糸井川琴音 2

 人を殺す。当然ながら俺にはあまりなじみのない概念である。いや一人殺したんだった、とは言っても実感は全くないのだが。



「昔、まだダンジョンの年齢制限とかが不十分やったことがあったやろ?」

「……ああ。2年前に整備されなおしたんだっけな」

「せや。当時兄とその仲間2人、そしてうちの4人でダンジョンに潜っとった。うちの家庭はいろいろあって病気の母しかおらんわ行政はろくに仕事をしないわで自分らで金を稼がんとあかんくて、選んだのがダンジョン探索やった」


 琴音の方を向くことができない。声は沼に沈むように深く、それでいて乾いている。いや乾くようにしているのだろうがそれでも漏れ出してしまうのだ、後悔が。


「当時はまだ未開拓の分野も多くてな。対モンスターやなくてダンジョン内の資源を回収するのを目的に立ち回っとったんや。そして倒せそうな弱った魔物を倒す、それだけで面白いくらいにレベルも実力も上がって行ってた。うち含め全員才能があったからな。当然と言えば当然、さらにうちが色んな所と取引したりして1パーティーとしてはありえんほど拡大してた」

「11月の終盤や。うちらは謎の魔物に出会った。今ならわかる、あれは『Subordinate』の幹部や。そいつの『鋼糸』によってうちらは寸断、全身ぶった切られて後数分で死ぬ状態にまで追い込まれた。唯一五体満足やったのが当時の斥候のうち」

「で、そいつのレベルが237、うちのレベルが132。勝てるわけがない。でもうちは優秀でな、勝ち筋を思いついたねん」


 何度も優秀天才と自分のことを称しながらその全てに嫌悪がにじみ出ている。自分の才能さえなければ、自分の実力さえなければそんな魔物に出会わずに浅い層で金稼ぎをできたのに。そして何より自分は優秀、天才という言葉程度で片付けられる存在であるという事に。


「死にかけの兄、その彼女、そして兄の先輩。全員をうちの手で殺して経験値をうちに集めた。レベル150越え、しかも冒険者。知ってるか、同じレベルの魔物よりも人間殺したほうが手に入る経験値は圧倒的に多いねんで」

「一気にレベル200を超えた状態で無理やりその魔物をぶち殺した。後に残ったのは人殺しの汚名、遺族の人らからの罵倒、パンクした取引、そして無駄に高いレベルだけ」


 琴音の腕が震える。涙はなく、ただ後悔だけがそこに残っていた。


「才能はあった。人より遥かに色々なことが出来た。で、結局完全な未知に全てのプラン壊されて全部失ったんや」

「……でも冒険者はやめなかったんだな」

「それがさっきの話に繋がってくるんや。うちは今後やりたいことを考えた、結論は最速で金を稼ぎ切ってリタイア、夫でもつくってヤッては寝て、ついでにゲームと漫画とテレビ。それ以外はないなとなったんや」


 後ろ向きな考えだった。当然性欲に正直になるとか娯楽を楽しむとかそういった前向きな話ではない。全く持って真逆、どんな状況でも確実に自分が楽しめる物。快を追求するのではなく限りなく不快を取り除いたスタイル。世間一般のオタクが夢見るその環境を彼女は羨望ではなく逃避という理由で求めていた。


 楽しいだろう。ただそれは社会とはあまりにも切り離されていて、完結しきっていた。だからこそ求めてやまないのだろうが。


「そう考えた時にレイナさんからの誘いは渡りに船やった。高収入、そして天才という言葉では表現しきれん化け物そのものでしかない頭脳に従いさえすればいい仕事。従属がこんなに気持ちのいいものやとは思ったことがなかった。どこにも責任がなく、あの時のようにうちが罵倒される必要はない。うち程度の才で様々なものを天秤に乗せながら勝負する必要はないんや。」


 糸井川琴音に悲劇があるとするなら選んだ職業が冒険者であるという事なのだろう。企業などであれば莫大な借金は負っても誰も死ぬことはなかった。とはいっても相手がSODである以上貰い事故という側面が強いのだけれど。


 琴音が何に押しつぶされているかといえばまさに責任。琴音の行動に不合理な所はない。事故にあったから切り抜けるべくどうせ死ぬであろう仲間を手にかけて全滅から相手を倒して一人生存にまで持ち込んだ。ただその責任を負うには当時中学生であった彼女にはあまりにも重すぎたということか、と一人納得する。


「……んで、Mだと」

「そうや。まあ本物のMみたいに鞭で叩かれて喜ぶ趣味は……あるかもしれへん。最近そういうの読むようになった」

「おい」

「でも結局あこがれてるのは兄や。うちに殺されるときに全てを理解して「しゃあない」って笑ってた。うちのために切り捨てられるのを許容してた。やからもし夢を果たせず死ぬならうちは将棋の駒になりたいねん。必要があれば文字通り捨て駒にされて、でもその結果道が開けるような」


 琴音の声には明るさが戻っていた。腕の震えもとまり、リラックスした、全部吐き出したかのような様子で俺にもたれかかる体重を増やす。ここにきてなお彼女は何も求めてはいない。ただ自分はこういった人間で、こういう行動原理で動いていると説明してくれただけ。正に自己紹介そのものだ。


 だからこそ変に同情したり一緒に自信を付けよう!とか責任を取らなくていいんだ、なんて肩代わりするのはお門違い。あくまで琴音は琴音、俺は俺。明るく話を再開する。


「将棋の駒ならなんなんだ?蜘蛛っぽいから角?」

「それなら博人は飛車やな。純粋な駒としての力の高さとかそれっぽい」


 琴音はレイナさんに依存するような形で、俺は自分で考えるよりも遥かに良い結果に導いてくれると信じて従っている。奇妙なずれで、しかし結果だけは面白いくらいに一致している俺たち二人。


 朝7時まで残り7時間。





 時は遡り日曜日昼の三時。警視庁第七会議室。


「現在対象の屋敷周辺を観察中。やはり金森レイナは姿を現しません」

「埼玉近辺に出現した金森レイナらしき人物の追跡、振り切られました!」

「対象が泊ったと思われるホテルを特定しました!内部には食事、化粧の跡が残っています!」


 迷宮省、外原は思案する。昨晩逃走した金森レイナと27個目の破壊者は東京に反転、そしてホテルにて一泊。疲れを取りながらあの人物とアポイントメントを取得。そして本日様々な場所を転々としながら逃走を続けている。


 では今どこに……と考えていたそのタイミングでコールが鳴り響く。


「通報です!特区東街、数日前までレベル4だった少年のレベルが見えなくなっていて身体能力もありえないほど向上していたと!」

「馬鹿野郎、んな話いくらでもあるだろうが、どうせ養殖でもしてもらったんじゃねえか?」

「いえ、ダンジョンの破壊について話した所逃走した模様、さらには糸井川琴音もその場にいたようです!」

「ダンジョン入り口の受付より報告!彼らはダンジョン内に入場、また糸井川琴音とともにいた少年、四辻博人のレベルは500を超えているとのことです!」

「……??? 何故だ、何故そんな非効率的なことをする?」


 糸井川琴音。金森レイナの動画作成の支援者としてピックアップされていた存在。彼女といて急にレベルのあがった人物、ならば本物である可能性は極めて高い。


 だが疑問は残る。彼らの勝利条件はあの人物と会い立場を確保すること。最適解はその屋敷周辺に潜伏し隙を見て金森レイナごと内部に『転移』。なのに何故か肝心の金森レイナはその場にいなくて27個目を破壊した男と糸井川琴音だけがいる。


 自ら移動手段を捨てた時点でSATの警備網をかいくぐり目標の屋敷に入ることは不可能に近い。なのに何故移動手段をダンジョン周りに歩かせる。


「秘書が屋敷を出てコンビニで何かを受け取っています!……あれはただの服みたいですね」

「こっちも陽動か?」


 足立がそう呟く。27個目を破壊した男がわざわざ姿を晒す理由があるとすればそれだけしかありえない。屋敷の周辺からSATを引き上げさせその隙に自身が悠々と潜入するという。


 警視庁内は静まり返る。ただ残り時間だけが減ってゆくことに焦りだけが地面に落ちてゆく。そして足立は決断した。


「賭ける。全SAT隊員をダンジョンに投入、確実にあの鎧野郎だけは捕まえる」

「いいんですか?金森レイナを放置しても?」

「いや、放置はしない。迷宮省で使える人員無理やり掘り出して屋敷の周り囲わせとけ。こっちは違法行為じゃないから協力できるだろ?」

「……わかりました。ただしそれならダンジョンに私もついて行きましょう。私が屋敷の監視に残る予定でしたがこの方法なら糸井川琴音を抑える役目に回ったほうがいい」


 外原は言う。その温和な顔を決意に染めて。

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