第4話 現実はたぬきよりきつねなり。
腹が減っては戦はできぬ、ということで、まずはお昼休みにすることになった。なんか買いに行くか、食べに行こうかなと立ち上がった。
「赤星さん」
「はい?」
紺野さんに声をかけられ、顔を向ける。彼女が何か言おうとした瞬間、馬鹿でかい声が私達のオフィスに響いた。
「りーん!! 昼休み入った!?」
びく、と思わず身体が跳ねる。声のした方に振り返れば、ブンブンと手を振る天パの男。
「入ったよー、今行く!」
身の回りのものを整理し、かばんを持つ。紺野さんに悪いことしちゃったかな、と目を向けると、「後でいいわ」とスマートに手を振られてしまった。
お待たせと掛けよれば、彼はにぱりと笑った。犬っころみたいな笑顔が可愛らしい。
「まったく……」
「ん、なに?」
「いや? アンタの笑顔見ると拍子抜けするというか」
「それは良かった。ほらほら、怖い顔しなーい」
「はいはい」
彼に連れられやってきたのは近くの蕎麦屋。私のことをよく知る彼は、私の頼むメニューもわかりきっていて、素早く「きつねそば2つ」と注文したのだった。
「どうして成人してまでアンタと一緒にいるんだか……」
「ま、いーじゃん? 腐れ縁ってことで」
ニコニコ笑顔を絶やさない彼は、所謂私の幼馴染だ。朱澤潤、入社4年目。体育大学の大学院まで行ってから入社。設計部の実質トップ。役職はもらえてないけれど、発想力がずば抜けていて所謂アイディアマン。だがまぁなんというか、ちょっと抜けてるのだ。頭のネジが。飼い犬のトイプードルをそのまま人間にしたような感じである。
明るく、仕事もできて、純粋で真面目で、そして何より可愛らしい。お姉さんな女の人にめちゃくちゃ好かれるし、上司からも可愛がられる。可愛げのなくきつい性格の私の隣で、これでもかというほど皆に囲まれていた。幼稚園からずっと一緒だ。大学までコイツの隣にいるのはなんだか癪で女子大に行き、なんにも考えず会社に就職したら、2年後にコイツが入ってきたのだ。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。偶然なんだから」
「ここまで来ると偶然とは思えないわよ。私のこと大好きか?」
「大好き大好き」
「土に還れよ」
「辛辣」
仲はいいし、コイツ自体にはなんの文句もない。むしろ可愛らしい弟分くらいに思っている。愛嬌だけ見てコイツだけ可愛がる周りが気に食わないから、昔は離れたかっただけだ。
「つーか、どうなの、ジョシ課!」
「まだ初日だから、よくわからないけど、まぁ周りの男どもはよく思ってないみたいね」
「そうなんだ……メンバーは? ギスギスしてない?」
してないよ、と答えようとして一瞬止まる。思い出したのは紺野さんと青木さんのこと。紺野さんは私と青木さんの仲を聞いてくるし、青木さんは私にベタベタしてくるし。痴情の縺れに巻き込まれてるのでは?
「何何、なんかあったの?」
「えっと、紺野さんと青木さんって知り合い?」
「いや? 前の部署も紺野さんは人事部で、青木さんは広報でしょ? 一切関わりないと思うけど……」
「だよねぇ。なんかさー」
私が二人に関して疑問に思っていることを素直に話せば、彼はブハッと吹き出した。きつねそばが口から飛び出るかと思ってこっちは一瞬焦ってしまった。
「ないないない、それはないって。二人がわんちゃん恋仲? だって紺野さん、結婚間近の恋人いるらしいよ」
「え、そうなの? なんだ、心配して損したわ」
なんだかんだコイツの周りには人が寄ってくるので、いろんな情報も入ってきやすいらしい。紺野さんはかなり年だけど、高校生の娘さんがいる男の人とお付き合いしている。それもかなり長いこと。お互いの仕事が落ち着いたら結婚しようね、くらいらしい。
「ちょっと待って、それじゃあなんで私にあんなこと聞いてきたりしたんだろう? 青木さんは青木さんで、紺野さんのことじっと見てたりするんだけど」
「うーん……」
「あ、あれかな、青木さんが昇進とか狙ってて、紺野さんは防ごうとしてるとか? そうだ、絶対そうだ。青木さんの紺野さんを見る、目つき鋭かったし。私その時受けて立つわよとか思わず言っちゃった」
「えっと……うん、多分そうじゃないかな」
青木さんは将来課長とかそういう風になりたいのだろう。だから、長くこの会社に勤めていて、今回課長になった紺野さんにちょっとジェラシーを感じているのかもしれない。今後狙っているのは私の立場だろう。私は課長補佐だから。
「よし、負けてられないわ。頑張らなくっちゃ」
気合を入れてきつねそばを啜る。今日もお揚げは美味しい。お揚げの中にこう、そばの汁が染み渡って、一口噛んだ瞬間にじゅわぁと溢れるのが大好きだ。あとお汁がお揚げの甘さで普通の汁より優しい味になるのが好き。まぁ七味は入れるんですけど。
「ところで噂の新人ちゃんどうなの」
「白金さん? いい子だよ。社長の娘だとしてもそれを鼻にかけないし、なんなら、入社するとき名字をお母さんの旧姓にしてから入ったらしいからね」
「何それ、てっきり典型的な悪役令嬢タイプかと」
「悪役令嬢?」
「えーっとわかりやすく言えば、恋愛ゲームとかで主人公の邪魔してくる悪者のお嬢様みたいな?」
「まさか、そんなタイプじゃないわ。どっちかって言うとあの子が少女漫画の主人公みたいよ。しっかりしてて真面目で真剣に私達の話を聞いてくれるの。だけど、ちょっとドジっ子!」
さっきだって、と資料を何度も落としていたりだとか、そういう話をすれば、彼はなんだかホッとしたように笑っていた。
「なに? そんなに警戒してたの?」
「まぁね、ジョシ課は新しい課だし、更にそこにとんでもない新人ちゃんが入ってきたら、凛がまた大変になるじゃん? 俺と部署一緒でも課によってはまじで関わりないし。凛は頑張りすぎるから、俺いっつも心配なんだよな」
ケロッとした顔でそんなことを言う。コイツがいつも周りの人間にちやほやされていて、私がいないもの同然とされていても、コイツがこんな感じだから、私はいつだって毒気を抜かれていた。
「そういうこと、好きな女の子とかに言ってあげなさいよ」
「え、あー、うん、そうだね」
そう言って彼は、はは、と笑った。笑っているのに、その表情はなんだか読めない。ゆらゆらと視線が揺れていて妙にこっちまで落ち着かない気分になる。
「なんかあったの」
「いや、なんでもないよ。ほら、もうお昼休み終わっちゃうし、早く食べよ!」
彼がきつねそばの最後のひとくちを啜る。私も残しておいたお揚げをパクリと食べて口を拭いた。汁はもうだいぶ冷たくなってしまっていた。
会社に戻るなり、青木さんが物凄い勢いで私の腕を掴んだ。桃太郎に出てくる鬼はこんな顔してるんだろうかと思うほど恐ろしい表情だった。
「あの人は誰ですか……!」
「あの人?」
「さっき親しげに! 赤星さんを! 下の名前で呼んだ! アホそうな男の人!」
あまりの剣幕に私は思わず仰け反る。口を開こうとしたそのとき、横から助けが入った。
「さっきの人は、幼馴染の朱澤さんよね? 設計部の」
「そ、そうです。幼稚園から大学以外ずっと一緒の腐れ縁で」
「じゃあ恋人とかでは……!」
「ないよ?」
私がそう答えると彼女は、はぁぁぁぁ、と深いため息をついた。あぁもしかして、この子一目惚れとかしちゃうタイプなのだろうか。潤に惚れちゃった?
思わず口元がにやけた私に、青木さんはムッとした顔をした。その顔が小さい子供がむくれるときのようで可愛らしい。
「ふふ、頑張ってね」
「なんの話ですか!」
更にむぅ、と膨れる頬はなんだかリスみたいだ。潤はモテるからなぁ、色んなお姉さんから。一目惚れもしょうがない。
「なんか絶対勘違いしてません?」
「大丈夫、ちゃーんとわかってるわ」
がしりと肩をつかめば彼女は僅かに顔を赤らめた。それを隠すようにじと、と睨んで来るのだから尚更可愛く思えた。ワシャワシャと頭を撫で回したくなったけれど、紺野さんのようなクールビューティなできる女になる為、手をなんとか抑え込んだ。
今年度初日は、全員きちんと定時で上がり、そのまま白金さんの歓迎会兼親睦会になった。今回は紅谷さんオススメの居酒屋『ばあちゃんの家』。会社から駅までの間にある狭い路地にそのお店はあった。
「いっらっしゃぁぁい!」
「びっ、くりしたぁ……」
お店に入るなり、テンションの高い店員が出迎えてくれた。
「れいちゃん久しぶり〜!」
「紅谷さん、お久しぶりでーす! ご予約サンキューッス!」
いえーい! と二人でなぜかハイタッチをしている。ひたすらテンションの高いこの顔のきれいなお兄さんは、名札にレイと書かれていた。私達をお店の奥の仕切りになっている座敷に案内すると手早く水と温かいお茶とおしぼりを配った。
「今ばあちゃん呼んでくるんでちょーっと、待っててくださいね!」
手早くテーブルを整え、メニューを出したあと、あっという間に彼はいなくなってしまった。
「紅谷さん、さっきの店員さんは……?」
「れいちゃんのこと? お顔が綺麗でしょう……!?」
「は、はい、綺麗ですね……?」
「彼はね、駆け出しの俳優さんでね、稽古や仕事がない日はこうしてここでバイトしてるのよ」
それからね、と彼の話をバーっとされる。紅谷さんがここがお気に入りな理由がわかった気がする。店内は和風で、お婆ちゃんのお家みたいな居心地の良さがあった。
しばらくするとほんの少し腰の曲がったお婆ちゃんが現れ、私達をみるとニコリと笑った。ほんとにお婆ちゃん出てきた。なるほど店名の理由がわかった気がする。
「おぉ、紅ちゃん……いらっしゃい、ゆっくりしていってね、今日は何が食べたいんだい?」
「すずばあのおすすめは?」
「だし巻き卵だよ」
「じゃあそれ、2つと……あとこれとこれとこれと……私は生」
皆は、と紅谷さんが目配せする。それぞれ梅酒やら、カシオレやら好きなものを頼むとお婆ちゃんがほけほけ笑いながら戻っていった。
「れいちゃんはねぇ、すずばあの実際のお孫さんでね。もう何人かアルバイトの子がいるけどどの子もいい子だよ」
「確かに学生だったらアルバイトしたかったかも……」
「落ち着くでしょう?」
温かいお茶をひとくち飲んで、紅谷さんの言葉に頷く。キリキリ働いたあとにこれは確かに沁みる。遠くから、「気をつけて運ぶんだよ」「わかってるよばあちゃん!」なんていう声が聞こえてくるのも、なんだかほっこりする。
「お待たせしました〜」
れいくんが運んできてくれたお酒や料理はどれも美味しそうだ。紅谷さん曰く、ばあちゃんの今日のおすすめは本当におすすめらしい。
「それじゃあ、白金さんの入社とジョシ課の新設を祝って、乾杯!」
かちん、とグラスの音が響いた。
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