第7話 現実は小説より非鈍感なり。



 昨日はお風呂から出た途端、千尋ちゃんに飛びつかれた。どうやら週末千春がうちに来るらしい。二つ返事でオッケーをしたのだとか。いや私の家なんですがここ。まぁその後さらに片付けに気合が入ったのか、部屋はキレイになっていたけど。女子高生に片付けさせて申し訳ない。私だって家事しようと思えばできる、はず、多分。

 目玉焼き作れるし、カップ麺作れるし、りんごも切れる。……そろそろ、千春に料理教えてもらっておこうかな。

「赤星せーんぱい!」

「ぎゃっ」

 考え事をしながら歩いていると、後ろから衝撃が。慌てて踏ん張るが、バランスを崩してしまった。転けそうになるけど、ひょい、と後ろから支えられ、転ぶことはなかった。

「私を後ろから驚かすことが趣味なのかしら??」

「にゃへへ、ごめんなさい〜でも転びそうになっても私支えるので大丈夫です! これでも中学時代は、テニス部で全国いってたので!」

 私がムスッとしても彼女は全く気にすることがない。私が怖い顔をすれば大抵の人は少し怯むのに、この子は怯むどころか嬉しそうな顔をする。

「一緒に行きましょ!」

「はいはい、というか昨日はちゃんと帰れたの?」

「紺野さんのおかげで帰れましたよ」

「良かった……」

「心配してくれてたんですか〜!」

「ちっとも」

 プイと横を向いたというのに彼女は、クスクスと嬉しそうに笑った。たったほんの少しの会社までの道のりなのに、彼女はとても楽しそうだ。

「何がそんなに楽しいの」

「赤星さんと一緒なんですもん」

 私は対して面白い話をしているわけじゃないのだけど。小首を傾げる私にまた彼女は笑った。



 私は若干二日酔いで頭が痛いというのに、彼女は全く持ってなんともなさそうだ。若さ故なのか。そのとき、ふと昨日の酔っていたときの彼女を思い出した。今よりずっと素直で可愛らしかった気がする。

「そういえば、昨日ずっと前から私に憧れてたって言ってたけど、いつから? あまり接点なかったわよね」

「……? なんのことでしょう、私そんなこと言ってましたっけ?」

「もしかして、お酒入ると忘れるタイプ?」

「お恥ずかしいことに」

 照れくさそうに笑う彼女は、昨日のことを本当に覚えてはいないようだ。

「そ、そう、ならいいわ」

「私なにか変なこと言ってました?」

「ただ前から私に憧れてたって言ってただけよ」

 昨日のベタベタしてきたことや大好き〜と言ってすり寄って来たことも覚えてないのだろう。大好きなんて言っていたのも、きっとお酒で気が大きくなっていただけなのだ。相手が男だったら相当危ないだろうに。

「実は私こうやってジョシ課で赤星さんと一緒に仕事する前に、会った事あるんですよ。きっと赤星さんは覚えてないんだろうけど」

 青木さんのような強烈キャラと会っていたら相当記憶に残っているはずだけど……と思い、記憶を掘り返してみるけれど、一向に思い出せない。

「ごめんね、覚えてないわ」

「許せないので今日お昼一緒に食べてくれません? 朝お弁当作りすぎちゃって」

「え、いいの?」

「もちろん」

 彼女がちらりと見せたお弁当箱はかなり大きく、更にその下にタッパーもありそうな感じだ。確かにこの量は一人じゃ食べ切れないだろう。

「そういえば、赤星さんはお弁当派じゃないんですか?」

 そう聞かれて思わずドキリとする。この年になってまともに料理をしたことがないと言ったら引かれるかもしれない。どう答えればいいか悩んでいるうちに、彼女がニヤと笑った。

「もしかして料理できないタイプ?」

「うっ」

「えー何それ、可愛すぎません? 赤星さんみたいな何でも出来ちゃう人が……」

「あまり言いふらさないでね」

「ふふふ、かわいー」

 彼女は完全に面白がっているようだ。クスクスと口に手を当てて笑っている。僅かばかりに顔が赤くなっていくのを感じて、私は足をぐんと早めた。急にスピードを早めた私にちょっと駆け足になって彼女が追いつく。ふわりと彼女の柔らかい髪が揺れた。

「これからは私がお弁当作ってきてあげますね」

「それは悪いわよ」

「むー、じゃあこうやっていっぱい作ってきちゃった日は一緒に食べてください」

「……わかった」

 やった、と笑う彼女は可愛らしく見えた。



 



 オフィスにつくと、私の顔を見るなり紺野さんがすっと視線をそらした。更になんだかずっとソワソワしているのだ。機嫌が悪いのかと思ったけれど、そういうわけでもないらしい。勤務時間が始まっても落ち着いていなくて、しびれを切らした若草さんが話しかけに行った。

「課長どうしたんすかー、デートでも決まりました?」

 その瞬間、紺野さんが手で顔を覆った。耳は僅かに赤い。若草さんがこちらに振り返ってグッと親指を立てた。

「課長も可愛いとこあるのね」

「ですね!!」

「煩いわよ、アナタたち……もう、少し休憩にしましょう」

 課長がじと、とこちらを睨みつけてくる。しかしそれに反して耳が赤く、イマイチ説得力がなかった。紺野さんに恋人がいるという話は本当だったらしい。休憩にするということで、白金さんがお茶を入れてきますね、とすぐ立ち上がった。若草さんと紫倉さんはワクワクした様子で課長に話しかけに行った。

「どこ行くんですか!」

「遊園地……」

「かわいいー!!!」

 そこからは若草さんと紫倉さんによる遊園地のおすすめのアトラクションやら、フードやら、ファッションのプレゼンが始まっていた。

「遊園地かー、行きたいなぁ」

「じゃあ今度私と行きましょ!」

「アンタといったら精神的にも体力的にも死にそうだわ」

「えー!」

 ぴえん、と泣き真似をしながら、青木さんがじゃあここなんてどうですか、と見せてきた画面には水族館があった。可愛らしいラッコが画面越しにこちらを見ている。

「水族館いいわね……」

「こんなぬいぐるみもあるんですよ」

「可愛い……」

「行きましょ」

「行きたい……」

 次々と魅力的な画像を見せてくるものだから思わず私は頷いてしまった。

「今週の日曜はどうです?」

「あーごめん」

「むぅ、なにか用事ですか」

 家に来客が、というとしたその時、ことりと机の上にお茶が置かれた。白金さんが、画面を覗き込む。

「水族館いいですねー!」

「白金さんも行く? というかどうせなら皆で親睦会がてら行ってもいいかもしれないわね」

 私がそう呟くと、紺野さんががたりと立ち上がって、いいわねそれ、と激しく同意してきた。若草さんや紫倉さん、紅谷さんも、おお! と大盛り上がりだ。

「今月末の日曜はどうかしら」

 皆も日曜は空いていたらしく、その日に決定になった。ぬいぐるみ、また買っちゃおうかな。ちょっと調べてみたらダイオウグソクムシのぬいぐるみがあるらしい。しかもちゃんと丸まるやつ。

「むぅ、二人でデートしたかったのに」

 青木さんがこて、と少し寄りかかってくる。この子はもしかしたらグループとかの中で自分と常に一緒にいてくれるペアのようなものを作りたがるタイプなのかもしれない。だから私にこうしてベタベタしてくるのかも。

「私と二人きりじゃつまらないわよ」

「そういうことじゃないんですー。色々聞きたいことあるのに……」

「話ならいつでも聞いてあげるわ、それに出かけるのだって予定さえ合えば付き合うわよ」

「本当ですか! じゃあぜひ!」

 青木さんの目がキラッと輝く。私と出かけたいなんて本当に珍しい子だ。まぁ懐いてくれる子が可愛くないわけがない。



 その時ポン、と肩に手が置かれた。

「ねぇ今度私とも、お出かけしてくれない? 付き合ってほしい場所があるの」

「え、いいんですか! もちろん!」

 紺野さんから誘われるなんて。紺野さんのような女性になれるようにと外見だけでも磨いてきたお陰だろうか。そりゃあちょっと、その、部屋は汚いけども。酔っ払って忘れてしまうとき以外はきちんとスキンケアもしているし、食事も多少なりとも気をつけ、運動だって適度にしているのだ。運動は半分自社の製品をちゃんと試したい的なところがあるけども。

「それじゃあ皆そろそろ仕事を再開させましょう」

「はい!」

 ゾロゾロデスクに戻っていく中、またじっと青木さんが紺野さんを見つめて固まっていた。その目を見た瞬間、何故かゾッとした。見定めるような、何かを探ろうとしている目だ。

「あ、青木さん……?」 

「あっ、なんでもないですよ〜。ちょっとぼーっとしちゃって。それより、私と先にデートしてくださいね? お昼休みに計画立てましょ!」

 そういった彼女にコクリと頷くことしかできなかった。ニコニコ笑っていたけれど、何故かほっとできなかった。紺野さんのことが好きなのかと思っていたけれど、もしかしたら、その逆かもしれない。







 お昼休みに入ると、彼女が速攻で私の手を引っ張り、屋上まで連れて行った。この会社は屋上が広く、公園のようになっていた。そこで商品の使い心地などを試せるようにもしてあるのだ。テラスの席に座って彼女がお弁当を広げる。

「うわぁすごい」

 彼女のお弁当はサンドウィッチやら、美味しそうなおかずがずらりと並んでいた。サンドウィッチに関しては何種類も種類がある。

「本当に料理できるのね……」

「できないと思ってたんですか?」

「いやだって、レンジとか爆発させそうだなって」

「まさかそんなことしたことないですよ」

 私は一週間に一回は爆発させるか、容器を溶かします、なんて言えるわけもなく、ハハハ、と乾いた笑みで返した。

「実家暮らしなんですか?」

「いや、一人よ」

「じゃあどうやって料理を……?」

「うっ、コンビニで済ませるか、お裾分けを近隣の人から……」

 隣のJKが差し入れしてくれます、なんてことも言えるわけなく。情けない気持ちになっていると、「じゃあ、今度私が作ってあげますね」と言ってくれた。後輩にまで気を使われている……。



 どうぞ、と差し出されたサンドウィッチを一つ取る。照り焼きチキンと卵とレタスが挟まったものだった。一口かぶりつけば、チキンの肉汁がジュワ、と溢れ出してパンに染みてさらに、口の中で広がっていった。少ししなしなになったレタスもてりやきのタレと合わさってちょうどいい味付けになっていた。

「美味しい……!」

「ふふ、いっぱい食べてくださいね」

 照り焼きチキンサンド、たまごサンド、ハムサンド、あんバターサンド、イチゴのフルーツサンド、たくさんの種類があってみてるだけでも楽しくなる。しょっぱい系を食べたあと、しっかりと冷やされた生クリーム満載のフルーツサンドを頰張っていると、彼女がじっ、とこちらを見ていることに気がついた。

「う、なに? なんかついてる?」

「動かないでくださいね」

 そう言われて動かないでおくと、私の口元を彼女の親指でぐいっと拭った。そして、それをぺろりと自分で舐めた。

「ふふ、あま」

「なっ、なっ、なに、なにして……」

「かわいー、真っ赤ですね、先輩」

 目の前でいともたやすく行われた行為は、私の心臓を物凄い勢いで加速させた。恥ずかしさと混乱で、頭がぐるぐるした。

 そんな私を思う存分眺めたあと、彼女は何事もなかったかのようにサンドウィッチを食べ始めた。

 いやうん、そうだよね、口を拭われただけ。うん。その後なんか上目遣いで見せつけられるように舐められたけど。うん、このくらい普通のことだよねうん。

「いやいやいや、普通じゃない、普通じゃなくない?」

「赤星さんのそんな顔初めて見ました」

「あの、なんで、その舐めた……?」

「美味しそうだったので」

 普通人の口についてたものとって舐める??? コバンザメか?

「そういえば、赤星さんって好きな人いたりするんですか」

 まだこっちは混乱しているというのに、彼女はいつも通りの顔でそんなことを聞いてきた。

「いや、恋人も好きな人もいないけど……」

 コーヒーカップに乗っているような気分のままそう言うと、彼女は嬉しそうに笑う。

「先輩、仕事が恋人みたいな感じですもんね!」

「失礼な」

 彼女は酷く安心したような表情で笑っていた。しかしその目は熱くて直視できない。流石に、いくら私でもここまでくれば、彼女が私にどう思っているのか、なんとなくわかってきた。ここ十年くらいまともに恋愛してないのだけど、これは、そのそういうことなのだろうか。今までの行動も、もしかして。

 私は恋愛小説の中の鈍感すぎる主人公じゃない。彼女を傷つけないためにも、ちゃんと聞いておいたほうがいいのかもしれない。そう思って、彼女の方に向きなおる。

「あの、」

「いやぁ、女の子二人がいちゃいちゃしているのは眼福だねぇ」

 思い切って話そうとした瞬間だった。折角、頑張って口を開いたのに。じと、と声をかけてきた主を睨みつければ、そいつは「おおこわ」と言って両手を上げた。白々しいその声に私の気分は急降下したのだった。



「邪魔しちゃってごめんね」

「別に。なんのようかしら、浅葱さん」

 隣の青木さんが、きょとん、とした顔でこっち見てくる。彼の紹介を軽くすれば、どうも、とだけ言って頭を下げた。

「はじめまして、ではないのだけどね、よろしく青木さん」

 またもや青木さんがきょとん、という顔をした。どうやら昨日エレベーターで突進してきて彼に受け止められたのを覚えてないらしい。その様子に彼はクスクスと笑う。

「本当に面白い子だね」

 彼のその表情は獲物を狙う肉食獣の眼だ。この目でどれだけの純情な女の子たちを落として来たんだか、実際青木さんも彼の目をじっとみてしまっている。何故かそれが少しだけ残念に思えて、もやりと違和感が募った。

「そうだ、連絡先交換しておこうよ」

 ふっ、と頬を緩めて彼が笑いかける。これである程度の女の子はコロコロと彼に落ちていくのだ。何故か猛烈に不安になりながら、彼女の顔をちらっと見ると興味なさそうに、「はぁ……」と生返事をしていた。

「ぷ、ふふ、あはは、残念だったわね、全くあなたに興味がなさそうよ」

「あ、ごめんなさい」

 流石の浅葱にも彼女の反応は応えたのか、眉をヒクヒクさせている。その様子がさらに面白い。しかしすぐに眉毛をいつも通りキリッとさせると彼女の耳元で何かを呟いて、その手に紙を握らせた。どうやら最初から連絡先を渡すつもりで用意してきていたようだ。

 彼女は一瞬顔を赤くさせたあと、去っていく彼の後ろをじっと見つめた。そしてぽつりと。

「浅葱さんっていい人ですね……」

 そう呟いたのだった。





 浅葱襲来事件以降、彼女は彼と楽しそうに連絡を取り合っているようだった。なんとなく面白くない。なんでかわからないけど面白くない。

 バタバタと忙しない一週間がもうすぐ終わる金曜日、帰ろうと思い荷物を持ったその時、「りーん!」と馬鹿でかい声が聞こえてきた。

「飲み行こ」

「はいはい」

 なんとなく来るかな、と思っていたけれど、案の定朱澤潤が迎えに来た。定期的にご飯を食べたり飲みに行く仲だから、来そうだな、と言う日はなんとなくわかるようになってしまったのである。

「ひゅー、またお迎えですね」

「そういうのじゃないわよ……」

 紫倉さんや若草さんが冷やかしてくる。彼女たちは、彼とも元同じ部署で知り合い同士だったからか、なおさら私と彼の関係性が発展しないのか気になるようだ。

 お疲れ様です、と言って彼の元へ行こうとしたその時、ぐん、と腕を引っ張られた。驚いて振り返ると、ニコリといつもの笑みがそこにあった。

「私もお供してもいいですか?」

 青木さんの手の力が強すぎて私は頷くことしかできなかった。



「潤、青木さんも一緒でいいかしら」

「いいよー、てか、実は……」

 ほんの少し申し訳なさそうにする彼の後ろから現れたのは爽やかな笑顔。うげぇという顔をした私に彼は、ひどいな、と呟いた。

「浅葱も一緒でもいい、かな」

「はぁー、いいわよ」

 ごめんね、と潤が申し訳なさそうにする。他のがさつな男を連れてこられるよりかはマシだ。

 浅葱がいることに気づいた青木さんが、この前の冷たい態度からは打って変わってふわりと笑って、挨拶をしていた。浅葱も楽しそうに会話を始めた。なんだかそれが気に入らなくて浅葱をげしっと蹴った。

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