3

 マンションのエントランスから智佳がインターホンを鳴らすと、相手は出ると同時に正面玄関を開けた。おそらくカメラで確認しているのだと思われた。

「ここにはよく来るの?」

 エレベーターを待ちながら、克己が尋ねる。

「いいえ、この町に戻ってからだからまだ二回くらい。わざわざ来なくても電話とかで済むことも多いし。そもそも好きで来るようなところでもないから」

 智佳は少し苦い顔をした。痛みは共感しなかったが、若干の嫌な気持ちがあるのだろうということが克己にも伝わった。

 エレベーターは最上階の五階で止まった。その一番端にある五〇五号室が、研究所ということだった。

「表札に名前無いんだね」

「最近のマンションなんてそんなものでしょ。不用心だし」

 言うや否や、智佳はインターホンを押した。智佳としては慣れ親しんだ間柄なのかもしれないが、克己はここに来てまるで就職活動の面接前のような緊張感を味わっていた。

 冷静に考えて、オニの研究者ってなんなんだろう。まさか解剖とかされないよな……。

 克己の頭の中では、スプラッター映画などに出てくる白衣を真っ赤に染めた狂気の科学者が連想されていた。

 インターホンが鳴り終わると同時にドアが開いた。どうやら玄関ですでに待機していたようだった。まず白衣が目に入ったが、ひとまず赤く汚れていることはなかった。

 出てきたのは、白衣を羽織った女性だった。隈のある疲れ目のせいでわかりづらいが、年齢は二十代後半くらいに見える。身長は智佳の頭一つ分ほど大きくスタイルが良い。なにより、白衣の下に着ている深緑色のニットの、大きく膨らんでいる胸部に目が寄せられてしまうので、克己はなんとか視線が下がらないように努めた。

「こんにちは、初来ういきさん」智佳が軽く会釈する。

「こんにちは、緒美音さん」同様にして、初来と呼ばれた女性も返す。今すぐ倒れるんじゃないかと心配になるほどか細い声をしていた。

 克己も同じように挨拶しようかと思ったところで、「こちらが、話してた真岳くんです」と智佳が紹介した。「あなたが」と言って克己と目を合わせた。

「初めまして、初来恭子です」

「初めまして、真岳克己です」

 今度は克己と恭子がお辞儀し合った。

 智佳がすでに克己の話を通してくれているようなこと、さらにはオニの研究者というのがこんなに色気のある女性だということに、克己は安心感を覚えていた。目の血走ったマッドサイエンティストのような男性ではなかったようだ。

「それでは、瀬戸先生が待っていますので、上がってください」

 しかしその一言で、克己の中で新たな不安が芽生えた。智佳も当然のごとく靴を脱いで恭子の後ろを付いていこうとしているので、どうやら恭子は助手のような存在だとわかった。落胆したことを顔に出さないようにしながら、克己も靴を脱いだ。

 すべてのドアが閉まったうえで電気もついていないので、廊下は薄暗かった。それでも廊下の至る所にがらくたや書物が無造作に積まれているのがシルエットでわかる。近づいて見ると、積まれた本は埃で覆われており、ほとんど置物状態になっているようだった。智佳が手を口に当てて歩いているところから、智佳が嫌がっていたのはこういうところが原因なのかもしれないと克己は思った。

 克己の予想通り、部屋は3LDKのようだった。廊下の右手には一つ、左手には二つの部屋へ続く扉があり――一つは引き戸になっているから和室のようだった――、廊下の奥にはリビングに続くドアがあった。先頭に立った恭子がそのドアを開くと、白く眩い光に廊下が覆われた。

 その眩しさに、克己は一瞬目を閉じたが、どうやらリビングでは黒い遮光カーテンを閉めたうえで昼光色の蛍光灯が光っていることがわかった。智佳の後に続いて、克己も中に入る。

 リビングとダイニングが一緒になっているようで、十五帖ほどの広さがあった。雑多な雰囲気のあった廊下とは対照的に、昼光色の青白い光に包まれた室内は、デスクトップパソコンを置いた大きめのデスクくらいしかない殺風景なものになっていた。

 そのデスクの前に座っている男性が、椅子ごと克己たちの方に振り向いていた。

「あはぁ。いらっしゃい、智佳ちゃん。そしてそちらは、克己くん。で、いいのかな?」

 所々黒く汚れた皴の多い白衣。無造作に伸びた癖毛に、無精髭を生やした面長な顔、フレームをセロハンテープで固定している丸眼鏡。そして極めつけは、軽薄そうな笑顔と喋り方。

 怖そうではないものの、癖が強そうな第一印象に、克己は眉をひそめた。

「は、初めまして。真岳克己です。克己くん、で大丈夫です」

「こちらこそ初めましてぇ。瀬戸竜一です」

 瀬戸が立ち上がり握手を求めてきたので、克己も応じる。

 大きな手だった。それ以上に、身長も克己より一回り大きい。細身ではあるが、190cmほどあるその体躯に、克己は圧倒された。

「瀬戸さん、いい加減廊下片付けたら?せっかくこの部屋は綺麗なのに」

「あはぁ、違うよ智佳ちゃん。他の部屋や廊下に物を置いてあるおかげで、この部屋を綺麗にすることができてるんだから。欲張っちゃいけないよ」

「どうせ要らないものあるんだし、捨てればいいだけじゃない。初来さんもこの人あまり甘やかさないでください」

「私も日頃から注意しているんですが、片付けては散らかっての繰り返しで……」と言って恭子は俯いた。

「あはぁはぁ。相変わらず厳しいねぇ智佳ちゃんは。でも初来さんは責めないであげてね。ボクの我儘に付き合わせちゃってるだけだから」

「最初から責めてるのは瀬戸さんだけだから、ご心配なく」

「あはぁはぁ、そりゃ参った」

 智佳がまっすぐ睨んでいることを意に介さないように、瀬戸はにこやかに笑っていた。

 克己は手持ち無沙汰のまま、三人のやり取りに耳を傾けていた。

 とりあえず、先ほど恭子に対して行ったように克己を瀬戸に紹介せずに苦言を呈したところから、智佳が二人に対してこれまでどのように接してきたかなんとなく理解することができた。瀬戸は若く見積もっても二十代後半くらいの見た目だが、智佳がため口を聞いているということは古い付き合いなのかもしれない。

 それにしても、この瀬戸って人、さっきから言っている「あはぁ」というのが笑い声なのだろうか。まさか笑い声すらも独特とは……。


「まぁ座ってよ」

 瀬戸が言うと、恭子が隣の部屋からパイプ椅子を二つ持ってきた。客人用に用意している物なのだろうが、なかなかに簡素だ。

 ぎしっとパイプが軋む音を聞きながら、克己と智佳は瀬戸の前に腰を下ろした。

「えっとぉ、今日は克己くんにオニの説明会をするってことでいいんだよね?」

「そう、メールで連絡した通り。私から説明しても良かったんだけど、真岳くんに瀬戸さんを紹介することも兼ねてね」

「おっ、ボクを紹介してくれるのかぃ?それじゃあ頼むよ」

 いざやってくれと言われたら気が乗らないのだろう、智佳が小さく嘆息する音が聞こえた。

「この人は瀬戸竜一さん。私のお父さんとお母さんの大学のときの後輩。それもあって、私が昔この町にいたときから面識があるの。正直あの頃にどんな話をしたかほとんど覚えてないけど」

「あはぁ、あのときの智佳ちゃんは可愛かったねぇ。今と違ってすごいキラキラした目をしてて――」

「うるさい」

「あはぁはぁ、ごめんごめん、話の腰を折っちゃったねぇ」

「いやもう紹介は終わったけど」

「ええぇ、それだけかぃ?寂しいなぁ」

「いいから、早く真岳くんに説明してあげて」

 智佳と瀬戸が長い付き合いだということは予想通りだったが、智佳が瀬戸の飄々とした態度に露骨にイライラしている様子を見せているところから、本当に嫌いなのではないかと思われた。

「それじゃあ克己くん。説明を始めようかぁ」瀬戸が身を乗り出して、克己の方に体を向けた。

「あっはい、お願いします」克己も姿勢を正して、人の話を聞く体制を取った。

「まず、克己くんはビョウキって知ってる?」

「病気、病のことじゃないですよね?」

 病気とは異なるイントネーションだったので、克己は首を傾げた。

「ちょっと惜しい。病に鬼と書いて病鬼だよ。辞書的な意味としては人に病を引き起こす鬼とされている。病魔と同じように、病気を化け物に例えた言葉だね」

「はぁ……」

 確かに病魔という言葉なら、病魔に襲われるというような表現で克己も聞いたことがあった。しかし、瀬戸が何を言おうとしているのか要点がつかめない。

「板滝町では、この病鬼って言葉の意味がよそとは違うんだけど、その様子じゃあ、板滝町の由来とかも知らないよね?」

「由来、ですか」

 昔、小学生くらいの頃に自分の住んでいる町を調べようというような授業があった気もするが、どんな内容だったか覚えていないため、克己は正直に首を横に振った。

「板滝町の由来は、痛抱町、すなわち、痛みを抱く町という意味なんだ」

「痛みを……抱く……」

 そういえばそんなことを習った気もすると記憶がうっすらと蘇るとともに、克己は痛みという言葉に反応した。そんな克己を見て、瀬戸は「克己くんは痛みに詳しいんだよねぇ」と言って笑った。どうやら克己がどんな力を持っているのかという話も智佳からされているようだった。

「正直な話ねぇ、真岳くんのオニは医者としては羨ましいんだよね。診察のときに患者さんがどんな痛みを感じるかでその原因を推測したりするんだけど、克己くんはそれが手に取るようにわかるわけだもんねぇ」

「いや、でも僕は医者を目指しているわけでもないので……」

「あはぁはぁ、そりゃ残念だ」と瀬戸は少し笑って、「話を戻そう」と言った。

「克己くんもご存じの通り、痛みにはいろんな種類がある。怪我や病気などの肉体的な痛みや、ストレスなどによる精神的な痛みなど。そういった様々な痛みを打ち払う存在を、畏敬の念を込めて病鬼と、この町では呼んだんだ」

「そういう存在が、この町にはいたってことですか」

「実際にいたかどうかはよくわからないんだよねぇ。この町の言い伝え、伝説みたいなものだから。ざっくりその内容を話すと――」

 その町は、いつも病人や怪我人が絶えず、健康な人間ほど町を離れていくことからその密度は増し、人々は臭い物に蓋をするかのように、その不吉な町を痛抱町と呼んだ。町の住民たちは、町に不幸を呼び寄せているのは、とある山にある寺――現在の板滝山寺とされる――に棲む鬼のせいだとし、鬼を町から追い出そうと寺に押し掛けた。鬼は心優しく人に危害を加えることはなかったが、自分の存在がこの町に不幸を招いていることを知っていた。鬼は言った、確かにこの町に不幸をもたらしているのは自分だが、自分はこの町から離れることはできない、その代わりに皆の不幸を消すこともできると。そして鬼は宣言通り、寺に押し掛けた人々の怪我や病気を一瞬にして治した。町民たちは自分の病を治してもらうために寺を訪れるようになったが、一方で、健康な人間が近づくと鬼に病を移されると恐れるようにもなった。

「――そんな感じで、人々はその鬼を、不幸を招き不幸を払う存在として、病鬼と呼んだ、っていう昔話。今は板滝山寺はパワースポットとして人気があるみたいだけど、そういった伝承を都合よく解釈してるんだろうね。逆に不幸になるかもしれないのにねぇ」

 そう言って瀬戸は目を細めた。丸眼鏡のレンズが小さいせいか、相対的に瀬戸の目は異様に細長く見えた。

「マッチポンプな、迷惑な鬼ってことよ」智佳が冷徹に言い放った。おそらくこの話を聞くのは初めてではないのだろうが、智佳なら初めて聞いたときでもその感想を言いそうだと克己は思った。

「あはぁ、冷たいなぁ智佳ちゃんは。鬼が可哀そうじゃない。克己くんも、智佳ちゃんと同じように思うかい?」

「なんか、『泣いた赤鬼』に出てくる青鬼みたいな話みたいだなって思いました。その人の優しさが報われないというか……」

 鬼という言葉に釣られて『泣いた赤鬼』を連想しただけなので、例えとしては間違っているような気もしたが、瀬戸は満足したように何度も頷いた。

「いいところを突くねぇ、克己くん。ボクは『泣いた赤鬼』が大好きだからねぇ、なんだかその名前を聞けるだけで嬉しいよ」

 どうやら克己の感想ではなく、その作品名が出たことに満足しているようだった。

「そもそも、この町にそんな伝説があったなんて、初めて知りました」

「あはぁはぁ、仕方ないよ。江戸時代くらいにできた話らしいから。知ってるのなんてボクみたいなオタクくらいさ。それを実話だと信じているのも、ねぇ」

 瀬戸の丸眼鏡の薄汚れたレンズが、一瞬白く輝いたように見えた。

「それじゃあ本題に入ろうか、克己くん」瀬戸は眼鏡のブリッジに指を押し当て位置を上げた。「オニについて、知りたいんだろう?」

「……はい、オニとは何なのか。僕の持っているこの不思議な力もオニと呼ばれるものなのか、知りたいです」

「いいでしょう」と言って瀬戸は立ち上がった。克己たちが座っていることもあって瀬戸の長身による威圧感はより大きかったが、瀬戸は気にすることなく室内を歩きながら説明を始めた。

「まず、オニというのは君たちの持つ特殊能力の総称だ。お察しの通り、病鬼の昔話から取ってる。病鬼って呼び方にすると病の方の病気と聞き分けがしづらいからね。板滝町診療所を離れた後に、僕が名付けた」

 克己は横目で智佳を見た。その表情に変わりはないが、小石をぶつけられたようなほんの些細な痛みを感じた。

「緒美音さんのご両親と一緒に働いてたってことですか?」

「そうだよぉ。診療所で働く医師として働いてたんだ」

「でもどうして、この町の昔話から名前を取ったんですか?」

「いい質問だねぇ」瀬戸は足を止めて克己を見た。「それは、現状確認できている最古のオニが、この町のものだからだ」

 横にいる智佳から、再び痛みを感じた。さっきより少しだけ強い痛みだった。そこから、瀬戸の言いたいことが克己はわかってしまった。

「そうか、それが十年前の――」

「そのとぉり。バラバラ男こそが、最古のオニだ」

 あくまで現状ねと言って、瀬戸は再び歩き始めた。落ち着くことができない人物のようだった。

「十年前の事件があってから、ボクはこの町を離れて全国を回った。バラバラ男のような特殊能力を持つ存在が他にもいるんじゃないかと思ってねぇ。その途中で初来さんと知り合って、手伝ってもらうようになったんだけど」

 恭子の方を見ると、小さくお辞儀をしていた。この真面目そうな女性と目の前で喋っている軽薄そうな男性の馴れ初めがどのようなものだったのか少し気になったが、克己は黙って瀬戸の話の続きに耳を傾けた。

「この数年間の旅でわかったことは、板滝町以外にもオニと分類して差し支えない特殊能力を持った人たちがいるということ、そして、その人たちがオニに感染したのは十年前のバラバラ殺人事件以降だということ。そんなわけで、現状確認できる最古のオニがバラバラ男だと思ってぇ、またこの町に戻ってきて研究してるというわけだ。だからもし他の町でバラバラ男より前に発症したオニが見つかって、その町に病魔みたいな昔話があれば、オニからアクマに名前を変えてもいいかもねぇ」

「私が真岳くんにいつからオニが使えるようになったか聞いたのも、それが理由よ。十年前くらいって言ってたから、たぶんバラバラ男より後だと思うけど」

 その理屈だと僕が最古のオニという可能性もあるのか。でも確かに言われてみれば、痛みの共感を自覚するようになったのは事件以降な気もする。

 瀬戸の話が一区切りしたようなので、克己は気になったことを質問し始めた。

「バラバラ男が、オニという特殊能力を持っていることは確定なんですか?」

「もちろん本人に質したことはないよぉ。でもボクは十中八九そうだと思ってる。少なくとも、普通の人間に出来る芸当ではないからねぇ」

 確かに切断面を皮で覆ったままバラバラにするなんて可能には思えない。常識の範疇を超えた特殊能力でもなければ。

「バラバラ男や緒美音さんの持つ力をオニと一括りにできるのはどうしてですか?そもそもオニってなんですか?僕の力もやっぱりオニなんですか――」

 焦って矢継ぎ早に質問してしまい、克己は口を噤んだ。瀬戸は一度に多くの質問に対しても不快そうな様子は見せず、うんうんと頷いている。

「やっぱりそこが気になるよねぇ、克己くん。そりゃそうだ、自分のことなわけだしね。心配せずとも、これから話そうと思っていたところだよ」

 瀬戸は元の位置に戻り、デスクの前にあるオフィスチェアに腰を下ろした。

「一つずつ質問に答えていこうかぁ。まずオニとは何かって話だけど、ボクは感染症の一種だと思ってる。感染症っていうのは一般的には人の体に入った微生物が引き起こす病気のことだけど、オニは人の心に入り込む。だから、そのウイルスの形とかを視認できてるわけじゃないんだよねぇ。オニの効果も千差万別だし。それでももちろん、オニと一括りにするには共通点もあってぇ」

 瀬戸はまたしても立ち上がって歩き始めた。説明してもらっている手前、克己から止めてくれとは言えないが、おそらくいつものことなのだろう、智佳も渋々といった表情で動く瀬戸を目で追っていた。

「一点目として、感染症と言った通り、オニは人から人に感染する。オニ感染者に接触したり、オニそのものやオニにまつわる何かに触れたり、などなど」

「私の場合は、バラバラ男に殺された両親の死体を見たから……」

 智佳の表情は怒りと憎しみが込められていたと同時に、その心はひどく痛んでいた。

 智佳が死体を見たという話は、克己には初耳だった。確かあの事件の第一発見者は診療所の職員だったはずだが、当時幼かった智佳が死体を見たということはもしかしてそのとき一緒にいたのだろうか。

「二点目として、これが心の感染症っていう一番の理由なんだけど、オニは自己否定によって発現する。自己否定と言ってもここでの定義は曖昧で、今の自分を変えたいというポジティブなものもあれば、自分なんて嫌いだというネガティブなものもある。そういった自分自身に対する自分の攻撃的な意思から守るために、オニは生まれるんだ。だから感染症って言い方をしたけど、悪いことばかりではないはずだ。智佳ちゃんの場合で言うと、ってこれは自分の口から言った方がいいかな」

「……そういうところは気を遣うのね」

 智佳はため息をつきながら、克己の方を向いた。

「さっきも言った通り、私は両親の死体を見たことでオニが感染した。そして板滝町を離れたあとも、次に殺されるのは自分じゃないかって、自分がバラバラにされる夢を見るくらいに恐怖に蝕まれていたの。でもそんな自分が嫌で、自分が怖がるんじゃなくて、逆にバラバラ男を怖がらせることができるようになりたいって考えるようになってから、オニが発現するようになったわ。バラバラにされることに対抗するために最初からバラバラになるなんて、なかなか斬新な自衛手段だと自分でも思うけど」

「まっ、智佳ちゃんのオニはそれだけじゃないのが凄いところなんだけどねぇ」

「それは今言わなくていいから」

 智佳が睨むと瀬戸はわざとらしく手を口に当てて黙った。克己もその内容が気になったが、瀬戸が話しの続きを始めたので流されてしまった。

「とまぁその二点が主なオニの共通条件であり、発現条件だ。あとの共通点としては、強いて言うなら常識の範囲を超えた能力だってことかな。もちろんバラバラ男に関してはそのあたりの確認はできてないから、また新たな要素があれば、新型オニとでも呼ばせてもらうことにするさ」

「それじゃあ僕も、オニ感染者に接触したうえで、なにかしらの自己否定をしたってことですよね……」

「克己くんのが新型じゃなければ、ねぇ。実は身近にオニ感染者がいたとか心当たりはない、っていうのも難しいかぁ。それともあれかぃ、克己くんは結構自分が大好きなタイプ?僕もそうなんだよぉ」

 瀬戸は癖毛をばりばりと掻き、照れ笑いのようなものを見せた。

 克己は自分がナルシストだとは思っていないが、それ以上に瀬戸がそうだということが意外だった。

 しかし、身近にオニ感染者といえば――

「もしかして、父さん……」

 智佳の目つきが鋭くなるとともに、瀬戸もまた真面目な表情に変わっていた。

「そうかぁ、克己くんは善文さんのお子さんだもんねぇ」腕を組み、頭を悩ませるようなそぶりを見せながら瀬戸が言う。

「父さんを、知ってるんですか?」克己は思わず身を乗り出す。

「あぁ、知っているよぉ。特別仲良かったわけじゃないけど、事件前にボクはこの町にいたから顔見知りではあった。でもこれはボクの個人的な意見になるけどぉ」

瀬戸は一瞬だけ智佳の顔を見てから、続けた。

「善文さんは、バラバラ男じゃないと思うよ。人格者でいろんな人から慕われていたし、それこそ智佳ちゃんのご両親からもねぇ。とてもじゃないが人を殺せるような人とは思えない」

「それじゃあ、父さんが今行方不明になっているのは……」

「タイミング的にはバラバラ殺人に何かしら関わっているからと考えられるけど、おそらく被害者側として、だと思うよぉ」

 確かに、考えてみれば当然の話だが、父さんがバラバラ男じゃないとしたら、すでにバラバラ男に殺されてその遺体が見つかっていないだけという可能性もあるのか。

 智佳も何か言おうとして口を開きかけたが、克己の顔色が若干青ざめているのを見て、言葉を飲み込んだ。

「まっ」と言って瀬戸は手をぱんと叩き、話を変えた。「克己くんのオニが新型のものかはともかく、珍しいのは確かだ。さっきも言った通り、通常のオニは自己否定、すなわち拒絶によって発現する傾向にある。それに対して、克己くんのオニは他者の痛みを受け入れている。これを新たなオニの形とするか、それとも、何か拒絶した結果受け入れることになったのか、ボクとしてはとても興味深いねぇ」

 何かを拒絶――

 だめだ、何も思い出せない。実際にそんなことはしていないのか、その記憶がないだけなのかもわからない。

「まぁ、焦らなくていいよぉ、克己くん」頭を抱えている克己を見て、瀬戸は声を和らげて言った。「ボクは基本この研究所にいるからさぁ、何か相談したいことがあればいつでも来なよ」

 瀬戸はデスクの引き出しから取り出した名刺を克己に渡した。板滝町診療所という所属と瀬戸竜一という名前、その下には電話番号とメールアドレスが書かれていた。

「十年前のものだけど、連絡先は変わってないからさ」

「……ありがとうございます」

 克己は名刺を制服のポケットにしまい、頭を下げた。

「瀬戸先生、そろそろお時間です」恭子が瀬戸に声を掛けると、瀬戸はデスクの上のデジタル時計を確認した。時刻はPM4時50分を示していた。

「あぁ、そうだねぇ。それじゃあ悪いけど、ボクはこれから用があるから、話はこの辺で」

 デスクの横に下げているドクターバッグを手に取り、廊下に向かった。克己と智佳も立ち上がって、瀬戸について行く。

「これから、お仕事ですか?」克己が聞くと、瀬戸は頷いた。

「そう、これでもお医者さんだからねぇ。常連さんのところを回って診察してるんだよ」

 まさかその薄汚れた白衣で行くのかと克己は訝しんでいたが、常連ならばいいのだろうかと納得してしまった。

 来たときと変わらず廊下は暗かったものの、先頭に立つ瀬戸が玄関のドアを開けたおかげで、室内に外から眩い光が差した。

 克己としては、本当はもっと瀬戸に話を聞きたかった。自分たちの他にどんなオニがあるのか、瀬戸はどうしてオニの研究をしているのか、オニを感染症だとするならば治す方法もあるのか――

「あれ、もしかして今からお出かけですか?」

 ドアが開いた瞬間に、聞き覚えのある声が聞こえた。

 克己は玄関に目を向けたが、逆光でその人物の顔は見えなかった。しかし、そのシルエットや朝影高校のブレザーから、誰なのか認識できた。

 玄関にいたのは、由利だった。

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