電荷
時刻は夜23時、あまりにも濃い一幕を潜り抜け『幻影』により身を隠した俺たちがたどり着いたのは新潟……とかの遠い場所ではなくむしろ東京へ逆戻りしていた。
「あの、隠れる必要とかはないんですか?」
「必要ないよ。むしろ君の立場なら堂々としておいた方が立ち回りやすい」
先ほど取った新幹線の座席に座りながらレイナさんは言う。時間は深夜ではあるものの東京行きということもあり未だ新幹線は動いており、スキルを使わず悠々と乗車していた。がらんとした車内の中に疲れ切ったサラリーマンの寝息が静かに響く。
レイナさんは先ほどまでの探索用の服と一転して少し露出のある落ち着いたベージュの服、下もそれに合う落ち着いたズボンとなっていた。眼鏡を掛けくいと持ち上げる姿は普通の大学生にしか見えない。唯一派手に見える金髪もウィッグで隠されていて、本人と判別するのは難しいだろう。
勿論俺も『幻鎧』は解いていつも通りの高校生としての姿だ。傍から見れば姉と弟という姿。取り合えず堂々としたほうがいい、という言葉の真意を問うべく自販機で買ったココアをぷしゅりと開けながら聞いた。
「ばれたら追われるとか」
「私が隠してた理由は簡単で後一日だけ、つまり日曜日までの間は見つかったら困るという話なんだ」
「それ以降だと大丈夫になる未来が見えないんですけど……」
「まあ色々あるんだよ、取り合えず脳を空っぽにして従ってくれればいい結果を出すさ」
思わずレイナさんの方を振り向く。あんまりにも適当な発言内容にそれに反する声色の本気度合い。どういうことだ、と考えてすぐにこれはテストなのかもしれない、と思う。どこまでレイナさんを信用できるかというテスト。運転手としてどれ程ハンドルを任せられるのかというテストなのかもしれない、と。
意味がずれていたら恥ずかしいな、と思いつつ俺は逆に問いかける。
「じゃあレイナさんは俺……僕に何を預けるんですか?」
「体」
「!?!?からかうのをやめてください!!!」
「ははは、でも本気だよ。あとそこまで他人行儀にならなくてもいい、私たちは対等な共犯者だ」
顔が赤くなっている俺を見て笑いながらレイナさんは手元のえびせんべいの袋を開けぱく、と欠片を放り込む。それを見ながら心を落ち着ける。初心にもほどがあるぞ俺、落ち着け落ち着け目の前の椅子に書かれた張り紙を読むんだ、お客様へのお願い、シート「ああそっちでも構わないよ、実は私も経験はなくて興味だけはあったんだ」ええいやめてくれ!
ひたすらからかわれていると感じると共に今までの発言に嘘がないことをなんとなく察する。ということは体を預けるという言葉にはもう一つ意味があるわけで。
表情を取り繕うのをやめるとレイナさんはスマホで政府公式のものでは勿論なく、有志の作ったスキル一覧表を広げる。その中に彼女が事前に付箋を貼っていたスキルがいくつかあった。
「体を預ける、というのは文字通りの意味でね。これから私は化け物達と交渉しなければいけない事態も増えてくる、が私には戦闘力がない」
「ステータスオープン、本当だレベル68にしても値が低い……」
「だから人質に取られたりせずに交渉の場にたどり着き変える必要がある。そこで君にはこのスキル、『アイテムボックス』というものを取ってほしい」
「もしかしてアイテムボックスに隠れて交渉する気なんですか?」
「正解。厳密には『人形術』を使って外に体をだすけれどね」
体を預ける、とはこういう意味かと納得する。仮に気に入らないことをしたのならばアイテムボックスから追い出して敵のド真ん前に放置してしまえば良い、これ以上の預け方はないだろう。ちなみに俺のステータスについてはレベルの低いレイナさんから直接見ることができないので紙で渡して残SPなども教えてある。流石にカンストしているのには驚いていたが。
それはさておきとして、この話から一つ気になることが出てくる。つまり彼女の目的だ。
レイナさんの方を見ると美味しそうにえびせんべいを頬張っている。しかしこのまま動画投稿者兼研究者として生きていればそれなり以上の人生は送れるはずなのに、どうして。
「レイナさんはどうしてこんな危険なことを?」
だからたまらず俺は聞いてしまう。すると一瞬寂しそうな表情をした後に君はどうしたいんだい?と尋ねてきた。俺はそれにはっきりと答えるすべはなく、しかし心に混ざるどろどろの何かを追い出すように言葉に変換した。
「勿論殺されたりするのが嫌で、でも一方で何かを成し遂げて皆に認められたいという気持ちと静かに穏やかに行きたいという3つが混ざっています」
「ふむふむ。で、夢はあるのかな」
「――冒険者になりたいです」
一瞬レイナさんの顔が固まった後破顔する。ああこいつは仲間だと安堵したような表情で。しばらく笑ったあと涙をぬぐい背筋を伸ばしたレイナさんは笑顔のまま言った。
「なんだ、本物の馬鹿じゃないか。死にたくない、安全に生きたいとかいう理性を振り切ってしまっている。私もそうなんだ、馬鹿なんだ」
そういって彼女は一枚の画像をスマホに表示する。タイトルには金森レポートと書かれていた。
「何ですかこの……黒塗りの文字だらけの画像」
「死んだ父のレポートさ。色々やってたようでね、結局ダンジョンで死んだんだけれど面白い機密情報を握っていたんだ」
「馬鹿っていうのはそれを読み解きたいって話のことですか?」
「いや、そこから先に進みたいという話。楽しくてね、ただ隠されている事全てを暴いて知って気持ちよくなりたい、その為に命を賭けている。馬鹿らしいだろう、今の能力をフルに使えば社会的に大成功することは間違いないのに全く興味がわかないんだ」
流石にそこまで社会は甘くないと思う、と言おうとしたがこの人は既に2回くらい起業して両方ともとんでもない値段で他所に売り払っていたんだった。ちらりとレポートの文字列を追ってみると訳の分からない虫食いの中に幾つか見覚えのある文章が視界に映る。『胎異転生』、虚重副太陽、字数的にも恐らくそう書かれているだろう部分が幾つかある。
それを伝えようとするとレイナさんはウインクをしながら手のひらを開く。一見ただのプラスチック棒に見えるそのケースには集音機らしきものがついていて、そこまで含めて策だったのか!?
「今回解読できた部分の一つに魔力の正体、がある。気になるかい?」
「聞いても理解でき無さそうだけど、一応お願いします」
そういうとご機嫌そうに紙に書いて説明してくる。これは確か鉄イオン、ってやつだよな?とFe²⁺と書かれた絵を見ながら思い出す。彼女はその横にe⁻と電子を書いた。確か物質が電気を帯びている時、こう書くんだった。
「さて、これは流石に学校でやったかな?鉄のイオンと電子。鉄の方は+2の電荷をもっていて電子は―1の電荷をもっているわけだ」
「はい、でこういう小さな原子やイオンが集まって物ができるんですよね」
「そうだ。では仮に電荷がこうだったらどうかな?」
Feの横に2i+、eの横にi-、と記号を書き足す。iってなんだと頭をひねっていると彼女は複素数と言うんだ、これは高校3年の範囲だねと言いながら説明を続けた。
「まずこのiから説明してみよう。博人君、9は何を二回かけたものかな?」
「え?3かける3で9だから3を二回かけたということですよね」
「正解だ。では16は?」
「4です」
「なら3」
「えーと、ルート3だから1.7くらいとかですか?」
「その通り。理論上完璧にその値は出せなくてもそれに限りなく近い値を出すことはできる。では―1は?」
そう言われて俺は固まってしまう。1を二回かけても1だしそもそもマイナスになんてならないのではないか。なんでそもそも急に数学が始まっているんだ、魔力の話じゃなかったのかと思う俺にレイナさんは答えを言った。
「当たり前だけど答えは普通の数字では表現できない。でもないとおかしいわけ」
「……それがここに書かれているiですか?」
「そう。i×i=-1、で表される、現実では見えないけれど存在しないといけない数。例えば3i×3i=-9って感じになる。そしてこんなありえない電荷をもつ物質が仮に存在したとしたら?」
「それが魔力ってわけですか?」
「正確にはそれの複合体を諸々作用させる、という形らしいね。これを虚重原子理論、ノテュヲノンの言っていた虚重副太陽と重なるところのある話だ」
あらためて書かれた式を見る。虚数の電気を帯びる物質、確かにそんなものが寄り集まって一つの構成体を作るのであればそれはさぞかし珍妙な動きをするのだろう。だが人間の意志や法則に従って発動するようには感じられない。それはあくまで魔力という物を無理やり科学、いや物理で測ったというだけの話でどうして魔術を発動させられるような不思議な性質を持つのか、という部分には踏み込んでいないというか、一先ずそれを先送りにしたというか。
「驚いてる驚いてる。今回の件で少し色々見えてきてさっきから上機嫌なのもそれが理由なんだ」
「……さっぱりわかりませんでした僕には」
「実は私もだ。ただ彼らには一貫性がある、何かを成し遂げる為に反目しあっている。そして私の知らない情報がそこに隠れているのが確定したのがたまらないんだ」
「そこであのに勢力を手玉にとれたから、と言わない辺り流石ですね」
「私の得意分野だからね、誇るにも慣れすぎた」
そう嘯く表情は笑顔そのもので。ああさっきの体云々もそこらへんが理由か、と察する。レイナさんは俺を動かしたい、裏切らないように、行動が読みやすいように。俺を縛り付けるためなら体くらい出してもいいか、それくらいの意思で。
尻軽、と罵倒するにはあまりにも彼女の覚悟は本気で。そもそも命を懸けている人間にとってその程度はささいなことなのかもしれない。そう思っているとレイナさんはさてはさては、とニヤリとした顔で問いかける。
「さては私が他の男に取られる妄想でもしたかな~?」
「考えていることを読むのやめてください、怖いです!」
「これはいい縛りになりそうだね、君が裏切ると追い詰められた私はそうなってしまうかもしれないぞ?協力する理由が増えたんじゃないかな?」
「鬼みたいなこと言うのやめてください、あと恋愛感情的なものはないです!」
凄まじく意地の悪い顔で、やっぱからかいが五割くらい入っているなぁと思う。だが言い換えるとそれだけの価値が俺にある、と提示しているということでもある。別に協力者の女の子をあてがうとか金を持たせて風俗に突っ込ませるとか、性という方向で攻めるのならばいくらでもやりようがある。にもかかわらず自分、というものを出しているのだ。
「ああ勿論この野望に協力してくれるのなら金は出すよ。1回仕事達成につき1億、どうだい」
「協力しましょう、命を懸けます」
どうでもよくなった。金がすべてだ。……というのは嘘だが、これでレイナさんが俺と本気で組みたいということもわかるし、また俺の側としても組む意味がでてくる。仮にどこかで辞めたくなったとしても現金があればどうにかなる。その前に対処される気しかしないけど、それは間違いなく暴力ではなく他の形での引き留めなのだろう。だよな、SATにまた通報して帰らざるを得ない状況を作るとかじゃないよな?
暗闇に染まる窓にモニターの『終電、東京駅です』という文字が反射する。レイナさんは食べ物のゴミを片付けながら言う。
「これで共犯だ。私は知恵と金を、博人君は暴力を。私の目的は隠された知識で君の目的は冒険者になること」
「目的が一致しているようには見えないですね、これだと」
「まあね。なので私は後1日、正確には月曜日の朝7時までに君の居場所を作る。君こそが27個目のダンジョンを破壊した勇気ある冒険者であり、国も手出しができない、そう皆が認めるように」
「できますか?」
「君が私の指示に従ってくれるのなら」
問いかけは始まりへ戻る。信用ではなく信頼できるか。運転手としてハンドルを任せ、車に徹することができるのか。これはそういう話だ。だから俺は今度こそ迷わず答えた。
「できます」
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