洗いは船員だけです。皆さんはあちらで」


 指された方を見ると、甲板から海に突き出す形で足場が設けられていた。二枚の木の板だ。その間に穴があってそこに用を足すらしい。しっかりとした手すりで囲まれているが、囲いはない。

 つまり、甲板に横たわっている人たちからは丸見えなのだ。

 まだ若い女性の八重子にとって、抵抗感はこの上ないものがあった。男も女も関係なく、そこで用を足すしかないようである。こればかりは、だからといって使わないわけにはいかない。


 最初に使ったときはもう薄暗かったが、まだ船が停泊する前だ。揺れている船の外、下を見ると船の進行によって泡しぶきを上げる白波が後ろへと流れていく。手すりがあるから落ちることはないとは思っても、やはり恐怖を感じてしまう。

 こういった状況だからたとえ若い女性が用を足していたとしても、それを性的興奮の材料にするものなどいない。いや、できない。皆がそれどころではない極限の状態に置かれている。だから、誰かが用を足している時も、みな顔を背けて見ないようにしていた。それでもやはり恥ずかしい。恐怖と羞恥心でなかなか用を足すのも一苦労だった。


 一夜明けて、今は明るい。子供たちもお手洗いに行かせる必要がある。自分だけでは使えないから、八重子が抱いてという形になって、それもまた大変だった。

 お手洗いとはいっても手を洗うところなどない。用を足したその手で、洗うこともできずに食事のときは握り飯を食べなければならない。

 嶺子を手洗いに連れてきたついでに、八重子は嶺子を抱いて少し海を見た。

 もう回りはすべて水平線で、いつの間にか懐かしい青い海になっている。黄色い海との境目は知らずのうちに越えたらしい。

 八重子に抱かれた嶺子は、何もないはずの海面の遠いところを時折指さして時々「あっ」と驚きのような声を発した。おそらくこの子は今の状況はわかっていないだろう。それでも初めて見る海の光景に驚きと好奇心だけで、八重子の腕の中で瞳を輝かせている。


 こんな状況が前にもあったと、八重子は既視感にとらわれた。

 長崎丸の上で、同じように八重子は弘子を抱いて海を見ていた。だがあの時の子供は姪であったが、今は紛れもなくわが子を腕に抱いている。

 そして船は、あの時とは逆の方角へと進んでいるのだ。


 結局その日一日、陸地は見えなかった。

 食事は昼も夜もまたあの麦飯のおにぎりだ。 

 八重子も周りでもそれが口に合わないらしく、無理に食べてもどしている人もいる。それも一人や二人ではない。船は外洋に出ているから揺れに揺れている。そのための船酔いも加わって多くの人が嘔吐している。それもお手洗いや船べりに駆け寄ってなどということはできない。皆立つのがやっと、縄のある通路まで行くのがやっとで、それもできないほとんどの人が座っているその場でもどしているのだ。だからといってそれを処理することもできない。そのまま我慢して、汚物とともに座っているしかない。

 その他人の汚物で、またほかの人が吐き気を催して吐くという連鎖だ。

 さらにはやはり食べなれない麦飯にお腹を壊したけれどお手洗いにも行けず、その場で粗相してしまったらしい人も多い。それもまたどうにも処理することもできないのだ。甲板の上とはいえ汚物のにおいが充満し、異臭などという生易しい状態ではなかった。外でさえこんなのだから、船室内はどんな地獄になっているのだろうと思うとぞっとする。

 あちこちで子供泣き声もする。老人は本当に苦しそうな顔で横たわっているけど、どうすることもできない。


 そんな阿鼻叫喚の悪臭地獄のまま夜を迎え、何とかうとうととしていた。

 するとすぐ近くで、女の叫び声が聞こえた。自分の子供の名前らしきものを連呼している。近くにいた人々は一斉に、その方を見た。

 少し騒ぎが続いていたが、男性の声があがった。


 「だめだ。お気の毒に」


 叫んでいた女の声は、わっという号泣に変わった。

 八重子の周りの人たちも、悲痛な顔をした。


 「おそらく凍死でしょうな」


 八重子の隣の男が言った。


 「なんてことだ、ここまで来て」


 「そうだ、明日はもう日本じゃないか」


 別のものも叫ぶ。

 八重子の隣の前に話していた夫婦とは反対側に、目立たないような感じで一人で座っていた男もボソッと言った。


 「またですか」


 八重子はその床を見た。


 「うちの家内も凍死しました。南京から引き揚げてきて、あの市政府前の広場のテントに一週間も寝起きさせられて、ある朝家内は冷たくなってた」


 「なんで俺たち、こんな目に遭わなければいけないんだ?」


 近くにいた別の若い男が叫ぶ。その隣の女も声を上げる。


 「全部戦争のせいよ」


 「なんで戦争なんっておっぱじめたんだ?」


 「私の故郷の弟は兵隊にとられて、サイパンで玉砕……」


 近くの女性もまた言う。これまで甲板に詰め込まれていた人たちはほとんど無言で黙々とひしめき合って横になっているだけだったが、ついに何かがはじけたように皆悲惨な身の上話を始めた。


 「俺たちは大東亜のための聖戦と思ってがんばってきたけど、あの『改造日報』って新聞には俺たちが中国人に八年も渡って塗炭の苦しみを与えてきたことを認めて反省しろとあったけどな。俺たちが中国を侵略していたってことなのかよ」


 「誰が加害者で誰が被害者か」


 八重子は黙って聞いていた。自分たちは、ここにいるみんなも、上海で暮らしていた日本人も、内地の人々も、みんな戦争の加害者でもあり被害者でもある。そんなことをふと考えたが、すぐに両脇に抱え込んでいる二人の子供見た。 

 日本がどのような状況になっているかわからない。でも、とにかくこの子たちは自分一人でもしっかりと育てなければと、決意のような思いで二人を抱きしめる力を強めた。


 「ママ、痛いよ」


 もう眠りかけていた信吉が声を上げた。信吉は生きている。先ほどまで寒さで歯を鳴らしていた嶺子も今は寝息をたてている。つまり生きている。そして八重子自身が生きている。この事実が今の八重子にとっては未来に対する一筋の光であった。


 「ああ、でももう戦争は終わったんだ」


 たしかに、加害者だったにせよ被害者だったにせよ、戦争が終わったというのもまた闇を照らす光明だった。


 翌朝、人々の歓声で目が覚めた。


 「陸地だ、陸地だ」


 「日本だぞ、帰って来たぞ」


 拍手と、どこかで万歳を唱える声が聞こえてきた。

 首を伸ばしてみると、たしかに美しい緑に覆われた、繊細で優しい光景があった。しかもこれは紛れもなく長崎県の光景だと、八重子は直感していた。 

 船はその緑の山の一角に静かに吸い込まれて……いや、そうとはならなかったのである。


 船は陸地を手前に右手の方角へと船首を巡らせた。

 そのまま、陸地に沿って進む。


 「こっちは南の方角ですね」


 八重子の隣の、最初に話をした夫婦の夫の方が言った。


 「これは南に向かって進んでいる。鹿児島だな」


 九州の中でも、一番長崎に遠い。しかし、長崎は引揚援護港には指定されていないから仕方がない。


 「長崎に着いてくれたら、私はすぐに家に帰れるのに」


 八重子がつぶやくと、その夫婦の夫は苦笑した。


 「ああ、長崎のかたですか。お気の毒だが長崎に船はつけられんでしょう。なにしろ町全体がもう……」


 八重子が長崎の人だと聞いて気を使ってか、男は言葉を濁した。だが、その言おうとしたであろうことは、容易に察しがついた。

 新型爆弾が原子爆弾であった以上、あの「被害は僅少」という新聞記事はどうにも怪しい。だが、実際はどうなのかは、全くわからない。

 いずれにせよ、まだ船の旅はおそらく明日まで続くようだった。


 今日は着くと思っていたのに、結局また船の上で夜を迎えた。また三食あの麦飯のおにぎりが続く。信吉と嶺子も、だんだん元気がなくなってきていた。この子たちに早くおいしいものを食べさせてあげたいと、八重子はそれだけを願っていた。

 自分はいい。それにちょうど今は断食の四旬節の期間だ。食事も配給され、しかも確実に故国へと自分たちを船は運んでくれている。主の御受難に比べたら、こんな苦難は苦難のうちに入らないと八重子は自分を励ました。


 その次の朝、目を覚ますと不思議な光景があった。

 八重子が座っているところからも見えるくらい、きれいな三角錐の山が陸地の上にそびえている。少し立ち上がって見てみると、山は海に突き出している岬の先端にあるようだ。緑に覆われたその山は、実にきれいな形だった。


 「ああ、開聞岳だ。薩摩富士ともいわれているよ」


 隣の男性も山を見上げて、そう言った。


 「あれが見えたらもうすぐ鹿児島だ」


 その言葉通り、船は左手へと旋回して開聞岳の麓を回り、向こうに見えている岬との間の海峡に入っていく。

 そのまま進むと、正面にあの開聞岳よりもはるかに高い山が見えてきた。しかもその山は激しく煙を吐いている。

 誰からともなく、拍手が起こった。八重子とて実際には初めて見るが、絵葉書等で見た記憶であれが桜島だということはすぐにわかった。


 船はゆっくりと桜島に近づく。海峡はより一層幅を狭くしたが、まだ奥へと続いているようだ。その海峡の左側、桜島の対岸が鹿児島の港のはずである。


 「のぶちゃん、嶺子、見てごらん、煙はいてる山」


 八重子は二人の子供にも教えた。二人とも力なく、うつろな目を上げた。子供たちが横になっているところからは見えないので、八重子はふらふらと立ち上がって一人ずつ抱っこして桜島を見せた。信吉ももうぐたっとしていたが、桜島を見たとたん目を輝かせた。


 「うわ」


 やはり新鮮で珍しい景色は、疲れ果てた子供たちにも少しは活力を与えたようだ。


 「山?」


 「うん、山。もうすぐ着くよ」


 嶺子が今度は自分とせがんだので、やはり同じように抱き上げて桜島を見せた。

 だが、船は港に接岸する手前で停止し、錨が降ろされた。ここからボートで上陸するのかと、人々はざわめいた。船員からも何の説明もない。もう午後であったが結局船は動かないまま、雪が降りだした。


 「え?」


 誰もが驚いていた。空は晴れている。しかも、三月も中旬過ぎで、さすが南国鹿児島だけあって昼間は春の到来を思わせるような陽気だ。

 それなのに雪が降っている。


 「これ、雪じゃあない」


 誰かが叫んだ。甲板にうっすらと降り積もったものを見ても雪のような水分はなく乾いた細かい砂のような破片で、しかも積もっているところは白ではなく黒くなっていった。まるで炭の粉が降ってきたようだ。


 「火山灰だ」


 また誰かが言う。果たして黒い雪のように降ってきたのは、桜島からの火山灰だったのだ。

 火山灰は甲板だけではなく、そこにすし詰めに座っている人々の頭や体の上にも容赦なく降り注いだ。顔も着物も黒くなる。

 そして、そのまま船は動かず、夜になった。


 次の日もいつ船が動くかという人々の期待をよそに、一向に船は動く気配はなかった。煙突から煙は出ておらず、汽笛も鳴らず、エンジン音さえ停まっていた。

 それでも航行中と違って揺れないだけよかった。

 その日も、そしてその翌日も、故国の大地を目の前にして、船の人々は足止めされていた。理由はわからないし、いつ動くのかもわからない。何の説明もない。まるで「おあずけ」を食らったようだ。人々もだんだんいらいらしてきている様子だった。


 せっかく皆がもう戦争は終わったのだし、これから故郷に帰るのだからと努めて明るい話をするようにしており、あちこちで談笑も聞こえてきていたころだ。だが、一気に船内の様子は重苦しくなった。皆がイラついている以上、下手なことを言うと怒鳴られかねないのでだれもが黙った。


 その次の日も三食また麦飯のおにぎりを食べただけで、そのまま一日が暮れた。

 火山灰はずっと降り続いているというわけではなく、時々思い出したように降ってくる。桜島の上の噴煙は相変わらずだ。しかも山肌には、最近流れ出して固まったばかりという感じの溶岩の筋が、火口から海まで達しているのが遠目ながらも見えた。


 こうして船が停まってから三日後、やっと汽笛の音が鳴った。人々は歓声を上げた。

 船はゆっくりと動きだし、港の方へと近づいて行った。思えば上海を出航してから七日目だった。

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