第6話 紺野千恵の1話目。



 赤星さんがお店の外に出たのを見送ったあと、紅谷さんがまた明日ーとカウンターに座りながらひらひらと手を振ってくるのに返し、青木さんと共にお店の外に出た。彼女に肩を貸しながら、暫く歩いて、人気のない歩道橋に差し掛かった直後、ピタリと立ち止まった。

「青木さん、酔っ払った振りはやめたらどうかしら」

 私がそう言うとチッ、という舌打ちとともに彼女が私に寄りかかるのをやめた。先ほどまでとろりと溶けていた目はこちらを強く睨んでいて、緩んでいた口はキツく閉められていた。

「どうして邪魔をしてくるんですか」

 私を強く睨みつけたまま彼女がそういった。その意味が少しわからなくて、小首を傾げる。すると彼女は、ハハ、と乾いた笑みを浮かべた。そしてしゃがみこんで、ハァー、と深い息を吐いた。

「言っておきますけど、私赤星さんが好きです」

「そ、それは、Like?」

「LOVEです。まぁ別に軽蔑されても構いませんが、私は自分の気持ちに嘘をつくつもりはありません」

「ラブってあの、LOVE? えるおーぶいいー?」

「えるおーぶいいーです」

 ら、らぶ……ラブ……LOVE……? 

 きっと今の私は見たことのないくらい間抜けな顔をしているのだろう。僅かに残っていた酒は完全に冷めて、風が嫌に冷たい。

「紺野さんが、あの人のことを好きだから邪魔してくるのかと思ったんですけど、違うみたいですね。良かった」

 ニコリと笑う彼女は別人のように見えた。どう言葉を返せばいいかわからなくなって、何度も口を開きかけては閉じた。

 今日、青木さんが赤星さんにベタベタしているのを見て、何故だが邪魔したくなった。何故かモヤっとしたのだ。こう、今日はずっと、何ていうのだろう、水分の抜けきったモサッとしたりんごを食べてしまったときのような苛立ちが湧き上がってきていた。

「……本気なら私は受けて立ちます。だけど、なんとも思っていなら邪魔しないでください」

 本気なら、それはきっと私が赤星さんに恋愛感情を持っていたら、ということだろう。彼女のことはそりゃあもう大切に思っている。教育係をしてきた頃から素直で可愛いい後輩だ。

「す、好きとかそういうわけ、じゃないけど」

「じゃあ、邪魔しないでくださいね、課長。それじゃあまた明日。酔ったフリに付き合ってくださってどうもありがとうございました」

 ピシャリとそういうと彼女はスタスタとしっかりとした足取りで帰っていった。その後ろ姿をぼけっと眺めた。





 



「本日からよろしくお願いします」

 もう何度目かわからない教育係。今回は多少骨があるやつだといいのだけど。そう思いながら出社したその日は、遅咲きの桜がパラパラと舞う温かい日だったことをよく覚えている。まだ私が商品開発部の第1開発課で、人事部に移動する前の最後の一年だった。

 初めてあった彼女は、生まれたばかりの獅子の子供のようだった。周りの様子など気にも止めず、ひたすら仕事に打ち込んで、わからないことがあったらすぐさま聞いてくる。仕事を確実にこなすことを常に目標としていて、周りを固め、確実に成功させていく姿は、狩りでもしているようだった。私は彼女に狩りの仕方を教えたにすぎない。



 サラサラとした長い黒髪と、つり上がった真っ黒な瞳、口紅をつけずとも真っ赤な唇。白雪姫に現代の闇でも投入したかのような見た目の彼女は、周りにキツイ印象を与えるらしく、同期たちと仲良くしている姿はあまり見たことなかった。唯一、浅葱とかいう男には散々話しかけられていたが。

「紺野さん、ここどうなってるかわかります?」

「あぁよく気づいたわね」

 一度教えたことは完璧に覚えるし、教えていないところもすぐに気づいて聞いてくる。優秀な子なのだろう。経歴を見ると、大学はそこまで頭のいいところではないが、スポーツやダンスに特化した珍しいところだった。彼女は幼い頃から、ダンスをやっていたらしい。通りで身のこなしがしなやかなわけだ。



 教えられることすべて教えているうちに、いつの間にか3ヶ月の教育係は終わり、その年が終わり、私は人事部に移動することになった。彼女には一番に移動することを伝えた。

「紺野さん、移動しちゃうんですか」

 私の報告に彼女は、ほんの僅かにしゅん、としたのだ。ついてないはずの耳としっぽが垂れ下がるのが見える気がした。

「私紺野さんのようになれるように頑張ります」

 キリリとつり上がっているはずのアーモンド型の目はこのときばかりはタレ目に見えた。ゆるゆるとその目が濡れていることに気がついて、私は思わず彼女を抱きしめた。

「わっ、ちょっと紺野さん!?」

「ふふ、私貴方の教育係になれて良かったわ。また一緒に仕事ができるときが来たらそのときは全力でしましょうね」

 はい、と返事をして彼女も私の胸に顔を埋めた。そうだ、この時、彼女を守らないとと私は強く思ったのだ。彼女は、他の誰よりも可愛くて大切な部下になった。



 それから会社ですれ違うときも、普段はキリリと背筋を伸ばして歩いていて、それこそ、気高いライオンのようなのに、私に会ったときは、仔猫みたいな表情をするようになった。

 彼女の会社での評判は完全に高嶺の花だった。見た目の良さから男たちは彼女に惹かれるようだけど、いざともに仕事をしてみれば彼女の有能っぷりに打ちのめされ、ミスを自分にも他人にも許さない姿勢についていけなくなる人が多いようだった。

 だけど、私にはと思っていたのに、彼女が入社してから2年後、幼馴染だという朱澤という男が入社してきた。純粋、素直、馬鹿が3つ揃った彼は、中々素直にならない彼女の心の拠り所でもあったようで、彼女は私にも見せたことのない素の表情を出していた。彼女には幸せになってほしい。きっと朱澤くんとお似合いだ。まだ付き合ってないようだけど、いずれ結婚でもするんじゃないか。そう思うと何故か安心して、鼓動が落ち着いた。



 ふわりと、青木さんの表情が浮かんでくる。こちらに敵対心を顕にした必死な表情。強がっていたけど、不安そうで、こちらを睨みつけているのに揺れていた。彼女は、赤星さんのことが好きなのだという。その事実が、何故こんなにも不安になるのだろう。まさか、彼女の言ったとおり、私……





 その瞬間けたたましく音楽が鳴り響く。昔好きだった、ゲームの音楽だった。そういえばここの会社とのコラボだったっけ。と思いつつ、寝ぼけ眼でスマホを見れば、そこには藤原広明と表示されていた。

「もしもし」

『もしもし、あぁすまん、起こしちまったか?』

「寝ようとはしてたけど考え事してたから大丈夫よ」

『そっか、お疲れのところ悪いな。その、今度の日曜、遊園地でもどうだ』

「遊園地? 私達そんな年齢じゃないでしょ」

『う、そ、うなんだが、今月までのチケットを貰っちゃって、折角だからお前と……』

 電話越しの彼は少しばかり恥ずかしそうで、なんだか可愛らしい。そうじゃないか、私には、お付き合いさせてもらっている人がいるじゃないか。彼だって素敵な人だ。

「ふふ、いいわよ、行きましょ」

『本当か!!』

 電話の向こうでガタガタガタッと音が聞こえる。物凄い勢いで何かが落ちたような。

「ちょっとまた部屋片付けしてないの? もー」

『うっ、してる、してるって』

「今度見に行くわよ」

『うぐっ』

 彼も中々片付けができない人だ。赤星さんも片付けは苦手って言っていた気がする。そんなことを思い出してしまって、思わず私は首を横に振った。

『どうしたんだ? 何かあったのか』

「いや、大丈夫よ。それより、あの子は遊園地に誘ったの?」

『誘ったんだけどな……断られた』

 彼はバツイチで、高校生の子供がいる。その子は強くて賢くて、だけど寂しがり屋だった。私や彼のことも別に嫌っているわけじゃない。だけど、私と彼の結婚は嫌なようだった。お母さんのことが忘れられないのかもしれない。彼がバツイチな理由は元奥さんが亡くなってしまったからだった。

『二人で行ってくれば、だとさ』

「それじゃあお土産買っていってあげましょう」

『あぁそうだな。それじゃあ日曜7時に迎えに行くな』

「早くない!?」

『こういうのは気合を入れていかないとな!』

 もう結構お互い、いい歳だ。それなのに、彼は朝から遊園地の中で思いっきり遊ぶらしい。見た目はあんなに渋いのにね、子供っぽいだから、可愛らしい。

『じゃあまたな』

「ええ、またね」

 プツ、と電話が切れる。彼との予定がたっただけで、なんだかモヤモヤしていたものはなくなってしまった。しかし、事あるごとにその遊園地、確かに赤星さんも好きだったな、なんて思ってしまって、自分自身の感情がわからなくなった。

 

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