翌日の夕方、永田先生が大学より戻るのを待って、八重子は隣家を訪れた。永田は大学の助教授とはいってもまだ三十代前半の若さで、竜之助と同じくらいだ。

 八重子は上海行の話が出ているが、その条件として看護学校をやめることを言い渡されたことなど手短に話した。


 「先生しぇんしぇいのお蔭で先生しぇんしぇいのおられる医科大学付属の看護学校に入れていただきましたけん、先生しぇんしぇいに相談もなしで決めるわけにはいかんと思いまして」


 「んにゃ、なんも私が入れてあげたわけではなか」


 永田は少し笑った。そしてすぐに真顔になった。


 「今大陸は日華の事変が泥沼と化して、あちこちで戦闘が行われとる。私も実際に従軍医としてこの目で見てきた。悲惨なもんたい、戦争は。看護婦になったら従軍看護婦として戦地へ行かされるんじゃなかかっていう竜之助君の心配はようわかっとよ」


 「ばってん……」


 「まあ、実際上海ば見てきたらよか。ばってん上海はほとんどが日本人の町で、しかも長崎の人がいちばん多か。そんでも、私は大陸に着いた時も帰国の際も上海ば通過したばってん、上海の町も今はすごかこつになっとっと。まあ、これから落ち着いていくかもしれんばってん」


 家の中では永田の子の幼い兄妹がはしゃいで走り回っていたので落ち着かなかったが、八重子にとってもなじみの子たちなのでそれほど気にならなかった。八重子の家の方が竜之助の子たち、そして最近は弘子も加わって連日大騒ぎだからだ。


 「今、それぞれが与えられた天賦タレントでいかにお国のため、陛下のおん為お尽くしするかが問われとっとばってん、我われキリスト者はさられにそいに加えていかに福音を多くの人に告げ知らせるか、天主様の手と足になってお使いいただくかいうことも加わるけん、よう考えてみんしゃい。それが八重子君にとって看護婦かもしれんし、またほかの何かかもしれんばってん、それは私にはわからん。あとはよくお祈りばして、マリア様、イエズス様にお聞きになってみっとたい。天主様はきっとお答えをくださる」


 八重子はうなずいて聞いていた。だが、そうするまでもなく、もう目の前にいる永田の言葉自体が主のみ言葉のような気がしてならなかった。


 「看護婦ばやめるということになっても、私への気兼ねは全く必要なか。あ、そいから、船の切符買うときは旅券はいらんばってん、今は昔とちごうて警察で写真付きに身分証明書ば発行してもらって、そいばもっていかんといけん。それも時間がかかるけん早めに。あと、伝染病の予防接種証明書も必要だけん、それは大学病院で受けっとよか。退学してから摂取受けたらよんにゅう金ばとられるばってん、今のうちに受けとけば安かとよ」


 永田はそんなことまで細かく言ってくれる。ほとんど上海に行くことが前提であるように八重子の耳には聞こえた。もうますますそれが主のみ摂理のような気がしてならなかった。


 たしかに警察署での身分証明書交付には時間がかかった。さらには夏休み前まで自分が通っていた看護学校がある医科大学付属病院で感染症予防接種も受けた。

 看護学校は医科大学付属ではあるが医科大学構内ではなく、ほんの少し南にある医科大学付属病院の敷地内にあった。ほんの数カ月間だがともに学んだ友達と最後の別れを言いたかったが、今は夏休みで誰もいない。多くの学生は看護学校と棟を連ねる寄宿舎に入っているが、今は皆帰省してしまってそこは無人だった。

 もっとも八重子は自宅が歩いて二十分弱の至近距離にあったので寄宿舎には入っておらず、それでほんの数カ月ではそれほど仲のよい友達もできなかったのだ。


 そして精霊流しも終わって盆明けのころ、八重子はその数カ月間だけ通った道を看護学校へ向かった。大橋から路面電車で病院下まで行くという手もあるのだが、大橋まで歩く距離と電車の待ち時間を考えたらかえって歩いた方が早い。

 まずは天主堂の下を通り、天主堂に一礼してからそのまま畑の中を南下する。途中、左手に医科大学のいくつもの頑丈な建物が見えるがそれを横目に進むと、やがて大学病院が見えてくる。

 まずはその大学病院の方で予防接種証明書をもらった。そのまま看護学校の事務室に行き、退学届けを出した。事前に話はしてあったのですんなりと受理され、拍子抜けするくらいあっけない退学だった。

 ここで退学したら、上海から帰ってきた後どうするのかという問題があったが、八重子はそのことについては何も考えていなかった。


 その足で病院下から電車に乗り、長崎駅、大波止、出島と過ぎて築町で出雲町行に乗り換えて大浦で降りた。このあたりの海岸通りにはまるでヨーロッパのような洋館が立ち並んでいるが、その中の一つが上海航路を運営している東亜海運だ。そこで八重子は上海行きの船便について尋ねてみた。

 上海航路の日華連絡船は昨年までは日本郵船が管轄していたが、今は新しい帝国政府の御用会社である東亜海運に移管している。

 出港日は曜日が決まっているわけではなく四日に一度という頻度での航行だと聞いていたが、聞くと今日が出港日で次は三日後、つまり次の金曜日ということだった。

 そこで八重子は身分証明書と感染予防証明書を提示し、和室の二十円を払って切符を購入した。弘子は幼児であるため無料である。


 「あと、事変以来最近は監視の目も厳しくなっとって、特高も乗りよっていろいろ検査もありますけん、渡航目的を証明できるもんば持って行った方がよかとですよ」


 窓口の係員の青年は、親切にもそう教えてくれた。本当にもう、上海はひところのように気軽に行ける場所ではなくなっているようだ。


 それからの三日間は、本当にあっという間だった。

 前日は隣の永田家も交えて八重子の送別会ということだったが、結局は竜之助が飲みたいだけだったという感じがする。


 「はよ帰ってくっとだぞ」


 よってろれつが回らなくなっている竜之助は、ただそればかりを繰り返していた。


 「もう私、十九になるのだけん」


 「十九になるから何ね? 十九になるから家を出っととか? そぎゃんこついけん」


 竜之助は完全に出来上がっていて、八重子と竹子は互いに苦笑の顔を見合わせていた。永田はあまり飲んでいなかった。


 「最近どうも体調が悪かとですけん」


 そういって竜之助の酒を何とかごまかしていた。


 「なんじゃ、医者にでも止められとっとね」


 「ああた、永田先生しゃんしぇいご自身がお医者さんばい」


 竹子に突っ込まれて萎縮する竜之助を見て、永田は声を上げて笑っていた。


 「八重子君」


 永田は笑顔を八重子に向けた。


 「どげなことがああてもマリア様が君ば守ってくれらすけん、なあんも心配することなあが」


 「はい」


 「ただ、向こうでは生水だけは飲んだらいけん」


 大陸へ行ってきたばかりの人からのアドバイスは重みがあった。永田は普段は長崎弁をしゃべるが、酔うとそこに生まれ故郷の出雲弁が混ざるのがおもしろかった。


 出発の朝、八重子は弘子とともに天主堂に祈りに行った。ちょうど朝のミサが終わったところで、平日のミサだけにあまり信徒はいなかった。祭壇に向かってロザリオを一環祈った後、天主堂の入り口にいた主任司祭の西野神父に挨拶をした。


 「まあ向こうで天主様はどんな出会いをご用意してくださっているか、楽しみですね」


 長崎の人ではない西野神父は、ラジオのような言葉を使うと八重子はいつも感じていた。

 そして午前中に、見送りの竜之助と竹子やその子供らとともに八重子は弘子を抱いて大橋から電車に乗り込んだ。すぐに帰ってくるということだから、八重子はそんなに荷物はない。

 大橋は路面電車の始発停留所なので、早くに行けば必ず座れる。そのすぐに帰ってくるはずの長崎の町の景色が八重子にはやけにいとおしく感じた。

 電車は出島で降りた。出島といってもあの江戸時代の扇型の出島は埋め立てられてもう影も形もなく、地名として残っているだけだ。

 海岸には鉄道の終点駅である長崎港駅があって、日華連絡船はその駅とつながっている。つまり駅のすぐ裏手が埠頭で、そこにすでに巨大な黒い客船の長崎丸は横付けされていた。煙突からはすでに煙が出ている。その前と後ろには高いマストがあった。


 「こん船はイギリス製たい。5000トンはあっとじゃろ」


 その船を見上げて竜之助はつぶやいていたが、午後一時には出航なのでそろそろ八重子は乗り込まなくてはならない。


 「あんちゃん、義姉ねえさん、行ってきます」


 「ああ、気を付けて」


 「明日の午後にはもう上海に着くそうじゃけん」


 「速かね」


 そして竜之助は八重子に向かって十字を切った。


 「イエズス様、マリア様のご加護がありますように」


 「ありがと」


 そして八重子は弘子を抱いて、手を振りながら船へのタラップをほかの乗客とともに上っていった。

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