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「じゃああれは全部、緒美音さんの悪ふざけだったってこと?」

「悪ふざけというのは心外ね。真岳くんに私の秘密を教えてあげようと思っただけよ。からかいながら」

「からかいながらって言っちゃってるし……」

 学校を出て、克己と智佳はバスの中で並んで座っていた。目的地の研究所まで徒歩だと一時間かかるということで、智佳がいつも使っているというバスに乗ることになった。いつも使っていると言う通り、智佳がバス停の場所はもちろんバスの時間も頭に入れているので、バスに馴染みのない克己も、スムーズに乗ることができた。

 バス停は駅前にあったが、乗客はほとんどいなかった。買い物帰りの主婦が二人話しているくらいで、学生に至っては克己と智佳以外誰もいない。おそらくほとんどの学生は徒歩か自転車または電車で通学しているのだろう。

 ほぼ貸し切り状態でどこに座るか逆に悩ましかったが、智佳は迷うことなく最後部の席の窓際に座った。智佳の身なりから、なるべく目立たない場所を陣取ることに慣れているようにも見えた。克己もその後ろをついていったが、いざ腰を下ろすとなると迷いが生じた。混んでいるならそんな必要はないが、空いているのにわざわざ密着するように隣に座る必要があるのかと思ってしまったのだ。とはいえ反対側の窓際に座れば会話もしづらいし距離を置いたということで失礼ともとられかねない。結局、克己は折衷案として、拳一つ分の距離を空けて智佳の横に座った。

 それと同時に、智佳は先週の金曜日のことを語り出したのだった。克己が尾行していたことは最初から気付いていたこと、克己を誘導することでなるべく人目のつかないところで自分の秘密を明かそうとしていたことを。

「包帯をちぎって、誘導してたってことだよね?」

「そうよ。これだけで真岳くんが気付いてくれるか少し不安だったけど、安心したわ。あなた結構賢いのね」

 それだけで賢いと褒めるというのは、逆に馬鹿にされてると解釈していいのだろうか。

 しかしあのときは本気で誘拐の線も考えていたことを考えると、なかなか質の悪いいたずらだったと思うのだが、良くも悪くも余計な心配だったということで、克己はただただ安心していた。

「わざわざそんな手の込んだことをしなくても、最初から振り向いてついてこいって言ってくれたらよかったのに」

 克己の責めるような言い方が気に食わなかったのか、智佳は鋭く言い返した。

「それを言うなら、真岳くんだって最初から私に声を掛ければよかったんじゃない?最初から最後まで黙ってついて来られた記憶しかないけど」

「いや、それはまぁ……」

 その点に関しては自分でも後悔していたので、素直に受け止めるしかなかった。

「それじゃあ、途中で腕を抱えたり、脚を引きずってたのも演技だったってことだよね」

 あの状態であんな速さで歩けるのだから飛んだ演技力だと思っていたが、智佳は首を横に振った。

「いや、あれに関しては演技じゃないわ。ある意味あれはイレギュラーな状況だったの。だから本気で急いでもいた」

「イレギュラーって?」

「私のオニ、つまりこの全身をバラバラにできる能力は、もともとバラバラ男に対抗するために発現したものなのよ」

 智佳は包帯巻きになった自分の左手を見ながら話した。

「そのあたりの話も、詳しくは研究所でするわ。とにかく、その副作用のような形で、私の体は不定期にバラバラになる。片頭痛みたいな、発作的なものとして考えてもらってもいいわ」

「つまり、僕に尾行されていたあのときに、そのバラバラになるという発作が起きていたってこと?」

「そうよ。あのままだと道端で体がバラバラになる可能性があった。だからこそ、バラバラになる前は少し体に力が入りにくくなるんだけど、そんな状態で必死に急いでたのよ。これはこれで真岳くんに私の秘密を話すきっかけになるかもしれないと思ったけど、いつの間にか私が真岳くんを撒いちゃったから、包帯をちぎって道標として置いたうえで、あのゴミステーションにたどり着いたの。そこで発作が起きていた状態の私を、真岳くんが発見して、そのまま逃げちゃったというわけ」

「そうだったんだ……」

 それならなおさら僕に助けを求めてくれても良かったんじゃないかと思ったけれど、きっと緒美音さんはこれまでずっと似たような状況を一人で切り抜けてきたんだろうということが想像できて、安易に指摘することはできなかった。

「この包帯も、真岳くんのお察しの通り、怪我のためなんかじゃなくて、一応その発作対策で付けてるの。でもちゃんと対策になっているわけではなくて、おまじないみたいなものなんだけど」

 智佳が言うには、いつ突然体がバラバラにならないかわからないという不安を和らげるために、体を固定しているというイメージを強くしているのだという。そういう意味では文字通り全身に巻いた方がいいのだが、その手間と不便さを考慮して、今のように半身に巻いているとのことだった。

「気分転換って意味で、一週間ごとに包帯を巻く位置を左右入れ替えたりしてるの。だから、私の包帯の位置を見れば週が変わったってわかるのよ」

 智佳は冗談半分に言って笑顔を見せた。バスの窓から差し込む西日に照らされたその顔には、いつもの気丈さは見られず、弱さを覆い隠そうとするところに年相応の少女としての儚さが垣間見えた。

「そういう理由があったんだね。てっきり僕は緒美音さんの双子の妹なんじゃないかって疑ってたよ」

「なにそれ」

 克己も同様に冗談交じりで返すと、智佳は声を上げて笑った。初めて見た智佳の純粋な笑顔がなんだか嬉しくて、克己も一緒になって笑ったが、智佳の痛みを思うと心の底からは笑えなかった。

 自分の体が突然バラバラになってしまうなんて、いったいどれほどの恐怖だろう。僕の力じゃ共感できない、想像を絶するものではないだろうか。

 克己がじっと智佳の包帯部分を凝視していたので、智佳は克己が何を考えているか察したようだった。

「真岳くんも似たようなものでしょう。いつ他人の痛みが自分に降りかかってくるかわからないなんて、私からしたらそっちの方が恐ろしいわ」

「そうかな」そんなことないよと続けようとしたが、弱さを見せてくれた智佳の手前、克己の口からも本音が漏れた。「いや、そうかもしれないね」

 大なり小なりあれど、誰しも痛みや苦しみをその内に抱えていることなんてことは、克己は人一倍わかっているはずだった。それはもちろん克己も例に漏れない。だからこそ、他者に必要以上に同情しなくてもいいのかもしれないと、克己は改めて思った。

 ふと、由利の顔が克己の脳裏に浮かんだ。

「真岳くんは優しいのね。私なんて、自分の痛みと戦うのに精一杯で、他人のなんてわかったらすぐに耐えられなくなりそう」

 智佳が皮肉無しに克己を称える。克己は気恥ずかしくて、指で頬をかく。

「そこに関しては、慣れかもしれない。むしろ今では、痛みが感じられないと違和感を覚えるくらいだから」

「やっぱドMね」つい先ほど褒めていたのが嘘のように智佳は言い切った。

「そう言う緒美音さんはドSだよ」

 克己と智佳は目を合わせて笑い合った。お互いがお互いの秘密を共有したことで、より距離が近づいたということが目に見えてわかった。

 しかし克己は智佳の痛みと戦うという言葉が気にかかっていた。

 果たして僕は、これまで痛みと戦ってきただろうか。他人の痛みを受け取るばかりで、それに対して何もしてこなかったように思う。他人の痛みを知ることができる僕だからこそ、何かできることがあるんじゃないだろうか。

 南戸さんも、本当は何かを抱えているんだろうか。

 痛みを抱えたまま学校を辞めてしまった手村くんも、僕なら手助けすることができたんじゃないだろうか――

「あっそういえば」克己はふと思い出して口を開いた。「最近学校とかで噂になってるバラバラ死体の件、あれはやっぱり緒美音さんのことなの?」

 見つかった場所に関して謎は残るが、タイミング的にもたまたまゴミステーションで智佳がバラバラになっているところを見た人がいて、そこからいろいろ尾ひれが付いて今のような内容に至った可能性もある。

 しかし、智佳はきっぱりと「違うわ」と答えた。

「私があのゴミステーションでバラバラになってから元に戻るまでの間、意識はあったんだけど、中に入って来たのは真岳くんだけだった。だから、私のことを見て噂になったということは有り得ないわ」

 それでは、やはり由利の言う通り質の悪いいたずらだったのだろうか。それとも、智佳とは別にどこかにバラバラ死体は存在しているのか。少なくとも現時点では、どれだけ考えたところで、納得のいく答えが見つかることはなかった。


「着いたわ」

 バスが走り始めて十分ほど経過したところで、智佳が立ち上がった。自分が智佳の道を塞いでいるので、慌てて克己も立ち上がって先に降りる。

 降りたバス停は、何の変哲もない住宅街にあった。駅前から離れたので喧騒は無くなったものの、一軒家が軒を連ねて少し高めのマンションが凹凸を作っている風景は、板滝町なら良く見られるものだった。

「研究所っていうから、山奥とか、もっと辺鄙なところにあるのかと思ってたよ」

「研究所って呼び名自体、受け売りみたいなものだから。おそらく想像しているようなものではないわ」

 克己の中では、いかにも箱と呼べるような直方体で、清潔感があり殺菌性もどこか強そうな白一面の壁に覆われた建物がイメージされていた。それではないということで、今度は逆に、壁にひびが入り変色するほどに年季の入った学校の校舎のようなものを想像した。

 結論としては、両方のイメージとも異なっていた。

 バスを降りて五分ほど住宅街の中を歩いたところにそれはあった。強いて言うなら白色という部分だけあっていたが、研究所というよりは一般的な五階建てのマンションだった。

「私も詳しくは知らないんだけど、このマンションのオーナーにコネがあるとかで、広めの角部屋を研究所として借りてるらしいの」

「なるほど……」

 克己は改めてマンションを見上げる。ベランダの広さから一部屋3LDKくらいはありそうだ。どんな研究をしているのかわからないが、確かに大規模な研究器具でもない限りそんなに広さはいらないのだろう。

「なんだか、マンションの形があのゴミステーションのところと似てるね」

「まぁ、うちも五階建てだしね」

「……えっ、今うちって――」

「言ってなかったっけ。あそこが私の家よ」

 けろりとした顔で智佳が言う。

 なるほど、道理で勝手知ったる場所だったというわけだ……。

 期せずして智佳の家の場所を知ってしまったということで、研究所の見た目が予想外なんてことはどうでもよくなっていた。

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