第9話 現実は小説より急展開なり。




「おはよー、凛……っては????」

 大きい声が部屋に響き、思わず顔をしかめる。どうやら、千春が来たらしい。おはよう、と起き上がろうとしたとき、身体が動かないことに気がついた。そして、背中にある温もりに気がついた。

「んぅ、赤星、せんぱ」

 バッと振り返るとそこにはYシャツしか着てない青木さんがいて。私もYシャツしか着ていなくて。千春が目を白黒させて混乱しながら、「事後????」と聞いてきたのだった。





「もー、昨日大変だったんですからね!」

 ぷくー、と頬を膨らませた青木さんが、いそいそと着替えながら、事の顛末を話してくれた。酔っ払った私は、居酒屋で寝こけてしまい、その後浅葱に住所を教えてもらって、彼女が送ってきてくれたらしい。家についたときに、私を起こして、ちゃんと部屋に入ったのを確認して帰ろうと思ったのだけど、心配になって玄関を開ければ、玄関で気持ち悪いと私が蹲っていたのだとか。

「気持ち悪いっていうから、ひとまずスーツとか諸々脱がせて、私も着替え持ってきてなかったから吐かれたら嫌だな、と思って脱いだんですよ。そうしたら、この人私のYシャツ掴んだままふっかい眠りに落ちまして!!」

「あはは……ごめんね。凛がお世話になりました」

「……全く覚えてない」

「でしょうね!」

 プンプン怒りながら、彼女は千春の入れたコーヒーを口につける。お気に召したらしく、「うまっ」と目を見開いていた。

「えっと、赤星さんの、同居人とかですか?」

「いやいや、たまたま今日遊びに来る予定立ててただけの友達だよ。桃瀬千春っていいます。これからも凛をよろしくお願いします」

「いえいえこちらこそ。青木藍璃です。赤星さんと同じ課の後輩です。これからも赤星さんの面倒を見ます」

「後輩に面倒を見られるほど落ちぶれてないわ!」

「着替えてから言いなよ」

 鋭く突っ込まれて、思わず自分の格好を見返す。まだYシャツのままだったわ。適当に着替えようと立ち上がったその時、ガチャと扉が開いて千尋ちゃんが入ってきた。

「え、何修羅場?」

 彼女が見たのはYシャツだけ着た私と私に早く着替えろと怒る二人の姿。確かに修羅場に見えるだろう。

「修羅場なわけではないわよ」

「おはよう、千尋ちゃん」

「おはようございます!!」

 千春にガバッと抱きつく、千尋ちゃん。相変わらずよく懐いている。抱きついた姿勢のまま、じっ、と青木さんを見て「誰」と言った。初めて家に上がりこんだ人を警戒する飼い猫のようだ。

「この子は私の後輩の青木さんだよ。ちょっと頭のネジ外れてるけど悪い人じゃないから」

「はじめまして」

 青木さんがいつものにこやかな笑みでふわりと笑うと、なおさら千尋ちゃんは顔を強張らせた。

「赤星先輩、こんなに女の子家に連れ込んで……」

「はいはい。ほら、青木さんはもう帰りなさい」

「一夜を過ごした仲なのにぃ」

 ぶうぶうと文句を上げる青木さんを宥めながら、玄関へと向かわせる。

「私のお世話させちゃってごめんね、今度埋め合わせはするわ」

「じゃあ、本当に水族館、連れてってくださいね」

「もちろん」

 約束ですよ、と可愛らしくウインクしたあと、彼女はパタパタと出ていった。彼女が見えなくなったあと、「はぁー」と深くため息をついて、しゃがみ込む。

「うわ、どうしたの凛」

「後輩にかっこ悪いとこ見せた……」

「隣に住むJKにいつもかっこ悪いところしか見せてませんから、大丈夫ですよ」

「そういう問題じゃないわ……」

 私に憧れてくれていると言う彼女に幻滅されたかもしれない。なんだか悔しい。

「へぇーふーん、そーなんだー」

 千春が何故かニヤニヤと笑いながら私の肩に手を置く。

「まぁそういうときもあるって」

「なによ」

「べっつにー。千尋ちゃん、買い出しいこ。今日タコパしたくて」

「タコパ!! いきます!!」

 さっきの警戒する猫みたいな様子はすっかりなくなって。デレデレに甘えながら二人で出ていった。

「普通においていかれた……」

 ふと時計を見れば、もう12時を過ぎていて。もう一眠りする時間でもないし、ひとまずシャワーを浴びることにしたのだった。浅葱から、「良いもの見せてもらったから飲み代は結構」と一言ラインが入っており、思わず頭を抱えた。



 タコパして、またまたさんざん飲んで、千春と二人で千尋ちゃんに取り上げられといつも通りの時間は、あっという間に過ぎていった。

「外で泥酔するまで飲むなんて珍しくない? いつもならちゃんと帰ってこられるようにはセーブするじゃない」

「うっ、昨日は潤もいたし、あの子がいろんなお酒をたくさん勧めてくるから……」

「潤くんがいたのか。ほかは?」

「浅葱……」

「あー噂の王子様。その人と二人きりならそこまで飲まなかっただろうにね」

「弱みを見せたくないやつに見せた気分よ……」

 すっかり落ち込む私を肴に、二人はオレンジジュースをグビグビと飲んでいる。

「普段カッコつけてるのにねー」

「まー後輩ちゃん、送ってくれるくらいにはアンタのこと気に入ってるみたいだし、大丈夫じゃん?」

「月曜が怖いわ」

 仕舞われてしまったお酒が恋しくなりながら、私もオレンジジュースを煽る。自分の息が酒臭くて少しカシオレでも飲んでるような気分になる。

 その時、ピコン、と千尋ちゃんの携帯がなった。画面をみて少し顔を顰める。

「どうしたの」

「お父さんたち、遊園地デートしてくるっぽくて。コーディネートの相談。浮かれちゃって馬鹿みたい」

 彼女が見せてきた画面には、顔の隠れた男性がいろんな洋服を着ている画像。彼女のお父さんだろう。スタイルが良くて、かっこよさそうだ。

「行かなくてよかったの」

「二人と一緒なら行く」

「かー、何こいつ可愛い」

「今度行こうね」

 少しだけ顔を赤くした千尋ちゃんが千春に頭を撫でられて俯く。彼女の家は、早くにお母さんをなくしていて、お父さんが再婚する予定の人とお付き合いしている状態だ。千尋ちゃんは結婚してほしくないらしい。お母さんになる予定の人のことを嫌いなわけじゃないけれど、やっぱり色々複雑なのだろう。



 その後千尋ちゃんは千春の膝の上でいつの間にか眠ってしまった。

「私達二人に妹ができたみたい」

「妹っていうより生意気な従姉妹じゃない?」

「言えてる」

 冷めきったたこ焼きをつまみながら二人でダラダラと話す。いつの間にか話の流れはお互いの会社の話になった。

「そういえばさ、あんまり期待させちゃ駄目だよ」

「なんの話?」

「さっきの子。気づいてるんでしょ」

 青木さんが私に好意を持っているであろうことに千春も気づいていたようだ。千尋ちゃんの頭をゆるゆる撫でながら、じっと私を見据える。

「凛が本気になれる相手なら、止めはしないけど。本気になれないなら、優しさを見せちゃだめ。相手も、アンタも辛くなるだけよ」

「……うん、わかってる」

 彼女の言葉は心臓が痛くなる。私が彼女にそうさせてしまった過去があるから。それでもこうやって親友でいてくれる彼女の優しさに私が甘えすぎてしまっている。

「よし、この話はもう終わり!!! 千尋ちゃん、自分の部屋に寝かせてくるね」

「ん。私お風呂沸かせてくる。ちなみに今日泊まってくでしょ」

「うん。明日朝から買い物付き合ってよ」

「はーい」

 寝ぼけ眼の千尋ちゃんを引っ張って彼女が出ていく。その後ろ姿を見ながら、無償に泣きたくなってしまった。

 



 

 千春が泊まりに来た次の週。私は魚の大群の目の前にいた。頭には何故かウーパールーパーの被り物を被り、手にはオオサンショウウオジュースを持たされ、後ろからは一眼レフのシャッター音が物凄い勢いで聞こえてきていた。

「青木さん、これはそのー」

「こないだお世話したので! このくらいいでしょう、顔は撮りませんから」

 そんなことを言われながら、私は彼女のおもちゃになっていた。水族館というロマンチックな場所なのにロマンチックさのかけらもなくて、なんだか逆に楽しく思えてきていた。


 イルカのショーで思いっきり水を浴びたり、アシカに初めて触ったり、いろんなことをしながら水族館をたっぷり楽しんだ。その間青木さんはちっとも変なところはなく、いつも通りの彼女だった。

「はい、これ、その、今日付き合ってくれてありがとうございました!」

 そう言って渡されたのはダイオウグソクムシのぬいぐるみ。

「うそ! 私これ欲しかったのよ!」

 まさか彼女からもらえるなんて。ちょっとへんてこだけど、ちゃんとくるって丸まるし、触り心地もいいし、可愛すぎる! 嬉しさのあまり口角がへにゃへにゃと上がってしまう。

 パシャ、と音が聞こえたと思ったその時には、彼女が一眼レフをこちらに向けていた。

「顔撮ったでしょ」

「可愛くってつい」

「まぁ私なんかで良ければ言ってくれれば撮ってもいいけど」

「本当ですか! じゃああの、もう一枚いいですか」

 彼女がカメラから視線を外し、上目遣いで聞いてくる。うぐ、可愛い、これはその、誰でも可愛いと思うと思う。多分ダイオウグソクムシのぬいぐるみと同じくらい。

「じゃあ撮りますよ〜」

 いざレンズを目の前に向けられると恥ずかしくなっちゃって、ダイオウグソクムシに少し顔を隠す。それと同時にパシャとまた音が聞こえた。彼女がかちかちと画面を確認する。それが恥ずかしくて、少し彼女から視線を外した。

 

「好きだなぁ」


「へ?」

「あ、あの、なんでも、な、う……」

 ぶわぁぁぁと彼女の頬が赤くなっていく。さっきまで私に被せていたウーパールーパーの被り物で顔を隠すけれど、横から出た耳が茹で蛸みたいに赤い。

「青木さん」

「ひゃい!」

 彼女に声をかければ彼女の声は、イルカの鳴き声かと思うほどひっくり返っていて。その様子が可笑しくて可愛くて思わずクスクス笑ってしまった。

「う、笑わないでください。私もっとかっこよく、気持ちを伝えたかったのに」

「青木さんらしくていいんじゃない」

「あーもう最悪」

 へにゃへにゃと座り込む彼女の頭を撫でれば、彼女にペシッと払われる。むぅ、とした顔がやっぱり可愛くて、頭を撫でてしまいたくなる。

「私、赤星さんのこと好きです。もちろん、恋愛感情で。女同士だし、抵抗あるだろうし、そんなのはわかってます。それに先輩の返事も」

 スクリと立ち上がった彼女は、私のことをじっと見た。その目は力強くて、熱を帯びていた。

「私諦めが悪いんです。何回何万回断れようが、どれだけ月日が経とうが、何ページも、何話も何冊になろうが、諦めません」

 今度は私が顔を赤くする番だった。彼女の口から飛び出る言葉の一つ一つが一度ずつ、体温を上げていくようなそんな感覚。

「覚悟してくださいね」

 その言葉が、嬉しくて、恥ずかしくて、それと同時に恐ろしくて堪らなかった。

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