夏休み課題、未だ

 あっという間に時は過ぎる。それは何もなかったというよりは詰め込まれすぎていて時間の経過に気を取られる暇がなかったからで。


「な、夏休みの課題終わらねえ……」


 8/28。ダンジョン崩壊から二か月半近くが経過していた。隣で選択式の課題を手伝ってくれている糸井川琴音がシャープペンシルをカチカチと鳴らしている。……と思うとうーんと伸びをし立ち上がる音が聞こえ、思わず背後を振り向く。


 夏らしい白Tシャツ一枚に足がほぼ全部見える切り詰めたジーパンというラフな格好。なんなら冷房の風で妙なものが見えそうでふっと視線をそらしたくなってしまう。が小型の糸巻きを足と腰に巻き付けており外への警戒は万全と見える。



 寮の中、狭い自室。ベッドと机、洗面台が詰め込まれた部屋。一応スペース自体はあるのだが片付けの下手さで数字よりさらに圧迫されているように見える。近いうちに琴音清掃監督殿による強制執行が入るらしくそれまでに見られたくないものは脱出させておけとの指示が出ていた。


「こっちは終わったで。記述式は手伝うと字の汚さでバレるから頑張りや、うちはお昼寝でもするわ」

「おい俺のベッドで寝るな、いや別にいいけど」

「どっちやねん」

「どっちでもいいだろ。それよりその布団、洗濯に出す直前だから若干汚いぞ」

「女の子が来る前やねんから洗っときや。……ってここ寮やから布団洗うのはローテーションなんやっけ」


 ぼふっと琴音は布団に体をうずめる。少し身震いした後だらーんと脱力した後こちらに表情を向けずにもごもご言っている。


 あの唐突キス事件以降俺と琴音の関係は珍妙なものとなっていた。レイナさん曰く、距離の詰め方が下手だから取り合えず全速力で詰めてしまったとのこと。確かに一日で互いの過去まで放出することになったし彼女、そして俺もそういうところがあるのだろう。


 あの短い時間で、ということは吊り橋効果以上の何かを見せれたのだと信じたい。が、真相は闇の中。友達にしてはちょっと微妙な雰囲気、でも恋人ではないという奇妙な状態で俺達の関係は浮遊し続けていた。


「2週に一回タイミングがくるからそこで無理やり干すしかない。屋上の物干しの数にも限度があるしな」

「二学期からうちもここかー。勉強はついてけるけど他大丈夫かなぁ」

「無理にここに転入しなくてよかったのに」

「アホウ、それしたらあっという間に隙を突かれてあんな目こんな目にあうで。所在地の割れてる戦力とか勧誘から攻撃までやりたい放題や」


 そう言いながら琴音は掛布団をくるりと体に巻き付けきゅうりの入ったちくわのようになる。そう、2学期、夏休み後より琴音は俺の護衛がてらこの東西南高校に転入する。正直この学校で学ぶことは全くないはずなのだが彼女はウキウキし続けていた。


 因みにもう一つ理由があって冒険者名簿から削除されないため、というものがある。現在冒険者は18歳からしかなれないが以前の年齢制限が無い時代にで登録された人は18歳未満でも冒険者として活動できる。それが琴音なわけだが政党、それも冒険者が主体の党という注目の集まるところでその存在があらわになれば最悪未成年を冒険者名簿から削除しようという動きすら出てきかねない。


 一時期外国では少年兵を迷宮に向かわせることに批判が向かったがそれと同じような事が起きる。もしそうなったら冒険者はうちの戦力ではレイナさんとグレイグさんだけになってしまう。というわけで3年生で正規の冒険者としての試験が受けれて卒業と共に冒険者になれるこの学校に転入したわけだ。


「あの雑魚3人+教師も同じところなんやろ、もう最悪やわ」

「俺と一緒に行動するなら必ずそうなる。……しばらく会ってないけどどうなってるかなぁ」

「差に絶望しとるんちゃう?」

「あいつにできるなら俺にも、って28個目の迷宮探してたら面白いな」

「そんなにダンジョン増えてたまるか、日本滅ぶわ」

「……そんなことしなくても滅びそうだけどな」


 結局俺はあの日以降学校に行けていないしかといって実家に帰れたわけでもない。マスコミや一般の野次馬の目が激しくなって一時的に寮で待機してくれという話になったのだ。


 特に厄介なのが一般の野次馬たちだ。


『ダンジョン破壊した奴の家に凸してみたwww』

『本当に強いのか襲撃してみるでごわす』

『ダンジョンブレイカーに家から出たところで冷水ぶっかけてみたwww』


 いつの間にか俺の名前はダンジョンブレイカーなるカッコいいのか直球過ぎてダサいのかよくわからないものとなっていた。まあそれはいい、問題は一般人による迷惑行為、特に注目を集める為に動画や写真を撮影したものだ。


 この状態で家に帰ったり変な所に住めば迷惑がかかりまくる。一方この寮にいれば女子もいる数多の未成年がいるところに迷惑なことをする奴、という扱いになりしょっぴくのが容易になる。


 そんなわけで寮に閉じこもりながらたまに『幻影』とかで抜け出したりして日々を過ごしていたわけで、実に3か月ぶりの登校が近づいていた。


 それはそれとして課題は未だに終わっていないが。




「お、終わった……」

「もう朝やで。どんだけたらたらやっとったんよ」

「苦手なんだよ英語……」


 無駄に真面目にやった結果気づけば朝になっていた。計画的に課題をしない俺が悪いのだが何より問題なのが一学期半分授業に出ていないこと。そのせいで思ったより理解度が遅れていて時間がかかってしまったのだ。


 とはいっても疲れはない。なんなら1週間は寝なくてもよい。レベル9999という数値が与える力は圧倒的で背のこわばりなども存在しない。ただ頭が情報を拒んでいるような感覚だけが残って。


「精神的疲労は取れないんだよなぁ」

「……取れるわけないやろ。いやーよう寝たわ」

「自分の部屋結局戻らなかったな……」

「起こしてくれたらよかったのに」

「いやあんだけスヤスヤ寝られると」


 寝なかった理由のもう一つは琴音がベッドに潜り込んだまま爆睡してしまった事だ。起こすのも忍びない。


 まあ結果的に初手課題未提出という事態に陥らなかったのは素晴らしいことだ。夏休みの課題確認テストで酷い点数を取ってネットにさらされたら笑いごとにもなりゃしない。俺という人間の根本はいつになってもイキったガキでしかないのに立場と注目度が押しつぶしてくる。


 朝日で目覚めた琴音は俺の独り言に答えながらちくわinきゅうり状になった状態からきゅうりだけに戻る。取り外されたちくわ、すなわち布団を綺麗にセットしなおそうとしているのだけれど寝起きだからだろう、くしゃくしゃがいつになっても治らずそのうちぱたりと倒れこみくーくーと寝息をたてはじめた。


 申し訳なさだけで起き上がろうとしたのだが生来の寝起きの悪さで寝てしまった琴音に苦笑しながら時計を見る。学校までが3分で今が7時15分、ならまだまだ時間はあるだろう。


 冷房がつけっぱなしなので布団を再度琴音にかけてから風呂場に入る。服を脱ぎ雑にシャワーで汚れを取りながら思う。


 色々なことがあった。どれもが未解決のまま終わっている。


 俺の立ち位置は迷宮保全党の一員ということで確定しているらしいが、別に国やSODから見て利用価値がなくなったわけではない。ただ少なくとも国は圧倒的に手出ししにくくなったのは間違いない。


 俺を襲えないという話ではなく一般人をSATを使って拘束しようとした、というのが議会で問題となっている。レイナさん曰く国内で活動させられる戦力は数少なく、そのうち一つ、つまりSATが今回ので活動が実質停止したそうだ。


 いずれ動くのだろうが少なくとも今は強硬で動くことはできない。ジャーナリストの中には化け物も一定数いてレベル1なのに様々な情報をぶち抜くらしいが、今そんな奴らがSATに意識を向けているそうだ。


 宇宙に日本の本土が、という計画についてバレてそれがインターネットにでも乗せられたらもうどうしようにもない。これを機にと諸外国が全力で干渉してきて叩き潰しに来る……らしい。


 「SATに目を向けさせることがあの作戦の意味の一つさ、迷宮省まで引っかかったのは素晴らしいことだ」なんてレイナさんは言っていた。予期せぬ偶然と言わない辺り底が知れないというかなんというか。


「むにゃ……飯……」


 シャワーを止めシャンプーで頭を洗っていると向こうから寝言。言われてみれば夕飯は雑にコンビニで買ってきたもので済ませたから腹が減っているのは当然か。


 思考を切り替えてささっともう一度シャワーを浴びる。ここまで来たからにはやることは一つ、頭を空っぽにしてレイナさんの指示に従うことだ。あの人は人の心がわかっている。この状況から俺を見捨てたら以降「見捨てた人」として認識されるのを理解してくれているはずだ。であれば不利益さえ与えなければ最低でも死にはしないはず。


 マイナスな考え方ではあるが仕方があるまい。何といっても未知の情報が多すぎる。砲弾、術式壊放、胎異転生。オープンワールドのゲームに突然放り込まれたJRPGの主人公のような気持ちだ。


 タオルで体を拭き、そして外に出ようとして固まる。いつものノリで着替えをここまで持ってきていない。ハンガーにかけっぱなしの服を取りに全裸でトコトコ室内を歩くのが基本のはずなのに。


「……『幻影』」


 こんなしょうもないことに使うスキルだったっけな、と思いながら部屋を出る。するとこちらをガン見している琴音の姿。恐らくスキル発動の気配を感じ一気に覚醒したのだ。俺を見て一瞬固まった後ぽつりとつぶやく。


「……なんで全裸にモザイク入れとるん?もっとまともな隠し方あったやろ」


 ごもっともである。




「……次の一手はどうするんだ?」

「せっかちだね」


 暗い部屋。正確には四辻博人のアイテムボックス内に二人の人物がいた。クレイグ=暗埼、そして金森レイナ。彼らは集合場所をここに定め定期的に報告を行っていた。


 不満に思うのも当然でここ2か月半、政党のロビー活動だけでまともにSODへの対処も国への取引も行っていない。まるで何事もなかったかのように、いやあえて棚上げしていた。


「そうだね、今私たちがやるべきことは何だと思う?」

「……SODへの対処、特に博人君の親族友人への警護」

「君は相も変わらず仲間や家族を大事にするな」

「……あなたは違うのか?」

「大事にはするさ。それはそれとして利用はするけどね。虚無と縁を結びすぎると重みで海に沈むよ」


 金森レイナの席は有限で先着順かつ能力重視だ。友人の席、恋人の席、護衛の席。冷たくあるしある意味暖かくもある、かまくらの中のこたつのような人間関係。


 彼女の欲望を満たすためには無意味な友人を増やしすぎるわけにはいかない。金森レイナには知識欲、食欲、性欲から当然仲間意識や庇護欲まで全てがある。その全てを満たすためには友人、仲間。そういった席はできるだけ削るべきだというのが判断だった。


 早いうちに内側に潜り込めて良かったという思いともしかしたらまだ、という思いが交錯するグレイグに安心させるような笑みを浮かべたレイナは言う。


「ああ、君は仲間判定だから安心してくれ。博人君も琴音君もだ」

「……人間関係とはぬるい、良くわからない曖昧なものだから良いと思っていたのだが」

「嫌じゃないか、自分の心すら理解できなくなるのは。とはいってもこれは心を理解するというより後付けで付箋を貼ったのに近いけれどね」


 ソファーの上でペットボトルに入った水道水を飲む。そのままレイナは背後のゴミ箱に向けてぽい、とそちらを見ずに投げ込む。ホールインワン。


「それで元の話はこれから先だね。結論だけ言えば待ち、だ」

「……政府の計画に置いて行かれるぞ」

「違うよ。妨害に間に合うタイミングでSODは決行してくるはずだ。つまりまだ余裕は残っている。一先ずは誘拐してくれるまでゆっくり待機だ。もうセカセカ隙を見て走り回る必要はない。私たちには暴力がある」



「三手。適切な場所に適切な暴力を送り込んでおしまいさ」

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