二人の編入生

「こっちは準備終わったで」

「すまん、今行く」


 扉の向こうから声が聞こえる。あのモザイク事件の後目覚めた琴音は食事や着替えをしに部屋に行っていた。『幻影』使ってなかったら殴られはしなくとも嫌悪、もしくは興味津々で注視される可能性を考えれば呆れるだけで済んだのは良い結果である。


 ……『幻影』、デフォルトがモザイクなんだよな。光をどうこうするスキルだから制御しない状態ならランダムになるのは当然なんだけれど。最近これを利用してCGなしで変身シーンや存在を削除されるシーンを撮影する人もいるらしい。普通にCG使えよとも思うんだけれど、あれはあれで相当技術がいるらしい。


 習得過程というものをスキップするスキルってやばいなぁと思いながらリュックサックを手に取る。鏡に映る自分は制服と珍しく整えられた髪以外は昨日までと何も変わらない。


「お待たせ」

「大丈夫、今来たところや」

「……それ絶対タイミング違うよな?」

「これってお待たせって言葉に対するカウンターやって聞いたんやけど」

「なんでゲームみたいになってるんだよ。その言葉は実際どれくらい待ったかわからない状況で言う気遣いの嘘。さっき準備終わったと言った時点で成立してないよその嘘は」

「それは逆に語意を気にしすぎちゃう?」


 鍵を閉めて琴音と共に外に足を向ける。彼女もこの高校の制服に身を包んでいて黒のショートの髪が白いシャツと良く似合っている。前回は良く理解していなかったが胸の膨らみの奇妙さには鋼糸と通信機、緊急の金銭がこっそり隠されていた。


「ほら、おはようございますって時間を気にせず言う職場あるやん。夜中とかでも言うのは流石に違和感あるけど」

「……色々説あるんだろうけど「お早う」なんだから昼でも夜でもいいんじゃないか?むしろ朝とおはようの間にある文脈が断たれて文字通りの意味になっただけだと思うけど」

「なら情けは人の為ならず、みたいな言葉の意味の変化にも肯定的なん?」

「確かに文字通りの使われ方がされ始めてるよなあれ。……あー、会話というのはもっとファジーなものだっていう話か?」

「せやせや。辞書バトルやないねんで」

「広辞苑vs大辞林みたいだなその言い方だと」

「ほなうちは新明解で殴りこむわ。……意外と威力ありそうやな」


 朝っぱらから無駄な話が繰り広げられる。素人二人で何か結論が出るわけでもないのに議論もどき。議論自体は全くどうでもよくてその実会話を楽しみたいだけで。ゲームやらY0utubeの話をしてもいいのだがそこらへんの話は夏休み中に大分消費してしまっていた。


 寮を出る。まだ時間は早いはずだが残暑、といっても残った暑さというより残酷な暑さが俺たちを襲う。ステータスの恩恵は明らかではあるもののその雰囲気だけでうんざりしてしまう、本当に。


「おはようございます」

「「お疲れ様です」」


 目の前の警備員のオジサンがかなりしんどそうな表情で俺達に挨拶する。マスコミやらなんやらの面倒なの対策として朝から目を光らせてくれているわけだ。政府は一体何を考えているのかはわからないが少なくとも学校生活に同行する気はないらしく警察もきちんと対応してくれているらしい。


 琴音がふらりと道の向こう側に行ったかと思うと外灯下の地面をギャシュっと踏みつぶす。その後周囲を見渡して深々とため息をついた後こちらに戻ってきて俺の制服をがしりと掴む。


「……思ったより多いわ」

「盗撮?」

「あと盗聴。あ、警備員さん、こんな落し物があったんですが」


 琴音の周囲に糸が舞っていたことに今ようやく気が付く。琴音の手の上には大小10個以上の小型のカメラや盗聴器が乗っていて、それはそのまま警備員の持つ袋に入れられてしまう。


「糸気が付かなかった」

「そらそうや。うちは正面より静かに後ろからヒュンと殺るタイプやからな。この前のオッサンの時は相性も状況も最悪やったねん」

「根に持ってるなぁ」

「そらそうや!あいつの髪の毛丸刈りにしておでこに肉って落書きして娘の前で裸踊りさせてもまだ足りへん!」

「尊厳破壊のジェットストリームアタックだ……」


 盗撮自体はわりとどうでもいいことらしい。というか実際俺たちの所属することになっている迷宮保全党のホームページに乗っているわけだし。問題は盗聴器で、下手にあそこらへんの話が漏れるのは勘弁願いたいところである。


 盗聴あたりの事は外原への恨みでどこかに吹っ飛んで行ったらしい琴音は腕を組みながらちょっと早歩きしだした。足元の蝉の死骸が不安げに風に揺れている。


 寮から学校はかなり近く、また時間もギリギリであったことが幸いし多くの人に会わずに道を進めていた。前では同級生や先輩たちが休み終わりの憂鬱や再開の喜びを抱えながら足を進めている。


 校門まで近づいた時に大きな声で前から声をかけられる。見たことのあるようなないような、恐らく他のクラスの同級生だろう人物がスマホをこちらに向けながら近づく。


「あ、きたきた今話題の冒険者ランキング三位!ちょっと俺動画取りたくあぶっ!」


 ……そりゃそうだよな、生徒の中にもこういう奴いるよな。琴音の見えない鋼糸に躓いているのを見ながらため息をつく。SNSのフォロワーやコンテンツの再生数も社会的なステータスとなりうるこの時代、同級生を生贄にする程度当然なのかもしれない。なんだっけ、フォロワー1万人いると企業から仕事とか異性に言い寄られたりするんだっけ?


 怪我しない程度に緩く転ばせてくれた隙にとっとと中に入る。周囲の視線を振り切るようにずんずんと靴箱にたどり着いた。


「これどこ入れればええん?」

「ああ、まだ靴箱ないんだ。俺の横、靴箱誰も使ってないからそこに入れれば?」

「せやね、サンキュー」


 四辻のよ、なので俺の靴箱は最端付近にあり、その隣は誰も使っていない。かがんで靴箱を開けると前まで残っていた嫌がらせの跡が存在していなかった。ガムの跡、落書き。そういったものが一切静かに消えていた。


「ん……?あ、言ってたやつやね。なくなった感じ?」

「さあ。今日はしてないだけかもしれない」

「明日もしないやろ、というかできへん」

「……嫉妬は怖いぞ」

「それやるなら靴箱に向かってやなくてネットに向かってやな。むしろ厄介度が上がった感じすらあるのが最悪や」

「まあクラス分けまでの辛抱。……変なことに巻き込まれない限り」


 本当に面倒な話である。彼らと顔を合わせなければならない、と考えると気が重くて仕方がない。んじゃうちは先に職員室にいかなあかんから、と暗い雰囲気を振り払うように琴音は俺の方をバンバンと叩き立ち去る。


 足取り軽く職員室に向かう琴音、なんだかんだ学校生活は楽しみにしていたらしい。下手すれば3年ぶりくらいに真面目に学校に通うことになるのだろう。となれば自然と一緒にいる確率の高い俺が暗いと彼女の学校生活まで暗くなるわけで。


「よし、いくか」


 階段を上り教室の目の前に立つ。始業式の日には皆入り口を見る。誰が入ってくるのかが気になって仕方がないのだ。特に寮の人間だと夏休みは実家に帰ってしまい気軽に会えないからなおさら再開を心待ちにしているわけである。


 背中を押されて教室に入る。その瞬間騒がしかった教室の波がすぅっと引いた。あちらこちらの視線が逸れて手元や反対側に向くのが見える。あの大山ビル椎名の三人組もそれは同じで。


 ここにいる人間は皆嫌がらせをしたか、あるいは嫌がらせを見逃した人間だ。


 沈黙に戸惑いながらも席に向かう。俺が何も言わないの見て逆に静寂が耐えがたくなったのか口々に彼らは会話を再開する。自然にというより場の空気を誤魔化し俺という存在を視界から抜けさせるための道具として。その中から一つ、気になる情報が零れ落ちてきていた。


「なんか今学期編入生二人いるらしいよね」

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